夢の続き

ぽてち

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高見沢東吾の場合

13、結婚前奏曲 前編

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 うつらうつらと微睡みかけて、かたんと下から突き上げられた振動でアシュリンは目を覚ました。
「ごめん、寝ていた」
 いつの間にか寄りかかっていた東吾の肩から体を起こし、眉を下げて謝罪する。
「アシュリン、寝ていても良いですよ。着いたら起こしますから」
 東吾はアシュリンが体を離したのが惜しいのか、残念そうな顔をする。

「そうよ、寝てなさい。寝悪阻なのでしょう。……まったく、お義母様ももう少しアシュリンに気を使ってくれてもいいのにね!」
 最後は将正の方をねめつけながら語気強く籐子は言う。
 将正も首を竦めながら、アシュリンに申し訳なさそうな顔をする。

 将正の母で東吾の曽祖母は実家のあった京都に家政婦と暮らしている。
 九十を超える高齢なのでこちらから挨拶に出向くことになった。

 挨拶に行くことは付き合い始めてすぐに決まっていたので、妊娠しているにもかかわらず呼びつけたわけではないのだが、藤子からしたらあちらから断るべきだというのだ。
「いえ、もう安定期ですし、曽御祖母様に直接招待状をお渡ししたいですから」
「アシュリン、そんなに気を使わなくていいのよ」
「……挨拶は大事ですから」
 困ったように首を傾げるアシュリンに後ろの席から「もう! 私の妹は天使かしら!」という静江の声が聞こえる。

「そんなことよりなんで静江さんたちが付いて来ているんですか?」
 心底嫌そうな顔になる東吾に藤子が首を竦める。後ろの席には両親と姉夫婦と兄夫婦も付いて来ていた。
「もちろん、皆で旅行できたら楽しそうってアシュリンが言ったからよ!」
とも言ってましたよね? 正人兄さんよく休みが取れましたね」

 正人も弁護士で母親の紗耶香と弁護士事務所を経営している。
 やり手の弁護士として刑事事件を主に取り扱っていて有名だが、恐妻家としても仲間内にその名が知れ渡っているらしい。

「……為せば成るだ、静江を敵に回すことを考えろ。休みをとるくらい大したことないだろう?」
 その割に目の下にクマが浮かび、疲れ切った顔をしている。
 ハハハと乾いた笑いを浮かべているのは向かいに座っている茅夜の夫で春馬だった。 
 機動捜査隊に所属しているが、見た目は穏やかな中肉中背のどこにでもいる感じの男だった。

「春馬さん、姉さんが我が儘言ったのでしょう。すみません」
「いや、こんな事でもないと旅行できないし。何食べようかなあ」
 ガイドブックを取り出して眺めている。付箋だらけになっているので、意外と楽しみにしていたようだ。
「春馬君、食べるかい」
 正人は駅で買いこんだ牛タンやら稲荷ずしやらを取り出して春馬に渡している。
「あ、いただきます。正人さんもどうぞ」
 春馬も日本酒の瓶を取り出し、紙コップを渡し正人に注いでいる。
『悪妻に乾杯!』
 紙コップを掲げてそう宣う夫二人に妻達から冷気を伴った視線が向かう。
 自分たちが言ってしまった言葉に固まり、慌てて言い訳する。
「はっ! いや、これは冗談で……申し訳ございません」
「茅夜! いつも言っている訳ではなくて……あの、その。すみませんでした」
「お前たち、本当に弁護士と機動捜査隊の警部なのか?」
「もう少ししたら所長の座を譲ろうと思ったけど、お母さん暫く頑張るわ」

 後ろの席でブリーザードが吹き荒れているようだったが、無視してあまり具合の良くないアシュリンを横にして膝の上に頭をのせさせた。
 人前なので、少し抵抗していたが少したつとすうすうと寝息を立て始めた。
 嬉しそうにアシュリンの背中を撫でている孫に将正は苦笑する。「仲が良いわね」と藤子も笑っていた。




「遠いとこよう来てくれはったなあ。おおきに、東吾、アシュリンはん。その上、年寄りの御供はしんどかったやろえらいすんまへんなぁ」
 おっとりと上品な口調で藤子への当てつけもついでにする曽祖母の初音にビシリと藤子は固まった。

「ええ、ええ。年寄りと妊婦には荷が重い旅でしたよ。もうすこ~し気を使って頂けるとありがたいと思いましたけど」
「ふう、東京もんは直截的できついわなぁ。アシュリンはん、お腹の赤さんは順調どすか?」
「はい、曽御祖母様にも抱いて頂けると嬉しいです」
「……長生きするもんやなぁ。旦那様に瓜二つの東吾の子を抱っこできるとはなぁ」
「そんなに似ていましたか?」
「ふふ、旦那様の方がもうすこぉしええ男やえ。あてが選んだ旦那様やし」
 上品に口元を隠して笑う初音は懐かしそうな目で東吾を見た。

「そうや、八重子はん。あれを持ってきてくれまへんか?」
「はい、大奥様」
 人の良さそうな六十がらみの小柄な女性が奥の部屋から畳紙に包まれた着物を持ってきた。それを見て藤子が嫌そうな顔になる。
「あての嫁入り道具や。アシュリンはんならよう似あうと思うんやけど」
「お義母様、今時そのような色打掛は時代遅れです。押し付けられるアシュリンの気持ちを少しは考えてください!」
「はあ、この打掛の価値も分からんとは、人間国宝の手描きの京友禅やゆうのに。華道を人様に教える立場にあるとはとても思えまへんなぁ」
「一生に一度しかないであろう花嫁衣装は本人の好きに選ばせてあげて欲しいと言っているのです」
「あんたも自分の考えをアシュリンはんに押し付けてるやないか? アシュリンはんが嫌やゆうてはりますか?」
「私の時は押し付けたじゃないですか!」
「あんときは事情が違いますやろ。旧華族に幕臣の流れをくむ旧家の警察官僚、華道の家元まで呼んでの婚礼にちゃらちゃらしたウェディングドレスがどないに映ります? 高見沢は江戸時代から続く武家の家柄やえ。将正には同じ幕臣の家のお嬢様との縁談もあったんや。それを将正があんたがええゆうたから、旦那様があちらさんに頭下げましたんや。あの時代に友禅で箔はついても、ウェディングドレスで箔がつきますか? あんたは着たかったかもしれまへんが、あんたの評価はあんただけ止まらへんのや。旦那様やあんたが一緒になれないなら死ぬいうてた将正にも及ぶんや。第一、旦那様はあんたが着たがってたから、後で二人だけでも着て写真撮ってやりなさいいうてはりましたが?」
「そんなの聞いてません!」
 真っ赤になって叫ぶ藤子に初音は目を丸くして息子を見た。
「将正」
「……忘れてました」
 冷や汗を流す将正に盛大な溜息をつく。
「あても悪かった。ちゃんと藤子はんにゆうてたらよかったなあ。今更どうにもならへんけど、申し訳なかった」
 初音は綺麗結い上げられた白髪頭を丁寧に下げた。

 なんとなく気まずい空気になったその場を収めたのは静江の発言だった。
「まずはその色打掛をアシュリンがあてて見てはどうですか? 髪型とか、帯の色遣いで印象はがらりと変わりますから」
「あてかて、似合わへん物を押し付ける気はあらへん。この色打掛着た藤子はんを皆褒めてましたやろ」
「そうですが……」
「美弥子には勧めてまへんし、あの子は顔はそれほど酷うないけど、色黒やから。藤子はんと比べられたら可哀想思うてな」
「……お義母様、それ美弥子さんに言ったのですか?」
「言いましたえ、しつこお食い下がられましたから。ちゃんとあの子に似合う色打掛仕立てたゆうのにあの子も執念深いなあ。未だにゆうてます」
 ふうと溜息をつく初音に「だから美弥子さん、何かと私に突っかかってきたのね」と藤子も溜息をついた。


 朱色地に鶴と牡丹があしらわれた色打掛はアシュリンによく似あっていた。
「いやあ、可愛らしいなあ、お人形さんみたいやなあ。色が白いから朱色がよう映えて。あての見立ては間違いあらへんやろ」
 にんまりと笑いかける初音に藤子はちょっと悔しそうな顔になった。

「でも、日本髪に結うのでしょう? アシュリンの髪の色では」
「今はこんな風に大きな花簪でアップにするんですよ」
 茅夜がスマホから何枚も色打掛を着たモデルの写真を取り出して見せている。

「ほう、今は花簪をこんな風に使うんやな。可愛らしいなあ」
「これ、生花でも良いのではないかしら。反対側にべっ甲や蒔絵の簪を使っても素敵ね」
「ほなら、あてがいくつか持ってるえ。八重子はん、ちょおっと持ってきてんか」
「お義母様、重ね襟や小物も色んな物をお持ちですよね」
「美弥子に若い者向きのは大分持ってかれてしまったからなあ。そうや、明日まで居るのやろう、アシュリンはんに訪問着を仕立ててやろう思うて、呉服屋を呼んでいるよってに持ってこさせまひょか」
「但馬屋さんでしょう。私も新しい訪問着をそろそろと思っていましたの」
「小物ぐらいは買うてやるが、あんたの訪問着は将正が払いなはれ。藤子さんのウェディングドレス写真撮ってやらへんかったんやからな」
「……はい」
 初音と藤子の間の空気が和んできたので、皆ホッとしていた。
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