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第5夜 叛逆
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しおりを挟む孤児院の坂下にある薬屋は、薬師の老女が切り盛りしていた。彼女は酷く耳が悪い。たとえ目の前で爆発が起こったって、きっと彼女の耳には爆音が届くことはないのだろう。
メリルは、今日ほど彼女が難聴であることを恨んだことはなかった。
欲しい薬草を伝えてもちっとも分かってくれないし、そのうち雨が降り出す始末。半べそをかいているところに、更に追い討ちをかけるように、あの金獅子の部隊が現れたのだ。
助けを呼ぼうにも、この大荒れの天候では、メリルの声など嵐にかき消されて、誰にも届かなかった。
膝は震え、力が出ない。ただ、口元を塞がれ、身体はされるがままであった。
メリルに巻き込まれるようにして捕まった人を、メリルは胸が張り裂けるような思いで見つめた。
「なあに、ちょっと大人しくしてりゃあ、悪いようにはしねえ。逆らえば……こうだ」
獅子の紋を背に背負った兵士は、薬屋の石の壁へと拳を叩き付けた。メリルも腹を立てて蹴り飛ばしたことがあるけれど、その時はまったくびくともしなかった石壁が、その一撃で筋割れる。
「それで?」
「はぁン?」
「誰の許しを得て、このようなことをしているのですか?」
冷ややかに、彼女は訊ねた。
(ベル姉……! どうして今なの……)
レグルスの部隊を自称する帝国兵に絡まれ、逃げられずにいるところに現れたのが、ベル姉だった。
漆黒の髪は相変わらず艶やかで、青い瞳は海の底のように美しい。目深にフードを被っていて顔はよく見えないが、メリルには一目で、彼女がベル姉だと分かったのだ。間違えるはずもない。
ずっと会いたかった。メリルに人の温かさを教えてくれた、ベル姉に。
ベルは怯えて震えるメリルを見つめ、それから再び帝国兵へと視線を戻した。
「このような、まだ年端も行かぬ少女を捕え、どうしようと?」
「まったく、お上品ぶった売女だぜ!」
「教えてやろう。俺達はあの、金獅子様直属の部隊よ! あの方の命はこうだ。竜の召喚士を見つけ出し、連れてくること。お前、その目を見れば分かるぞ。召喚士だろう」
「……愚かなことを」
蔑みと呆れを含んだ、冷ややかな声が兵士の耳を貫いた。
「殿下の御耳に入れば、お前達の命はないでしょう……。しかし、あの方もつくづく哀れですね……」
「何、訳の分からねえこと言ってやがる! 俺達はなあ、他でもない、金獅子レグルス様の勅命で、お前達売女を保護してやってるんだよ! ありがたく思え!」
僅かに眉を顰め、ベルは平坦な声のまま返す。
「女性への口の利き方も知らぬとは嘆かわしい。お前達を率いるものも、程度が知れているというものです」
「ごちゃごちゃうるせえなあ! いいからこっちに来い! 俺は今虫の居所が悪いんだ。あんまり怒らせるんじゃねえよ!」
腕をつかまれそのまま引き寄せられて、馴れ馴れしく腰に手を回される。ベルは嫌悪感を露に眉を寄せた。
脂くさい息がかかる。顔を覗き込まれ、彼女は至極冷ややかに相手の男を見下ろす。
「なんと言う陳腐な脅し文句……。お前のようなものが、わたくしを御せると――ただ力を見せ付けるしか芸のない矮小な鼠が、召喚士を無理矢理従わせることができると本気で思っているのでしょうか」
「何だと?」
「おい、よく見りゃあ、こりゃあ上玉じゃねえか。なあ? 仲良くしようぜ? あんたも、痛い目みたくねえだろう? 大人しくしてりゃあ、優しくしてやるよ……」
耳元で囁いて、舌なめずりをする兵士を、ベルは家畜でも見るような目で見つめた。
「そう……」
(やめて……。ベル姉に触らないで……!)
メリルは叫びそうになるのを必死にこらえた。震える唇をきつくかみ締めれば、血の味が口腔内に広がった。
ベルの名を知られるわけにはいかない。召喚士にとって――魔力を持つ全てのものにとって、名は命そのものだという、ベルの教えが頭の中で反響する。
ベルは努めて冷静に、怒りなど微塵も感じさせず、静かに口を開いた。
「お前達は、青目が如何なるものか知りながら、わたくしを捕えようというのですか?」
「はあ?」
「わたくしが如何なるものかを知りながら、手を出したのでしょう?」
ベルの形のよい唇が妖しく釣りあがる。瞳は深海の底のように揺らめいて、見るものを吸い寄せるように輝いた。
メリルはその瞬間、全身の肌が粟立つのを抑えられなかった。足元から這い上がってくるような魔力の波に、身が竦む。
それは金獅子の部隊も感じたのだろう、ベルの放つ魔力の波動と、その威圧感にぴたりと動かなくなった。
(ベル姉……! 駄目!)
突如、メリルの視界が変わった。
辺りには急に霧が立ち込め、白い靄が金獅子の部隊とベル、メリルの間を漂う。
雨音は心なしか遠ざかり、それまで頭上で降りしきっていた雨や、街路樹をしならせるほど轟々と吹き付けていた風がぴたりと止んでしまう。
不可解な現象に、メリルだけではなく、帝国兵からも狼狽の呻き声があがった。
そして、メリルの口元を押さえていた男の手が、指先から骨が見えるまで肉が削げ、腐り落ち始めたのだ。
鼻が捥げるようなつんとした腐敗臭に、メリルはたまらず、悲鳴を上げた。
赤黒い血が生々しく垂れて、生臭いような、酸っぱいような匂いに気分が悪くなる。
この手も、腐って落ちる――
そんな心象が脳裏を掠め、それは現実にはならないと自分に言い聞かせる。
「な、なんだこれはっ! 俺の腕が、腐って……っ!」
「どうなっていやがる! この女、何をっ」
「早く、アレを使え!」
恐怖に慄き、メリルを手放した彼の手の腐敗は止まらず、次第に肩へと腐敗は広がっていく。
(これは現実なの?)
違う、とメリルの本能が叫ぶ。
喉は凍りついたようで、搾り出そうとしても声が出ない。
こんなこと、ベル姉にさせてはいけないのに。
誰か、助けて。
叫びたくても、かすれた吐息が漏れるだけで、メリルは潤んだ目を大きく見開いた。
その時。突風がメリルの身体を駆け抜けた。
ぐらり、と帝国兵が揺れる。体勢の崩れた刹那に、素早くその鳩尾へと拳が叩きつけられた。衝撃が身体を伝って、帝国兵はそのまま後方へと吹き飛び、地面へと叩きつけられる。
「学習する、という言葉を知っているか」
割って入った声は、艶のある低音で、とても心地よいものだった。
すらりとした体躯の、フードを目深に被った彼のひとは、かつてベル姉から聞いた、ベル姉の理想の王子そのものだった。
鴉のような黒髪に、夏の青空のように澄み渡る青い瞳。どこか高貴さすら漂わせる一点の穢れすらない眼は、メリルと、そしてベルを順に追った後、金獅子の紋を背負う兵へと向けられた。
「たとえ野良犬であっても、一度手痛い思いをすれば学習するものだ。手を出してはいけない、と。その点、お前達は犬以下だ。とても、知能を持って生まれたとは思えぬな」
彼が現れた瞬間、メリルの周囲を包んでいた白い霧が、急激に晴れていく。それと同時に、腐って落ちたはずの、メリルを捕えていた兵の腕が、すっかり元に戻っていた。
何が起こったのかわからず、呆然と、雨に打たれる彼を見上げた。
細身の部類に入り、どこと無く掴みどころのない風体であった。青の隻眼は殊更、彼の存在を浮かせる。
メリルは彼の姿に覚えがあった。孤児院に滞在している人だ。けれど、孤児院で構ってくれる彼とは全く別人のようで、彼から滲み出る気迫は、歴戦の将兵のようなそれである。その気を色であらわすとしたら、陽光のような金。
一瞥しただけで相手は怯み、後ずさった。それほど彼の発する気は強く、佇んでいるだけだというのに、周囲を圧倒して誰も動けなかった。
ただの、職を失った傭兵風情や浮浪者ではない。
メリルは急に眩しくなって、瞬きを繰り返した。
金獅子の兵団から、狼狽の声が上がる。
「な、なんだ、てめえは! どこから現れた!」
「……貴方は――」
どこか驚いた様子のベルの言葉をさえぎるように、彼は低く笑った。
「俺は学習しない馬鹿は、大嫌いでね」
「てめっ……!」
「それから、そこのガキ……と、女」
彼の差すのが自分だと悟り、メリルは詰めていた息を吐き出して、涙で一杯になった瞳を瞬いた。
「は、はい」
「二人とも、こっちへ来い」
次いで、見覚えのなる馴染み深い顔と、そこから発せられる声に向かって走り出した。
「メリル!」
アルは無事を確認するようにメリルの身体を抱きしめた。
「この、馬鹿! 何してるんだよ! 帝国兵を見かけたら、逃げろって言われてるだろうが!」
口調は怒気を孕んでいたけれど、メリルを守るようにきつく抱きしめてくれるアルの鼓動に、どっと安堵が広がる。啜り泣きながら、メリルは頷いた。
「アル、ごめん。でも、ベル姉がいたんだもの……!」
◆
レグルスは、激昂のあまり頭が真っ白になりそうになるのを、何とか理性で押さえ込んでいた。
雨は激しさを増す。
額に張り付いた髪を鬱陶しげに振り払い、怒声と切っ先を向けてくる相手を見据えた。彼らは確かに、レグルスの部隊の服を着ている。肩と背に刻まれた紋は、交差した剣と獅子――第三皇子の象徴だ。
レグルスは己が率いる部隊に誇りすら抱いていた。彼らとは幾つもの死線を潜り抜けてきた。他者には分からぬような、運命の糸で結ばれているような感覚すら覚えていたのだ。
にじり、と詰め寄る兵士たちを一瞥し、レグルスは自嘲した。
「何がおかしい」
「いや何。己の愚かさが、どうしようもなくてな」
レグルスを取り囲む兵士達の顔に覚えはない。しかし、身に纏うそれは紛れもなく、レグルスの麾下である証。
己が城を離れた間に、こうも好き勝手なことをされるとは思わなかった。随分と侮られたものだ。
それが、不甲斐ない。
侮られても仕方ないかもしれない。如何にも優男――常に微笑みを絶やさす、女に現を抜かす――さぞや愚かに見えていただろう。
頭が空っぽで、戦場で剣を振るうことしか芸のない男。
全く以って、その通り。
だからと言って、金獅子の部隊まで侮辱するような真似はされたくない。
「剣を抜け! 軟弱野郎!」
安い挑発をされ、レグルスは口角を上げた。
この程度を相手に、己の剣技をくれてやるのは癪に障る。
軟弱だといわれれば反論するべくもない。だからと言って相手の力量も見極めずに侮って掛かるなど、愚かしいの一言に尽きる。
無遠慮に眺めるもの。横目でちらちらと見てくるもの。相手を値踏みするような視線は不愉快だ。常ならば周りの目もある手前、その感情を押し殺して、笑って流すところだ。しかし今は何の制約もない。
軟弱と言い切った男を横目で見やり、鼻で笑う。
どうやら怒ったようで、目を血走らせて睨みつけてくる。
「痛い目みたいようだな、野郎が!!」
レグルスはようやくまともに相手を見上げた。
それなりの場数を踏んできたのだろう。鍛え上げられた肉体に、刻まれる傷跡。ぎらりと光る眼光は、相手を射殺さんばかりの鋭さだ。
――なるほど、戦いによほど飢えていると見える。
彼らは戦いを切望しているのだ。
ならば、誠意を持って答えてやろう。誰に刃を向けたのか、後悔するほどに。
レグルスの冷えた視線が相手に刺さる。その鋭さに気圧されて、後ずさる兵士に、隊長格らしき男が舌打ちをし、吼えた。
レグルスよりも二回り大きな男の豪腕が唸りを上げる。そのまま受ければ骨が砕けるような一撃だ。
しかし、レグルスは動じなかった。そのまま深く腰を落として軽やかに拳をかわし、地面に手をついて身体を反転、そのまま男の足を掬うように払った。よろめく相手の腰へ、重く蹴りを入れれば、鈍い音が響いた。そこは急所だ。内臓が破裂すれば、長くは持たない。
「俺のことは、お前達の出来の悪い同僚から何も聞いていないのか?」
レグルスは軽薄な笑みを浮かべた。
「おめおめと逃げ帰って、悔しさの欠片もなかったか……。情けない」
「て、てめえは……! 隊長、こいつです! この間お話した野郎は!!」
「やっちまってください!」
「ふん、金獅子レグルス直属の部隊である俺達に歯向かうとは、馬鹿な奴よ。目にもの見せてくれるわ!」
「御託はいい。さっさと来い」
いきり立つ周囲に、余裕すら感じさせる笑みを浮かべる。
プツン、とその場に張り詰めていたものが切れたのと同時に、兵団が怒声を上げて一斉に地面を蹴った。そのまま跳躍し、レグルスへの距離を一気に縮める。
背後から、剣を振りかざした兵士が襲い掛かる。レグルスは身体を反転させ、剣は鞘に収めたまま、斬りかかってきた相手の腹へ鋭い一撃を叩き込んだ。内臓を抉るように鞘が食い込み、相手は腹を抱えて蹲る。
更に頭上からもう一人。空を裂くように、一直線に落ちてくる鈍色の穂先を視界に捉える。地面に足を踏みしめて構え、そのまま素早く抜刀し、上空から肉薄する相手の槍を受け流すように切り払った。得物を弾かれた男は逆上したように叫びを上げ、そのまま掴みかかってきた。
レグルスは冷静に相手の動きを見切っていた。伸びた腕を掴みとり、そのまま捻りあげるようにして相手の背後に回りこむ。そして背部へ一撃、強く打ち込んだ。
「待ちな! このガキと、女がどうなってもいいのか!? ああん!?」
怒声に振り返れば、満身創痍の兵が、左手に鮮血のような赤の魔石と、右手に得物をちらつかせて、アル達の背に突きつけていた。
レグルスもその魔石のことは知っている。一度だけ魔力を無効にできる石で、大陸でも貴重な深紅の魔石だ。一度ではなく、永劫魔力を封じることができる竜石にあやかって、リュウセキモドキとも呼ばれる。
「ひゃっはっは! この石の前じゃあ、てめえら青目は、手も足も出ないって訳さァ!」
どこまで下劣なのだろうか。
メリルという少女は唇を青くして、縋るようにレグルスを見ていた。アルはただ首を横に振っている。そして、もう一人の女のほうは、顔が見えなくて分からない。
ただ、レグルスの良く知る香りが、ふわりと鼻腔を擽る。
レグルスは一瞬動きを止めた。奥歯をかみ締め、やり場のない怒りに、腰に下がる剣に手をかける。
この剣を抜くほどの相手でもない。しかし、際限なく湧き上がる怒りは、抑え切れなかった。
「俺には、関係ないことだ」
鋭い眼光が、兵を威圧する。その鋭利な眼差しに、思わず後ずさったところを、レグルスは見逃さなかった。
素早く剣を引き抜き、怖気ずく相手の懐へ一閃。薙ぎ払うように刃を振りぬけば、及び腰だった兵士はそのまま体勢を崩した。雨を弾くように黒刃が閃き、レグルスはその身を鞭のようにしならせて、思い切り踏み込んだ。
振りぬいた刃が骨と肉を捕え、そのまま断ち切る。
接近戦においてのレグルスに土を付けたものはいない。この程度の兵力で斃せると思われたことが面白くもあり、悔しくもあった。
レグルスは切り捨てた兵士の数人が未だ生きていることを確認し、無造作に頭を掴んで持ち上げる。
「まだ聞きたいことがある。簡単に死ねると思うなよ」
「何……っ」
咳き込んで、血を吐き出した兵に顔を顰めて、レグルスは続けた。
「俺の質問に答えたら、お前の命を助けてやる」
「……誰がっ貴様に……っ」
「誰の命で、金獅子の名を騙る。何の為に」
「……っ知らんな」
「答えなければ、お前が息絶えるその時まで、爪を一枚一枚剥いで、指を一本ずつそぎ落としてやる」
どすの利いた声で脅せば、相手は黙って頷いた。
「俺は元々、傭兵だった……。仕事がなくて、酒場に入り浸って……」
「それで、声をかけられたのか」
「……そう、だ」
「お前を雇ったのは誰だ」
「分からない……。会ったことが、ない。ただ、小鳥が、青薔薇の手紙を運んできて――」
息も絶え絶えの兵士を遮るように、どこからともなく拍手の音が響いた。次いで、男とも女とも取れない声が、レグルスの耳を擽る。
『素晴らしい。あれだけの数を一人で……。まさに一騎当千だ。だが残念なことに、あれはただの前座だ……』
改めて冷静に周囲を見渡せども、満身創痍の状態でそこここに転がる兵達の姿しか見当たらない。レグルスには、声の主の気配を探るが、感じるのはアルとメリルの気配だけだ。
となると、この声の主は、相当距離をとって、レグルスへ直接話しかけているのだろう。
「アル! そこのガキを連れて、出来る限りここから離れろ!」
「え?」
『我、久遠の命絶たんと欲すれば 言の葉は災禍の剣と化し汝を討つだろう』
頭上に渦巻く暗雲と、激しくなり始めた雷鳴に、レグルスは事態の深刻さを知った。
レグルスに言われるがままに、メリルを連れて逃げたアルが、もはや視界に入らないところまで駆けていくのを見届けてから、レグルスはきっと頭上を見上げる。
遠距離攻撃の魔法だ。しかし魔法ならば、レグルスは耐えられる自信がある。
「北西の方角、林の中!」
アルが涸れそうな声で叫んだ。雨風にまぎれて、殆ど聞こえないような声だったが、レグルスの耳には届いていた。
だが、遅い。
レグルスの頭上に眩い光の魔方陣が浮かぶ。天を裂くような轟音が響いて、剣の形をした光の渦が、闇の空間を突き破るように現れ、閃いた。
『さようなら』
その言葉と共に、闇を切裂く光の剣が真っ直ぐ降ってくる。
遠くで、女が何かを叫ぶ。
「何故、だ……」
光の剣は、偽帝国兵の胸に深々と突き刺さっていた。
いつの間にか雨足は弱まり、彼方に見える灰色の海上には、雲の間隙から蜜色の光の梯子が降り注いでいた。
レグルスは、事の真相を知る手立てを失い、無気力にその様を眺めた。
「何故、助けてくれたの?」
レグルスに気取られることなくいつの間に傍にきたのか、フードを目深に被った女が、不思議そうに訊ねてきた。レグルスは彼女には目もくれず、空を見上げて答えた。
「助けたわけじゃない。ただ、腹が立った」
「金獅子の兵団に?」
「それ。金獅子の兵団っていうのは、やめろ。不愉快だ」
一緒にされたと思うと、気分が悪い。
苛立たしげに返すレグルスに、彼女は静かに答えた。
「貴方は、何?」
「どういう意味だ」
「……貴方には、見えていましたか?」
この女の質問の意図が、まるで、意味が分からない。
「ああ、見えたさ。貴女と、そこのガキがあいつらに囲まれているのがな。それがただ、我慢ならなかっただけだ」
「それだけ、ですか?」
「他に、一体何があると?」
「……死の心象」
言われた意味が分からなかった。レグルスには、彼女達以外のものは何も見えなかったのだ。
「……いいえ、忘れてください」
彼女は呟いてから、逡巡するように俯いて、それから顔をあげた。
「……あのような、下賎な集団と一緒にされては、殿下への侮辱に他ならないと、わたくしもそう思います」
「……そうか」
何故、そう思うのだろう。この国の大半のものは、レグルスへと反感を抱いていると思っていただけに、彼女の言葉は純粋に嬉しかった。
面映い心地で頷くレグルスに、彼女は背を向けたまま告げる。
「わたくし、もう行かなければ」
彼女が立ち去るその前に、レグルスは口早に訊ねた。
「貴女の目に、あの男は――レグルスはどう映っている?」
「少なくとも、表面上は紳士かと……。あまり、興味のないことですけれど」
「そうか……」
何故かほっと胸を撫で下ろすレグルスへ、彼女は不思議そうに首を傾げ、スカートの裾をつまんで、優雅に礼をとった。
「それでは、また、お会いしましょう。特異なお方」
「また? 貴女は――」
振り返ったときには、彼女の姿はもうなかった。
「……まさか、そんなわけがないか」
同じ、匂いがした。
たとえ別人の成りをしていたとしても、その香りだけは、間違えるはずがない。
ぼんやりと物思いに耽っていたレグルスは、再度の拍手の音で現実に引き戻された。
眉間に皺を寄せて惨状を見つめる熊男、そしてその隣で拍手をする長身の優男が立っていた。
レグルスはこの瞬間初めて、アレン・ハーデンスと対面を果たしたのである。
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