貧弱の英雄

カタナヅキ

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ゴブリンキングの脅威

第473話 逃げた先には……

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――下水道を抜けて街の外に抜け出した人々は、ニーノの街へ向けて移動を開始していた。だが、ニーノまでは馬で移動するにしても二日は掛かるため、夜通し歩き続けたとしても目的地には辿り着けない。

唯一の幸運はゴブリンの軍勢の影響で周辺地域の魔物達は狩りつくされており、道中で魔物に襲われる心配はない。イチノを包囲していたホブゴブリンは周辺地域の魔物を餌として狩りつくしていた。

しかし、いくら魔物に襲われる心配はないとはいえ、逃走を行う人間の中には子供や怪我人も多く、途中で歩くのを辞めて立ち止まる者もいた。


「も、もう歩けないよ……少し休もうよ~」
「わがままを言うんじゃない!!ここに残ったらゴブリンに殺されるだぞ!?」
「う、うわあああんっ!!」
「泣くな!!泣いたって……しょうがないんだから……」


一刻も早くイチノから離れて別の街に避難しなければならない状況だが、精神的にも体力的にもイチノの人々は限界に追い込まれていた。逃走する人間の中には陽光教会から離れた修道女の姿もあり、その中にはインの姿もあった。


「はあっ……はあっ……」
「あんた……大丈夫か?顔色が悪いぞ」
「へ、平気です……」


インは他の人間から見ても明らかに普通の状態ではなく、以前と比べても痩せ細っていた。連日に怪我人の治療のために回復魔法を酷使してきたせいで体力は残っておらず、そんな状態で歩き続けたせいで更に少ない体力が削られてしまう。


(どうして、こんな目に……)


歩き続けながらインは自分が陽光教会を離れた事が本当に正しい事なのか悩み、少なくとも教会に残っていれば魔物から襲われなかった。だが、魔物に襲われずとも救助がいつ来るかも分からない場所に残り続けるなどインにはできなかった。

仮に陽光教会に残っていたとしても食料や水の問題があり、魔物に襲われずともいずれは食料も水も尽きれば後は死を待つだけである。下手をすれば少ない食料と水を奪い合うために殺し合いに発展するかもしれない。


(ああ……死にたくない)


遂には体力の限界を向けたインは膝を突き、立ち上がれなくなった。涙を流す水分さえもなく、自分はこのまま死ぬかと思った時、彼女に水筒を差し出す人物がいた。


「これを飲みなさい」
「えっ……あ、ありがとうございます!!」


何者かは知らないがインは渡された水筒を有難く受け取り、そのまま飲み込む。水は少し生ぬるかったが久しぶりの飲み水に彼女は感動し、無意識に涙を流す。

水分を補給した事で彼女は少し落ち着いたのか礼を言おうとすると、水筒を差し出した相手を見て驚く。それは彼女も顔を知っている人物であり、半年前まではよく陽光教会に尋ねていた人物だった。


「貴方は……」
「ほう、儂の事を覚えておったか……」
「へえ……なら、俺の顔も覚えているか?」


水筒を渡した人物はイーシャンに肩を貸して貰ったドルトンであり、彼女は信じられない表情を浮かべた。ドルトンはインの事を覚えており、ナイを尋ねに陽光教会に訪れた時はよく顔を合わせていた。


「久しぶりじゃな、お主もまさかこうして顔を合わせるのは半年ぶりか……」
「何故、助けてくれたのですか……」
「ん?」
「私は……貴方達に嫌われていると思っていました」


インはドルトンやイーシャンが陽光教会に訪れる事をあまりよく思っておらず、彼等が陽光教会に尋ねに来る理由はナイに会うためである。

村を失い、家族と友達を全て失ってしまったナイはイチノの陽光教会で保護する事になった。本来ならばしかるべき場所で隔離するはずだったナイだが、ヨウの提案で彼はイチノで預かる事になった。

この時にインはナイを教会に置く事を反対し、彼を隔離するべきだと主張した。忌み子であるナイが他の人間と関わる事を彼女は良しとせず、彼にも厳しく接していた。そして彼の事を気にかけるドルトンとイーシャンに対してもあまり良い感情を抱いておらず、きつめに対応をしていた。


「毎回顔を会わせる度にあんたによく言われたな。ナイはいずれ教会を離れる事になるんだから、未練が残らない様に顔を出すのを辞めてくれ……だったか?」
「儂も似たような事を言われたのう。ナイに対しても儂等と会う事をよく叱っておったな……」
「うっ……知っていたんですか。では、どうして私を助けてくれたのですか?」


二人の言葉を聞いてインは罰が悪い表情を浮かべ、正直に言えばドルトンもイーシャンも彼女の事は苦手だった。それでも彼等が彼女を救った理由、その答えを聞いたインは言葉を失う。


「目の前に困っている人間がいる、助けるには十分な理由じゃろう」
「あんたの事は嫌いだが、だからといって助けられる人間がいるのに助けないなんて人でなしのような真似はしねえ……それだけの話だ」
「っ……!?」


インは二人の言葉を聞いて目を見開き、彼等は水筒を受け取りもせずに先を歩く。その姿にインは何も言い返す事が出来ず、愕然とした。


――困っている人を助ける、口にするのは簡単だが実行できるかどうかは話は別である。インが修道女になった理由、それは彼女の出生に関わっていた。

まだ赤ん坊の頃にインは孤児院の前に捨てられ、彼女は実の両親の愛情を受けずに育った。孤児院に居た頃に彼女は魔法の才能がある事が発覚し、孤児院の経営者の知り合いが陽光教会の司祭であり、小さい頃に彼女は陽光教会に預けられる。

表向きは孤児院の経営者が彼女の才能を惜しんで陽光教会に託した事になっているが、真実は違った。インは孤児院の中では浮いた存在であり、経営者からも快く思われていなかった。

インとしても居場所がない孤児院で暮らすよりは新しい場所で自分の才能を磨きたいと思い、陽光教会の元へ喜んで訪れる。その後は立派な修道女になるように教育を受け、回復魔法を身に着ける。

両親から捨てられ、孤児院からも半ば追い出されたか形のインの居場所は陽光教会だけであり、彼女は必死に勉強して成人年齢を迎えた時にはイチノのヨウの元へ世話になっていた。



ヨウは陽光教会の中でも有名であり、普通の人間とは異なる雰囲気を纏っていた。インは彼女の元で勉強すればいずれ自分も今よりも上の立場に立てると思い、ヨウが管理する教会へと赴く。

しかし、実際のヨウは司教の立場でありながら忌み子であるナイが来た時も育て親から引き剥がそうともせず、後にナイが自らの意志で訪れても教会の本部へ報告を行い、特別な許可を得て彼を自分の傍に置いておく。

インはヨウの事を尊敬していたが、ナイに関わる彼女の行動だけは理解できず、どうしてヨウがナイの事を特別視するのか意味が分からなかった。本人に何度も問い質したが、結局は何も答えてくれない。



最終的にはナイが陽光教会を自らの意志で出て行く際、ヨウは彼に貴重な水晶板のペンダントを渡して旅に出した。その一件が切っ掛けでインはヨウの事を尊敬する師ではなく、教会の理念に背く存在だと捉える。

この事はインは教会本部に伝えるべきかと思ったが、これまでに世話になっていた恩もあるため、敢えて黙っていた。しかし、彼女はもうヨウの事を尊敬せず、近々教会を離れるつもりだった。


(私は間違ってなんかいない……)


時は現代に戻り、ドルトンから渡された水筒を握りしめながらインは虚ろな瞳で他の人間と共にニーノの街へ向けて歩く。先ほどのドルトンとイーシャンに言われた言葉を何度も思い返し、彼女は頭を抑える。


(困っている人を助けるのは当たり前……なのに、私はあの子を見捨てようとした?)


ホブゴブリンによって村が壊滅した後、ナイは陽光教会の元に訪れた時は酷い状態だった。虚ろな瞳で碌に喋る事も出来ず、誰がどう見ても危険な状態だった。ナイが戻って来た時、インもその場に居た。

あの時のナイの姿を思い出すだけであまりにも哀れで可哀想な子供だった。まるで子供の頃の孤児院に居た頃の自分を思い出すようで、インは彼と関わる事を控えた。しかし、ヨウは見捨てずにナイを教会へ引き取り、優しく接する。

インは何度もナイを教会本部へ送り込み、彼を隔離するべきだと言った。だが、それはもしかしたら彼の姿が孤児院に居た頃の自分と重なり、見ていられなかった。だから彼女は必要以上にナイに冷たく当たってしまった。



――ドルトンとイーシャンに優しくされた事でインは気づいた。自分はナイに対して過去の自分を思い出すのが嫌で八つ当たりをしていただけに過ぎず、本当ならばヨウのように優しく接して彼の心を癒すべきだったのではないか、今更後悔しても遅いが無意識にインは涙を流す。



歩きながらインは自分の行動を振り返り、修道女になった理由は孤児院に居場所がなく、他に選択肢がなかっただけである事、ヨウのように立派な人物になりたいと思いながら、結局は彼女の優しさを理解できずにいた事、何よりも忌み子だからとナイの事を警戒し、過去の自分と重ねて彼に嫌悪感を抱いてた事を思い知る。

自分の行動を振り返る度にインは歩みが遅くなり、今の自分が全て失った事を思い出す。生き残るために自分の唯一の居場所だった教会を捨て、ヨウの元から逃げてしまった。それはつまり、インは自らの意志で居場所を捨てた事になる。

手にしていた水筒を落とし、中身が地面に流れる。この時に地面に水たまりができると、インは水たまりに映った自分の顔を見てあまりの酷い姿に足を止めてしまう。


(私は……間違っていた)


今更ながらにインは自分が人として間違った行為をしていた事を自覚し、大粒の涙を流す。そんな彼女の元に近付く影が存在し、誰かがインの服を掴む。


「お姉さん、どうしたの?どこか怪我したの?」
「えっ……?」


インは振り返ると、そこには子供の頃のナイとよく似た少年が立っていた。彼の傍には家族らしき姿は存在せず、インは尋ねる。


「坊や、お父さんとお母さんは?」
「……はぐれちゃった。でも、ここに来ればお父さんとお母さんに会えるよって、兵士さんが言ってくれたの」
「そんな……」


少年の言葉にインは全てを悟り、恐らくは彼の両親はもういないのだろう。だが、彼を見つけた兵士が少しでも少年に希望を持たせるために嘘を吐いたのだ。

まだ幼いながらに少年はたった一人でここまで歩いて来たらしく、よくよく見たら少年は裸足だった。歩いている途中で怪我をしたのか血が滲んでいるが、両親に会いたい一心で彼はここまで歩いてきたのだろう。それを知るとインは無意識に手を伸ばす。


「坊や、怪我をしているのね……見せて頂戴」
「え?」


インは少年のために残り少ない回復魔法で少年の足の怪我を治してやると、少年は痛みが消えて驚いた表情を浮かべる。一方でインは胸元を抑え、顔色を悪くしながらも少年に告げた。


「もう大丈夫……痛くないでしょう?」
「うん、ありがとうお姉さん!!」
「いいえ、お礼なんて言わなくていいわ……」
「お姉さん……泣いてるの?何処か痛いの?」
「う、ううっ……」


素直に感謝の言葉を継げる少年をインは抱きしめ、感謝の言葉を聞けただけでも胸いっぱいだった――
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