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第22話 北の大地を翔ける

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9月の終わり。ロッジのベッドの上で彼女は目覚めた。

「……ここは?」

「北海道だ。自然が沢山あって良いところなんだぞ。ほら、見てみろ。あの遠くの山は羊蹄山ようていざん。またの名を蝦夷富士えぞふじという。なんでか分かるか?富士山に似ているからだ」

ヨレヨレのシャツとベストを着ている黒縁眼鏡を掛けた中年の男がそう言うと、白衣を着た白髪混じりの上品そうな男が言った。

「おいおい。宵月博士、いきなりそんなに説明されたって分からないでしょうに。ほら、困って首を傾げているじゃないか」

「ああ、悪いな。やっと動いたから嬉しくてついな」

「キミ達はダレ?」

「ああ、俺は宵月明彦。博士って呼んでくれたら嬉しい」

ヨレヨレのベストを着ている男がそう言うと、続けて白髪混じりの上品そうな男が言った。

「私は植野静うえのしずかだ。医者をやっている」

彼女は頷くとこう尋ねた。

「……じゃあ、わたしは?」

「お前の名前は北翔。『北の大地をける』という意味だ。どうだ?我ながら良いネーミングセンスだと思うが」

明彦はそう言って得意気に笑った。これが北翔と明彦の出会いだった。明彦は口調が荒く、我が強かった。しかし、勉強を始め、色々なことを熱心に教えてくれた。北海道のこと、自然のことはもちろん、友情、恋愛、家族などの生きていく上で重要な人間関係を特に重点的に教えてくれた。北翔にとって彼は教師でもあり父親のような存在だった。

「わたしには家族も親もいない。だから、よく分からない。博士がわたしにとっての父親ってこと?」

「ああ、そうだぞ。俺にとってお前は子供みたいなもんだからな」

明彦は嬉しそうに北翔の頭を優しく撫でた。

「博士には家族がいたの?」

「もちろんだ。俺には嫁がいた。美人じゃないがスタイルが良くてな。そんで気が強い。大抵のことじゃ動じないきもわった女だった。でも、実はちょっと女らしいところがあったりもしてな。そういうギャップが好きだった。でもすぐに別れちまった」

「どうして?愛してなかったの?」

明彦は苦笑いをしながら答えた。

「もちろん愛してたぜ。俺がいけねえのさ。全部」

「博士が?何をしたの?」

明彦は煙草たばこを一気にふかし、窓の外に目をやった。遠くには色づき始めた羊蹄山ようていざんが見える。

「あいつの気持ちを分かってやろうとしなかったのさ。仕事に没頭していた俺がいけないんだ。だから誕生日ケーキを投げつけられたのさ。当時は何で俺がこんな目にわなきゃいけねえんだってすげえ腹が立った。でも、あいつがいなくなってから冷静になってようやく分かったのさ」

「相手の気持ちを理解しないと、誕生日ケーキを投げつけられるの?」

明彦は吸っていた煙草を思わず吹き出して大笑いした。

「いや、必ずしも誕生日ケーキを投げつけられる訳じゃない。それぐらいの気持ちをぶつけられるってことだ。相手の心が分からないとな」

明彦の言っていることがいまいち理解できず、北翔は首を傾げた。

「まっ、お前にゃあまだ早いか。北翔もいつか愛する人が出来たら分かるさ」

「それ、博士はこの間からずっと教えてくれる。けど、よく分からない。もっと具体的に教えてほしい。愛するってどういうこと?どういう気持ちになるの?」

北翔は畳みかけた。

「おうおう。随分と食いついてくるじゃねえか。そうだな。人にもよるが例えば、そいつのことをもっと知りたいとかずっと一緒にいたいとか抱き合いたいとかキスしたいとか」

明彦はその後、一拍置いてこう言った。

「あとは、セックスをしたいと思うかどうかだな」

「セックスって男と女が子供を作るためにする行為、でしょ?」

「まっ大真面目に言うとそういうことだな。女の場合はこの人の子供を産みたいと思うかどうかってのが重要なんじゃねえのかな。俺は女じゃないからその辺りはよく分からんが。セックスは自分をさらけ出す行為だ。だから、心を許した相手としかしないって人もいる。まっ人それぞれだな。北翔もいつか分かる時が来るさ」

「ふぅん。じゃあ、博士が奥さんのことを愛してたっていうのは、そういうことなの?」

明彦は少し考えると、小さくなった煙草を灰皿に潰して言った。

「この年でこんなこと言うのもアレなんだが、今でも嫁のことは夢に見る事がある。楽しかったことはもちろんセックスもな。だから、俺は今でもあいつのことが好きなんだと思う。今更後悔してももう遅いがな。実はな、メトロポリス星に行ってもしあいつに会えたら、復縁を申し込むつもりでいるのさ。まっダメ元だけどな」

「ふくえん?」

「ああ、別れた男女がもう一度やり直すことだ。たぶん断られるだろうけどな」

明彦はそう言って笑った。だが、北翔にはどこか寂しそうに見えたのだった。

一通り勉強が終わると、明彦は北翔を登山に連れて行った。元山岳部もとさんがくぶでもあった明彦は特に北海道の山が好きだった。窓から見える羊蹄山を始め、色々な山に北翔を連れて行った。ある日の登山中、北翔は明彦に尋ねた。

「何で山に登るの?」

「山好きなら誰でも一度は聞かれる質問だな。お前の場合はきちんと目的がある。山で遭難しても自力で生き延び、下山できる丈夫な奴に育って欲しいからだ」

「ふぅん」

明彦は思い出したように言葉を続けた。

「そうだ。お前に大事なことを教えておくのを忘れてた。人間の生老病死しょうろうびょうしについてだ」

「しょーろーびょーし?」

「ああ、生きる、老いる、病む、死ぬ、と書いて生老病死。俺達が生きている限り必ず起こることだ。人間は男と女が愛し合って生まれてくるって話はもうしたよな?」

「うん。セックスでしょ」

「そうだ。その反対というか先にあるのが死ぬってことだ。人間はこの世に生を受けたら成長していくが、必ず老いていく。そしていつか死ぬ。それは決まっている。人間だけじゃない。アンドロイドもだぞ。誰にもくつがせない事実だ」

「神様にもくつがせない?」

「そうだ。老いるってのは体がおとろえることだ。アンドロイドは体の作りが人間とは違うから老け方も違うんだろうが、その辺はまだよく分かっていない。特に俺達のプロジェクトで作られているアンドロイドには、通常にはない『コア』ってやつが入っていて、その研究も同時に進めていくつもりだ。今の段階ではアンドロイドは心は成長するが、体が老いることはないと思われているからな」

「わたしにはどんなコアが入ってるの?」

「お前のコアはすげえぞ。海外の山で遭難して生きて帰って来た男のものだからな」

「どんな山?」

「エベレストだ。世界最高ほうって言われてるんだぞ。俺はまだ登ったことがない。いつか登ってみたいと思うが、何せ遠いし難易度はバカみたいに高けえ。相当な訓練を積まないと挑めない山だ。現にエベレストで死んだ奴の数は世界の山のトップクラスっていうからな」

「そんな山あるんだ」

まだ北海道の小さな山にしか登ったことがない北翔は、エベレストがどんな山なのか、とても想像できなかった。

「お前のコアの提供者はベテランの登山家だった。長年修行を積んでようやくエベレストに挑戦したんだが、途中で滑落かつらくした。足の骨を折る大怪我を負った。仲間にも見捨てられ、自分はここで死ぬんだと思った。でも諦めなかった。例えまた滑落しても生きていれば何度でも挑戦できる。そう思って這い上がった。生還したそいつを家族も仲間も信じられない気持ちで出迎えた。みんな死んだと思ってたからだ。

『山できたえた自分の細胞をどうぞお役に立ててください。心身共に強いアンドロイドを作ってください』メッセージにはそう書いてあった。実はお前の中には別のコアが入っていた。でも相性が合わなかった。だから差し替えたんだ。正常に動いた時はさすがだと思ったぜ」

「ふぅん」

北翔は明彦の話をどこか他人事ひとごとのように聞いていた。実感が湧かなかったのだ。

(いつか分かる時が来るのかな)

すると、明彦が話を切り替えた。

「ああ、それで……さっきから言ってる『死ぬ』ってやつは自分にとっても周りの人間にとってもすげえ恐ろしいことなんだぞ」

「どうして?意識がなくなるだけじゃないの?」

「確かに意識がなくなる。でもそれだけじゃない。死んだらもう二度と目を覚ますことはない。体を焼かれ、灰にされ、墓に入れられる。魂はこの世を彷徨った後、天国へ向かう。それで時が経ったらまたこの世に生を受ける。その繰り返しだ」

明彦はそう言って顔を上げた。視線の先には真っ青な空。

「またこの世に生を受けるなら、別に怖くない」

「まっ、そういう風に思うのもいいのかもしれない。だが、生を受ける時は全く別の人間になってるんだぞ。当然、死ぬ前の記憶なんてありゃしない。ごく稀に前世の記憶を持ってる子供がいるが、あれはちょっと胡散臭うさんくさいと俺は思う」

北翔は少し考えた後、尋ねた。

「死ぬって悲しいこと?」

「悲しい。身近な人の死はそれはもう……すげえ悲しいぞ」

明彦は強い口調でそう言った。

「どんな風に?」

「そうだな……よく使われる表現だが『心にぽっかりと大きな穴が開いたみたい』まさにそんな感じだ」

北翔は想像した。自分の胸の中に暗くて大きな穴がぽっかりと開くところを。そして、思わず身震いした。

「それって悲しいんじゃなくて、怖いの間違いじゃ?」

明彦は驚いて声を上げた。

「おいおい。まさかそのまま想像したのか?確かに自分の胸にいきなり穴が開いたら怖いだろ。うーん……こればかりは体験してみねえと分かんねえだろうなあ。北翔もいつか分かる時が来る。色んな人と関わっていくと大事な人ができる。その先には必ず『別れ』や『死』もあるからな」

北翔は明彦の顔をじっと見て言った。

「わたしもいつか博士と別れる時が来る?博士が死ぬ時が来るってこと?」

「そうだなあ。ずっと俺と一緒にいる訳にもいかんからな。子供はいつか親の元から巣立っていくもんだ。んで、親はいつか死ぬ。何で死ぬかは分からん。病気かもしれないし事故かもしれない。殺されることだってある。俺もいつかは死ぬ。そん時はお前とはお別れだな」

北翔は想像した。明彦が自分の目の前からいなくなるのを。急に胸が苦しくなって、胸元を抑えながら言った。

「やだ。博士がいなくなるなんて」

明彦は少し驚いたような顔をすると尋ねた。

「北翔、今どんな風に思った?悲しいとか辛いとか思ったか?」

「うん。思った」

明彦は頷くと、優しく微笑んで言った。

「そうだ、身近な人が死んだ時、そんな気持ちになる。実際はもっと深くて重いけどな」

「深くて重い気持ちになったらどうすればいいの?」

明彦は少し考えた後に言った。

「恐らく、しばらくは立ち直れないだろう。でもな、北翔。例え体がなくなってもその人は自分の中でずっと生き続けるんだ。そう思うと深くて重い気持ちも少しは楽になるんだぞ」

北翔には明彦の言っていることがよく理解出来なかった。彼女の反応を見て、明彦は優しく微笑みながら言った。

「まっ、お前もいつか分かる時が来るさ。その相手が俺なのか、他の誰かになるかは分からんけどな」

「ふぅん」

北翔はそう呟きながら明彦の言葉の意味を考えた。が、やはりよく分からなかった。いつまでも考え込んでいる北翔の顔を見て話を切り替えようと、明彦が口を開いた。

「そういえば、お前いつも無表情だが、嫌々登ってるってことはないか?」

「そんなことない。わたしは山、好き。大変だけど、自然の中を歩くのは気持ちがいい」

北翔はきっぱりとそう言うと大きな石がゴロゴロと転がる坂道を軽い足取りで駆け上っていった。明彦は慌てて後を追い掛けながらも嬉しそうに笑みを浮かべたのだった。

一か月後、北翔は初めて一人での登山に挑戦した。比較的低い山だったので難なく下山できたが、その次に登った難易度の高い山では、下山中に道に迷ってしまった。

「どうしよう。えーっと、こんな時は……」

助けを求めようにも周りに誰もおらず、焦った北翔は明彦に教えられたことを思い出した。

「そうだ。どうしてもダメだと思ったら、助けてって強く念じること。そうしたら必ず助けに行く。だから、その場から動くな。博士、そう言ってた」

北翔は目をつむって力いっぱい念じた。

(助けて!博士……!)

すると、数時間後。救急用の荷物を抱え、汗水をらしながら明彦が駆け付けた。

「間に合った……もうすぐ陽が暮れると思ったらもう気が気じゃなかったぜ……」

「すごい……ウォッチだって繋がらないのになんで声が届くの?」

「それはまあ、特殊能力ってやつだ。声が届いた相手がお前がいる場所に辿り着けるようにもなってる。メカニズムは企業秘密だけどな」

北翔は博士に連れられて無事に山を下りることができた。これが、北翔が初めて自分の特殊能力を自覚した出来事だった。

ある日、一人登山から帰宅した北翔はキッチンの方から香ばしい匂いが漂ってくることに気づいた。匂いに導かれるように向かうとヨレヨレのエプロンをした明彦が、熱心にフライパンを振っていた。

「博士、何してるの?」

「おう、北翔。無事に帰ったのか。今な、ハンバーグを焼いてるのさ」

「いつも買ってきて食べてるやつ?」

「そうだ。今日は自分で作ってみようと思ってな。もうすぐ出来るからちょっと待ってろ」

リビングのソファに座ってすっかり白くなった羊蹄山を眺めていると、明彦がトレーにひとつの皿を乗せて部屋に入って来た。木彫りのテーブルの上に置かれたそれはとても食べられそうにはなかった。

「……失敗しちまった。これじゃあ、ただの肉のかたまりだ」

「肉の塊……」

「悪い。また今度作る。こんな大変なもんを暁子はいつも作ってくれてたのか……」

「さとこ?」

「ああ、嫁のことだ。俺の好物だと知ってから積極的に作ってくれたんだ。美味かったなぁ。あの肉汁たっぷりの肉々しいハンバーグ。まさかこんなに手間のかかるもんだとは……今更、嫁の苦労が身に染みるぜ……」

明彦がそう言って目を潤ませたので、北翔はフォークを手に取り肉に突き刺した。そして、それを口に運ぼうとした。明彦が驚き、慌てて制止する。

「おいおい!何やってんだ北翔!お前は食えないって分かってるだろ?!」

「……博士の代わりに食べてあげようと思った。それだけ」

「北翔……お前、いつの間にそんな思い遣りのある子に育ったんだ……ありがとうな」

明彦は感激のあまり、思わず北翔の体を抱き寄せて頭を撫でたのだった。

クリスマス。明彦は自宅にある暖炉にまきを入れ、火をくべた。窓の外には粉雪が舞い、その隣には大きなクリスマスツリーが飾られている。このもみの木は明彦が知り合いに頼んで譲ってもらった天然のもみの木だ。てっぺんについている大きな星や、色とりどりの飾りは明彦と北翔が二人でせっせと付けたものだ。買ってきたケーキを見ながら明彦が呟く。

「あの誕生日ケーキを思い出すな……」

「奥さんに投げつけられた誕生日ケーキのこと?」

「ハハハッ、そうだ。話したのは随分前なのによく覚えてるな」

そう言って明彦は、ケーキに乗っているサンタクロース、トナカイの人形を北翔に渡すと、沢山のイチゴが乗ったケーキを頬張った。そして、一通り食べ終えてからハッとすると慌てて小包を持ってきて、北翔に手渡した。

「いっけねえ。忘れるところだったぜ。ほら、プレゼントだ」

「クリスマスのプレゼントってサンタが夜中に枕元に置いてくれるんじゃないの?」

明彦はぎょっとした。

「お前、いつの間にそんな情報を……いいか?俺はそんな手の込んだことはしない。いらないなら返してもらうぞ」

「嫌、いる」

北翔は小包を抱き締めると、強い口調で言った。

「分かった、分かった。じゃあ、開けてみろ」

北翔は丁寧に真っ赤な包装紙を開けた。雪の結晶のモチーフが付いたネックレスが入っていた。

「キレイ……キラキラしてる。ありがとう、博士」

目を輝かせながら雪の結晶を見つめる北翔の姿を見て、明彦は嬉しそうに微笑んだのだった。
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