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許さない

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「翔平!」

 響き渡った銃声に肝を冷やし、同時に起こった何かが壁にぶつかる音に絶望を感じた。

 俺は倒れた野本を咲人に預け、先頭まで走った。

「待て!」

 開いたドアが閉じられていくのを見て、体を捩じ込んででも絶対に閉めさせないと思い、走った。

 ドアから流れてくる匂いは、田坂だった。あいつは今、間違いなく銃を撃った。あのドアを閉めさせてはいけない。

——誰だ!? 誰を撃ったんだ!?

「待て! たさ……」

 俺の手がドアに届きそうになるより早く、俺の隣を一つの黒い影が通り過ぎた。そして、もう一つの影は俺を抱き止めて、後ろへと弾き飛ばす。

「……くそっ! 田坂ぁー!」

 叫ぶ俺の声と入れ違いに、田坂の自室のドアが重苦しい音を立てて閉まった。

 俺は抱き止められた腕を振り解こうとして、もがいた。動きを読もうとしても、先を読まれて防がれる。

「離せ!」

 いつもより手こずりながらも、なんとか逃れようとした。

 そして、ふとその手に無数の傷があることに気がついた。俺にはその手に見覚えがある。

 急いで振り返ると、そこには父さんがいた。

「父さん! なんで止めたんですか! 田坂が中に……」

「わかってる。でも、澪斗からの頼みなんだ。翠、俺たちはあっちだ。さっき飛び出したのが誰だかわかってるだろう?」

 もちろん、わかっていた。飛び出したのは、池内だった。だから、なぜ飛び出したのか分からなくて戸惑った。ただ、今は田坂を確保する方が先だと思ったから振り返らずに先へ進むことを選んだ。

「さっき飛び出した男は、ドアから出る前に田坂に撃たれた。撃たれたのは池内だ。だから、手当と救急を……」

「撃たれた?」

 俺は父さんの言葉に驚き、つい先ほど通り抜けてきたドアの方へと視線を走らせた。

 そこには、白い布を巻き付けられて止血されている池内執事長がいた。ぐったりと脱力しきった状態で横たわっている。

「翠っ! 池内は、止血は終わったから……。田坂を……、田坂の確保を! 使うだけ使って殺そうとするなんて、許せない!」

 咲人が涙を流して、倒れた池内のそばについていた。

 倒れているのは、永心の子供達をインフィニティの後をついで育ててきた、彼らにとっては二人目の父のような存在だ。

 彼の無理心中を止めようとして来たのに、彼が撃たれるのを阻止できなかった。

「池内さん……」

 池内のスーツは、血で真っ赤に染まっていた。ただ、出血量の割には傷が小さかったのか、止血はすぐに済んだようで、そのまま外に待機している救急車に乗せるための準備が滞りなく進んでいた。

「わかった。じゃあ、俺は中に……」

 その時、ふと俺は咲人の周辺に強烈な違和感を感じた。そこにいつもあるはずの姿が無い。それに、あいつはさっき撃たれたばかりのはずだ。

「咲人、野本は?」

 野本が運ばれた後にしては、ストレッチャーの準備が早い。それに、救急隊のメンバーから、野本の血の匂いがしない。

「咲人! 野本はどうした!?」

 咲人は、俺に声をかけられたことで、初めて野本の姿が見当たらないことに気がついたらしい。突然、血の気が失せたかと思うと、立ち上がって田坂の部屋のドアへ向かって走り始めた。

「咲人!?」

「翠! もしかしたら、中に慎弥さんが!」

「何!? 何であいつが……怪我してるだろう!?」

「もしかして……兄さんと慎弥さん、田坂を……」

 咲人がドアに手をかけた。その瞬間、さっきと同じような乾いた破裂音と、人が二人撃ち抜かれる音が聞こえてきた。

「慎弥さん! 兄さん!」

 咲人がドアを蹴破るようにして開けると、そこには田坂を羽交締めにしている澪斗さんと、田坂に銃口を向けている野本の姿があった。

「慎弥……さん?」

 俺と咲人は、目の前に広がる光景を見て、絶句するしかなかった。澪斗さんと田坂は、ゆっくりとそのまま頽れていった。床に打ち付けられた田坂を呆然と眺めていると、澪斗さんの体はそのままふわりと浮かぶように抱き上げられた。

「……澪斗っ!」

 俺たちの後をついて来た父さんが、澪斗さんを優しく抱えていた。父さんは、そのままソファへと彼を横たえると、ポロポロと涙を零し始めた。

「澪斗! 澪斗……。いやだ、やっぱり嫌だよ! 逝かないでくれ!」

 澪斗さんを抱えて泣き喚く父さんの声がこだましていた。

 死地を潜ってきた父さんでも、突然愛する人が撃たれた衝撃は大きいのだろう。体はずっと震えていた。

 俺と咲人は、まだ動けずにいた。指揮を執っていた俺でさえ、何が起きているのかがわかっていない。咲人も、何も知らなかったのだろう。二人で、ただ呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

 田坂は胸を撃ち抜かれていた。澪斗さんは、その田坂に密着した状態で立っていた。つまり、彼も同じくらいの傷を負ったことになる。

 野本は警察官だ。銃撃の精度は、メンバーの誰よりも高い。この状況では、野本が澪斗さんごと田坂の心臓を狙って打ったとしか思えなかった。

「慎弥さん……どうして撃ったんですか?」

 ようやく口を開いた咲人は、野本へ問いかけた。そして、ゆっくりと近づいていく。

 野本は震えていた。息を切らして、小さく震えていた。そして、眉根を寄せて涙を流していた。その顔と鼓動の音は、訴えていた。

——これでよかったんですか?

「野本……お前、澪斗さんに頼まれたのか? 自分ごと撃てと言われたのか? そんなことをしたら……」

 野本は何も言わなかった。ただ、俺もその考えを口にしては見たものの、違和感を覚えずにはいられなかった。

 いくら田坂を許せないとはいえ、野本に事故を装って撃たせたとしても、それで田坂が亡くなれば、野本のこれからの人生が壊れてしまう。

 刑事罰が免れたとしても、野本の性格では生涯それを気に病むことになるだろう。澪斗さんにそんなことがわからないわけがない。

 それに、よく見ると野本の顔は、驚きすぎて言葉が出ないといった表情だった。目を見開いて、口が軽く空いた状態だ。そして何より、野本の持っている銃からは、硝煙反応が出ていない。

「……お前が撃ったんじゃないのか?」

 その問いかけに、ようやく我に帰った野本が顎を引いた。それを見て咲人は安心したのか、野本の方へと駆け寄っていった。

「よ、良かった! 慎弥さんが人を……まして兄さんを撃ったなんてことになってたら……俺、俺……」

 野本に縋り付いて泣く咲人を見て、ようやく事態に思考が追いついたのか、野本はその場にへたり込んでしまった。そして、俺の方を見る。ようやく視線がしっかりとした野本のものに戻ったようだった。

「何が起きたんだ?」

 俺たちが話している間に、澪斗さんを乗せたストレッチャーが運び出されていった。父さんは、俺の方を振り返ると、「野本くんから聞いておいてくれ。後からきちんと説明する」と言って、去っていった。

 バタバタと出ていく人の足音に混じって、入れ違いにここへ入ってきたテッショーと田崎が次々に声をかける。

「大丈夫か!? 澪斗さん、撃たれたのか?」

 田崎の問いかけにうまく答えられなかった野本に、最後に入ってきた蒼が横から口を出した。

「澪斗さん、サイコキネシス発動したんじゃないか? 田坂が池内を撃った瞬間、ものすごい顔をして飛び込んでいったから。本当は中に入る予定はなかったのに、どうしても許せなかったんだろうな」

 蒼は床に落ちていた銃を拾い上げると、「ほら、見てみろよ」と俺たちにわかりやすいように、その形を回転して見せてくれた。それは銃と呼ぶには形が壊れすぎていて、金属の塊のようになっていた。

「発動した力で、銃が壊れて爆発したんだろう? 田坂の胸の傷、銃創というよりはもっと複雑な形状だった。アレが出る時は、自分の意識は働かない。澪斗さんの意思とは無関係に起こったことだから、これは事故扱いになるだろうな」

「……でも、そんなに何人も短期間にサイコキネシスを発動するなんてことがあるか? これまで世界に一人だったものが、短期間で四人だぞ。しかも、近しい人ばっかり……」

 田崎がそこまで口を開いて、何かに気がついたように口を噤んだ。それはまるで、オカルトのように感じたのだろう。でも、スピリットアニマルが身近な存在である能力者にとっては、そう不思議なことでもなかった。

 だから、俺が代わりに口にした。

「エースの血が、田坂のことを許せなかったんだろうな。永心のセンチネルを守るために、子供達の力を借りて怒りを爆発させた。そう考えるのは、俺には自然なことのように思うよ」

 俺のその言葉に、蒼が「そうだな」と言った。ただ、「でもね」と少し苦しそうに先を続ける。

「でも、直接的な引き金を引いたのは、池内幹俊だよね。彼は、自分が飛び出せば田坂が撃つと思ってたんだろう。だから、あえて部屋を飛び出した。そして、自分が撃たれる姿を永心の子達に見せた。田坂に会いにいくのも、黙っていけば良かったのに、あえて澪斗さんに話をしてから向かってる。……ある意味、澪斗さんは利用された。そして、おそらくその思惑に乗ってあげた。俺たちも、澪斗さんからいっぱい食わされたわけだけれど、最後は自分が引き受ける気だったんだろうからね。……複雑な気分だね」

 澪斗さんが田坂の部屋に入った後、父さんは『澪斗からの頼みなんだ』と言っていた。だから、蒼の推測は当たっていると思う。俺たちにその話をしなかったのは、これが事故を装った殺人であることは理解しているからだろう。

 それは、VDSの主義に反する。俺にその片棒を担がせるのは嫌だったのだろう。

『翠くん、本当にいい会社を作ったよね』

 そう言って、いつも柔らかい笑顔で俺を褒めてくれるあの人の、痛いほどの優しさが身に染みて、心が痛かった。
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