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防音魔法を使用すればセーフですか?

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 俺は決して方向音痴じゃない。大雑把な地図が悪いんだ。今度買い替えてやる。

 ぶつくさ言いながらなんとか公爵領についたものの、空は既に暗くなっていた。
 公爵家の屋敷を目指して飛び続けていると、一際大きな屋敷の庭から煙が上がっているのが見えた。目を凝らすと、東屋のようなものが轟々と燃えている。
 あれが、公爵家の屋敷だろう。


「っ! 大変だ!」


 どうか間に合ってくれ、と祈りながら屋敷の敷地内に降り立つ。建物からは男たちの悲鳴が聞こえてきた。


「ひぃっ! た、助けてくれぇ!! ぐはぁ!!」

「聞いてねぇ! 聞いてねぇよこんなの! ぎゃぁああぁああ!!」


 そして逃げ惑う男たち……否、盗賊たちを次々に斬り伏せる全身血みどろの男。
 状況が理解できなくて立ち尽くす俺を見て、その血みどろ男は目を皿のようにした。
 よくよく見ると、その目は美しい菫色だった。


「フ、フレデリック?」

「……アレン?」


 なぜここに? と首を傾げる仕草が可愛い。例え全身血みどろでも可愛い。真っ赤な薔薇の妖精さんみたいだ。辺りに転がる満身創痍の盗賊たちという現実からは思いっきり目を逸らしておく。

 俺が二の句をつげずにいると、男たちの一人が震えながらもフレデリックの背後から斬りかかっていった。


「ぅ、うぉぉおおおぉぉおぉぉあぁぁあぎゃぁぁああぁあぁあぐぉぉっ!!」


 フレデリックはその長い脚で見事な回し蹴りを披露すると、男を遥か後方に吹っ飛ばした。壁に叩きつけられた男は白目をむいて泡を吹いている。怖。

 もしかして、もしかしなくても、フレデリックってめちゃくちゃ力強いんじゃないだろうか。それこそ、本気になれば俺なんか片手で潰せるのかもしれない。蹴り一つであそこまで人間が吹っ飛ぶとかちょっと並の脚力じゃないと思う。

 つまり、いつもベッドの上では手加減してくれているということだ。抵抗しようと思えばいくらでもできるのに、俺のことを受け入れてくれる優しさに思わずときめいてしまう。
 逃げ惑う盗賊たちとそれを相手に無双する恋人、そして乙女のようにときめいている俺。なるほどコレが地獄か。


「ゆ、ゆるして……ゆるして……」

「おかあちゃんたすけてぇ」

「騎士団長がいるなんて知らなかったんだ……死にたくない……死にたくない……」


 戦意喪失した盗賊たちはあっという間に捕らえられ、一人残らず縄で縛られて屋敷の庭に転がされていた。
 一応俺もちょっとだけ手伝ったけど、ほとんどフレデリックが一人で盗賊たちを制圧してしまった。マジで何この人。強すぎる。
 的確に急所を外して斬られているせいか、盗賊たちは苦しみに呻きながら許しを乞うていた。


「ありがとう、アレン。助かった」

「いえ……今日の俺はマジでほぼ何もしてないです」


 全身血みどろのフレデリックにちょっと肝を冷やしながら怪我がないか尋ねると、まさかまさかの無傷だった。この血痕は全部返り血だと言うから恐ろしい。
 ドヤ顔で「きみとの約束を守って怪我しないように気をつけたんだ」なんて言うから変な声が出てしまった。可愛い。カッコよくて強いのに可愛い。新種の生き物じゃん。

 やっぱり俺の恋人は最高だな。
 久しぶりのフレデリックを前にして俺がニマニマしていると、当のフレデリックは苦笑していた。


「と、ところでフレデリック。東屋が派手に燃えてましたけど、それ以外は特に被害はないんですか?」

「ああ。みんな無事だ。あの東屋も、セオドアが魔法を使おうとして狙いに失敗した結果だからな。連中に壊されたものは何もない」

「セオドアが?」


 そういえば、以前セオドアから「魔力量が少なくても使える攻撃魔法を護身用として教えてほしい」と頼まれたことがあった。
 そこで俺は簡単な火魔法……通称「ファイアーボール」を伝授してあげたんだけど……使ったのか。あの魔法を。
 俺が水魔法で消火し、黒焦げの残骸のみと化した東屋を見つめながら、俺は自分が教えた魔法の威力にビビっていた。


「セオドアの放った魔法に驚いた連中が、各々勝手に逃げ腰になったんだ。結果良ければなんとやら、だな」

「そ、そうですね」


 原作では自分自身を無力だと言って嘆いていたセオドアが、魔法を放って盗賊たちの戦意を削いだ。これは彼にとっても自信に繋がるだろう。
 まあ、お父さんとしては危ないことはしてほしくないんだろうけど。フレデリックが複雑そうな顔で笑っている。

 どう声をかけようか悩んでいると、屋敷の中から超グラマラスな美女が現れた。襟元がヨレヨレのシャツからは豊満な胸の谷間がちらちらと見えている。長いウェーブのかかった黒髪はところどころ跳ねているけど、寝癖だろうか。
 俺が美女に気づいて振り向くと、フレデリックも俺の視線の先を追う。そして盛大なため息を吐いた。


「エロイーズ。せめてガウンを羽織ってこい」

「あら、兄様。終わりましたか? 全身血生臭いので早くお風呂に入って来てくださいな」

「わかっている。その前に、エロイーズ。客人の前だ。襟を正して挨拶をしてくれ」


 エロイーズ。確か、フレデリックの妹さんの名前だ。

 兄の言葉を聞いたエロイーズさんの瞳が俺の顔を見る。瞳はフレデリックやラビニアと比べると、赤みの強い紫色だった。
 顔立ちは確かにフレデリックとよく似ている。口元の黒子が色っぽい、紛れもない美女だ。

 そんな美女に真っ向から見つめられて思わずたじろぐと、エロイーズさんは特に気にした様子もなく口を開いた。


「公爵の妹のエロイーズですわ。どうぞよろしく」


 俺に対してこれっぽっちも興味のなさそうな顔で、簡単な挨拶を終えるとそっぽを向いてしまった。
 それに対してフレデリックが再びため息を吐き、困ったような顔でエロイーズさんの名前を呼んだ。


「エロイーズ。こちらは王国魔法師団の団長で、ヴァイオレット男爵だ。以前手紙に書いただろう? 私の命を救ってくれた恩人だ」

「……兄様の?」


 ここで初めて目と目が合った。今度は俺の目をじっと見つめて視線を外さない。
 俺は何を言われるのか気が気じゃない状態で身を竦め、彼女の反応を待つ。
 すると彼女は見事なまでに美しいカーテシーをしてみせた。


「これは大変失礼いたしました。私はエロイーズ・アデライン・ロッドフォードと申します。我が兄の命をお救いくださったこと、心から感謝させていただきます」

「い、いえ……」


 こうして見ると完全に上流階級のご令嬢だ。ヨレヨレのシャツに寝癖だらけの髪だけど、それらが霞むくらい美しく見える。頭のてっぺんから足のつま先まで、全ての動きが洗練されていた。


「公爵の妹として、またこの領地を預かる代官として、何かお礼をさせていただければと思います。ご希望の品がございましたら、遠慮なく仰ってくださいませ」

「あ、あの、えっとですね。フレデリック、様、には普段から良くしていただいてますし、これ以上何かいただくわけにもいかないと言いますか……」


 既に当主様の処女までいただいております、なんてさすがに言えない。妹さん相手に面と向かって言える奴がいたら精神構造を疑うわ。

 俺があたふたしていると、エロイーズさんは露骨に面倒臭そうな顔で口を開いた。


「正直に申し上げてもよろしいですか? これは公爵家の面子の問題なんです。ちゃっちゃと欲しいもの仰ってくださいませ」

「……エロイーズ」

「だって、兄様。どうせ兄様のことですから、大したお礼もしていないのでしょう? ロッドフォード公爵家は当主の命を救われたのに碌なお礼も出来ない云々……と社交界で笑い者にされますわ。まあ、笑われるのは兄様なので私はどうでもいいですけど」


 歯に衣着せぬ、とはまさにこのことだろうか。
 あのフレデリックがやりづらそうにしているなんて珍しい。眉間に皺を寄せ、それを揉むように指を動かしている。やっぱり兄という生き物は妹に負ける宿命なのだろうか。


「そういうことですので、ヴァイオレット男爵殿。ご希望の品があればなんなりと」


 そう言われても、正直欲しいものがない。
 フレデリック本人という最も尊いものをいただいてしまっている以上、他に望むものが俺にはないのだ。
 しかし「ない」という返答は許されない。どうしようかと悩んでいたけど、テイラーの言葉を思い出してポンと手を打った。


「そうだ! 公爵領の森にある月下樹の葉を少しいただいてもいいですか?」

「月下樹? その程度いくらでも持って行っていただいて構いませんが……あんな葉っぱ、何に使うんです?」

「ありがとうございます! 回復薬を作るのに、良質な月下樹の葉が欲しかったんですよ! 助かります」

「ああ、兄様が仰っていた……そういうことでしたら、どうぞお好きなときにお好きなだけ。そうなると、公爵領に出入りがしやすいように手形をお渡しした方がいいですね」


 そういえばここに来るまでの間、領都の入り口には大きな門と番人がいた。よくよく考えるとあの警備を掻い潜って公爵家の屋敷に侵入した盗賊たちは相当な遣り手だったんだな。相手が悪かっただけで。
 今日の俺は空から来たからあの門を通っていない。あとでフレデリックに謝っておこう。

 それにしても、である。あの門をすんなり通してもらえるのは助かるだろうけど、そんなもの俺が貰っていいのだろうか。
 素直に疑問を口にすると、エロイーズさんが片眉を跳ね上げた。仕草もフレデリックそっくりである。


「貴方は兄様の恋人では? 恋人の領地に入るのにいちにち身分証明するのも面倒でしょう?」

「こっ」


 俺たちの関係、なんでバレてるの?
 横のフレデリックを見ると、彼も目を丸くして妹の顔を見ている。フレデリックにとっても予想外のことなの?
 混乱した俺があたふたしながらなんとか「なんで」と声を絞りだすと、エロイーズさんは俺とフレデリックの顔を交互に見やって溜め息を吐いた。


「お互いに熱々な目線を送っておきながら、バレてないと思ってたんですか? だとしたら恋愛初心者もいいとこですわ。独身の私に指摘される程ですからよっぽどですよ、兄様」


 下から冷ややかな目で見られ、フレデリックがぐっと言葉を詰まらせている。

 いや、いやいやいや。
 俺が熱い視線をフレデリックに向けているのはいつものことだけど、フレデリックが? 俺に? ナイナイ。絶対にナイ。
 フレデリックから向けられる視線はだいたい「年下の坊やが微笑ましい」とか「何言ってんだコイツ」とかそういう視線だよ。基本的に後者かな。いつも呆れられているような気がする。
 フレデリックは俺に恋をしている“かも”しれないとは言っていたけど、仮にそうだとしてもそんなバレバレな反応はしないだろう。しないよね?

 フレデリックの顔を見ると、彼は口元を押さえて何かを考えている様子だった。否定しないのかよ。


「全く。唐変木もいいとこですわね。では、後のことは兄様に任せます。私はセオドアたちの元へ戻りますので、あとは“うぶ”な恋人同士、どうぞお好きに」

「……エロイーズ」

「ああ、そうそう。泊まって行っていただいても構いませんが、兄と性行為をなさるのなら屋敷の外で宿でも借りてくださいませ。実兄の喘ぎ声なんてさすがに聞きたくありませんので」

「エロイーズ」

「あの、防音魔法を使用する場合はセーフですか?」

「アレン」


 エロイーズさんの言葉に、俺は思わず聞き返してしまった。
 フレデリックの眉間の皺が深くなっていくが、仕方ない。俺だって反射的に聞き返してしまっただけなんだ。許してほしい。


「まあ、それならどうぞ。ご自由に」


 いいのかよ。
 それにしても、実のお兄さんが同性と付き合っていると知って嫌にならないのかな。俺としてはありがたいけど、エロイーズさんは複雑な気持ちではないのだろうか。かといって別れろと言われても俺は嫌だけど。

 そのことをやんわりと伝えると、エロイーズさんは心底不思議そうな顔で首を傾げた。


「男か女かなんてそんなに重要なことかしら? 棒を突っ込む穴が膣か肛門かの違いでしょうに」

「やめなさいエロイーズ」


 顔を真っ赤にしたフレデリックが静止の声をあげ、エロイーズさんが唇をへの字に曲げた。
 なるほど。フレデリックが言っていた「変わり者」の意味がよくわかった。良くも悪くも確かにこれは斜め上だ。言葉をオブラートに包むということを知らない……もしくは知ってるけどしない人だ。
 まあ、この世界オブラートないけどね。


「お前はもう少し言葉を選びなさい。成人した淑女という自覚を持ってだな……」

「兄様。私相手に父親役をしなくていいと昔から申し上げているでしょう? はっきり言ってウザくて面倒くさいので、セオドアとラビニアに影響がない程度にそこのヴァイオレット男爵と好きに生きてくださいませ。その方が私も気楽でいいです」


 ああ、でも、これは……あれだな。
 エロイーズさんもエロイーズさんなりに、兄のことを大切に思っているのだろう。言葉は刺々しいけど、その中に思いやりが隠れている。
 ロッドフォード家の人は身内や懐に入れた相手には甘い傾向がある。そう思っていたけど、それはエロイーズさんも同じらしい。言外に俺たちのことを応援してくれている。
 フレデリックもそれは感じたのか、黙り込んでしまった。唇をへの字に曲げた顔がエロイーズさんそっくりだ。


「では兄様。他に言うことがないのであれば私は失礼いたします。じきに兵士が来るでしょうから、そこのゴミたちを引き渡しておいてくださいませ。おやすみなさい」


 エロイーズさんはぴしゃりと言い捨てて屋敷の中へ戻ってしまった。なんというか、強い。
 あれを見た後だと、フレデリックが余計穏やかに見える。兄と妹で外見はそっくりなのに中身はこうも違うんだな、と関心した。


「妹がすまない」

「いえ。むしろはっきりした性格でいいじゃないですか。代官向きだと思いますよ」


 これは本心だ。優柔不断なタイプの人を代官にしてしまうと、詐欺にひっかかったりする可能性もある。エロイーズさんのあの感じなら詐欺師も敵わないだろう。
 俺がそう言って褒めると、フレデリックは苦笑した。


「そう言ってもらえると、あの子を代官にした私の決断は間違っていなかったと自信が持てる。ありがとう」

「どういたしまして」

「今日はもう遅い。よかったら泊まって行ってくれ」


 そう言われて、俺は先程のエロイーズさんとのやりとりを思い出す。防音魔法があればイチャついてもOKだって言質をとった。

 確かにこんな一騒動あった夜だけど、恋人同士の触れ合いをしてもバチは当たらないのではないだろうか。幸い、死者も怪我人もいないみたいだし。まあ盗賊たちは怪我人だらけだけどさ。


「あの……フレデリック。今夜……」

「……とりあえず、風呂に入ってもいいだろうか?」


 防音魔法を使用すればセーフですか?

 答えは“YES”だった。
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