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逃亡

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思ったよりも早く決着がついたことにほっと息を吐く。しかし最後に無茶な動きをしたせいか、背中が痛い。筋を痛めたような痛みだ。

あー、早く誰か来ないかな。ユリウス殿下を確実に捕まえるまでは身体強化とけないもんね。


「見かけによらずお強いんですね。驚きましたわ」


乱れた息を隠してそう笑うと、ユリウス殿下は「こっちのセリフだよ」と笑った。息一つ上がっていないのが憎らしい。しかも納得がいかないことがある。


「どうして剣を避けようとされたのですか?」


あのまま剣を振っていたらユリウス殿下は確実に逃げることができただろう。私は剣を引こうとしたからこそ生まれた隙をついたのだから。

なんか情けをかけられたようでちょっとムカつく。武士道とかそんな心は持っていないはずだけど。


「君は特別だから」


喉に剣を突き付けられたままいつものように笑えるのは普通にすごいと思う。私が殺さないとでも思っているのだろうか。まあその通りだけど。


「多少の怪我では死にませんよ。それに、光属性の使い手はもういるではありませんか」


私がそう言うと、殿下は不思議そうに首を傾げた。そして少し考えて「ああ」と納得したように頷いた。


「君は何か勘違いをしているようだね」


後ろから複数の足音が聞こえた。急いでいるのは分かるが、パタパタと軽い足音だ。クリスは誰に声を飛ばしたのだろうか。しかしこの短時間で来れるということは近くにいた人なのだろう。あまり頼りにはならないかもしれないけど。……いや、せっかく来てくれたのにこんな風に思ったら失礼だな。


「兄上!!」


やっぱり。一番初めにそう思った。そして少しがっかりした。子供だけではきっとユリウス殿下を確保することは不可能だと。お城の騎士団が来てくれるのが一番嬉しかったんだけど……まあこんなに早くは来れないか。

ユリウス殿下の表情は変わらない。視線は私に向いたまま。後ろにいるカイを見ようともしない。


「エレナ! 大丈夫か!?」


レオンの心配する声が聞こえ、剣を抜く音も聞こえた。そして、ユリウス殿下の手がピクリと動くのが見えた。


「来ないでください!」


そう叫んだ直後、空気が緊張で張り詰めた。何が変わったわけではない。だけど、ユリウス殿下から出る空気が違った。その視線は私の後ろへ向かっている。


「わたくしは大丈夫です。ですので、そこより一歩も近付かないでくださいませ」


よく分からない。だけどこれはきっと殺気じゃないかと思う。冷や汗が出る。剣を握る手が滑りそうになる。舌が上手く回らない。


「わたくしの近しい人に何かがあった時は、わたくしもこの世からいなくなる、と以前申し上げましたよね。お忘れでしょうか? それとももう何の意味もありませんか?」


声が震えていた。気を抜くと足から力が抜けてしまいそうだ。歯を噛みしめていないとカチカチ鳴りそう。

それが意味をなさないとしたら、この状況はあっという間に逆転されるだろう。私がこの剣を突き刺さない限りは。そんなことができるとは思えない。怒りも憎しみもある。だけど、そんなこと到底できない。

お願いだから頷かないで。まだ有効であって。私の価値を低めないで。そうでなければ私はもう皆を守ることができない。

祈るような気持ちでユリウス殿下を見る。ユリウス殿下は私へと視線を向けた。目が合う。そして、空気がゆるんだ。殺気は消え、ユリウス殿下は柔らかい笑みを浮かべる。


「ごめんね、ちょっと脅しただけだよ。そんなに怖がらないで」


一気に体が楽になった。しかし剣を握る手はもう自分の意志では開けないんじゃないかと思うくらいきつく閉じていた。


「忘れてはいないし、意味はある。君は勘違いをしているよ」


先ほどと同じ言葉が繰り返される。何を勘違いしているというのだろうか。頭がいつものように回らない。


「光属性の使い手が二人になっても、百人になっても君の価値は下がらない」


魔力強化している耳が音を拾う。ガチャガチャとした無数の金属の音。騎士団が近くまで来ている。


「誰がなんと言おうと、どんな状況になろうと、」


早く来て。ただその思いでいっぱいだ。


「君だけが僕の特別なんだ」


その言葉の意味がいまいち理解できなくて。え、と思ったその時にはもう目の前にユリウス殿下の姿はなかった。


「消えた……?」


呆然としたカイの声が聞こえ、はっとした。


「異空間を作ったのです! ベアトリクス様! どこですか!?」


私の目では分からない。そう言って振り返ると、ベアトリクスはクリスの腕に倒れていた。


「ベアトリクス様!?」


急いで駆け寄ると、クリスが「大丈夫」と言った。


「寝てるだけだよ」


ああ、眠らされたのか。ベアトリクスの目があれば逃げるのも大変だもんね。そう思った途端、手から剣が落ちて音を立てた。


「大丈夫か!?」


剣を握っていた手のひらは真っ赤になっていた。

騎士団は、もう遅かった。


「私だけが特別……」


そう呟いてみても言葉の意味も、ユリウス殿下の意図も分からなかった。
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