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一章:とらわれ姫様、塔を脱出す

十話:悪知恵者は主人の怒りに怯える

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アレハンドラが山を越え、隣領の町へと着いたその頃、領地では……。

「……さて、困りましたな。そちらのお嬢様は今は亡き若君の子守役として仕えられていたと記憶しておりますが、何故そうも頑なにアレハンドラ姫と会わせて頂けないのでしょうか?」

それはクエヴァ子爵家の領主館内、貴賓室での一幕。
元が王族の隠し胤の降嫁の為整えられたからか、女性的で優美な家具が置かれたその部屋は、今重苦しいほどの空気に包まれていた。

「私は第一王子殿下より直接書簡を預かってきております。まさか、このままこのよく似た何方かをアレハンドラと言い張るおつもりですか? 王家を謀り殿下からの書簡を掠め取ろうなどという姑息な事を、なさると仰る?」

王都からの使者はアレハンドラとよく似た二十歳ぐらいの女性……ハビエルの姉であるバネサを前にして、子爵のみに視線を固定し詰問の態勢だ。
現子爵は、前領主であるアレハンドラの祖父母時代女児にしか恵まれなかった為に、親戚筋から養子として迎えられた者である。
彼は王家筋の姫が見初めた当時男爵子息であった者の血筋で、その身には一滴も王家の血が流れていない。それは横に並ぶ子爵の兄弟の娘にも該当する訳で……。
王都の使者が憤慨するのも当然だと言えた。

「ご冗談も程々に。もう二日もこうして話し合いならぬ化かし合いを延長している訳ですが、私は殿下に本物・・のアレハンドラ姫からの返信を持ち帰らねばならぬのです」

その話し合いを見ながら、偽物の姫の座る椅子の斜め後ろで青ざめている男があった。バネサの騎士であるサンス……ハビエル曰く「悪知恵の利く」 騎士が彼だ。

……本来ならばあの日、塔へ向かい脆弱な娘一人を消すだけで終わった筈の話。
簡単な筈だったのに、夜半に迎えばそこはもぬけの空。見つからない本物の為に、己の主人が追い詰められている様をすぐ側で見続けなければならないという苦行を、この二日サンスは続けている。
王都からの使者は、どうしてだか塔へ閉じ込められたアレハンドラの今の容姿を明確に知っているようで、摩り替えられた次期領主バネサには見向きもしない。

(それはあり得ない、事なのに。何故)

彼らの中にあるのは四年前の幼いアレハンドラの姿の筈で、元々が似ていた従姉妹のバネサを成長した彼女と偽っても、特に違和感を覚える事はない差異で済む筈であった。
背丈や容姿にしてもそれは誤差の範囲に収まる。

(だが、この二日の問答を見るに、使者殿は確信を持ってバネサ様を偽物と断じているようである)

主人が内心に荒れ狂っているのがその震える肩から伝わってくる。
それはそうだ。これまではそのアレハンドラに似た、実物の姫より少しばかりきつい美貌を笑みに緩ませ、言葉の飴と鞭を駆使して何もかもを掌握していたのだから。
そして、それはあとほんの少しで成される筈だったというのに、ここに来て躓いた。

「本当に、姫様はいずこに?」

何度目かの質問。使者はあからさまにバネサを無視し青ざめた顔の領主に詰問する。その度に、バネサは手にした扇をへし折らんばかりに憤っていた。

サンスはこの後を考えると絶望しかない。常には甘い言葉で人を操る女傑は、その下に隠した激情を特別とばかりに男を言葉の刃にて切り刻むのだから。

『流石は私の騎士』

と優しく言ったそのすぐあとに、

『忘れたの? 本来は騎士などになれぬ貧弱なお前をわたしが引き立ててやったのよ。出会った頃……お前はこの領で尤も騎士に向かぬ病がちな少年だったわね。騎士になどなれぬお前を、お前の望みを叶えてあげたわたしの期待を、何故お前は裏切るの』

と、そのきつい眦を釣り上げ突き放す。
実際は、長じるにつれ丈夫な身体になったサンスの努力は実りつつあった。ただ、見習い時の基礎教練で長年の病の影響に体力に劣った彼が、騎士の選抜から弾かれたというのが真相だ。
あと一年、真面目に体力作りをすれば受かっただろうという、それだけの事。
だが、選抜の詳細は当時上官であった彼女の信奉者が握り潰してしまった為に、彼がその真実を知る事はない。
女傑の術中に落ちた彼は、だからこそバネサの言葉を跳ね除けられない。努力して努力して、それでも落ちた試験という事実の為に。

『貴方は誰にも愛されぬ、親にすら見放された可哀想な子。出来のよい後継の兄と比べられていつもわたしに泣きついていたものね? 身体も弱く、騎士試験にも落ちてしまった貴方をとうとうご両親も見限ったわ。ねえ、そんな時に拾い上げたのは誰? わたしよね。ねえ、わたしが貴方を捨てたとして、わたし以外の誰が貴方を重用する? ……やはり見込み違いだったのかしらね。可哀想な、サンス』

そう、バネサは人の心をじわじわと毒混じりの言葉で折る。

『貴方はわたしの騎士では、なかったのかしら。フリッツにしておけば良かったのかしら』

己が剣を捧げた主人に他の騎士を選ばれる。それは騎士にとってどうしようもない程の屈辱だ。

(……あの筋肉バカめ、ちゃんとあの娘を殺したろうな。一体今は何処にいる? 役に立たない奴だ。早くバネサ様の為に本物を見つけて死亡を確認しろ。そう、お前がその手で殺して、そしてバネサ様を本物の姫にするのだ)

それは無理だと、賢いサンスが分からない訳はない。だが彼の理性は己の主人から見限られるという恐怖に凍りついてまともに動かないのだ。

(皆に愛されるバネサ様が正式な後継者となれば、子爵家もきっと素晴らしいものになる……だから早く、早く、早く、あの娘の首を此処に)

彼の焦燥はいよいよ強くなり、その妄想はかの不幸な姫君の無惨な死を望むまでに至る。
……そんな事が現実となれば、子爵家のみならず一家断絶の危機となるであろうに。
血が全ての貴族において、血統を無視して後継を決めるのは余程の事がない限り続かないものだ。
それでなくとも、現在の子爵自身が養子である以上、一度は血統を正さねばならないのだから。
サンスが内心で毒づく間にも、貴賓室では話が続いている。

「いやはや困りましたね。どうやら、今日も本物の姫にはお会い出来ないようです」
「いえ、あの……偽、という訳では」
「ええそうです、わたしがアレハンドラです」

とうとう、しびれを切らしたバネサが声を上げるも、その言葉は使者により無視された。
彼が見つめるのはただ一人。

「ほう、子爵はこのよく似たお嬢さんがまさか姫であると仰る? それは王家より任じられた私を本気で謀るという事ですね」
「あ、いえ……そうではなく」

使者は確信を持って語る為、差し向けられる言葉に子爵は偽の姫を押し出す事が出来ない。
煮え切らない話し合いに、いよいよ焦れたバネサはギシギシと扇子をしならせている。

「……話も長引きましたし、本日はここまでで。ではまた明日、同じ刻にお伺い致しましょう」

……王都からの使者は、主人の神経を逆撫でするような穏やかな声でそう告げ、とうとうバネサを一度も見る事なく貴賓室から出て行った。
静かな部屋に、扇子をへし折る乾いた音が響く。

「サンス、どうした事なの。あの女はまだ見つからないの」

主人は己の騎士を振り返る事もなく、折り飛ばした扇子を彼の方へと放りながら言う。

「は、あの夜から仲間が追っているのですが……済みません」
「あらそう。やはりわたしは間違えて貴方を選んでしまったのかしら、ねえわたしの騎士? ……わたし、これでも貴方を大事に思っているのだけれど、流石に困るわ。やはりまだ身体が落ち着かないの? ご実家へ帰って長い休みを取った方がいいんじゃないの」
「いえ……もう身体は平気ですので。ご心配をお掛けします」
「おかしいわね? ならば何故あの日貴方は仕事を完遂出来なかったのかしら。心配ね、こんな簡単な仕事も出来ないなんてやはり騎士には向いていなかったのでは」
「も……申し訳ありません。もうすぐ良い知らせが……アレハンドラ殺害の報が届く筈ですので!」
「ちょっと、声が大きいわ。誰かに聞かれたら外聞が悪いわよ。まあ、あの使者に聞かれない限り問題はないけど。そこまで言うなら楽しみにしているわよ、ねえわたしの騎士」
「はい、必ず……!」

その会話を、扉の外で聞いている人影がある事も知らずに、主従は危うい会話を繰り広げていた。

「……はてさて、話の様子だと今は上手いこと逃げおおせているようだが、そろそろ本気で相手が追いかけるならアレハンドラ様に護衛を付けねばなあ……地上の伝手は少ないのだが、ま、何とかするか」

そう一人ごちながら使者は歩き出す。
その屋敷自体も女性的な優美な造りの領主館。廊下を覆う絨毯は使者の靴音を隠す。二階のゲストルームまで戻った使者は、書き物机のペンを取り何事かを羊皮紙の小片に書きつけて金貨を何枚か包むと、書き物机の側の窓を開いた。
使者の乾いた口笛に寄ってくる猛禽が窓辺へ停まれば、彼はその首に提げられた小さな袋に羊皮紙を押し込む。

「よし、あの芸人達は覚えているな? そう、お前の友達のいる所だ。そこまでお使いに行ってくれ。帰ってきたらたらふく好物をくれてやる」
「ピイ!」

……使者の放った猛禽は、昼の空へと飛び立っていった。
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