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雛鳥よろしく給餌されています

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「ほら、これも美味いぞ。ああ、これもお勧めだ」
「んむ…」

 小林に連れられて向かった先は、タクシーで五分ほどのビルの最上階にあるバーだった。案内されたのは店の奥まったところにある個室の様な空間で、二人掛けのソファがあり、テーブルの向こうは一面ガラス張りで夜景が目に痛いほどだった。そこで美緒は小林が頼んだ料理を何とも言い難い気分のまま口していた。
 お勧めだと言ったとおり、このバーは軽食が充実していてしかも味も逸品だった。お腹が空いていたから有難いのだが、何だか素直に喜べないのは隣に座る男のせいだろう…二人掛けのソファだから仕方がないとは思うが…何と言うか距離が近過ぎるのだ。いや、近過ぎるなんてもんじゃない。今美緒は小林の右側に座らされて、先ほどから肩か腰を抱かれている状態なのだ。何、この距離感ゼロ…と思うのだが、最初に抗議出来なかったのは失敗だった…と思う。

(おかしい…)

 自分が置かれた状況に美緒は混乱したままだった。いや、状況は理解している。理解しているのだが、何故こうなっているのかが全くわからない。どうして自分はイケメンに甲斐甲斐しく世話を焼かれているのか…しかも食べ物まで口に運ばれているのだ。何この羞恥プレイ…と思うのだが、小林は当然のようにやっているし、次々と口元に運ばれてくる料理に美緒は抗議するタイミングが見つからなかった。

 咀嚼しながら美緒は、チラ…と店員に声をかけている小林を横目で見た。相変わらずのイケメンで、ちょっと前までは汗だくだったのに爽やか感が半端ない。夜になれば男性は髭が伸びるというが、小林にはそんな気配は全くなかったし、汗臭いなどという事もなく、むしろ自分が汗臭くないかと気になってしょうがない。中身はともかく、こんなイケメンの隣にいるのが自分で申し訳なく思う。きっと自分の様なイケメンは鑑賞に限る派にとっては、がっかりな構図なのではないだろうか…

 しかも美緒は未だに好きだと言われた事も消化できずにいた。この一週間、小林は自分で言った通り仕事中は何もないという態度に始終していた。先週末の事は夢だったのかと思うほどに。それでも仕事が終わればマメにメッセージを送ってくるし、せっせと次の休みの計画を押し込んできていて、美緒の予定は信じられないスピードで埋められていた。また、朱里が事ある毎にからかってくるため、美緒の期待に反して夢ではないと主張していたのだが…しかし、未だにイケメンに好かれているとは信じられない美緒だった。

「ホント、悪かったな。一人で残業させて…」

 雛鳥よろしく小林が勧める料理を口にしていた美緒だったが、急に謝られたため小林を見上げると、そこには申し訳なさそうな憂いのある表情を浮かべたイケメンがいて、美緒の心拍数が本人の意に反して上がった。そういう表情は心臓に悪いからやめて欲しい…イケメンは好きだが美緒はもっぱら鑑賞専門で、離れたところから眺めるものであり、その笑みは自分が向けられるものではないのだ。

「別に…小林のせいじゃないから。気にしてないし」

 上がった心拍数を悟られないよう、美緒はぶっきらぼうにそう答えた。実際、今回の事は小林に非はないと思っている。それどころか、班のメンバーが定時で終われるように朝から手を尽くしていたのだ。小林は俺様でワンマンなところがあるが、仕事では周りをよく見ていて、困っている者がいればさりげなく気遣うなど意外にマメなのだ。それは補佐につくようになってから知った事だが、時々同じ歳なのに…と思うほど優秀な一面を見せていた。

「早川の事は俺に任せてくれ。前からお前に仕事頼もうとしてただろう?牧野さんや俺には何にも言わないのに。どういうつもりだと思っていたが…今回の事で悪意があるのだけはわかったからな」

 なるほど、早川の所業は知っていたのか、と美緒は意外に思ったが、一方でよく見ているんだなと感心した。それくらい出来なければリーダーは務まらないのだろうが、早川はその外見から周りの評価が甘い傾向が強く、大きなミスでも仕方ないで済んでいたのだ。そのせいでいつまで経っても仕事が出来ないのだが…

「今日のはどういう話で仕事を受けたんだ?対策も考えなきゃいけないから話してくれ」

 小林にそう言われて、美緒は今回仕事を受ける事になった経緯を小林に話した。早川に頼まれた美緒が、それならリーダーを通してと言った事、その後で田島が苛めるなと言ってきた事、その後冷たい奴だと言って詰られて最終的には押し付けられた事、そして早川に言われた事など、美緒は思い出せる限りの事を話した。一通り話してしまうと、意外にも気持ちがすっきりした。誰かに話す事で気持ちの整理がついたうえ、美味しい食事でお腹が満たされたのも大きかっただろう。

「なるほどな…だが…目的が分からないのが気持ち悪いな。こんな事をしてバレない筈もないのに…」
「間違った資料を牧野さんに出させて、それで私の評判を落とすつもりとか?」
「最近、異動してきたばかりのお前より仕事出来ないんじゃないかって、周りが言い出したからな」
「え?そうなの?」
「牧野さんや田島は甘いけど…あの班の他の三人は仕事が出来なさ過ぎて困るとずっと言ってたんだ。それでも若いし、慣れていないだけだって牧野さんは言うし、他の三人は十年以上のベテランで比較対象にならなかったから。でも、お前が来ても特に問題なくうちの班が回ってるから、やっぱりおかしいんじゃないかって…」
「ああ、なるほど…」

 美緒が異動してきて四か月目に入ったが、今のところ美緒の作った資料で大きなトラブルは起きていなかった。それはもちろん、美緒が慣れていないからと営業自身がしっかりチェックしているのもあったが。一方の早川は週に一度は大きなミスをして顧客から苦情が出ているという。それでも彼女に甘い牧野が何も言わないらしいが…

「お前は時々ミスもするが、まだ少ない方だから大丈夫だ。だが牧野班は気の毒だな。俺もあんなに仕事が遅くてミスばかりの補佐は勘弁だ」
「へ?」

 思いがけない早川への辛すぎるコメントに、美緒は驚きを隠せなかった。普段から早川は何かと理由をつけては小林に絡んでいたが、小林はいつも笑みを浮かべて相手をしていたからだ。可愛いし、小林の前じゃ被る猫の数も最高レベルだったから、小林もまんざらでもないんだろうと思っていたのだ。

「なんだ?」
「いや…早川さんの…点が辛いから…」
「あ?あんな性格ブスの能無し、興味の欠片もわかないけど」
「ええ?でも、可愛いし…」
「は?可愛い?あれがか?」
「ええ?」

 社内でも綺麗処トップ3に入ると言われている早川への辛すぎる評価に美緒は目を丸くしたが、それ以上に驚いたのは小林が早川を全く可愛いと思っていないところだった。彼の中では早川は可愛い部類には入らないらしく、本気でそう思っているように見える。いや、イケメンだし、朱里みたいな完璧な美人が子供の頃から側にいるから目が肥えているのだろうけど…

「あんな中身が腐ってる奴、表面がちょっとよくても相殺してマイナスだよ。第一、俺の好みじゃないし」
「そ、そう…」

 社内の男性陣に人気の早川をそこまでこき下ろせるなんて、イケメン凄い…と美緒は感心してしまった。いやいや、気にするのはそこじゃないと思うのだが、意外すぎて理解が付いていかないのは美緒のせいではないだろう…
だが、それなら小林の好みはどんなのだろう。自分を好きと言うのが本当なら面食いではないのだろうが、そもそも好きになる基準がどこにあるのか、美緒は全く想像出来なかった。

「…ちなみに、あんたの好みってどんなのよ?」
「俺の好み?そりゃあ、美緒に決まってるだろうが」
「はあぁ?」

 真顔で、しかも何でそんな事わざわざ聞くんだ?と言わんばかりの表情で即答された美緒は、思わず大きな声が出てしまった。近くにいた店員がこちらを見たのが視界に入り、慌てて口に手を当てた。

「な…なに…を…」
「何だ?変な事言ったか?」
「へ、んな事って…」

 言動のおかしさが常態化してて理解不能なんだけど!と叫びたかったが、さすがに客のいる店内では言えなかった。危なかった…もし酔っていたら叫んでいたかもしれない…美緒は嫌な汗が背中を這うのを感じた。何なんだこいつ、異世界人?宇宙人?もう色々と理解出来なくて、美緒は人外生物じゃないかと本気で思い始めた。

「何だよ、お前は可愛いぞ。顔は俺の好みだし、ちっちゃくて腕ん中すっぽり収まるし。化粧臭くないしそれどころかいつもいい匂いがするし、腹黒くもないしな」
「い、いや…性格はよくないし…」
「そんな事ない。お前は考えている事が直ぐにわかるし、腹芸出来ないだろうが。そう言うのは性格悪いって言わない」
「いや…そんな事は…」
「お前は裏表ないだろう。嫌いな相手ははっきり嫌いだって態度取るし、すげー素直だよ」
「す、素直?あれが?」
「素直だろ、考えている事バレバレだし。俺、あんなにハッキリ嫌いって態度とられたの、お前が初めてだ」
「……」

 楽し気な笑顔を浮かべる小林に、美緒は益々混乱した。小林の言っている事がおかしいと思うのは自分だけだろうか…もちろん、自分が腹芸など出来ないのは百も承知だし、そういう意味で素直と言われればそうなのだろうが、何かが違う気がする…それに、嫌いだと態度に出すのは社会人として褒められるものじゃない。そして一番理解出来ないのは、小林は嫌いと言われて喜んでいるように見えるところだ。そこは絶対に喜ぶところじゃないだろう…と美緒は思った。

「さ。飯はもういいか?気が済んだなら行こう」
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