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第6夜 セラフィトの皇太子
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しおりを挟むレグルスが屋敷の外に出る頃には、既に陽は高くなっていた。外はうだるような暑さで、瞬く間に汗が滲み出る。燦々と照り返す白い石畳の大通りに目が眩み、たまらず日陰に逃げ込んだ。
マナ達と落ち合う手筈になっているのは、町外れの丘陵、その一角に構えられた農作業用の小屋である。
その道すがら、レグルスは街の様子に眉をひそめた。
主要な街道は、それとは思えぬほど人の往来はまばらでひっそりとしている。昼間だというのに道沿いの店は軒並み閉じられて、開いていたとしても客を呼び込む素振りすら見せなかった。誰も彼もが他者への興味を失くしている様にただ黙々と歩いているのだ。そこには生気がなく、まるで精巧な人形が動き回っているような不気味さがある。
なるべく人目を避けて裏路地を抜けたが、それすら無意味だと感じるほど誰もレグルスに注目しなかった。
屋敷の近辺にはところどころ生きた気配があったが、離れるにつれその気配が薄くなる。
家の窓やカーテンはぴたりと締め切られているし、子どもの声も聞こえない。マリアベルの話によれば相当数の児がいるはずだが、その影は一切感じられないのだ。それとも、召喚士とその子供は目につかぬところで隔離されているのだろうか。
まだ何色にも染まらぬ稚児をルークが自由にできるのだと思うと戦慄した。幼いとはいえ、生まれながらに召喚の力を持っているのだ。熟練の召喚士のように魔物を制御できるとは思えぬが、魔術の基礎さえ学べば強力な戦力となるだろう。それがルークの狂気じみた思想に染まるとなれば殊更厄介だし、何よりも都合のいい駒として育てられる子ども達が可哀想でならなかった。
つらつらと考えながら緩い勾配の坂道を登るうちに、待ち合わせ場所にたどり着いた。そこには粗末な小屋があり、近辺には雑草の生い茂る荒れた畑がある。その小屋の壁に寄りかかっていたマナはレグルスを一瞥するとあからさまに溜息をついた。
「あらまあ、お一人でお戻りですの? 念のため伺いますけれど、ちゃんと姫様のところには辿りつけたのですよね?」
「まあな」
「では何故あなたお一人で戻ってきたのか聞いても? 何のために屋敷に忍び込んだのか、まさかご理解しておられなかったの?」
問い詰めるマナの表情は険しい。
精神汚染への耐性を持つのはレグルスだけだった。マナとてマリアベルの顔を見て安心したかったのだが、それは叶わなかったのだ。故に託したはずなのに、恥ずかしげもなく一人で戻ってきたレグルスに業腹なのも無理からぬことだろう。
怒気を孕む鋭い眼光を前にしてレグルスは肩を竦めてみせた。
「分かっているさ。マナ女史が俺に文句を言いたいことも十分な。だが、臨月間近の相手を連れ出す方が危険だ」
「では、ご懐妊なのは紛れもない事実なのですか。まさか無理矢理――」
マナはそのまま言葉を飲み込んだ。最悪の事態を想像してか顔面蒼白になり、震える口元を抑える。
レグルスは神妙に答えた。
「安心してほしい。無体を働かれたわけではないことは確かだ」
「それはどういう――相手のことを仰っていましたか?」
「ここにいる」
マナは怪訝な顔で辺りを見回してから、したり顔で腕を組むレグルスの言葉の意味を理解して失笑した。
「あなたね、こんな時に冗談はおやめなさい――って、本気でおっしゃってますの? にわかには信じられません。いつの間にそういうご関係に?」
「それこそ夫婦の問題だ。たとえマナ女史でも深く追求していいものじゃないだろう」
「……あらそう。それは失礼致しました」
マナは不満そうに鼻を鳴らした。
「まあいいでしょう。どこぞの馬の骨よりも、素性の知れるあなたの方がましというもの。もしもあのルークが父親だと言われた日には、あたくしきっと正気ではいられず、御子の誕生と同時に始末していたかもしれませんもの。その点あなたは一応、姫様の伴侶ということになっていますし、百歩譲って許して差し上げます。臨月で移動するのは確かに危ういですし――だからと言ってあなたね。そこで連れてこないとはまあ本当にお馬鹿なこと。お得意の話術で丸め込んでくるのが筋というものではありませんの?」
何としてもマリアベルを連れてくるべきだったと言外に含ませるマナに、レグルスは苦笑を浮かべた。
「そうは言っても、あの人の強情さはマナ女史もご承知だろう。一度決めたら何を説こうが譲らんさ。連れてこなかったのはそういう訳だ」
「――つまりは何。説得に失敗したのですか?」
一段と不機嫌になるマナにレグルスはあっさりと頷いた。
「そんなところだ」
「ですが……このまま引き下がるなんて、あたくしは断固反対でしてよ。折角ここまで辿り着いたのですもの。この機を逃せばどうなるか――」
「分かっている。ただ、ベルにも考えがあるのだ。ルークの懐に入る機会などそう訪れぬし、今の状態は都合がいいのだろう。どうも、皇太子どころか皇帝に仕立て上げたいとお考えのようだし」
マナは息を呑んだ。
「姫様ったら、よりにもよってあのルークを玉座に据えるおつもりなのですか? まさか、寝言ではありませんの?」
「あれは本気だな。心をへし折ってやると意気込んでいたぞ。きっと、気分良く上り詰めさせた後に惨たらしく引きずりおろしてやるおつもりなのだろう。流石マナ女史の薫陶を受けただけあるな」
「……まあ、そんなところばかり師匠譲りで困ったものですわね」
マナはまんざらでもなさそうな表情でつぶやいた。
「――ところでルト達はどこに行った? まさか、待機中に何かあったのか?」
精神汚染を警戒し滅多にこの屋敷を訪れないとはいえ、ルークが不意に現れることもあるだろう。そして、あの忌まわしい魔女パイロープも――。
あの魔女と鉢合わせたらレグルスは平静でいられる自信がなかった。慈愛に満ちたふりをしながら、その実、レグルスをいたぶるように裏で魔女たちをけしかけていた真の害悪。パイロープ自身は傷つくレグルスに救いの手を差し伸べ依存心を植え付け、優しい顔をして自分だけは味方だと刷り込ませておきながら、最後の最後で奈落の底に突き落とした性悪だ。
少し思い出しただけでも息が止まりそうなほど苦しくなった。身体の自由を奪われて中心から冷えていくような気さえした。
もう二度とあの魔女に会いたくない、そうは思えどマリアベルの近くにいる限りパイロープの影はレグルスを脅かすのだろう。
もしパイロープがレグルスの麾下達と遭遇していたら。パイロープだけではない、ルークと鉢合わせる可能性だってある。麾下の顔を覚えておらずとも、不審者として捕らえられることは十分にあり得る。
不穏な予感に身構えるレグルスだったが、マナは軽やかに笑って返した。
「ああ、それでしたら――噂をすれば、丁度戻ってきましたわね」
その視線の先にを辿れば、ふらつきながら近づいてくるルト達の姿があった。目の下には隈ができ、徹夜明けの職人のような酷い顔付きにレグルスはぎょっとした。
「おい、大丈夫か。何があったんだ?」
「あれ、レグルス様……もうお戻りになられたのですか。申し訳ありません、お茶の準備がまだできていなくて」
やや充血した目でぼんやりとレグルスを見上げるルトの隣で、これまた徹夜明けの様子のダンフォースがすかさず否定した。
「いや閣下、そんなはずないでしょう。だって、夢にまで見るほど愛おしい方との久しぶりの逢瀬ですよ。あの殿下がそんなに早く帰ってくるはずないじゃありませんか。少なくともあともう一日くらいは屋敷に閉じこもって出てこないと思いますね。きっと今夜もいい匂いのするベッドでお休みされるでしょうし、これは幻に違いありません」
「そうかあ、それもそうだな。俺もお前もレグルス様のことを幻に見るくらいお慕いしているということか」
「はい、多分」
納得して頷き合う麾下にレグルスは何とも言えない複雑な気持ちになった。思考回路が完全に壊れている。幻と区別がつかぬほど朦朧とした状態の者を前にして、その発言を一々訂正するのも気が引ける。
ルトはマナに向き合うと、いくつかの魔石を渡した。
「言われた通りにジュタの隅々を転写記録してきましたよ、マナ女史」
「ご苦労さま。どうかしら、まともそうな者はおりまして?」
「いや、マナ女史の予想通りと言いますか。ほとんどの民は廃人に近い状態でした」
ルトは欠伸を噛み殺しながら続けた。
「ファーレンの宮廷魔術師殿に早めにご報告して、何らかの支援をお求めになった方がいいのではありませんか?」
「まあ、そうですわね。囚われの召喚士達を助けるのにも人手はいるでしょうし。ともあれ、それを考える前にあなた方は少し眠った方がよろしい。あたくしが特別に休憩場所を用意してあげましたから、ゆっくり休みなさいな」
「はあ、ありがたく休ませてもらいます。レグルス様がお戻りになられたらちゃんと起こしてくださいよ……」
ルトはそのままおぼつかない足取りでマナの描いた魔法陣の中に入った。追従するように他の面々も魔法陣に入る。彼らが一体どこに飛ばされるのか分からぬが、きっと野ざらしで休むよりは安全なところで眠れるのだろう。
「――というわけですが、レグルス殿。どうしましょうか」
マナに問われてレグルスは逡巡した。
頼まれた手前、確かにこの状況を伝えねばならない。
ジュタの光景が刻まれた魔石を渡せば、セラフィトが領地を侵していることが露見する。如何に永世中立を謳っているファーレンとて黙っていられぬ。それを皮切りに戦いが起こることは想像に難くない。そして開戦すればもう後戻りはできぬだろう。
――よもや、ルークはそれを望んでいるのだろうか。
平穏に飽いて戦乱を切望しているのだとすれば、戦いの火種となりうるこの状況はルークにとって好都合と言える。
父は――皇帝はファーレンと事を構えるのを容認するだろうか。
ルークに非があるのは明白だが、父は奴を気に入っているし奴は皇太子候補だ。愚行を嘲笑いながらも庇い立てするのではないか。レグルスが同じような事件を起こしても切り捨てるだけだろうが、ルークならば。
何よりも、皇帝は若い時分より好戦的な人だった。大陸西側をほぼ掌握した今では流石にかつての如く闇雲に戦いを仕掛けることはなくなったが、宣戦布告でもされれば話は別だ。
ルークの進言であれば父は頷いてしまうのではないか――そんな不安が脳裏を過ぎった。
「報告は少し待て。ここでファーレンが介入して事が起こるとややこしくなる。とりあえず証拠は揃っているし、今は召喚士の監禁場所を探る方が優先――」
それなら、とマナは得意げに胸を張った。
「あなたが姫様とお楽しみの間に、怪しい場所を幾つか見つけておきました」
「たった一晩で探ってくれたのか? 仕事が早いな」
「これくらい当然でしょう。あたくしを誰だと心得てますの? どこぞの無能連中とは格が違いましてよ」
マナはジュタの地図を広げ、そこに印を書き込んだ。
「まずはあの研究所の地下。それから潮の中に、街外れの尖塔……――主だった場所はこれくらいですが、共通しているのは人目に付きにくく、簡単には探れないという点です。他にも何か所か候補がありますが、そのどこかにいるのではないかというのがあたくしとスピカ様達の意見ですわ」
「竜も力を貸してくれたのか? ベルのことをあれほど敵視していたのに」
「姫様が竜の教団と深い関わりがあるのは何か理由があるはずだとご説明し、召喚士を助けたい気持ちは一緒だとお話し申しあげたところご理解いただけました。ウィストの民を救出した後、各施設の破壊は任せてほしいと。消し炭にして下さるとか」
召喚士と竜は密接な関係がある。遥か昔に竜の血を受けた人々が今の召喚士の祖だという説もあるし、彼らにしてみれば召喚士は眷属であるともいえる。故にこの状況は許せないのだろう。レグルスとしてもウィストの民とマリアベルの無事が確保できるのであれば、彼らの思惑が何であれ竜の力を借りられることは心強かった。
マナは話を続けた。
「――どの場所もやけに警備が厳重でしたし、相当臭いですわね。試しに使い魔を偵察に出してみましたけれど、途中で結界に弾かれて奥までは到達できませんでした。ただ、表の警備は厳重でも中に配置されている兵の数は少ないようですね。結界を張っている分、手薄にしたのかもしれませんけれど」
「警備の隙をついて侵入経路は確保できそうか?」
「それは何とか。最悪、表の警備連中を眠らせてしまえば済むことですし、何なら記憶の一つや二つ消してしまえばよろしい話。姫様にご協力いただければ、幻術で注意を逸らすことも可能でしょう」
レグルスは頷いた。
マリアベルがすぐにジュタを離れられないとなると、下手に騒ぎを起こすと面倒なことになる。そもそもの目的はウィストの民の救出なのだ、どのみち無駄な戦闘は避けた方がいい。
「だが、今の手勢では複数を同時に攻略するのは少々厳しい気がするな。かといって、決行日時をずらすのは避けたい。どれほど注意深く侵入しようと痕跡はいやでも残るだろうし、敵の警戒心を煽る。それがルークの耳に入れば、民の奪還どころではなくなる」
「分かりました。では、もう少し情報を集めてみましょう。分散しているのか、それとも一極集中なのか探ってみます。その上で作戦を立てましょう。いつ決行するかはレグルス殿に任せますわ」
そこでマナは言葉を切った。不遜な彼女にしては珍しくしおらしい様子で呟く。
「……本音を言えば、一刻も早く皆を救出したいのですが」
マナにとっては島の召喚士のほとんどは教え子に当たる。その彼らが残酷な仕打ちを受けているのは火を見るよりも明らかで、マナが急く気持ちはレグルスにも痛いほど分かっていた。
攫われた民とは今のところ接点のないレグルスですら、このジュタで行われている実験には憤りを隠せない。ならばマリアベルやマナは如何ほど辛い思いをしていることか、腹の底が煮えくり返るような怒りを感じていることか。
レグルスとしても早く民を助けてやりたい。だがこんな時だからこそ冷静に見極めねばなるまい。急いては事を仕損じるとよく言うし。
「問題は他にもある。召喚士が消えれば我が君に疑惑の目が向けられよう。ベルはルーク達から完全に信用されているわけではないようだった。召喚士に何かあれば立場も悪くなるだろうし動きも制限されてしまうのではないか?」
「それくらい想定済でしてよ。ご安心なさい、既に対策を考えてありますから」
――流石はマナ女史、できる女だ。
レグルスは感心しつつ促した。
「聞かせて欲しい」
「救出と同時に、魔石で映し身を作ってすり替えるのです。巡視に来た兵達や医者に検められればもちろん即ばれるでしょうけれど、脱出までの時間稼ぎにはなるはずですわ。奴らが真実を知る頃には我々はジュタの外というわけです」
「なるほど。では見張りの目が節穴であることを願うばかりだな」
更に話し合いを重ね、マリアベルが産気づいた時に作戦決行することになった。ルークやパイロープがジュタ入りする可能性は非常に高いが、彼らにとっては聖女の児を手中に収める方が重要だろうし、彼女以外への注意が希薄になると踏んでのことだ。
ルークは生まれた児を己が子として公表する腹積もりだ。ならば誕生と同時に我が子を引き取ろうとしてもおかしくなく、当日動きがあったとしても屋敷の周辺から動かない、各所施設にも出向かないのではないかというのがレグルスの予測だった。故に出産の日はほぼ確実にルークの足止めができる。子どもを餌にしているようで気が引けるし、最悪我が子の顔を見る前にルークに奪われてしまうことも考えられたが手段は選べぬ。そう、奪われたら取り戻すまでのこと。
その時マリアベルは身動きが取れまい。そんな中で召喚士を取り戻してしまえば彼女が疑われることはないはずだ。
問題はパイロープだった。あの魔女がルークにとってどういう立場の者か未だ判然としない。彼女に限っては何の予測もできない。幼いレグルスの精神をぼろぼろにしたあの女は、今でも己に執着しているのだろうか。もしもレグルスがジュタにいると勘付かれれば。
呪いは解かれたはずなのに、レグルスは未だにパイロープのことを忘れずにいる。本当に執着しているのは果たしてどちらなのか分からなくなる。その迷いこそがパイロープの狙いのような気がして癪に障った。
とにかく与えられる機会は一度きり。いずれにしても失敗は許されなかった。
◇
七月に入り、夏の日差しは日々濃くなっていった。
青空の向こうには入道雲が浮かび、風の中には微かに雨の匂いが混じっていた。マリアベルが産気づいたのは、そんな夏のある日のことだった。
いつ生まれてもおかしくないと医者から聞いたのだろう、ルークとパイロープはすぐに屋敷にやってきた。未だに精神汚染は続いており近寄れないでいたものの、出産を終えればすぐにでも行動を起こせるよう敷地内の別館で待機していた。そこは、自意識を保てる境界を見極めて急遽造らせたはなれ家である。
屋敷はいつになく人の出入りが盛んだった。
入れ替わり立ち替わり医者と産婆が門戸を叩き、次の段階の兆候がないか確認して去っていく。陣痛が始まってもすぐに子宮口が開ききる訳ではない。全開大になるまで一日近くかかることもある。長時間側にいれば気が狂う故に、用が済めば退かざるを得ないのだ。
とはいえ、一度屋敷の門をくぐると敷地内から出ることはなかった。そこからは聖女の出産だけは万全を期して迎えようという意思が見える。
屋敷の偵察からの合図を確認した後、レグルス達は二手に分かれてそれぞれ行動を開始した。
物資搬入や兵の動きから召喚士が監禁されている位置は大体分かっている。まず確実なのが研究所の地下だった。
移動と同時に雨雲も迫っていた。雲の間隙から雷光が閃き、薄暗い空からは滝のように激しい雨が降り出した。視界は途端に悪くなり巡回する兵の姿は目視できなくなったが、それは恐らく敵も同様だろう。あらかじめ巡回路を調べておいてよかったと内心安堵しつつ、目的の場所を目指した。
研究所に到達すると、レグルスは想定外の事態に眉根を寄せた。
(妙だな……見張りがいない)
事前の調査では見張りは正面と裏の入り口に二人ずつ立っているはずだった。だが、その姿はどこにもない。潜伏しているような気配もなく静かすぎる。
警戒しつつ裏口から侵入すると、施設が稼働している様子が伺えた。明かりは付いているし、薄く開いた扉の向こうには気味の悪い硝子の筒がひしめき合うように並んでいる。あの中には、相変わらず複製体が入っているのだろうか。
――それよりまずは監禁されている者の救出が優先だ。
マナから預かった施設内図を頼りに地下階段をそのまま降りた。
その先には結界があるはずだが、そんな気配はなくすんなり通路を抜けた。
進むべき道は一本しかない。両側には窓もなく他の部屋の様子は探れない。突き当りには重厚な鉄の扉がある。恐らく施錠されているだろうが試してみようと扉を押すと、拍子抜けするほどあっさり開いた。
「鍵もかけずに監禁しているなんて」
流石にルトもおかしいと感じたのだろう。漏れ出た感想にレグルスは相槌を打った。
「罠かもしれない」
「ここにはもういないやも。場所を移されたのでしょうか」
「分からん」
壁に背を預けながら慎重に中を探る。暗がりの中で蠢く影を見つけてルトと顔を見合わせる。
それぞれ得物に手をかけて踏み入ると、ひっと小さく悲鳴があがった。
「そのまま動くな」
ルトに明かりをつけるよう指示をすると、闇の払われた空間で、衰弱した様子の男達が身を寄せ合っている姿が浮かび上がった。その数六。肌の色が皆一様に青白く、余計な肉が削げ落ちたように痩せ細っている。最低限の栄養はもらっていたのか水とパンが机の上にのっていたが、床には吐瀉物が残っている。胃が固形物を受け付けずに戻したのだろうか。それでも生きながらえているのは、恐らく、直接体内に栄養剤でも打ち込まれていたからだろう。
その中の一人が震える声でレグルスに訊ねた。
「あなたは誰だ」
「……ウィスト大公の名代だ。貴殿らを救助しに参った」
男達から騒めきが起こる。助けを寄越してくださったのだ、と喜びの声が上がる一方でレグルスへ不審な視線を向けられる。
「でも、あなたのその容姿――ウィストのものではない」
「そうだな。俺はあの国の出ではない」
「では、信じられない」
「なっ……」
ルトは絶句し、レグルスは思わず溜息をついた。生死がかかった時に些事を気にしている場合かと怒鳴りつけたくなったが、それで新たな敵が駆け付けても面倒なので努めて冷静に返す。
「……そうか。まあ良い。ここに残って枯れ死ぬか、共に脱出するか好きに選べ」
男達は顔を見合わせると、もう一度問いかけた。
「本当に助けて下さるのか」
「ああ、我が君に誓って」
「我々が逃げ出せば別の場所にいる仲間を殺すと言われている」
「それはマナ女史に任せてある故、案ずることはない」
それを聞いて彼らに動揺が広がる。
「師が来ているのか」
「どうしよう、こんな情けない姿を見せたらぶっ飛ばされてしまう」
「うっ……地獄の訓練が始まるのは嫌だ」
マナの名が功を奏したのか、レグルスがウィストの名代だと確信した男達は全員脱出することを望んだ。それを聞くなり、ルトはすぐさまマナから預かった魔石で映し身を作り、男達の脱出を手助けする。長らくの監禁生活で弱った足腰では素早い行動は難しかったが、幸い敵の気配が感じられない。
彼らは、何の苦も無く部屋を抜けられたことに驚愕した。
曰く、扉は終始施錠されていたし栄養補給と検体採取時以外は身動きが取れなかったらしい。いつもはこの扉の外にも見張りが立っていたと言うし、この状況はやはり妙なのだと。
彼らを逃がす途中でレグルスは気になっていた実験室を覗き込んだ。
(まだどこかにレプリカがいるはずだが、どうしたものか)
このまま残していったのではルークにいらぬ戦力を与えることになる。できることならば連れていきたいのが本音だ。
ルトに民の先導を任せ、部屋を検めていたレグルスは目的の扉を開け放つとそのまま立ち止まった。
「……どうなっている」
その部屋で管理されていたはずのレプリカの影は、最早どこにもなかったのだ。
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