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影
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太陽が高く上がり、窓の外の景色が一段と明るくなった。今日もよく晴れ渡っている。ふと時計を見ると、もう昼近くになっていた。そろそろリョウ達にも合流してもらおうかと話していると、ちょうどベルが鳴らされた。
俺は立ち上がると小走りにドアへと近づいた。そして、念の為ドアスコープで外の様子を確認する。そこには、リョウとミドリがピッタリと寄り添って立っていた。
「おーす。お疲れ」
ドアを開けて、二人へ笑いかけた。明らかにうちを出た時とは違う二人の距離感を、俺は嬉しく思っていた。
「葵さんも、お疲れ様です。来てくれてありがとうございます」
リョウがそう言って、俺の目を見た後にミドリをチラリと見た。そしてまた視線を俺へと戻す。ミドリがそれに気づいて、「へへ」とおちゃらけた笑顔を向けてきた。
「幸せそうで何よりです。ほら、入れよ」
二人の後ろに回り込んで、まとめて背中を押して中に入らせた。その時、視界の端にキラッと光ものが見えた気がした。一瞬だったけれど、おそらく間違い無い。廊下の角に、誰かが隠れている。ただ、そこから悪意は感じられない。
——一応兄さんに連絡しておくか。
俺は後ろを警戒しながらドアを閉め、すぐにスマホでメッセージを送った。
先に中へと入っていった二人は、ソファに座ってくつろいでいる四人と挨拶をしていた。俺は今、後藤さんと沙枝姉さんと一緒にいる時の俺を、二人がどう見るのかが不安でドキドキしている。
俺の恋愛事情を話した後に会ったきりで、三人で揃っている姿を見せるのは久しぶりだから。そんな俺の心配をよそに、ミドリは沙枝姉さんと後藤さんに嬉々として話しかけていた。
「沙枝さんと後藤さんもいらっしゃったんですね」
ミドリは、三人の関係性を知ってから久しぶりに顔を合わせたため、少し照れているようだった。それでも話たいのは話したいらしく、ずっとリョウの影に隠れたまま視線と言葉だけを送っていた。
「私たちの関係性って、気持ち悪い?」
珍しく沙枝姉さんがミドリの行動を悪く捉えてしまったらしく、心配しながら訊ねている。それを聞いたミドリは、首をブンブン振って否定した。
「全然そんなことないです。ただなんか、ちょっとだけ照れくさいんです」
「そう? それならよかった」
そう答えながら胸を撫で下ろしていた。
「リョウくんとミドリちゃんって、今まで人に優しくしてもらったから、自分も優しくしようとするんだよね。でもそれって当たり前のようだけど、実際そんなに簡単に出来ることじゃないのよ。私には出来ないだろうなあ。でもね、葵は昔からそれを自然に出来る人だったの。優希くんもそうだったね。その二人に育てられると、こうなるのかーって思って」
「そうだったなあ。葵は底抜けに優しくて、お前は辛辣だったよな。え、もしかして俺にだけ?」
「後藤さんにも優しいでしょ。それに俺は優しいんじゃなくて、他人のことには執着が持てないだけですから」
俺がフォローすると「それは確かにそうだなあ。でも俺と沙枝のことは、家を捨ててでも諦めたくなかったんだよな?」と言いながらキスを迫ってきた。
後藤さんはいつもこの調子だ。何かを話している途中でも、ところ構わず愛情表現をしてくる。これまではリョウとミドリの前ではそうしないようにしていた。けれど、どうやらこれからは本当にところ構わずにするつもりのようだ。
「ちょっ……恥ずかしいからやめてって……」
「ミドリちゃんは男同士のキスも見慣れてるもんなー」
そう言って、また「んー」と言いながら迫って来た。少し抵抗したが、後藤さんは俺よりもガタイが良く力も強い。全くの無駄だった。
「ちょっ……あむっ! んっ! ご、後藤さんってば!」
ひとしきり俺をからかって満足したのか、あはははと豪快に笑いながら、後藤さんは俺の背中をポンポンと叩いた。
そして、唐突に真面目な顔をしたかと思うと、突然仕事中のような顔をして、ある提案を始めた。
「実は俺な……この一連の事件で、ずっと考えていたことがあるんだわ」
後藤さんは突然、全員に向かってそう切り出した。そして、徐に手帳とペンを取り出し、メモをする準備をした。
「俺たちな、生活時間が微妙にズレているだろう? 全員が気づいたことを、一つにまとめてみようぜ。もしかしたら、見えていないものがそれによって見えるかもしれない。時系列と心理的トラップの整理をしよう」
そういうと、時系列、人物相関図を描き始めた。
「さっすがー! 複数の会社を経営する人間の整理能力はすごいねえ。まとめ方がキレイだわ」
沙枝姉さんは他の人たちに付箋を配った。そして、俺たちは後藤さんが書き上げて行く情報に、追加の情報を記入した付箋を貼り付けて疑問をクリアにしていく。
「この日は私が店にいたから、高橋さんが来たかどうかはわからないってことね?」
「そうそう。高橋さんはカフェタイムに来る人で、バータイムにしかいない姉さんは高橋さんの顔を覚えてないでしょ?」
そこで「高橋さんの来店有無:不明」と書いた付箋を貼る。そうやって全員の記憶を一枚の紙にまとめていく。足りなくなれば、別紙に書き足して、それをテープで止めていった。とてもアナログだが、視覚的にまとめやすく修正も割と簡単だった。
タブレット上でやればもっと簡単に出来るだろう。ただ、ネットワークの安全性などをいちいち確認していくよりは、一堂に介したことで一気に話が整理できる方法として、このやり方が簡単に済む方法だった。
「じゃあ、この中で残っている疑問は……」
「佐野さんはサトルを狙っていたのか、それとも間違えたのか、そしてその理由」
「リョウと優希は、なぜ一緒にいたのか」
「ピアスの秘密を知っていたのは誰か、なぜ知っていたのか」
「高橋は、なぜ死んだのか」
「向井と里井は何をしようとしているのか」
書いて修正してを何度も繰り返し、やはり活動時間がずれていたことで見えていなかったことが見え始めた。その最たるものが、鈴井玲央の存在だ。
ミドリが言う通り、玲央と呼ばれている人は四人ほどいた。ただ、佐野さんが今も変わらずに連れ歩いているのは、ほとんどがあのナカノと呼ばれていた男だった。そして、里井が連れ歩かれるようになったのはごく最近で、土日に顔を出しているらしいことがわかった。
それは、後藤さんが他のスタッフに聞き込みをしてくれていたから、わかったことだった。土日の昼間に行けば優希にもサトルにも顔を合わせることがなく、里井の存在は俺たちには気づかれることがない。
そういう周到な仕掛けが施してある執念に、空恐ろしくなった。
「他にどれか答えられるものがある人は?」
いつの間にか、後藤さんの主導で会議は動いていた。まず最初に手を挙げたのは、ミドリだった。
「あの、まだ推測なんですけど……」
「はい、ミドリちゃん。どうぞ」
後藤さんは、サトルに記録係をやらせていた。議事録はデータで残すことにした。そうなるとサトルが一番速い。
「あの、昨日、鈴井玲央……えっと、ナカノの方です。ナカノさんがここでロケをしていて、優希さんとナカノさんが挨拶をしているのを見かけました。ちょっと驚いたんです。優希さんは鈴井玲央が実在することを知らなかったから、あの人のことは知らないと思っていたんです。でも、どう見ても親しそうだったし、それを見ていたサトルさんにも警戒する気配はありませんでした。でも、ナカノさんが鈴井玲央だってことを知らなかったなら、納得出来るねってリョウと話してて。そう思ってるところで、それが証明されました」
ミドリはハーッと息をして、一旦呼吸を整えた。興奮してしまって勢いよく話してしまったから、やや呼吸が乱れている。リョウが背中を摩ってあげると、ミドリは嬉しそうに微笑んでいた。
「証明されたって言うのは、どう言うこと?」
優希が優しく問いかけた。呼吸を整えたミドリは、キッと前を見据えて説明に戻る。
「昨日そのロケのスタッフに美咲さんがいて、美咲さんと私は一階と五階の離れた場所で、大きな声で話していました。それなのに、ナカノさんは私のことを全く認識していませんでした。まるで知らない人を見ているみたいで。そのことが、ものすごく気になってて。そこで一つ仮説を立てたんです」
ミドリはちらっとリョウを見た。リョウはとても優しい笑顔でミドリに応えている。チラリと机の下を覗くと、リョウはミドリの手を握りしめていた。その手の温もりを感じて安心したのだろう、小さく頷いていた。
「昨日のナカノさんは、『中野洸太』そのもので、私がこれまで会っていた人は鈴井玲央だったんじゃないかなって。つまり、同じ体だけど中身が別の人なんじゃないかって思ったんです。それだったら、昨日のナカノさんが私を知らなくても辻褄は合うと思うんです」
俺たちは言葉を失った。大人は誰もその発想を持たなかった。嘘をついている可能性は思い当たるかもしれないが、現実問題としてそんなことを考えもしなかった。
「人格が違うってことか? それはつまり、多重人格とかそう言うこと?」
俺は驚きすぎて、勢いよく立ち上がったかと思うと、早口でミドリに詰め寄ってしまった。そしてすぐに我に返り「あ、ごめん」と座り直した。
「いえ……病気とかじゃなくて、むしろその方がよっぽどいいっていうか。私たちは、それが人為的に行われてるんじゃないかと思ってるんです。昨日の中野さん、あの大きなダイヤのピアスをしていなかったんです」
ミドリの答えに、サトルが大きく反応した。
「それは制御ピアスの応用で、人を操っている可能性があるってことか?」
すると、リョウが無意識に少し前へ出た。そして自分の体でサトルからミドリへの視線が外れるように座り直した。
「ミドリはそう考えているみたいで、言われてみればその可能性はあるのかもしれないと僕も思いました。あのピアスをしている二人の鈴井玲央、いつも酔っ払ってるような、半分夢を見ているような顔をしているんですよ」
そう言われて、全員が知っている鈴井玲央の顔を思い浮かべた。そう言われると、確かに中野洸太だけでなく、里井の顔もいつも酔っているような目つきだった。
「あ! それ! ニセ玲央が来たときに私も思った。そして葵にそれを伝えたよね。それが確か、ミドリちゃんが警察沙汰の悪ふざけに巻き込まれた日だったと思う!」
そうだ、確かに沙枝姉さんから来たメッセージの最後の方には、「目つきがおかしい」と書いてあった。
「私が燁さんと一緒にいる鈴井玲央に会う場合、明るい時間の時はいつもピアスはしてなかった。でもバータイムだったら暗いから、ピアスして目つきがおかしかったとしても、わからなかったのかもしれない」
「しかし、鈴井玲央という人格を作ることができるピアス……誰がどうやって作ったんだ? あのピアスは研究所で作ったものと同じなのか?」
後藤さんがサトルに訊ねると、サトルは今にもテーブルを叩き割りそうな形相をしていた。ただ、昨日優希を怖がらせたばかりなので、必死にそれを抑えている。
「……それをやったのが、向井ってことか。あいつなら研究所に出入りしているし、研究にも関わってる。ちょっと仲良くなれば、口をわるやつがいたのかもしれないな」
サトルはギリギリと歯を食いしばりながら、なんとか爆発しないように感情を抑えている。優希はそんなサトルの手に自分の手を乗せて、どうにか落ち着かせようと躍起になっていた。
「そしてその人格を作り上げるピアスを、特殊性癖のある人に売りつけようとしているってことね。でもそれってどう商売になるの?」
沙枝姉さんが後藤さんに尋ねた。後藤さんは売れるものを考えるのが得意だ。この中で最もそう言うことに敏感だと言える。そして、どうやら察しがついているらしい。ただ、とても答えにくいようで、口をつぐんでいる。
俺は後藤さんの視線と表情をじっと見ていた。ここで言いにくいことがあるとすれば、ペドフィリアに関することだろう。ペドフィリアに関することで儲かるもの、それはおそらく俺たちにとっては絶対に気持ちのいい話ではないだろうとう手のモノのはずだ。
——小児性愛者。愛してはいけない。止める方法は治療としてある。では、儲かるとしたら……。
俺は頭に浮かんだことを考えると、悍ましくなって戦慄した。その考えを自分の頭の中から追い出したくて、思わずそのまま口から溢してしまいそうになっていた。
それでもそれは必死に堪えた。それなのに、その内容が違うところから音となって現れた。それも、最も口にすると苦痛を伴うであろう人の口から飛び出してきた。
「それは……小さな子供にこれをつけさせて、ペドフィリアに自分から向かうように仕向けるってことですかね……小児の売春を自ら望んでやるような人格を作るのが目的とか……?」
感情のなくなったような顔の大きな目から、つらつらと涙の筋が見えていた。喚きもせず、しゃくりあげもせず、ただ涙を流している。その姿を見て、俺はひどく後悔をした。
「ごめん。ごめん優希。俺が言えばよかった。俺もわかったのに……」
しがみついて謝っていると、優希はふるふると首を振った。俺の頭を撫でながら、「大丈夫」と繰り返している。
「大丈夫だよ、葵。僕は当事者だったからわかるんだ。僕だって、向こうから来てくれて罪にならないなら、いくらでも叶えたい願いとして持っていたから。それが叶えられないのが、本当に苦しかった。リョウが、ミドリが、僕を愛してくれたらどんなに幸せだろうかって、何度も思った。だから、そうしたい人の気持ちは、今でもわかるよ。ペドフィリアでお金を持っている人に、そういう人格の形成をするピアスをつけた子供を小児売春者として斡旋する人がいれば、お金になるよね。それも、相当儲かると思うんだよ。だって、本当に欲しくてたまらないから。いくらでも払うと思うんだ」
静かに、でもとめどなく涙を流しながら、まるで自分の罪を告白するような口ぶりで優希は言った。彼はその犠牲になる子供を減らすための研究に参加して、自分を作り替えたにも関わらず、そんな奴らと自分を同類として話している。
自らが苦しんで犯罪抑止に協力したのに、その犯罪に手を染めている人の気持ちを「理解できる」という。俺は、その言葉がたまらなく辛かった。
サトルはため息をつきながら優希を抱きしめた。そして悲しくて泣いているパートナーの姿を見て、引き攣るような笑みをこぼした。
「お前はもう、そんな奴らとは違うんだ。いや、根本からして違うんだよ、優希。その人間性の一部を理解したとしても、同じじゃない。お前は素晴らしい人間だから」
優希はサトルの体にしがみついた。そして、何も言わなかった。ただひたすらにしゃくりあげ、サトルの胸に頭を埋めて泣いていた。
「あんないい加減なやつは早く契約を切るべきだったんだ。金儲けもだろうが、向井自身の欲を満たすためでもあるだろう。本当に信じられない……今ここにいたらバラバラにしてやりたいくらいだ!」
研究を横取りされて、しかも悪事を働こうとしていた人物がはっきりとわかってしまったことで、サトルは向井に憎しみを抱きつつあった。その思いにみんなが同調しかけたところで、ふとリョウが一つの疑問にたどり着いた。
「あの、じゃあ里井は何をしたかったんですかね?」
リョウがその疑問を述べたその時、突然部屋のドアがゴーン! という轟音と共に揺れ動いた。気づくと夕暮れで、傾いた陽は部屋の反対側に隠れており、部屋全体がかなり薄暗くなっていた。そこに何度も轟音が鳴り響く。とても不気味だ。
「な、なんだ? 地震……じゃないよな」
後藤さんは走ってドアに向かうと、ドアスコープから外を覗いた。ドアの外で、中年の女性が数人の男性スタッフに取り押さえられながら、何か喚き散らしている。
その屈強な男性二人を跳ね飛ばしながら、女は喚き続けていた。
「おい、あれもしかして、ミドリちゃんのお母さんじゃないか!?」
後藤さんが俺に問うと、俺の腕を引いてドアまで行き、ドアスコープにぐいっと俺の顔を近づけた。
「え? あ……そうです。そうです! 佐野さんだ! なんでここがわかったんだろう……」
軽いパニックを起こしながら考え込んでいると、サトルがハッと何かに思い至ったようだった。
「GPSだ。優希の居場所を特定したんだな。所内に向井がいれば可能だ。これであの二人が繋がっているのは間違いない」
佐野さんは気が触れているのか、男性職員が数人がかりで取り押さえているのに、それをものともせずにドアをガンガンと叩き続けている。そして、およそ普段の彼女からは想像もつかない聞き苦しい声で叫び続けていた。
「佐藤ー! 出てこーい! 私から玲央を奪おうなんて許さないからー! 殺してやるー!」
ドアが変形しそうなほどの力で、ガンガンと殴り続けている。推測などしなくても、佐野さんは優希を狙っているということがわかってしまった。
「どうする? 中に入れるか? このまま落ち着くまで放っておくか?」
俺はサトルに訊いた。あの状態では、話などできる訳もない。ただ、ここまで追ってきたのなら、もう対峙するほか無いように思えていた。このまま放っておいたら、いつか肉体の限界が来た時に黙るだろう。
ただ、それまで待つとなると、ガードマンに負担がかかる。それはホテルへさらなる迷惑をかけることへとつながる。俺はいつの間にか、父さんや蓮兄さんに迷惑をかけるようなことは、出来れば避けたいと思い始めていた。
「じゃあ俺が倒すよ。そしたら、拘束してもらえる? それから中で落ち着くまでほっとけばいいよね」
いくら気が触れているとはいえ、隙があれば倒すのは可能だろう。拘束するのは、サトルが仕事で慣れているので早い。どうにかなるだろうと言うことで、迎え入れることにした。
「了解。後藤さん、手伝ってください」
後藤さんは「おう」と短く答えると、サトルの後ろに控えた。
「優希は一番奥に、その隣にミドリと沙枝姉さん。リョウはドアを開けろ。いいな」
リョウは黙って頷くと、ドアの近くに立った。そして、「行きます」と一言呟くと、勢いよくドアを開けた。
ドアを開けて突撃してきた佐野さんは、窓辺にいる人物めがけて走っていった。そこに辿り着く前に俺が捕まえて倒したのだが、サトルが拘束している途中で傷が痛み、一瞬怯んでしまった。その隙に立ち上がった佐野さんは……あろうことか、ミドリに襲いかかって行った。
「死ね! 佐藤!」と言いながら。
もうすでに部屋はかなり暗くなっていた。母親に死ねと言われて呆然とするミドリと、一瞬反応が遅れた俺や後藤さんに紛れて、一人の男の影がすごい速さで割って入ってきた。
その男は、躊躇いなく佐野さんを腹打ちして一瞬で気絶させた。そして、サトルの持っていた拘束具で彼女を拘束すると、すっと立ち上がった。
「里井……?」
サトルが目の前の男の名を呼んだ。モデルのような体型、黒髪のコンマヘア、そして暗闇の中でも光り輝くダイヤのピアス。男は何も言わず、ただそこに立っていた。
「お前の狙いは、なんだ?」
サトルは、里井に違いないその男に問いかけた。男は、フーッと深いため息をつくと、こう答えた。
「俺の望みは、金儲けと、殺人を妨害することだ」
そう答えた時に、リョウが立ち上がって室内灯のスイッチを押した。
逆光の中に立っていたのは、間違いなく、犯罪心理研究所の事務員、里井純だった。
俺は立ち上がると小走りにドアへと近づいた。そして、念の為ドアスコープで外の様子を確認する。そこには、リョウとミドリがピッタリと寄り添って立っていた。
「おーす。お疲れ」
ドアを開けて、二人へ笑いかけた。明らかにうちを出た時とは違う二人の距離感を、俺は嬉しく思っていた。
「葵さんも、お疲れ様です。来てくれてありがとうございます」
リョウがそう言って、俺の目を見た後にミドリをチラリと見た。そしてまた視線を俺へと戻す。ミドリがそれに気づいて、「へへ」とおちゃらけた笑顔を向けてきた。
「幸せそうで何よりです。ほら、入れよ」
二人の後ろに回り込んで、まとめて背中を押して中に入らせた。その時、視界の端にキラッと光ものが見えた気がした。一瞬だったけれど、おそらく間違い無い。廊下の角に、誰かが隠れている。ただ、そこから悪意は感じられない。
——一応兄さんに連絡しておくか。
俺は後ろを警戒しながらドアを閉め、すぐにスマホでメッセージを送った。
先に中へと入っていった二人は、ソファに座ってくつろいでいる四人と挨拶をしていた。俺は今、後藤さんと沙枝姉さんと一緒にいる時の俺を、二人がどう見るのかが不安でドキドキしている。
俺の恋愛事情を話した後に会ったきりで、三人で揃っている姿を見せるのは久しぶりだから。そんな俺の心配をよそに、ミドリは沙枝姉さんと後藤さんに嬉々として話しかけていた。
「沙枝さんと後藤さんもいらっしゃったんですね」
ミドリは、三人の関係性を知ってから久しぶりに顔を合わせたため、少し照れているようだった。それでも話たいのは話したいらしく、ずっとリョウの影に隠れたまま視線と言葉だけを送っていた。
「私たちの関係性って、気持ち悪い?」
珍しく沙枝姉さんがミドリの行動を悪く捉えてしまったらしく、心配しながら訊ねている。それを聞いたミドリは、首をブンブン振って否定した。
「全然そんなことないです。ただなんか、ちょっとだけ照れくさいんです」
「そう? それならよかった」
そう答えながら胸を撫で下ろしていた。
「リョウくんとミドリちゃんって、今まで人に優しくしてもらったから、自分も優しくしようとするんだよね。でもそれって当たり前のようだけど、実際そんなに簡単に出来ることじゃないのよ。私には出来ないだろうなあ。でもね、葵は昔からそれを自然に出来る人だったの。優希くんもそうだったね。その二人に育てられると、こうなるのかーって思って」
「そうだったなあ。葵は底抜けに優しくて、お前は辛辣だったよな。え、もしかして俺にだけ?」
「後藤さんにも優しいでしょ。それに俺は優しいんじゃなくて、他人のことには執着が持てないだけですから」
俺がフォローすると「それは確かにそうだなあ。でも俺と沙枝のことは、家を捨ててでも諦めたくなかったんだよな?」と言いながらキスを迫ってきた。
後藤さんはいつもこの調子だ。何かを話している途中でも、ところ構わず愛情表現をしてくる。これまではリョウとミドリの前ではそうしないようにしていた。けれど、どうやらこれからは本当にところ構わずにするつもりのようだ。
「ちょっ……恥ずかしいからやめてって……」
「ミドリちゃんは男同士のキスも見慣れてるもんなー」
そう言って、また「んー」と言いながら迫って来た。少し抵抗したが、後藤さんは俺よりもガタイが良く力も強い。全くの無駄だった。
「ちょっ……あむっ! んっ! ご、後藤さんってば!」
ひとしきり俺をからかって満足したのか、あはははと豪快に笑いながら、後藤さんは俺の背中をポンポンと叩いた。
そして、唐突に真面目な顔をしたかと思うと、突然仕事中のような顔をして、ある提案を始めた。
「実は俺な……この一連の事件で、ずっと考えていたことがあるんだわ」
後藤さんは突然、全員に向かってそう切り出した。そして、徐に手帳とペンを取り出し、メモをする準備をした。
「俺たちな、生活時間が微妙にズレているだろう? 全員が気づいたことを、一つにまとめてみようぜ。もしかしたら、見えていないものがそれによって見えるかもしれない。時系列と心理的トラップの整理をしよう」
そういうと、時系列、人物相関図を描き始めた。
「さっすがー! 複数の会社を経営する人間の整理能力はすごいねえ。まとめ方がキレイだわ」
沙枝姉さんは他の人たちに付箋を配った。そして、俺たちは後藤さんが書き上げて行く情報に、追加の情報を記入した付箋を貼り付けて疑問をクリアにしていく。
「この日は私が店にいたから、高橋さんが来たかどうかはわからないってことね?」
「そうそう。高橋さんはカフェタイムに来る人で、バータイムにしかいない姉さんは高橋さんの顔を覚えてないでしょ?」
そこで「高橋さんの来店有無:不明」と書いた付箋を貼る。そうやって全員の記憶を一枚の紙にまとめていく。足りなくなれば、別紙に書き足して、それをテープで止めていった。とてもアナログだが、視覚的にまとめやすく修正も割と簡単だった。
タブレット上でやればもっと簡単に出来るだろう。ただ、ネットワークの安全性などをいちいち確認していくよりは、一堂に介したことで一気に話が整理できる方法として、このやり方が簡単に済む方法だった。
「じゃあ、この中で残っている疑問は……」
「佐野さんはサトルを狙っていたのか、それとも間違えたのか、そしてその理由」
「リョウと優希は、なぜ一緒にいたのか」
「ピアスの秘密を知っていたのは誰か、なぜ知っていたのか」
「高橋は、なぜ死んだのか」
「向井と里井は何をしようとしているのか」
書いて修正してを何度も繰り返し、やはり活動時間がずれていたことで見えていなかったことが見え始めた。その最たるものが、鈴井玲央の存在だ。
ミドリが言う通り、玲央と呼ばれている人は四人ほどいた。ただ、佐野さんが今も変わらずに連れ歩いているのは、ほとんどがあのナカノと呼ばれていた男だった。そして、里井が連れ歩かれるようになったのはごく最近で、土日に顔を出しているらしいことがわかった。
それは、後藤さんが他のスタッフに聞き込みをしてくれていたから、わかったことだった。土日の昼間に行けば優希にもサトルにも顔を合わせることがなく、里井の存在は俺たちには気づかれることがない。
そういう周到な仕掛けが施してある執念に、空恐ろしくなった。
「他にどれか答えられるものがある人は?」
いつの間にか、後藤さんの主導で会議は動いていた。まず最初に手を挙げたのは、ミドリだった。
「あの、まだ推測なんですけど……」
「はい、ミドリちゃん。どうぞ」
後藤さんは、サトルに記録係をやらせていた。議事録はデータで残すことにした。そうなるとサトルが一番速い。
「あの、昨日、鈴井玲央……えっと、ナカノの方です。ナカノさんがここでロケをしていて、優希さんとナカノさんが挨拶をしているのを見かけました。ちょっと驚いたんです。優希さんは鈴井玲央が実在することを知らなかったから、あの人のことは知らないと思っていたんです。でも、どう見ても親しそうだったし、それを見ていたサトルさんにも警戒する気配はありませんでした。でも、ナカノさんが鈴井玲央だってことを知らなかったなら、納得出来るねってリョウと話してて。そう思ってるところで、それが証明されました」
ミドリはハーッと息をして、一旦呼吸を整えた。興奮してしまって勢いよく話してしまったから、やや呼吸が乱れている。リョウが背中を摩ってあげると、ミドリは嬉しそうに微笑んでいた。
「証明されたって言うのは、どう言うこと?」
優希が優しく問いかけた。呼吸を整えたミドリは、キッと前を見据えて説明に戻る。
「昨日そのロケのスタッフに美咲さんがいて、美咲さんと私は一階と五階の離れた場所で、大きな声で話していました。それなのに、ナカノさんは私のことを全く認識していませんでした。まるで知らない人を見ているみたいで。そのことが、ものすごく気になってて。そこで一つ仮説を立てたんです」
ミドリはちらっとリョウを見た。リョウはとても優しい笑顔でミドリに応えている。チラリと机の下を覗くと、リョウはミドリの手を握りしめていた。その手の温もりを感じて安心したのだろう、小さく頷いていた。
「昨日のナカノさんは、『中野洸太』そのもので、私がこれまで会っていた人は鈴井玲央だったんじゃないかなって。つまり、同じ体だけど中身が別の人なんじゃないかって思ったんです。それだったら、昨日のナカノさんが私を知らなくても辻褄は合うと思うんです」
俺たちは言葉を失った。大人は誰もその発想を持たなかった。嘘をついている可能性は思い当たるかもしれないが、現実問題としてそんなことを考えもしなかった。
「人格が違うってことか? それはつまり、多重人格とかそう言うこと?」
俺は驚きすぎて、勢いよく立ち上がったかと思うと、早口でミドリに詰め寄ってしまった。そしてすぐに我に返り「あ、ごめん」と座り直した。
「いえ……病気とかじゃなくて、むしろその方がよっぽどいいっていうか。私たちは、それが人為的に行われてるんじゃないかと思ってるんです。昨日の中野さん、あの大きなダイヤのピアスをしていなかったんです」
ミドリの答えに、サトルが大きく反応した。
「それは制御ピアスの応用で、人を操っている可能性があるってことか?」
すると、リョウが無意識に少し前へ出た。そして自分の体でサトルからミドリへの視線が外れるように座り直した。
「ミドリはそう考えているみたいで、言われてみればその可能性はあるのかもしれないと僕も思いました。あのピアスをしている二人の鈴井玲央、いつも酔っ払ってるような、半分夢を見ているような顔をしているんですよ」
そう言われて、全員が知っている鈴井玲央の顔を思い浮かべた。そう言われると、確かに中野洸太だけでなく、里井の顔もいつも酔っているような目つきだった。
「あ! それ! ニセ玲央が来たときに私も思った。そして葵にそれを伝えたよね。それが確か、ミドリちゃんが警察沙汰の悪ふざけに巻き込まれた日だったと思う!」
そうだ、確かに沙枝姉さんから来たメッセージの最後の方には、「目つきがおかしい」と書いてあった。
「私が燁さんと一緒にいる鈴井玲央に会う場合、明るい時間の時はいつもピアスはしてなかった。でもバータイムだったら暗いから、ピアスして目つきがおかしかったとしても、わからなかったのかもしれない」
「しかし、鈴井玲央という人格を作ることができるピアス……誰がどうやって作ったんだ? あのピアスは研究所で作ったものと同じなのか?」
後藤さんがサトルに訊ねると、サトルは今にもテーブルを叩き割りそうな形相をしていた。ただ、昨日優希を怖がらせたばかりなので、必死にそれを抑えている。
「……それをやったのが、向井ってことか。あいつなら研究所に出入りしているし、研究にも関わってる。ちょっと仲良くなれば、口をわるやつがいたのかもしれないな」
サトルはギリギリと歯を食いしばりながら、なんとか爆発しないように感情を抑えている。優希はそんなサトルの手に自分の手を乗せて、どうにか落ち着かせようと躍起になっていた。
「そしてその人格を作り上げるピアスを、特殊性癖のある人に売りつけようとしているってことね。でもそれってどう商売になるの?」
沙枝姉さんが後藤さんに尋ねた。後藤さんは売れるものを考えるのが得意だ。この中で最もそう言うことに敏感だと言える。そして、どうやら察しがついているらしい。ただ、とても答えにくいようで、口をつぐんでいる。
俺は後藤さんの視線と表情をじっと見ていた。ここで言いにくいことがあるとすれば、ペドフィリアに関することだろう。ペドフィリアに関することで儲かるもの、それはおそらく俺たちにとっては絶対に気持ちのいい話ではないだろうとう手のモノのはずだ。
——小児性愛者。愛してはいけない。止める方法は治療としてある。では、儲かるとしたら……。
俺は頭に浮かんだことを考えると、悍ましくなって戦慄した。その考えを自分の頭の中から追い出したくて、思わずそのまま口から溢してしまいそうになっていた。
それでもそれは必死に堪えた。それなのに、その内容が違うところから音となって現れた。それも、最も口にすると苦痛を伴うであろう人の口から飛び出してきた。
「それは……小さな子供にこれをつけさせて、ペドフィリアに自分から向かうように仕向けるってことですかね……小児の売春を自ら望んでやるような人格を作るのが目的とか……?」
感情のなくなったような顔の大きな目から、つらつらと涙の筋が見えていた。喚きもせず、しゃくりあげもせず、ただ涙を流している。その姿を見て、俺はひどく後悔をした。
「ごめん。ごめん優希。俺が言えばよかった。俺もわかったのに……」
しがみついて謝っていると、優希はふるふると首を振った。俺の頭を撫でながら、「大丈夫」と繰り返している。
「大丈夫だよ、葵。僕は当事者だったからわかるんだ。僕だって、向こうから来てくれて罪にならないなら、いくらでも叶えたい願いとして持っていたから。それが叶えられないのが、本当に苦しかった。リョウが、ミドリが、僕を愛してくれたらどんなに幸せだろうかって、何度も思った。だから、そうしたい人の気持ちは、今でもわかるよ。ペドフィリアでお金を持っている人に、そういう人格の形成をするピアスをつけた子供を小児売春者として斡旋する人がいれば、お金になるよね。それも、相当儲かると思うんだよ。だって、本当に欲しくてたまらないから。いくらでも払うと思うんだ」
静かに、でもとめどなく涙を流しながら、まるで自分の罪を告白するような口ぶりで優希は言った。彼はその犠牲になる子供を減らすための研究に参加して、自分を作り替えたにも関わらず、そんな奴らと自分を同類として話している。
自らが苦しんで犯罪抑止に協力したのに、その犯罪に手を染めている人の気持ちを「理解できる」という。俺は、その言葉がたまらなく辛かった。
サトルはため息をつきながら優希を抱きしめた。そして悲しくて泣いているパートナーの姿を見て、引き攣るような笑みをこぼした。
「お前はもう、そんな奴らとは違うんだ。いや、根本からして違うんだよ、優希。その人間性の一部を理解したとしても、同じじゃない。お前は素晴らしい人間だから」
優希はサトルの体にしがみついた。そして、何も言わなかった。ただひたすらにしゃくりあげ、サトルの胸に頭を埋めて泣いていた。
「あんないい加減なやつは早く契約を切るべきだったんだ。金儲けもだろうが、向井自身の欲を満たすためでもあるだろう。本当に信じられない……今ここにいたらバラバラにしてやりたいくらいだ!」
研究を横取りされて、しかも悪事を働こうとしていた人物がはっきりとわかってしまったことで、サトルは向井に憎しみを抱きつつあった。その思いにみんなが同調しかけたところで、ふとリョウが一つの疑問にたどり着いた。
「あの、じゃあ里井は何をしたかったんですかね?」
リョウがその疑問を述べたその時、突然部屋のドアがゴーン! という轟音と共に揺れ動いた。気づくと夕暮れで、傾いた陽は部屋の反対側に隠れており、部屋全体がかなり薄暗くなっていた。そこに何度も轟音が鳴り響く。とても不気味だ。
「な、なんだ? 地震……じゃないよな」
後藤さんは走ってドアに向かうと、ドアスコープから外を覗いた。ドアの外で、中年の女性が数人の男性スタッフに取り押さえられながら、何か喚き散らしている。
その屈強な男性二人を跳ね飛ばしながら、女は喚き続けていた。
「おい、あれもしかして、ミドリちゃんのお母さんじゃないか!?」
後藤さんが俺に問うと、俺の腕を引いてドアまで行き、ドアスコープにぐいっと俺の顔を近づけた。
「え? あ……そうです。そうです! 佐野さんだ! なんでここがわかったんだろう……」
軽いパニックを起こしながら考え込んでいると、サトルがハッと何かに思い至ったようだった。
「GPSだ。優希の居場所を特定したんだな。所内に向井がいれば可能だ。これであの二人が繋がっているのは間違いない」
佐野さんは気が触れているのか、男性職員が数人がかりで取り押さえているのに、それをものともせずにドアをガンガンと叩き続けている。そして、およそ普段の彼女からは想像もつかない聞き苦しい声で叫び続けていた。
「佐藤ー! 出てこーい! 私から玲央を奪おうなんて許さないからー! 殺してやるー!」
ドアが変形しそうなほどの力で、ガンガンと殴り続けている。推測などしなくても、佐野さんは優希を狙っているということがわかってしまった。
「どうする? 中に入れるか? このまま落ち着くまで放っておくか?」
俺はサトルに訊いた。あの状態では、話などできる訳もない。ただ、ここまで追ってきたのなら、もう対峙するほか無いように思えていた。このまま放っておいたら、いつか肉体の限界が来た時に黙るだろう。
ただ、それまで待つとなると、ガードマンに負担がかかる。それはホテルへさらなる迷惑をかけることへとつながる。俺はいつの間にか、父さんや蓮兄さんに迷惑をかけるようなことは、出来れば避けたいと思い始めていた。
「じゃあ俺が倒すよ。そしたら、拘束してもらえる? それから中で落ち着くまでほっとけばいいよね」
いくら気が触れているとはいえ、隙があれば倒すのは可能だろう。拘束するのは、サトルが仕事で慣れているので早い。どうにかなるだろうと言うことで、迎え入れることにした。
「了解。後藤さん、手伝ってください」
後藤さんは「おう」と短く答えると、サトルの後ろに控えた。
「優希は一番奥に、その隣にミドリと沙枝姉さん。リョウはドアを開けろ。いいな」
リョウは黙って頷くと、ドアの近くに立った。そして、「行きます」と一言呟くと、勢いよくドアを開けた。
ドアを開けて突撃してきた佐野さんは、窓辺にいる人物めがけて走っていった。そこに辿り着く前に俺が捕まえて倒したのだが、サトルが拘束している途中で傷が痛み、一瞬怯んでしまった。その隙に立ち上がった佐野さんは……あろうことか、ミドリに襲いかかって行った。
「死ね! 佐藤!」と言いながら。
もうすでに部屋はかなり暗くなっていた。母親に死ねと言われて呆然とするミドリと、一瞬反応が遅れた俺や後藤さんに紛れて、一人の男の影がすごい速さで割って入ってきた。
その男は、躊躇いなく佐野さんを腹打ちして一瞬で気絶させた。そして、サトルの持っていた拘束具で彼女を拘束すると、すっと立ち上がった。
「里井……?」
サトルが目の前の男の名を呼んだ。モデルのような体型、黒髪のコンマヘア、そして暗闇の中でも光り輝くダイヤのピアス。男は何も言わず、ただそこに立っていた。
「お前の狙いは、なんだ?」
サトルは、里井に違いないその男に問いかけた。男は、フーッと深いため息をつくと、こう答えた。
「俺の望みは、金儲けと、殺人を妨害することだ」
そう答えた時に、リョウが立ち上がって室内灯のスイッチを押した。
逆光の中に立っていたのは、間違いなく、犯罪心理研究所の事務員、里井純だった。
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