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第12章 Side 小泉

第21話 過去のトラウマ 後編 *

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高校卒業後、大学に通いながら映画館でバイトをした。1歳年下の一葉いちようも大学生で、後から入って来た彼女に俺が仕事を教えることになった。長い黒髪が特徴的な彼女はいつも着物を着ており古風な日本女性という感じだった。

「あの……確かスタッフって無料で映画観られるんですよね?」

「何か見るのか?」

「はい。後で手続きの仕方教えてもらえますか?」

「分かった。何の映画だ?」

「ボディガードです」

「洋画好きなのか?」

「はい。邦画はほとんど見ません」

「そうか……。意外だな」

「よく言われます。見た目がいかにも日本人って感じだからでしょうね」

彼女はニコリともしなかった。その後、手続きの仕方を教え、彼女が映画を観ている劇場の掃除に入ることにした。いつもポーカーフェイスな彼女が一体どんな顔をして映画を観ているのか興味があったからだ。上映終了後、客を見送っていると一番最後に彼女が出て来た。切れ長の涼し気な瞳は微かにうるみ、切ない表情を浮かべて俯いていた。

「お前も泣くことがあるんだな」

「こ、小泉さん、いたんですか……」

「感動したのか?」

「……ええ、まぁ。結局二人は結ばれなかったというのが切ないなと。小泉さんも観たんですか?」

「ああ。俺は泣かなかったけどな」

「う、うるさいですね……感想は人それぞれでしょう」

一葉は少しムッとした表情を浮かべた。初めて見る表情だった。

それから俺達は映画の話をしたり一緒に映画鑑賞をするようになった。物静かな性格かと思いきや、意外と気が強く物怖ものおじしないタイプで見た目とのギャップに俺は惹かれた。少しづつ距離を縮め、一年後には付き合うようになった。

ちょうどその頃、映写スタッフの一人で同じ歳の芥川辰也あくたがわたつやと仲良くなった。好きな映画のジャンルはヒューマン系という共通点もあり、よく映画の話題で盛り上がった。彼は普段、先輩達の助手を務めていたが、助っ人としてたまに接客の仕事を手伝ってくれた。銀縁の丸眼鏡に黒髪、夏のひまわりのような笑顔が特徴的な彼は人懐こい性格で俺とは正反対の人間だった。クレームが入っても彼に任せておけばすぐに解決すると評判だった。

ある日、俺はクレーム対応をしていて客を怒らせてしまった。その時、芥川が偶然通りかかり間に入ってくれた。

「助かった……ありがとう」

「オレで良ければ何でも言ってよ!クレームでも何でもやるからさ!」

「なぁ、そんなに接客が得意なのになんで映写やってるんだ?」

「オレは将来、自分で上映したいの。今はまだ助手だから怒られるし、出来ないことも沢山あるけど夢のために勉強させてもらってんだ!って思ってる」

「そうか……いいな、芥川は前向きで。うらやましいよ」

「小泉だって真面目に頑張ってるじゃん。聞いたよ?君、支配人に一目置かれてるんだってね?」

「ああ、良く褒められる。もう少し愛想良くしろとも言われるがな」

「ははっ、接客は笑顔が肝心だからね。オレにとって映画は凄く大事なものだけど、お客さんはもっと大事だ。だって、お客さんがいなかったら上映できないだろ?だから、助っ人だって喜んでやるよ。小泉、笑顔を作るにはね、少し口角こうかく上げるだけでも違うんだよ。鏡の前で練習してみなよ、一葉と一緒にさ」

「ああ、あいつはもっと無表情だからな。今度一緒にやってみるよ」

俺は芥川の「映画も客も大事」だという姿勢に感銘かんめいを受け、彼を見習うようになった。また一葉とも話が合い、三人で映画を観に行ったり飲みに行くことが多くなった。

大学卒業後、俺は大手の配給会社に就職した。コミュニケーション能力には少し問題があったが、選ぶ映画のセンスが良いと絶賛され、多くの仕事を任された。年月を掛けて順調にキャリアを積み、買い付けた作品が軒並みヒットを記録するように。そのおかげで会社から信頼を得られるようになった。

映画字幕の翻訳ほんやく家を目指していた一葉は大学卒業後、有名翻訳家の元でアシスタントとして働きながら技術を身につけ、プロになった。芥川も先輩の元で修行を積み、ベテランの映写スタッフとして一人前に成長。俺達がバイトをしていた映画館を影で支えるようになっていた。

仕事が軌道に乗ってきた32歳の頃、祖母が亡くなった。ショックで塞ぎ込んでいる俺を一葉は支えてくれ、自然と結婚が決まった。芥川は結婚式に参列してくれて俺達の門出かどでを誰よりも祝福してくれた。

「おい、そんなに泣くなよ」

「だって、俺達ずっと一緒にいたじゃん。だから感慨かんがい深いっていうか」

「辰也、泣き過ぎだよ。私の両親より泣いてる」

「ははっ!ごめん!それに一葉の白無垢しろむく姿が凄くキレイで……ってなんか俺、二人の親みたいだよね!」

春の澄み渡る青空の下、俺達三人は笑い合った。俺の心は幸福感に満たされていた。

それから約8年後、俺の仕事は多忙を極めていた。国際映画祭などで海外に行く機会が増え、長い間家に帰らないこともあった。当然、一葉ともすれ違い生活が続いたが、小まめに愛情のこもったメール(柄にもなく気恥ずかしかったが)をしたり、積極的にプレゼントを贈った。

彼女の誕生日ぐらいは精一杯祝ってやりたいと思い、休みを取った。だが、前日に商談予定だった取引先にトラブルが発生。どうしても翌日に変更せざるを得ない状況になってしまった。

「本当にすまない……。終わったらすぐに帰るから」

「大事な商談だもの。仕方ないよ」

一葉は優しく送り出してくれたが、その表情は心なしか寂しそうに見えた。商談は予想以上に長引き、夕方になってようやく取引が成立した。本当はケーキを作るつもりだったがそんな余裕はない。有名な洋菓子店で少し高級なショートケーキを1ホール買い、家路を急いだ。

帰りの電車の中で一葉にメールを送ったが、返事はなかった。忙しくて見ていないのかもしれない。その時の俺は返事が来ないことをそんな風に軽く考えていた。帰宅して玄関を開けると、男性用のスニーカーが置いてあった。

「芥川……?」

それは彼がいつも履いているスニーカーに似ていた。だが、彼が家に来るのは俺と一葉が二人揃っている時だけだ。不意に胸騒ぎがして、物音を立てないように忍び足で家の中へ入った。自分の家なのに妙な感覚だった。一歩一歩進む度に心臓の鼓動が早くなっていく。一階には誰もいない。恐る恐る二階への階段を上がる。

その時、微かな物音が聞こえた。何かがきしむ音、誰かの息遣いのようだった。一番奥にある寝室の前に来た時、俺は立ち止まった。物音はその部屋から聞こえて来たからだ。俺はそっと扉に近づき、耳をそばだてた。

「はぁっ……一葉……いいのか?こんなことして……小泉が帰ってきたら……んあっ」

「あぁ、んん……大丈夫。どうせ帰って来ない……やぁん!」

俺はハッとした。二人は今、ベッドの上で行為におよんでいる真っ最中なのだ。震える手でドアノブに手を掛け、扉を少しだけ開けた。その瞬間、飛び込んで来た衝撃的な光景に思わず気を失いそうになった。

「はぁん……気持ちいい……っ!」

「うぁっ……一葉、お前そんな顔……普段は無表情なのに……っ」

一葉が芥川の上にまたがり、背を仰け反らせて喘いでいた。艶やかな黒髪を振り乱しながら胸を揺らし、快感に喘ぐその表情は妖艶で美しかった。そんな彼女の体をまさぐりながら恍惚こうこつの表情を浮かべ、彼女を見つめる芥川の頬は紅潮こうちょうしていた。俺しか知らない彼女の顔を親友が見ていた。俺の目の前で。

「あんな人どうだっていい……私のことなんか愛してないんだから……っ」

「一葉……それ、小泉に聞かれたら……っ」

「聞かれても構わない……っ。辰也、そんなことより……早くイカせて?」

「まったく、仕方ないな……っ!」

「あぁっ……!イイっ……!」

激しく動揺して上手く息が出来ない。全身が震え、手に持っていたケーキの箱が床に落ちた。鈍い音が響き、ベッドの上で行為に及んでいた二人はハッとして動きを止めた。

俺の姿に気が付くと、芥川は急いで眼鏡を掛け、酷く慌てた様子で起き上がろうとした。だが、一葉は芥川の上に跨ったまま微動だにしない。毅然きぜんとした表情で俺の顔をじっと見つめていた。

「……一体どういうことだ」

「見て分からない?」

「ちょ、一葉!こ、小泉これはその……」

「一葉、さっき俺に聞かれても構わないって言ったよな?俺への当てつけか?」

「そうだと言ったら?」

「……芥川、どういうつもりなんだ?」

「こ、小泉……本当にごめん!俺はただ、一葉が寂しがってると思って会いに来ただけで……」

「要するに、俺が仕事で家を空けている間にお前らは関係を持ったってことか」

「そう。今日だって私を放って仕事に行ったから彼を呼んだの。いけない?」

「一葉……お前、自分が何言ってんのか分かってんのか?」

「もちろん。でも、約束を破ったあなたがいけないんだからね。不倫をされる側にも原因があるの。そうでしょ?」

その時、自分の中で強い怒りが湧き起こるのを感じた。握った拳がぶるぶると震えた。

「確かに俺は仕事で家を空けることが多かった。でも、それなりに尽くしてきたつもりだ。小まめに愛してるとメールをしたり、プレゼントを贈ったり……」

「あんなことで私に尽くしたと思ってるんだ。辰也はね、あなたとの関係に悩んでいる私の話を凄く聞いてくれた。親身になってくれたの。どんなに仕事が忙しくても駆け付けてくれた」

「い、一葉……それ以上は」

「あなたとは大違いね」

一葉の目は怒りに満ちていた。彼女が俺に対して怒りを露わにするのは初めてだった。怒り、驚き、悲しみ……。様々な感情が一気に押し寄せ、気づいたら寝室に背を向けていた。柄にもなく込み上げる涙を堪えながら階段を駆け下りた。その時、開けっ放しの寝室から声が聞こえた。

「辰也、早く……続きしよ」

「ええっ?この状況で?!」

「当たり前でしょ。途中だったんだから。はぁ……とんだ邪魔が入った」

「そ、そんな言い方……」

「ほら、まだ入ったままなんだから早く」

「いや、オレすっかりえちゃったんだけど」

「何言ってんの。ほら……早く動いて……んんっ」

「ちょっ、一葉、うあっ!」

怒りに任せて玄関の扉を勢いよく閉め、俺は全力で走った。悔しくて辛くて悲しくて、その感情を全て振り切ってしまいたかった。その時、目の前の踏み切りに遮断機しゃだんきが下りていった。俺は止まらなかった。線路の真ん中まで来た時、電車が迫って来た。大きな警笛けいてきを鳴らして。俺は覚悟を決めて目をつむったのだった――。

――――――

珠喜は唖然とした表情を浮かべていた。胸の奥に閉じ込めて思い出さないようにしていた様々な感情が一気にあふれ出した。居たたまれなくなり、残っていたワインを一気に飲み干した。そんなことをしたら記憶が飛んでしまうだろう。

だが、今の俺にはそんなことを気にしている余裕などどこにもない。グラスを持つ俺の手が震えているのを、珠喜は哀れみと罪悪感が入り混じったような顔で見つめていた。

「……あの二人を見た瞬間から俺は誰も信じられなくなった。こっちに来た時は驚いたが、俺にとっては好都合だった。あのクズどもの顔を見なくて済むと思ったからな」

珠喜は俺から目を逸らして俯いた。

「分かったか?俺が怒る訳が」

「……確かに賢弥さんの気持ちはよく分かる。でも、奥さんは寂しかったんだと思う。どんなにメールで愛してるって言われても、プレゼントを贈られても、満たされなかったんだと思う。ただ、賢弥さんにそばにいて欲しかったんだよ。もちろん不倫はいけないことだけど、寂しさをまぎらわすにはそうするしかなかったんだよ、きっと」

珠喜は悲しそうな表情を浮かべた。

「そうか。自分も不倫しているから一葉の気持ちが分かる。そう言いたいんだな。お前もあのクズどもと同類ってことか」

「そ、そんな言い方しなくたっていいじゃん!じゃあ、賢弥さんは奥さんの本当の気持ち、考えたことあった?!奥さんが本当はどう思ってるのか、少しでも聞いたことあった?!」

珠喜はテーブルを両手で叩いて勢いよく立ち上がった。先程とは打って変わってその目には怒りと悲しみが溢れていた。彼女の顔を一瞥いちべつした後、目を逸らして俺は静かに言った。

「……出ていけ。もうお前の顔は見たくない」

「そ、そんな……」

そう呟いた彼女の声は震えていた。まさか追い出されるとは思っていなかったのだろう。だが、動揺しているのか一向にその場から動かない。苛立いらだちを感じた俺は彼女の顔をにらみつけ、力の限り叫んだ。

「いいから早く出て行け!」

珠喜はビクッと体を震わせると、リビングを飛び出して行った。きびすを返す直前に見た彼女の瞳は真っ赤に染まっていた。涙をこらえていたのだろう。

「クソッ……どいつもこいつも!」

怒りに任せ、両の拳でテーブルを叩いた。その拍子に、飲み干して空になったワイングラスが床に落ち、粉々こなごなくだけ散った。その破片はへんはまるで今の俺自身の心のように思えた。
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