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二章

過去の影と今の悪夢

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 夢見が悪くて、目覚めた時の気分は最悪だった。夢の内容は夢を見ている時は覚えておかないと…と思っていた筈なのに、目が覚めたら殆どが記憶から消されていたが、出てきた人物だけは覚えていた。最近は滅多に夢に見る事もなかった人物で、夢の内容など忘れて正解だったのかと思うが、出来れば夢でも会いたくなかった。

 夢を引きずって重くなった気分は、スマホを手にした時により一層重くなった。昨夜電源を切って寝た事を思い出すと共に、それまでの経緯も一緒に蘇ったからだ。
祈るような、乞うような思いを抱えながら電源を入れたが…何一つ通知がなかった。その事に落胆と安堵を同時に感じたが、より重かった方の気分に引きずられてその日一日が始まった。
 特に用事もなく、寒い事もあって出かける気もせず、花耶は家で掃除や洗濯をしたり、お弁当のおかずの作り置きを作ったりしながらのんびり過ごした。この週末、麻友は兄と一緒に実家に顔を出すのだと言っていたため連絡が来ることもない。今は逆にその事にホッとしている自分がいた。こんな状態で麻友にあったら、きっと心配をかけてしまうだろう。

 その日の夜もまた、花耶はスマホを手には…していなかった。電話を待っているのが辛くて、でも自分からかける勇気も持てず、花耶は十時を過ぎた頃には電源を落としてベッドから離れたチェストの上に置いておいた。手元にあるとつい電源を入れたくなるからだ。起きているのも連絡を待っているような気がして、花耶は早々に布団を頭から被った。

 その夜は殆ど眠れなかった。色々考えすぎたせいもあったが、昨日見た夢の内容が事ある毎に浮かんでくるため、それにまつわる記憶を思い出してしまったからだ。別に覚えていたい内容でもないのでさっさと忘れてしまえればいいのにと思うのだが、そういうものに限ってしつこく頭の中に残っていた。どうせなら資格試験で必死に覚えた内容をこれくらい覚えられたらいいのに…と思うが、中々そういう訳にはいかないらしい。結局一晩中、うつらうつらしながら過ごした。



 目が覚めたが、今朝は昨日の夢を見る事はなかった。ただ、どうにも心に引っかかるものを感じた花耶は、出かける事にした。スマホに電源を入れたが何の通知もなかった事も背中を押した。今日何かを予定しているなら、昨夜のうちに連絡がある筈だ。ないなら、きっとそういう事なのだろう。



 古めかしく大きな門をくぐると、空気が少しだけ変わった気がした。その日花耶が訪れたのは、母親と祖母が眠る墓のあるお寺だった。割と郊外にあるこのお寺は、花耶の母親の実家に縁があったとかで、その伝で母と祖母もここにあるお墓に眠っていた。
 今日はお寺で法事があるのか、数台の車と人の姿があった。花耶はその人達の邪魔にならない様にと、お寺のご縁さんには挨拶をせず、そっと墓地に向かった。

 お墓参りとは言っても、母と祖母のそれは二人だけの墓ではなく、墓を建てられない人や墓じまいをした人などと一緒の合祀墓だった。祖母が亡くなった時に叔父が手配したもので、費用も叔父が負担していた。もっともそのお金の一部は、花耶の父親からの養育費だったのだろうが。
 母も祖母も、亡くなったのは師走だった。先日夢を見たのもそのせいだろうか…いい思い出がないだけに記憶も薄れていったが、どういう訳かこの季節になると花耶は二人の夢を見ていた。内容はいつも覚えていないが、目が覚めた時に嫌な気分しか残らないため、いい内容ではないのだろう、と思う。それも別に覚えていたいわけではないが、夢に見ると墓参りにくらい来いと言われているような気がして、花耶は毎年この時期になるとこうして墓参りに来ていた。
 お墓は合祀墓なだけあって、お墓と言うよりも記念碑のような形だった。お陰で悲壮感なども感じなくて、花耶はその形が気に入っていた。ここに来るまでに買ったお花やお供えのお菓子、線香などを取り出して備え、花耶は暫くその場で合祀墓を眺めていた。

 花耶は母にも祖母にも、いい思い出がなかった。今にして思えば、育児放棄されていたのだろうな、と思う。そのせいか、二人が死んでも涙も出なかったし、悲しいと思う気持ちも薄かった。親が泣いているのに泣きもしないなんて…と親戚らしい誰かに言われたが、悲しむような温かい思い出もないので泣きようもなかった。それでもこうして墓参りに来ようと思う自分がいるのが花耶には不思議だった。

 ふと、お寺の方で人の気配が起きた。車があったから法事が終わったのだろう。そちらの方に視線を向けると、そこには黒い礼服を着た人たちが廊下に出てくるところが見えた。何となくじろじろ見るのも失礼かと思い、花耶が背を向けて合祀墓の方に視線を向けたところで、聞き慣れた声を聞いた気がした。再びそちらの方に視線を戻すと、そこに一際背の高い男性がいて、その姿を確認して花耶は慌てて視線を合祀墓に戻した。
 
そこにいたのは、奥野だった。

 今日は法事だったのか…と思うと同時に、どうして教えてくれなかったのだろうとも思った。これまでも実家に関する事でもなんでも教えてくれたのに。こんなところで会うなんて思いもよらなかったせいか、また心臓がどきどき脈打っているのを感じた。ここで会うなんて意外過ぎるが、こんなところでも縁があったのかと思うと何だか切れかけていた繋がりが戻ったように感じた。

「意外よね~……ちゃんがとうや君となんて…」

 一際大きな声がして、え?と思っていると、別の声が重なった。

「そうよ、お見合いが嫌で恋人がいるフリしているんじゃないかと思ったのよ」
「もう…そんなんじゃないわよ。ちゃんと付き合ってるの」
「そうなの?…ねぇ、とうや君、……ちゃんの事、よろしくお願いね」
「はい」
「ほら、透夜さんもこう言ってるでしょ」

(え…?)

 咄嗟に向けた背で会話を受けた花耶は、会話の内容に固まった。

(今、何て…言った…?付き合ってる…?とうやって…)

 合祀墓に向かって手を合わせているふりをしながら、花耶の頭の中に先ほどのセリフがずっと渦巻いていた。とうやとは奥野の事ではないだろうか?彼の名前は透夜だ。頭は真っ白なようで、先ほどのセリフだけが何度も再生されていく。手が小刻みに震えているのを人ごとのように感じながらも、意識は先ほどのセリフにだけ向けられていた。

 人の気配と声が遠ざかっても、花耶は暫くその場から動けなかった。



 ベッドの上で花耶は、ぼんやりと天井を眺めていた。あれからどうやって家まで帰ってきたのかもおぼつかないが、奥野に見つかる事なく帰ってこれたらしい。もし奥野が気付いたらすぐに連絡があるだろうが、今のところそれもなかった。もっとも、気付いたとしても向こうが気にしなかったらそれまでだが…
 奥野のこれまでの花耶への態度から、恋人には甘くて甲斐甲斐しく世話をやきたがるのは明白だった。もし奥野の気持ちが自分にあるなら、法事があればそうと教えてくれるし、花耶に気が付いたら必ず連絡をしてくるだろう。

 だが、先週も今週も、奥野からの連絡はなかった。それは昼間の会話とも相まって、奥野の気持ちが自分からさっきの人に移ったという証のように思えた。この前の埋め合わせだってないし、連絡だってないのだ。
 さらに花耶は奥野の気持ちを知りながら、何か月も返事をしないばかりか、最近は会えば避けて逃げまくったのだ。これでは愛想を尽かされてもおかしくないではないか…こんな自分に奥野を責める資格などないのだ。今の奥野はフリーで、決まった相手はいないのだから…

 そう思う一方で、あれは何か理由があって恋人の振りをしているのかもしれない…と思った。だが、その考えも浮かんだ瞬間に消えた。あの奥野がそんな事をするようには思えなかったからだ。
 
 どう考えても、何度考えても、答えは同じだった。不思議と涙は出なかった。



 このまま目が覚めなければいいのに…そう思いながら眠りについたが、残念ながら現実はそんなに都合よくは出来ていなかった。目が覚めれば月曜日で、熱でもない限りは仕事に行かなければいけなかった。そして、こんな時に限って都合よく熱も出てはくれなかった。花耶は雲の上を歩くような感覚を覚えながら、機械的に出勤準備をして会社に向かった。



「ちょっと花耶、どうしたのよ?」

 さすがに麻友には隠し切れなかったようで、顔を見るなり直ぐに尋ねてきた。そんな麻友にも花耶は緩慢にしか身体が反応せず、どこか自分の身体ではないような感覚を覚えながらも麻友に視線を向けた。

「なんかあった?」

 覗き込むように顔を寄せてそう問いかけてくる麻友ですら、何だか遠い存在に感じられたが、花耶はさすがに心配をかけるわけにはいかないと思った。ただ、何といえばいいのかわからない。大丈夫だよ、と言いながらも何から話していいのか、そもそも話をしていいのかすらもわからなかった。

「とくには…ただ…」
「ただ…?」
「…お墓参りに、行って…」

 そこまで告げながらその先が出てこなかった花耶は、どう話そうかと思ったが、麻友の受け取り方は違ったらしかった。

「そっか…もう十二月だもんね…」

 そうとだけ告げたタイミングで、麻友を呼ぶ松永の声がした。去り際に無理しないで、話ならいくらでも聞くから、と言って松永の元に向かった麻友の背中を見て、花耶はホッと安堵した。

 どうやら麻友は、花耶が墓参りに行って昔の事を想い出して落ち込んでいるのだと思ったらしい。例年ならそれは間違いではなく、花耶は毎年夢を見て墓参りを思い出し、行ったら行ったで昔の事を思い出して気落ちするのが常で、長い時は年明けまで引きずったりもしていた。
 今日の事を麻友がその影響だと思ってくれたのは花耶には好都合だった。今は奥野の事も、お寺での事も話したくなかった。今話してしまうと、暫く自分一人では立てなくなりそうな気がして、その事に花耶は恐怖していた。


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