上 下
5 / 220
1章:異世界、湖、ラブ・ハプニング

五話:続・異世界、お宅を訪問中。

しおりを挟む
 その巣穴は、殆ど物らしい物はなく、広々としている。あの大きな狼が住んでいるだけあって、天井も高い。壁には自然な窪みを棚のように利用して、布やら生活雑貨が詰め込まれていた。
「ふうん……。住み心地よさそうね」
 伊都はぐるりと見渡しながらそう呟く。

「あそこがなー、おいら達の寝床だ!」
 おしゃべりな仔狼……ギャンが鼻面を向ける場所を見れば、ふかふかの干し草が積まれた窪みのようなところがあった。
 あそこにぎゅっと詰まってちび達が寝ているのかと思うと、何だかほっこりする。

(うん、それは、とても素敵だわ。写真でも撮りたいぐらい)
 惜しむらくは、熊に襲われたり場所にビニール袋ごと、財布やスマホを入れているエコバッグを置き忘れたことだろう。伊都の手元には、現在何もない。

 ううん、勿体無いわと唸りながら、伊都はきょろきょろと辺りを見回す。
 壁面は色々な用途に使われているようで、大小様々な棚状の穴が空いている。
「でも、何だかおかしいわ」
「何が」
「あ、ううん。大した事はないのよ。ただ……」
 若い狼の声に、伊都は首を振る。
「ただ、人の手が入ったような場所があるのは何故なのかしら、って」

 風雨で刻まれた穴にしては手が掛かり過ぎているというか、人為的なものを感じるのだ。

(まあ、低い位置ならこの子辺りやジルバー似の狼さん辺りなら使えるでしょうけど。あの三段棚とか、上の方は立ち上がって使うの? 不便ではないかしら……ちびちゃん達のイタズラ防止?)
 下段には干し草を丸めたようなボールや、縄状の遊具が。上段には様々なガラクタが置かれている。
 鍋っぽいものはあるが、それはひどくデコボコしていて使用に耐えるのかと首を傾げるところで。

 それに、と、ふと思う。
 普段の煮炊きは、どうするんだろう。
(あ、動物だもの、生で食べるんだよね……生、か。私、ご飯のお相伴したらお腹壊しそうね)
 当たり前だけれどワイルドだな。と伊都は思った。

 伊都は興味に惹かれ、更に奥へと視線を向ける。
 とてつもなく違和感を感じるものがあった。

 洞窟の中に、なぜか大きなベッドがある。
 干し草を積んで、洗い晒しのシーツを掛けただけの、アルプス辺りに住んでる女の子が使っていそうな、あのベッドだ。

(ええ、と。人間も来るの? このもふもふパラダイスに? あ、魔女は人型なんだから、お友達が来るのかも知れないわね。なるほど、それなら納得だわ)
 それならば、人の手が加わった理由も分かる。魔女辺りが自分の使い易いように工夫したのだろう、と。

「本当に、絵本の世界みたいだわ……」
 伊都は呆然と呟いた。
 この世界では、当たり前に言葉を話す動物と、人型の魔女が共生しているのだ。
 思えば、随分と不思議な世界だ。

(まあ、童話の中の事だし、ついでに私の夢ですし)
 色々、ファンタジーでもそこは気にしない方がいいのだろう。

 ジルバーそっくりの狼、そのライバルそっくりの熊に、魔女役の伊都。
 役者は揃っているのだ。
 だから、多少背景がおかしかろうが、この世界を楽しんだ方が勝ちだ。


 足元をちび達に囲まれこそばゆく思いつつ、物思いに耽ってぼんやり佇んでいたら。
 そこで、若い狼が「お前熊臭い」 と、失礼な事を言い出した。

「く、臭い?」
「そうだよ、あんただ。さっきから嫌な臭いしてると思ったら。縄張りにあの熊の臭いとか、最悪過ぎる」

 濡れた鼻面を太ももに押し付けるようにして、ふんふんと嗅いでくる若い狼に、伊都はちょっぴりムカっときた。

「に、臭い嗅ぐとかやめて」

 しかし、言われてみれば、思い当たる事がある。
 目が覚めてすぐに遭ったあの熊に、執拗に舐められたな、と。
 中年親父のセクハラめいた、女性の恐怖を楽しむやり口は本当に嫌悪を覚えるものだった。
 ……あいつ、嫌いだわ。まるで『あの人』 みたいで。そう内心で呟いた時……命の危機を感じたあの瞬間を思い出し、鳥肌がぶつぶつと立って、震えが止まらなくなった。

「なんだ、どうしたっ? ねえちゃん」
 前脚をスキニーパンツに掛けて立ち上がり、伊都を心配する健気なギャンの甲高い声が響くが、生理的嫌悪と恐怖にガタガタと震える身体は止まらない。

 そんな、一人と一匹の様子も気にせず。

「熊の臭いが巣に付くとかやだし。お前、水浴びろ」
「え?」

 マイペースな若い狼は鼻面に皺を寄せたまま、伊都をその前脚で上手いこと転がし。

「……はい?」

 ひょいと襟首を捕まえられたかと思えば、乱暴に彼の背中へと投げ飛ばされた。
 魔女相手にでも練習したものだか、これが上手い具合に、彼の背に乗るのだ。

 ドサリと落ちた、その瞬間。

「よし、しっかり掴まってろよ」
 そのまま、彼は走り出した。行き先も告げずに。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

出生の秘密は墓場まで

しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。 だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。 ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。 3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

純白の檻に咲く復讐のバラ

ゆる
恋愛
貴族社会で孤独と屈辱に耐えながらも、自分を見失わずに生き抜こうとするヒロイン・ジュリア。裏切られた過去に縛られ、愛を信じられなくなった彼女の前に現れたのは、幼なじみのレオナルドだった。彼の誠実な想いと温かな支えに触れ、少しずつ心を開いていくジュリア。 屋敷を拠点に新しい活動を始め、支援を必要とする人々に手を差し伸べることで、自分自身の人生を取り戻していく。純白のバラが咲き誇る庭で、ジュリアが見つけたのは過去を乗り越える強さと、共に歩む未来だった――。 裏切り、再生、そして真実の愛。困難な運命を乗り越え、自らの力で未来を切り開くヒロインの物語。

処理中です...