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天秤にかけられた命
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一気に辺りが静かになり、私は喉にあてていた短剣を下ろした。三人が地面に膝をついて大きく息をしている。あのヘンドリックお兄様ですらこんな状態になるなんて想像もできなかった。
あれだけの獣を作っておいてピンピンしているユリウス殿下。そして魔力切れもいいところの私達四人。もうこれ以上何かされたら終わりだった。
ユリウス殿下は迷いのない足取りで私の前へ来てしゃがんだ。座り込んだ私と視線を合わせるように。
「目的は何ですの?」
手に持った短剣を離さないよう握り、私はユリウス殿下の顔を真っすぐ見た。迷子になった私を案内してくれたあの時と同じ表情。同じ優しさが見える。
先ほどまでの怒りが嘘だったかのように心が静かだった。
「その前に一つ。君は百人を救うのに一人の命が犠牲となることを良しとする?」
ザっと音がして、ユリウス殿下の向こうにヘンドリックお兄様の姿が見えた。お兄様は私の隣に来て静かに座ると大きく息を吐いた。おそらく立っているのも辛いくらい消耗しているのだろう。
百人の命と一人の命。この手の問題は愛玲奈の時から何回も考える機会はあった。だけどその答えが出たことは一度もない。
「僕がしているのはそういうことなんだよ」
そう言って笑うユリウス殿下。
「綺麗ごとで国は成り立たない。何もしなくても民は死ぬ。怪我で、病気で、寿命で。それをこの魔法学校の一部の生徒の犠牲で少しでも救えるというのなら、君はどうする?」
よく意味が分からない。私がヘンドリックお兄様へ視線を向けると、お兄様は私から目を逸らした。
「数十人が死ぬかもしれないけど、数千人、数万人以上の人が救われる」
数十人と、数万人。それが比べられない程の差があることなんて分かっている。だけどその数十人が死んでもいいということにはならない。そう分かっているけど、声が出なかった。
「僕は迷わなかったよ」
ユリウス殿下は笑った。寂しそうに、泣きそうに。
そして立ち上がると、私へと何かを差し出した。
「君にはまだ仕事が残っている。これを飲んで」
それが何かよく分からなくて、私はお兄様に視線を向けた。お兄様はユリウス殿下の手からそれを取ると私へと差し出した。
「飲め。癪だがそうするしかない」
お兄様の手から受け取ったのは瓶だった。中には液体が入っているのか、チャポン、と音がする。きゅっとふたを開けると中からものすごい異臭がした。
う……これ……。
思わずそれを顔から遠ざける。
「飲めば魔力が回復するはずだよ。じゃあね、僕の女神様」
ユリウス殿下はそう言って私に向かって手を振ると、ふっと姿を消した。別の空間に入ったのだろうが追いかける元気もない。
「早く飲め。余裕はない」
ヘンドリックお兄様に促されて私は嫌々ながらもそれをグッと傾けた。口の中に異臭と苦味とよく分からない刺激が広がった。二度目でもこのまずさは変わらない。むせそうになるのを我慢したが、やはりむせてしまった。しかし体に魔力が満ちていくのが分かる。
さすがは魔法薬だ。それにしてもこれをユリウス殿下が持っているのはよくないことじゃない? 陛下ですら不正に持ち出すことはできないって言っていた気がするし。
……まあいいか。
「つまり、ユリウス殿下の目的はわたくしの光魔法が世に広まることだったのですよね?」
すっかり元通りになった体で立ち上がると、すこし眩暈がしたが、それ以外はいつもと同じだった。少しだるいくらいだ。
ヘンドリックお兄様にそう聞きながら光魔法で傷を治し、魔力も少し分けてあげると、お兄様は「そうだ」と立ち上がった。足元が少しふらついているが、プライドの高いお兄様はそんなこと微塵も顔に出さない。
「思い通りに動かされるのは気に入らんが、他に手はない。このままだと死人が出る」
スタスタと寮の方へ向かって歩きだすお兄様。言葉にはしなかったけど聞こえた。もしかしたらもう誰かが死んでいるかもしれない、と。
震える足を動かして寮へと向かう。その前にクリスとヨハンにも光魔法をかけて。
中は私が最初に見た時と同様、ひどい状況だった。あちこちに怪我人がいて、どこを見ても血の赤が目に入る。思わず息をのんで立ち尽くすと、誰かが私の背中を叩いた。
「お前にしかできぬ。気持ちは分かるが目を背けるな」
「ヘンドリックお兄様……」
そう、そうなんだ。言ってしまえばこのためだけに皆は怪我を負ったのだ。私が光属性を皆の前で使うような状況を作るためだけに。唇をかみしめる。こんなこと許されない。誰も死なせたくない。
「状況はどうなっている!」
ヨハンが中に入って厳しい声を出す。それに一番に答えたのは高い声だった。
「こちらから怪我が酷い順に並んでおりますわ」
「ヨハン、死者は今のところ出ていない。だけどそれも時間の問題だよ」
ベアトリクスに続いてカイが言う。ベアトリクスが人の為に動いていることに驚く前に、死者がいないということを飛び上がって喜びたくなった。
誰も死んでいない! 私の魔法で皆救える!!
私はヨハンの視線を受けて中へと飛び込んだ。
あれだけの獣を作っておいてピンピンしているユリウス殿下。そして魔力切れもいいところの私達四人。もうこれ以上何かされたら終わりだった。
ユリウス殿下は迷いのない足取りで私の前へ来てしゃがんだ。座り込んだ私と視線を合わせるように。
「目的は何ですの?」
手に持った短剣を離さないよう握り、私はユリウス殿下の顔を真っすぐ見た。迷子になった私を案内してくれたあの時と同じ表情。同じ優しさが見える。
先ほどまでの怒りが嘘だったかのように心が静かだった。
「その前に一つ。君は百人を救うのに一人の命が犠牲となることを良しとする?」
ザっと音がして、ユリウス殿下の向こうにヘンドリックお兄様の姿が見えた。お兄様は私の隣に来て静かに座ると大きく息を吐いた。おそらく立っているのも辛いくらい消耗しているのだろう。
百人の命と一人の命。この手の問題は愛玲奈の時から何回も考える機会はあった。だけどその答えが出たことは一度もない。
「僕がしているのはそういうことなんだよ」
そう言って笑うユリウス殿下。
「綺麗ごとで国は成り立たない。何もしなくても民は死ぬ。怪我で、病気で、寿命で。それをこの魔法学校の一部の生徒の犠牲で少しでも救えるというのなら、君はどうする?」
よく意味が分からない。私がヘンドリックお兄様へ視線を向けると、お兄様は私から目を逸らした。
「数十人が死ぬかもしれないけど、数千人、数万人以上の人が救われる」
数十人と、数万人。それが比べられない程の差があることなんて分かっている。だけどその数十人が死んでもいいということにはならない。そう分かっているけど、声が出なかった。
「僕は迷わなかったよ」
ユリウス殿下は笑った。寂しそうに、泣きそうに。
そして立ち上がると、私へと何かを差し出した。
「君にはまだ仕事が残っている。これを飲んで」
それが何かよく分からなくて、私はお兄様に視線を向けた。お兄様はユリウス殿下の手からそれを取ると私へと差し出した。
「飲め。癪だがそうするしかない」
お兄様の手から受け取ったのは瓶だった。中には液体が入っているのか、チャポン、と音がする。きゅっとふたを開けると中からものすごい異臭がした。
う……これ……。
思わずそれを顔から遠ざける。
「飲めば魔力が回復するはずだよ。じゃあね、僕の女神様」
ユリウス殿下はそう言って私に向かって手を振ると、ふっと姿を消した。別の空間に入ったのだろうが追いかける元気もない。
「早く飲め。余裕はない」
ヘンドリックお兄様に促されて私は嫌々ながらもそれをグッと傾けた。口の中に異臭と苦味とよく分からない刺激が広がった。二度目でもこのまずさは変わらない。むせそうになるのを我慢したが、やはりむせてしまった。しかし体に魔力が満ちていくのが分かる。
さすがは魔法薬だ。それにしてもこれをユリウス殿下が持っているのはよくないことじゃない? 陛下ですら不正に持ち出すことはできないって言っていた気がするし。
……まあいいか。
「つまり、ユリウス殿下の目的はわたくしの光魔法が世に広まることだったのですよね?」
すっかり元通りになった体で立ち上がると、すこし眩暈がしたが、それ以外はいつもと同じだった。少しだるいくらいだ。
ヘンドリックお兄様にそう聞きながら光魔法で傷を治し、魔力も少し分けてあげると、お兄様は「そうだ」と立ち上がった。足元が少しふらついているが、プライドの高いお兄様はそんなこと微塵も顔に出さない。
「思い通りに動かされるのは気に入らんが、他に手はない。このままだと死人が出る」
スタスタと寮の方へ向かって歩きだすお兄様。言葉にはしなかったけど聞こえた。もしかしたらもう誰かが死んでいるかもしれない、と。
震える足を動かして寮へと向かう。その前にクリスとヨハンにも光魔法をかけて。
中は私が最初に見た時と同様、ひどい状況だった。あちこちに怪我人がいて、どこを見ても血の赤が目に入る。思わず息をのんで立ち尽くすと、誰かが私の背中を叩いた。
「お前にしかできぬ。気持ちは分かるが目を背けるな」
「ヘンドリックお兄様……」
そう、そうなんだ。言ってしまえばこのためだけに皆は怪我を負ったのだ。私が光属性を皆の前で使うような状況を作るためだけに。唇をかみしめる。こんなこと許されない。誰も死なせたくない。
「状況はどうなっている!」
ヨハンが中に入って厳しい声を出す。それに一番に答えたのは高い声だった。
「こちらから怪我が酷い順に並んでおりますわ」
「ヨハン、死者は今のところ出ていない。だけどそれも時間の問題だよ」
ベアトリクスに続いてカイが言う。ベアトリクスが人の為に動いていることに驚く前に、死者がいないということを飛び上がって喜びたくなった。
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私はヨハンの視線を受けて中へと飛び込んだ。
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