貧弱の英雄

カタナヅキ

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最終章

第1034話 飛行物体

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――黒蟷螂を倒した後、テンは負傷者の治療を行う。重傷者も多く、特にアリシアは右腕を切断されてしまった。一応は回復薬で右腕は無事に繋がったが、本人は難しい表情を浮かべていた。


「アリシア、腕の様子はどうだい?」
「……駄目ですね、まだ完全には繋がっていません。腕に力が入りません」


アリシアは右腕に力を込めようとしても上手くいかず、剣を握りしめる事もできなかった。それでも右腕が完璧に繋がったのは不幸中の幸いであり、練習すれば右腕の感覚も取り戻せると思われた。

負傷者の治療を行いながらもテンは黒蟷螂の死骸に視線を向け、念のために魔物使いの紋様が刻まれていないのかを確認する。案の定、背中の部分に「鞭の紋様」が刻まれており、これで黒蟷螂を操っていたのは魔物使いのアンだと確定する。


「やっぱりこいつも操られていたようだね……けど、この化物がここに現れたという事はアンの奴も近くに居るという事かい?」
「恐らくは……」
「だが、どうして奴はこの化物を飛行船に送り込んできた?この飛行船を破壊するためか?」


ランファンの言葉にテンは腕を組んで考え込み、状況的に考えて黒蟷螂を飛行船に送り込んだのはアンである事は間違いない。しかし、アンの目的の意図が分からなかった。


(飛行船を破壊してあたしたちの退路を断とうとした?けど、下手に魔物を送り込めばアンの奴だって私達に気付かれる事は分かっているはず……)


黒蟷螂が現れた事で既にアンがムサシ地方へ辿り着いている事は判明したが、わざわざ飛行船を襲った事にテンは疑問を抱く。討伐隊が王都へ帰還する方法を絶つために飛行船を黒蟷螂に破壊させようとしたとしても、たった一匹の黒蟷螂だけで飛行船を破壊するつもりだったのかと考えると腑に落ちない。


(何か気になる……こういう時のあたしの勘は外れないから面倒だね)


倒した黒蟷螂の死骸を確認しながらテンは考え込んでいると、傍にいたアリシアが何かに気付いたように振り返る。彼女はエルフであるため他の人間よりも聴覚が優れており、遅れてエリナやルナも気付く。


「この音は……?」
「あれ、何か聞こえませんか?」
「聞こえるぞ!!小さいけど……いや、どんどん大きくなってる!?」
「何だい急に……何が聞こえるんだい?」


テンは三人の反応を見て自分も耳を澄ましてみると、確かに音が聞こえてきた。徐々に音は大きくなり始めており、しかも何処かで聞き覚えのある音だった。


(この音は……飛行船?いや、そんな馬鹿な……)


聞こえてきた音の正体がが動く際に聞こえてくる音と似ており、噴射機から火属性の魔力が放出される時の爆音と酷似していた。まさか王都に残してきた新型の飛行船がここまで追いかけてきたはずがなく、音の正体を確かめるためにテンは空を見上げる。

飛行船はこの世に二隻しか存在せず、その内の一つは現在テン達が乗っている。もう一つの方は王都の造船所にて保管されているはずであり、とても飛べる状況ではない。第一に飛行船を運転できる人間はアルト以外には存在しない。


(こっちに近付いている!?)


それでも確実に音は大きくなり始めており、確実にテン達の元へが接近していた。嫌な予感を覚えたテンは甲板に立っている人間達に注意した。


「あんた達!!すぐにここを離れな!!船内に居る奴も避難させるんだよ!!」
「えっ!?」
「急にどうしたんだテン?」
「分からない!!けど、ここにいると嫌な予感が止まらないんだよ!!」


テンの発言に他の者たちは驚くが、彼女の鬼気迫る表情を見て只事ではないと判断し、すぐに彼女達は従う。テンは何が近付いているのか分からないが、一刻も早くここを離れなければならないと思った。

彼女の判断に従って甲板に居た聖女騎士団は船から降りようとしたが、この時に空の上から轟音と共に赤色の物体が接近してきた。最初にそれを見た者は「隕石」か何かかと思ったが、その正体は隕石などではなく、超高速で落ちてくる「ゴーレム」である事が判明した。



――ウオオオオオッ!!



凄まじい勢いでゴーレムは飛行船の甲板に目掛けて突っ込み、それを見たテン達は呆気に取られた。そしてゴーレムが甲板に衝突した瞬間、強烈な振動が飛行船を襲い、甲板に立っていた者達はその衝撃で吹き飛び、湖に落ちてしまう。


「ぶはぁっ!?」
「あぷっ、あぷっ……お、溺れるぅっ!?」
「ルナさん、大丈夫ですか!?」
「しっかりしろ!!岸まで泳げっ!!」


湖に落とされた聖女騎士団は何が起きたのか分からず、混乱しながらも岸部に向かう。テンは移動の際中に飛行船の様子を伺うと、甲板の方から煙が舞い上がっていた。そして甲板にてゴーレムの咆哮が響く。



――オオオオオオッ!!



飛行船の船首に漆黒の金属の塊のような物で構成された「ブラックゴーレム」が出現し、その姿を見たテンはナイがグツグ火山で遭遇し、そして白猫亭を襲ったというゴーレムの事を思い出す。


「あ、あいつは!?」
「そんな……どうしてここに!?」
「な、何ですかあの黒いゴーレムは……」
「早く岸に上がれ!!」


テン達は慌てて岸辺に移動すると、ブラックゴーレムは飛行船の船首から彼女達の様子を伺い、船から飛び降りてきた。テンは咄嗟に武器を構えようとしたが、いつも背負っていた退魔刀がない事に気付く。


(しまった!?落ちた時に湖に……それとも甲板に落としてきたのかい!?)


どうやらブラックゴーレムが飛行船に衝突した際にテンは退魔刀を手放してしまい、他の者も同じなのか全員が武器を持ち合わせていない。そんなテン達に対してブラックゴーレムは咆哮を放つ。


「ウオオオオオッ!!」
「くっ!?」
「何という気迫……」
「こ、こいつ……強い」


聖女騎士団の中では怖いもの知らずのルナでさえも威圧されるほど迫力をブラックゴーレムは放ち、そのあまりの気迫にテンでさえも冷や汗が止まらない。

状況は最悪で今のテン達は黒蟷螂の戦闘の疲労が抜けておらず、しかも頼りになる武器や防具も持ち合わせていない。テンはこの状況でブラックゴーレムが襲撃を仕掛けてきた事から魔物使いのアンの仕業だと確信する。


(くそ、あのガキ……何処かで私達の事を見ているのかい!?)


黒蟷螂を倒した途端に都合よく現れたブラックゴーレムにテンは焦り、ほぼ間違いなくアンは飛行船の様子をどこからか伺っていた。もしかしたら近くで隠れて様子を伺っている可能性もあるが、今のテン達はブラックゴーレムの対処で手一杯だった。


(退魔刀があれば……いや、泣き言を言っている場合じゃないね。まずは飛行船に戻って武器を回収しないと……)


幸いというべきか飛行船の方は甲板で煙は上がっているが大破は免れていた。この飛行船は特別に頑丈な木材で構成されており、ブラックゴーレムの突進を受けても壊れなかった。

ブラックゴーレムに対抗するには武器が必要不可欠であり、誰かが甲板に移動して武器を調達する必要があった。しかし、調達するにしてもブラックゴーレムを振り切らなければならず、テンは自分が囮役になってでも他の者たちに武器の回収に向かうように指示を出す。


「こいつの相手はあたしがする!!あんた達はさっさと船に戻って武器を取ってきな!!」
「テン!?」
「一人では無茶です!!私も……」
「いいから行きなっ!!」


テンはブラックゴーレムに向けて駆け出し、素手の状態で殴りつけようとした。自分でも無謀な行動だとは分かっているが、それでもブラックゴーレムの気を引くために彼女は拳を振りかざす。


「おらぁっ!!」
「フンッ!!」
「なっ!?」


しかし、ブラックゴーレムはテンの振り翳した拳に対して冷静に対処し、彼女が近付く前に右足を地面に叩き付ける。その衝撃で地面の一部が崩れてテンは足元がふらつき、その隙を逃さずにブラックゴーレムは掌底を繰り出す。


「ゴアッ!!」
「がはぁっ!?」
「ぐはぁっ!?」
「テン!?ランファン!?」
「そ、そんなっ!?」


掌底で殴り飛ばされたテンはランファンの元まで吹き飛ばされ、巨人族である彼女も巻き込んで二人は地面に倒れ込む。テンもランファンも聖女騎士団の中では大柄だが、ブラックゴーレムは軽々と二人を吹き飛ばす。

地面に倒れ込んだ二人の元に他の者たちが駆けつけ、アリシアはすぐに殴りつけられたテンの様子を伺うと、彼女の胴体にブラックゴーレムの叩き込まれた箇所が陥没していた。聖女騎士団の中でも頑丈な身体のテンでなければ死んでいたかもしれず、ブラックゴーレムの怪力を思い知らされたアリシアは顔を青くする。


(なんて膂力……それにテンが攻撃を仕掛ける前に体勢を崩すなんて、まるで格闘家の動きじゃないか!?)


ブラックゴーレムはテンが攻撃を仕掛ける前に相手の体勢を崩し、敵が隙を作った瞬間を逃さずに打ち込んできた。その動きはまるで一流の格闘家を想像させ、以前に白猫亭で襲撃を仕掛けた時よりも確実に強くなっていた。
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