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対決へ
理由
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それは、さっきまでの蔑むような笑顔ではなく、魂が解放されたような穏やかな笑顔だった。ケイトの肉体からはもう血が流れ出てくることもなくなり、イトも意識は朦朧としているようだった。
虚ろな目の中に、ほんの僅かに希望が見出せそうな可能性が見えていた。そこで貴人様は、イトに綾人を狙う理由をはっきり言葉にさせることにした。
「イト、お前、もしやまだヤトがお前を嵌めたと思っているのか」
貴人様のその問いに、イトの目の奥に恨みの炎が戻った。でもそれは、もうほとんど消えかけていて、勢いが無いものになっている。それでも完全に消えることはなく、中心はいつまでも燻りながら燃えていた。それは、イトを苦しめる熾火のようなものになっている。
「だってそう言われたのですから、そう思うのが当然でしょう? 二度目の人生だって、ヤトだけが助かって、俺は処刑された。そんなに俺ばっかり上手くいかないなんて。おかしいじゃないですか!」
綾人は困惑していた。二人で仲良くしていた事しか知らないのに、自分がイトを嵌めたとはどういう事なんだろうか。あの夢の後に、何か重大なことがあったということなのだろうか。
でも、綾人にはその記憶が全く無い。そんなに重大なことを、そう簡単に忘れるものだろうか。
「貴人様。どういうことですか」
綾人は、貴人様の後ろから声をかけた。だが、イトがどう動くかわからない限り、貴人様は振り返ることもできない。
ただそれでも、綾人の声に不安と決意が入り混じっているのは分かった。
「イトが俺を狙っていて、そのせいで他の人が巻き込まれていたんですよね? 川村くんは、俺からウルを引き剥がすためだけに利用されたんですよね? だったら、俺には真実を知る義務がありませんか?」
綾人の言葉を聞いても、貴人様はすぐには答えなかった。目を閉じて唇を硬く結び、苦しそうに逡巡している。
「綾人……話している最中に記憶が全て戻る可能性もある。その恐ろしさを、お前はわかっていない。もしそれが自分の心を壊すことになったら……」
「それでも知りたいです! 他の人はメチャクチャに傷つけられているのに、自分だけ無傷でいるのは俺は嫌です!」
転生を繰り返し、少しずつ更生されたことで、今世の綾人は正義感に溢れていて、頑固だ。貴人様は頭を抱え、どうしたものかと考えあぐねていると、ずっと後ろに控えていたさくら様が前へ出てきた。
「貴人様、隠していても仕方がありません。教えましょう、全てを。イト、まずあなたの勘違いを正すべきです」
さくら様はそう言って、パッと手のひらを返すと薄紅色の水晶のようなものを取り出した。綾人は、何もないところから大きな水晶が出て来たことに驚いた。そして目を見張っていると、だんだんとその内側に映像が見えるようになり、さらに驚いた。
さくら様はそんな綾人を一瞥すると、ふわりと微笑んだ。「楽しんでいる場合ですか、あなたは」そう言って空いている方のてを水晶の上に翳した。すると、その球体の内側に人の姿がぼんやりと浮かび上がるのが見えた。
「まずは、一度目の人生の終わりを、お互いにどう迎えたのかを知りなさい」
◇◆◇
それは、男たちが体を売る茶屋の様子だった。客は男とは限らなず、時に女が買いにくることもある店だった。ただ、間違いないのは、客は全て裕福な家の者だということ。
一般的な遊郭で女郎と遊ぶよりも数段高くつく、陰間茶屋柳家。この場には、上流の人間しか立ち寄れない。
どうやらこの日は、以前綾人が夢で見た日よりも後のようだった。薄紅色の花がたくさん咲いている。空は水色で、抜けるように高い。たくさんの人が見守る中、綾人は綺麗に着飾り迎えの車に乗って去っていく。
その後ろ姿を、イトが見送っていた。目に涙を溜めて、必死で笑顔を作っている。それを見る限り、とても仲が良かったのは間違いないようだ。
日が変わり、今度はイトが着飾っていた。イトは、紅葉の綺麗な時期の抜けるような青空の下、迎えの車に乗り、幸せそうに去っていった。
身請け先の旦那さんはとても穏やかに微笑んでいて、家族は当たり障りないながらも、拒否もしないようだった。離れに囲われることになっていたので、それに従い暮らすことにした。
数日は穏やかに過ごしたようだった。しかし、それは唐突に始まった。
ある日の夜から、旦那さんはイトに暴力を振うようになった。最初は平手打ちされるくらい。それでも驚いて呆然としていると、慌てて強く抱きしめられ、必死になって謝られた。
「何かお辛いのですか? 俺に手を挙げるくらいで気が済むなら、気にせずお好きになさってください」
そう言ったのが間違いだった。
翌日からは、地獄が始まる。
毎日、気を失うまで殴られる日が続いた。寒い季節になる頃には、殴られ続けた後「罪悪感に耐えられないから」と外に出された。「あざだらけのイトを見ていると、気が狂いそうになる。見えないところに居ておくれ」と言われた。どれほど凍えても、旦那さんのために耐えた。それくらいしか自分が旦那さんのためにしてあげられることがないと思い、ただ言われるがままに従った。
「商売が軌道に乗れば、殴らなくて済むはずだから。我慢しておくれ」
そう言われて、ひたすら耐える冬を超えた。
「はい。俺は大丈夫です。あなたがそれで幸せなら、それでいいんです」
イトは穏やかに微笑んでいた。
——こんなに穏やかだったのに、なんでここまで変わったんだろう……。
綾人がそう思いながら水晶を眺めていると、磔になったイトは目を閉じて眉根を寄せいていた。先を知っている本人があんなに辛そうな顔をしているということは、もっと酷いことがあったのだろう。
そう思うと、先を見るのが怖くなったが、貴人様にしがみつきながら見届けることにした。
そのうちにだんだんと暖かくなり、旦那さんの仕事がうまく回り始めた。言われた通りに暴力は減ってきた。あざもだんだん無くなって、元の綺麗な青年に戻って来た頃のことだった。
イトは、突然家を追い出された。
「旦那様! どうしてですか? 私が何かお気に召さないことをしたのでしたら、直しますから! 旦那様!」
必死になって叫び、旦那さんに縋りついた。すると、旦那さんはイトに一瞥もくれず、ぼそっと一言呟いた。それが、永遠にイトを縛る呪いの言葉となった。
「男はもう興味がない。お前がせめて、ヤトくらい綺麗であればな」
「えっ……?」
イトは返す言葉が見つからず、途方に暮れていた。何も言わないイトに、旦那さんは身勝手な理屈をつらつらと述べ始めた。
最初の身請け話があった時、本当なら自分のところにヤトがくるはずだったのだと旦那さんは言った。それを、ヤトが我儘を言って違うところに身請けされたと。自分は、イトには興味もなかったのだと。
「お前がいなければ、俺はヤトをもらうことができたんだ。お前なんかいなければ良かった。だから、今からでも消えてくれ」
イトはその言葉に衝撃を受け、その場にへたり込んでしまった。ぺたんと座り込んだイトを見て、旦那さんは激昂した。
「消えろと言っているのがわからないのか! そうか、それなら俺が消してやる! 毒夫は毒の中へ帰れ!」
旦那さんはそう叫ぶと、イトの髪を掴んで引きずり回した。長い髪は、土の上を引きずられる体の重さに耐えかねて、ブチブチと音を立てて切れるか、抜けていった。
「ぎゃー! お、おやめください! 旦那様! やめて……!」
痛みに耐えかねて叫ぶイトを、旦那さんは足蹴にした。イトには、それが一番痛く感じた。あの優しい旦那様が、自分を蹴ったのだという事実を、どうにも受け入れられなかった。
「うるさい! 何をしてもカンに触るやつだな、お前は! おい、誰か! こいつをあの穴に落とすぞ。手を貸せ! その方が手っ取り早い」
カッとなって捲し立てる旦那さんは再びイトを引き摺り回すと、底の見えない大穴の空いている場所まで連れて行かれた。そして、そこでまた足蹴にされ、その中……蠆盆へと落とされた。
虚ろな目の中に、ほんの僅かに希望が見出せそうな可能性が見えていた。そこで貴人様は、イトに綾人を狙う理由をはっきり言葉にさせることにした。
「イト、お前、もしやまだヤトがお前を嵌めたと思っているのか」
貴人様のその問いに、イトの目の奥に恨みの炎が戻った。でもそれは、もうほとんど消えかけていて、勢いが無いものになっている。それでも完全に消えることはなく、中心はいつまでも燻りながら燃えていた。それは、イトを苦しめる熾火のようなものになっている。
「だってそう言われたのですから、そう思うのが当然でしょう? 二度目の人生だって、ヤトだけが助かって、俺は処刑された。そんなに俺ばっかり上手くいかないなんて。おかしいじゃないですか!」
綾人は困惑していた。二人で仲良くしていた事しか知らないのに、自分がイトを嵌めたとはどういう事なんだろうか。あの夢の後に、何か重大なことがあったということなのだろうか。
でも、綾人にはその記憶が全く無い。そんなに重大なことを、そう簡単に忘れるものだろうか。
「貴人様。どういうことですか」
綾人は、貴人様の後ろから声をかけた。だが、イトがどう動くかわからない限り、貴人様は振り返ることもできない。
ただそれでも、綾人の声に不安と決意が入り混じっているのは分かった。
「イトが俺を狙っていて、そのせいで他の人が巻き込まれていたんですよね? 川村くんは、俺からウルを引き剥がすためだけに利用されたんですよね? だったら、俺には真実を知る義務がありませんか?」
綾人の言葉を聞いても、貴人様はすぐには答えなかった。目を閉じて唇を硬く結び、苦しそうに逡巡している。
「綾人……話している最中に記憶が全て戻る可能性もある。その恐ろしさを、お前はわかっていない。もしそれが自分の心を壊すことになったら……」
「それでも知りたいです! 他の人はメチャクチャに傷つけられているのに、自分だけ無傷でいるのは俺は嫌です!」
転生を繰り返し、少しずつ更生されたことで、今世の綾人は正義感に溢れていて、頑固だ。貴人様は頭を抱え、どうしたものかと考えあぐねていると、ずっと後ろに控えていたさくら様が前へ出てきた。
「貴人様、隠していても仕方がありません。教えましょう、全てを。イト、まずあなたの勘違いを正すべきです」
さくら様はそう言って、パッと手のひらを返すと薄紅色の水晶のようなものを取り出した。綾人は、何もないところから大きな水晶が出て来たことに驚いた。そして目を見張っていると、だんだんとその内側に映像が見えるようになり、さらに驚いた。
さくら様はそんな綾人を一瞥すると、ふわりと微笑んだ。「楽しんでいる場合ですか、あなたは」そう言って空いている方のてを水晶の上に翳した。すると、その球体の内側に人の姿がぼんやりと浮かび上がるのが見えた。
「まずは、一度目の人生の終わりを、お互いにどう迎えたのかを知りなさい」
◇◆◇
それは、男たちが体を売る茶屋の様子だった。客は男とは限らなず、時に女が買いにくることもある店だった。ただ、間違いないのは、客は全て裕福な家の者だということ。
一般的な遊郭で女郎と遊ぶよりも数段高くつく、陰間茶屋柳家。この場には、上流の人間しか立ち寄れない。
どうやらこの日は、以前綾人が夢で見た日よりも後のようだった。薄紅色の花がたくさん咲いている。空は水色で、抜けるように高い。たくさんの人が見守る中、綾人は綺麗に着飾り迎えの車に乗って去っていく。
その後ろ姿を、イトが見送っていた。目に涙を溜めて、必死で笑顔を作っている。それを見る限り、とても仲が良かったのは間違いないようだ。
日が変わり、今度はイトが着飾っていた。イトは、紅葉の綺麗な時期の抜けるような青空の下、迎えの車に乗り、幸せそうに去っていった。
身請け先の旦那さんはとても穏やかに微笑んでいて、家族は当たり障りないながらも、拒否もしないようだった。離れに囲われることになっていたので、それに従い暮らすことにした。
数日は穏やかに過ごしたようだった。しかし、それは唐突に始まった。
ある日の夜から、旦那さんはイトに暴力を振うようになった。最初は平手打ちされるくらい。それでも驚いて呆然としていると、慌てて強く抱きしめられ、必死になって謝られた。
「何かお辛いのですか? 俺に手を挙げるくらいで気が済むなら、気にせずお好きになさってください」
そう言ったのが間違いだった。
翌日からは、地獄が始まる。
毎日、気を失うまで殴られる日が続いた。寒い季節になる頃には、殴られ続けた後「罪悪感に耐えられないから」と外に出された。「あざだらけのイトを見ていると、気が狂いそうになる。見えないところに居ておくれ」と言われた。どれほど凍えても、旦那さんのために耐えた。それくらいしか自分が旦那さんのためにしてあげられることがないと思い、ただ言われるがままに従った。
「商売が軌道に乗れば、殴らなくて済むはずだから。我慢しておくれ」
そう言われて、ひたすら耐える冬を超えた。
「はい。俺は大丈夫です。あなたがそれで幸せなら、それでいいんです」
イトは穏やかに微笑んでいた。
——こんなに穏やかだったのに、なんでここまで変わったんだろう……。
綾人がそう思いながら水晶を眺めていると、磔になったイトは目を閉じて眉根を寄せいていた。先を知っている本人があんなに辛そうな顔をしているということは、もっと酷いことがあったのだろう。
そう思うと、先を見るのが怖くなったが、貴人様にしがみつきながら見届けることにした。
そのうちにだんだんと暖かくなり、旦那さんの仕事がうまく回り始めた。言われた通りに暴力は減ってきた。あざもだんだん無くなって、元の綺麗な青年に戻って来た頃のことだった。
イトは、突然家を追い出された。
「旦那様! どうしてですか? 私が何かお気に召さないことをしたのでしたら、直しますから! 旦那様!」
必死になって叫び、旦那さんに縋りついた。すると、旦那さんはイトに一瞥もくれず、ぼそっと一言呟いた。それが、永遠にイトを縛る呪いの言葉となった。
「男はもう興味がない。お前がせめて、ヤトくらい綺麗であればな」
「えっ……?」
イトは返す言葉が見つからず、途方に暮れていた。何も言わないイトに、旦那さんは身勝手な理屈をつらつらと述べ始めた。
最初の身請け話があった時、本当なら自分のところにヤトがくるはずだったのだと旦那さんは言った。それを、ヤトが我儘を言って違うところに身請けされたと。自分は、イトには興味もなかったのだと。
「お前がいなければ、俺はヤトをもらうことができたんだ。お前なんかいなければ良かった。だから、今からでも消えてくれ」
イトはその言葉に衝撃を受け、その場にへたり込んでしまった。ぺたんと座り込んだイトを見て、旦那さんは激昂した。
「消えろと言っているのがわからないのか! そうか、それなら俺が消してやる! 毒夫は毒の中へ帰れ!」
旦那さんはそう叫ぶと、イトの髪を掴んで引きずり回した。長い髪は、土の上を引きずられる体の重さに耐えかねて、ブチブチと音を立てて切れるか、抜けていった。
「ぎゃー! お、おやめください! 旦那様! やめて……!」
痛みに耐えかねて叫ぶイトを、旦那さんは足蹴にした。イトには、それが一番痛く感じた。あの優しい旦那様が、自分を蹴ったのだという事実を、どうにも受け入れられなかった。
「うるさい! 何をしてもカンに触るやつだな、お前は! おい、誰か! こいつをあの穴に落とすぞ。手を貸せ! その方が手っ取り早い」
カッとなって捲し立てる旦那さんは再びイトを引き摺り回すと、底の見えない大穴の空いている場所まで連れて行かれた。そして、そこでまた足蹴にされ、その中……蠆盆へと落とされた。
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