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八章 彼女が彼と、住む理由。

三十二話 安らげるのは、その隣。(1)

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 彼の腕の中で眠る。
 ただし、夢の中のように裸ではなく、肌触りのいいパジャマを着て。
 それは安らぐ時間だった。
 その手は優しく触れる。擦り傷だらけの身体を避け、傷のない頬にそっと唇を寄せられれば、ふわりと心があたたまる。

「お休み」
「おやすみ……なさい」
 彼の体温も、彼の匂いも、伊都が大好きなものだ。
 だからその肩にぐりぐりと頭を擦りつけるようにして、仔狼のように寝心地のいい場所を探したとて、仕方ないのだと思う。
 寝ぼけた伊都は、ちょうどいい場所を見つけて笑顔を浮かべる。
 大きな体の彼に、全身を包まれるようにして眠る時間は至極。

「どこか、辛いところはないか」
「ううん、へいき……」
 なにせ全身に擦り傷打撲だ。それは時折、痛む事もあるけれど、十分に堪えられるような痛みだった。
 だがひょっとしたら、それは痛みに慣れた人間だからこその「平気」 であったかも知れない。多少の痛みならば、伊都は慣れている。
 
 否。忘れ去りたい過去に、痛みは慣れさせられたから。

(このぐらいなら、こんな些細な痛みなら、平気……)
 むしろ、自分を害さずに優しく寄り添ってくれるだけの人がいる事に、安心する。もうあれは過去だと、そう思えて。

 それはそれとして、伊都を抱きしめる人はほっとしたように息を吐いた。
「そうか。辛いなら俺の事など気にせず何時でも言え。伊予さんに緩和処置を教わった」
「そう……なの?」
「ああ、持つべきものは身内の識者、だな」
 ゆるく抱きしめられ、暖かい体温を分け合う二人はぴったりくっついたまま、のんびりと話す。
 その腕は暖かく、幸せで、どこか懐かしい気持ちになる。
 ……幼い頃、祖母に抱かれ眠った記憶を思い出すような。

「おかあさんと、しろがねさん。仲良くできて、よかった」
 薬のせいか眠気でゆるんでいる伊都は、ふにゃふにゃとした喋りで彼に返す。
「俺も、気さくな人でほっとした。あんたの母親なら、仲良くしたいからな」
 伊都はこっくりと頷く。
「でも、すこしだけ……やだな」
「何がだ」
「しろがねさん、とられそう」
 拗ねたように言うと、彼はくっくと笑い、伊都の頬に掛かった髪を払って口づける。
「莫迦だな、それはない。俺が食いたいのはあんただけだ」
 その優しさに、深く響く声に潜んだ不埒さに、伊都は気づくから。ほんのりと染まった頬のまま、呟くように返す。
「うん、元気になったら……おいしく、たべて」
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