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解決編

48.

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(side 切藤蓮)

引き寄せた晴を、強く掻き抱いた。

狂おしい程に焦がれたその体温が、春の陽射しのようにじんわりと広がって。

凍り付いていた心を、雪溶けのように溶かしていく。

モノトーンだった世界は鮮やかに色付き、懐かしい匂いに胸が締め付けられて。

自分が生きていると言う事を、久しぶりに実感した。

幸福とか喜びとか、忘れていた感情が一気に膨れ上がって。

言いたい事も、言わなきゃならない事も山程あるのに。

どれも言葉にならなくて、ただ腕の力を強めるばかりだ。

「ッ…」

晴が身動きする気配があって、ハッとした。

名残惜しく感じながらも身体を離そうとすると、首を横に振って縋り付いてくる。

愛しさがとめどなく溢れて、胸が詰まった。

そのまま抱き締めてしまいたいのを堪えて、優しく晴の身体を離す。

あぁ、ほら。

そんな泣きそうな顔すんな、確認するだけだから。

「晴、何処が痛い?」

さっき漏れた声は、痛みを堪えるものだった。

よくよく見ると、耳の横からこめかみに掛けてが少し赤くなっている。

そこを指先で撫でると、晴が目を逸らした。

「こ…転んだ時に打っただけ。」

これは何かを隠してる時の表情だ。

「晴?」

「…ここらも、ぶつけたかも…。」

諭すように名前を呼ぶと、観念したように答える。

その手が、服の上から薄い腹の辺りを撫でているのを見て、肝を冷やした。

「ちょっと触るからな。」

患部をゆっくり押すと、痛そうではあるが我慢できない程ではないらしい。

内蔵は大丈夫そうだが、念の為に検査は受けさせねぇと。

そう思いながら服の裾を捲り上げて、息を呑んだ。

白い肌にクッキリと浮かび上がる、赤黒い

ぶつけたんじゃなく殴られたんだと悟った瞬間、ブツリと頭の中で音がした。


どれほど怖かっただろう。

過去に自分を襲った人間が、信頼していた相手で。

閉じ込められて、犯される危険性に怯えながら求めた助けは届かなくて。

殴られ、拘束され、何度絶望しただろう。



身体を震わせるほどの怒りで、目の前が真っ赤に染まる。

「蓮、後ろ…!」「晴、目瞑って耳塞いでろ。俺がいいって言うまで。」

何か言おうとする晴を、低い声で押し留めた。

これ以上恐怖を与えたくない。

だけど、許せる訳がない。

過去に晴に与えた苦しみも、何もかも。


死んでも償えると思うなよーー?



「危ない!」


晴が叫んだのと、俺が振り返ったのは同時だった。





🟰🟰🟰


(side 萱島晴人)

身体を離そうとした蓮に、子供みたいに縋ってしまった。

寂しくて、涙すら出そうで。

それが怪我の確認の為だって分かって、仕方なく大人しくしたけど。

殴られたのは耳の上と鳩尾の2箇所。

心配かけたくなくて誤魔化そうとしたけど、蓮には俺が痛がってる事なんてお見通しだったみたいだ。

押された時は少し痛かったけど、蓮の表情から重傷じゃない事は分かった。

ちょっと安堵してたら、服を捲られて。

その瞬間、蓮の顔付きが変わった。

自分でも確認してみて、これはまずったと思った。

赤黒い痕は、どうみても殴られたのが丸わかりだったから。

先輩を庇うつもりなんてなかった。

そうじゃなくて…。

俺が殴られたって知ったら、蓮が傷付くような気がしたから。

なんでそう思ったのかは、分からない。

だけどその予想は間違ってなかったみたいで、蓮の表情に痛みが走った。

それは次第に青い炎に変わって、瞳の奥で揺らめく。

蓮が本気で怒ってる時のそれに、思わず気圧された。


と、視界に何か動く物が映った。

ドアの下から這い出した先輩が、ゆらりと立ち上がる。

その手に、部屋のどこかにあったらしい鉄パイプを携えて。


凛とした空気を纏って竹刀を振っていた先輩は、何処にいってしまったんだろう。

目をギラつかせて暴力的な武器を持つ姿が苦しい。

「蓮、後ろ…!」

俺と向かい合う蓮からは、背後の先輩が見えない。

動揺しながらも注意を促そうとすると、低い声で押し留められた。

目と耳塞げって、何で?

一瞬ポカンとしたけど、そんな場合じゃない。

その頃にはもう、先輩の姿はすぐ後ろに迫ってた。

真っ直ぐに蓮の頭を狙う様子からは、躊躇いなんて感じられない。

「危ない!」


俺の悲鳴は、ゴスッと言う鈍い音に掻き消された。

蹲ったのは、蓮じゃなくて先輩の方。

ゴホゴホと咽せ込むその鳩尾には、蓮の長い脚が叩き込まれていた。

振り返りしなの一発を打ち込んだ蓮は、全く動じる事なくまた俺に視線を戻す。

「晴、分かったな?」

一拍遅れて、それがさっきの続きだと気付いた。

有無を言わせない圧に、コクコク頷く。

言われた通りに目を瞑って耳を塞ぐと、フワリと髪を撫でる気配がした。

その手が離れて行った方向から、空気を裂く風と揺らぎを感じる。

掌を擦り抜けて鼓膜に届く、ボキリと何かが折れたような音。

そして、絶叫ーー。


蓮が心配で、もう我慢できなかった。

目も耳も解放して蓮の名前を呼ぼうとした時、馴染んだ声が聞こえて来る。

「蓮!落ち着け!啓太君、早く!!」

サッキーの声?

それに、啓太もいる?

開いた視界には、親友達の姿。

「蓮!それ以上はヤバイ!」

切羽詰まった表情のサッキーが、蓮を抑えようとしてる。

見ると、蓮の手は竹田先輩の首を掴んでいて。

首を圧迫されて壁に押し付けられた先輩は痙攣してて、その顔面は血塗れだ。

「切藤!もうやめろ!」

啓太も加勢するけど、蓮の手は離れない。


子供の頃から、蓮が強いのは知ってた。

だけど、ここまで圧倒的だなんて…。

暗い瞳でを見下ろす姿に涙が溢れる。

怖いとか、そう言うんじゃなくて。

蓮が傷付いてるんだって事が、手に取るように分かったから。

思えば、昔からそうだったのかもしれない。

俺が辛い時や苦しい時、蓮はそれを一緒に受け止めてくれた。

落ち込んだり泣いたりする俺とは、逆の形で。

今、蓮をこうさせてるのは俺だーー。


「蓮…。」

呟いた声に、蓮がピクリと反応する。

「蓮、来て…。」

立ち上がれなくて床に座り込んだまま、それでも精一杯手を伸ばした。

何の感情も浮かんでない顔で、それでも蓮は先輩から手を離す。

支えを失った身体が床に崩れ落ちるのを気にする素振りすらなく、蓮がゆっくり俺に近付いて来る。

躊躇うように差し出された左手の甲は、裂けて血が流れて。

痛々しいそれに涙を堪えながら、両手で包み込んだ。

「…痛い?」

「何て事ない。お前が受けた痛みに比べれば。」

淡々と伝えられた言葉に、涙が溢れる。

「…蓮、ありがとう。俺の為に怒ってくれて。」

傷付いた大きな手に頬を擦り寄せる。

「もう、大丈夫だから。俺の大切な蓮を、これ以上傷付けないで。」

包んだ掌に雫が落ちて、蓮が俺に目線を合わせる。

「晴…お前は、どうして…」

その先をぐっと呑み込んだ瞳から、涙が一筋流れ落ちた。



「ふざけるなよ!!!」

大声にハッとして目を向けると、暴れる竹田先輩を啓太とサッキーが抑えようしてる所だった。

「切藤!お前に幼馴染の婚約者がいる事は知ってるんだ!晴人を弄んでるって事も!お前の叔父から聞いたんだ、間違いない!!」

『幼馴染の婚約者』と言うワードにドキリとする。

だけど、蓮は俺の肩を抱き寄せた。

「その叔父なら、逮捕されたけど?」

「…えっ?」

先輩の動きが止まる。

「ニュース見てねぇのかよ?その男は近々刑務所にぶち込まれる犯罪者だ。
お前は、アイツの目的の為に利用されたんだよ。」

「そ、そんな…霊泉先生が…?」

囁くような先輩の言葉に、俺は首を傾げる。

今の話だとまるで、逮捕された霊泉議員が蓮の叔父さんみたいだ。

え…?違う…よね?

俺、そんなの一回も聞いた事ないんだけど。

そんな戸惑いを他所に、蓮が先輩に向かって吐き捨てるように言う。

「お前も立派な犯罪者だけどな。3年前の罪も今回の監禁も、警察に突き出すのに十分な証拠は揃ってる。」

その言葉に、先輩の顔が青褪める。

「ち、ちがう…!俺は利用されて…!違うんだ!晴人が…!晴人が悪いんだ!」

酷く淀んだ目で睨み付けられて、身体が硬った。

「お前が…!お前が思わせぶりな態度を取るから…!俺は元々女が好きだったのに…普通だったのに!!お前の所為で俺の人生は狂ったんだ!!」

言われた言葉が、刃になって俺に向かって来る。

「無邪気なふりでベタベタ近付いて来たのはそっちじゃないか!女みたいに細い頸を見せ付けて…襲って欲しいって言わんばかりだった!挙句の果てには、俺を誘惑しておいて他の男と付き合うなんて!
俺をコケにするのもいい加減にしろ!この淫乱!」

何を、言ってるんだこの人は。

そんなの、そんなの…!!

苦しくて、辛くて、言い返したいのに喉がヒリついて言葉が出ない。

尊敬してた先輩が、俺の事をずっとそんな風に思ってたなんて。

こんな風に、憎しみを込めて罵られるなんて。

震える身体を、蓮の腕が支えてくれる。

「晴、俺を見ろ。」

浅く早くなる呼吸の中で顔を上げると、蓮が真っ直ぐに俺をみていた。

「大丈夫だ。お前は何も悪くない。」

本当に?

あの先輩が…俺達に剣道の楽しさを教えてくれた、竹田先輩が。

悩む俺の手本になっていつも先を歩いてくれた、強い先輩が。

こんな風になったのは、本当に俺のせいじゃない?

先輩の人生を、狂わせてない?

不安で、息をするのが苦しい。

焦ったように俺を呼ぶ蓮の声が、少しずつ遠ざかる。


「晴人のせいにすんじゃねぇ!!!」

沈みそうな意識を引き上げたのは、親友の声だった。

涙を流した啓太が、先輩を強く見据える。

「晴人は何もしてない!晴人は悪くない!
ただ、先輩を…アンタを心から尊敬してただけだ!」

ボロボロと大粒の涙が床に落ちていく。

「俺だって同じだよ…。むしろ、距離感なら俺の方がずっと近かっただろ…。誰の目から見ても晴人は、尊敬する先輩に懐く可愛い後輩だった。それ以上のものなんて微塵も無かった…!勝手に勘違いしたのは、アンタだ…!」

「啓太…」

「俺は、アンタに剣道を教えて貰った…!怒りの気持ちで竹刀を持つなって、己と向き合って精進しろって…!アンタが…そう言ったんだろうが…!」

一番真面目に部活に取り組んで、誰よりも先輩の教えを守っていた啓太。

「頼むから、もうやめてくれよ…。…これ以上失望させないでくれ…。俺はアンタを…先輩を憎みたくない。竹田先輩のカッコイイ剣道を、忘れなきゃいけないものにしたくないんだよ…!」

目の奥に蘇るのは、鮮やかに面を決める後ろ姿。

剣道をするには小柄な先輩のその勇姿は、俺だけじゃなく部員全員の憧れだった。

「………。」

自分を師と仰ぐ後輩の言葉に、先輩は押し黙った。

霊が抜け落ちたかのように、ダラリと首が垂れ下がる。

項垂れるその視線の先は、何を見ているんだろう。

後悔を、しているんだろうかーー。



「とにかく、ここを出よう。相川ちゃん達がもう近くまで来てるっぽい。」

スマホを確認したサッキーの言葉に驚く。

姫までここに来てるの?

って事はもしかして、ピィちゃんも?

「俺達がこの人連れて行くから。蓮は晴人君と来て。」

啓太とサッキーが2人で、放心して立ち上がれない先輩の腕を肩にかける。

啓太は涙を乱暴に拭うと、俺に目を向けた。

「無事で良かった、相棒。」

そのちょっと無理した笑顔に、胸が一杯になる。

尊敬する先輩を失った哀しみと、苦しみ。

そらをこの親友と分かち合える事が、何よりの救いだった。


「晴、行けるか?早めに病院でそれ診せねぇと。」

蓮に気遣わしげな瞳を向けられて、手を借りてゆっくり立ち上がる。

俺としては蓮の利き手の怪我の方が心配だ。

多分行き先は蓮父の病院だから、無理矢理にでも蓮の方を先に診てもらおう。

そう思いながらアパートの下に降りて、少し前を歩く3人の背中を追う。

蓮は一言も発さない。

だけど、繋がれた手にはしっかり力が篭ってて。

それに勇気をもらって、口を開く。

「蓮…あの…」「晴、あのさ…」

言葉が被って、立ち止まって思わず視線を見交わした。

自然に口許が緩んで、2人で笑い合う。

「…治療が終わったら、全部話す。」

蓮は俺の言いたい事が分かってたみたいだ。

「驚く事も怖い事も腹立つ事もあるだろうけど、聞いて欲しい。もう秘密は無しにする。」

真剣な目に頷いて、また歩き出す。

同じ歩幅で、ゆっくりと。

繋いだ手を、絡めた小指に代えて。

まるで約束の指切りをするみたいに。


「あ!姫とピィちゃんだ!」

少し先から、2人が駆けて来るのが見えた。

後ろには警察が1人、2人、3人…4、5、6…えっ、何か多くない?

「あの女…どんな手使ったんだよ…。」

流石の蓮も呆れてるみたいだ。

「晴ちゃん!!」

向こうも気付いたらしく、大きく手を振ってる。

「蓮、俺行ってくる!2人にもお礼言わないと!」

その時丁度蓮のスマホが鳴って、渋々って感じで小指を離された。

駆け出す背後で、電話に出た蓮が何かに驚くような声がしたような…。

だけど、高揚感から今はあまり気にならなくて。

啓太とサッキーと先輩に、もう追いつこうかって時。

それまで大人しかった先輩が、急に動いた。

最初から逃げるつもりだったのか、迫り来る警察の数に驚いたのか。

分からないけど、突然の事に驚く啓太達を振り切って車道を横切ろうとする。

俺は咄嗟に身体が動いて、先輩の背中を捕まえた。

そして、振り返ってーー驚きに足が竦む。


唸りを上げた車が、すぐ近くに迫っていたから。

まるで俺達を轢くのが目的はみたいに、猛スピードで。


「晴ッ!!!」


悲鳴みたいな蓮の声が聞こえた一瞬後には、衝撃で目の前が真っ白になった。


「…!…!!」

耳元で誰かの呼び掛けが聞こえて、ゆっくりと意識が浮上する。

それと同時に、頬にあたる固いアスファルトを感じた。

「晴人ッ!しっかりしろ!!」

声の主は啓太だったみたいだ。

「いってぇ…」

助け起された俺の横では、竹田先輩が気絶していた。

「啓太、ありがと…」

奇跡的に大きな怪我は無が無いのは、啓太が助けてくれたからだろう。

「…違う、俺じゃない…」

「え?」

啓太の声は震えて、顔色は真っ青で。

その少し先に、姫とピィちゃんの姿が見えた。

2人はこっちじゃなくて、道路の向かい側を凝視してて。

凍り付いたようなその表情に、腹の底がザワリとする。

後ろを振り返っても、そこにいる筈の…後ろに置いてきた筈の姿は見えない。

そう言えば、最後に聞いた声は俺の真後ろからだったような…。


「ーーッ!!ーーッ!!!」

姫達が見つめる壁際で、サッキーが何かを必死に叫んでる。

いつもの飄々とした姿からは聞いた事もないような、悲痛な声。

思わずポケットに入れた桜守りを握り締めると、違和感に気付く。

取り出したそれは、割れていた。


『REN』の文字に線を引くかのように、真っ二つに。


まさか…そんな…



フラフラと近寄ると、叫び声が鮮明になる。





「目ぇ開けろッ!!蓮ッ!!!」









世界から、音が消えた。







●●●


































……。。。









































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