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星空の下

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「ところでクリス」


ここへ来て二週間ほど経ったある日、私は勉強する手を止めて、ノートに向かって唸っているクリスに聞いた。


「王都へはいつ帰るの?」


ずっと頭の片隅にあった疑問。聞かなくても帰る時になれば教えてくれるだろうと思っていたが、一向に帰る気配がない。長くてもせいぜい一週間程度かと思っていた旅行だ。足りないものは買えばいいし、不自由は特にないけど。


「あれ、言ってなかったっけ?」


クリスは私の問いに、ペンを置いてノートをパタンと閉じた。もう勉強する気はないのだろう。確かに嫌になる気持ちも分からなくはないが。もう少ししたかったが仕方がない。私もペンを置いた。


「休暇いっぱいこっちだよ」


……ん? 休暇いっぱい?


「まあさすがに学校が始まる一週間前には帰ろうとは思ってるけど」


ということはあと二週間程度こっちなのか。……聞いてないけど!

いや別にいいけどね。王都に帰ったって別にすることはないし。あー、でもこっちにいたらエレナとの電話ができないか。携帯ないし。まあいいか。

また次にこういうことがあるなら、ちゃんと出発前に色々聞こうと私は決意した。



「あー、今日も楽しかった」


寝る前に少し歩きたい気分になり、私は外へ出た。アリアはもう部屋に下がってもらったので私は一人だ。クリスはもうベッドで寝息を立てていた。

こっちへ来て生活がとても充実しているような気がする。勉強と剣と馬と、たまに町へ行く。朝日とともに目覚め、活動し、虫の声を聞いて眠りにつく。もぎたての野菜をかじったり、風を切って走ったり、緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んだり。

王都では絶対にできない暮らしだ。……ああ、叔父様に何度も付き合わされた魔法トークもだね。あれはもういいけど。

温い風を浴びて、私は立ち止まった。あっちの方に町の明かりがぼんやりと見える他は真っ暗だ。上を向くと空いっぱいの星が目に飛び込んできた。

星の明かりがこんなに眩しいなんて知らなかった。愛玲奈の時のおばあちゃんの家ですらこんなにも綺麗な星空は見たことがない。

後ろから小さな足音が聞こえた。振り返らなくても足音だけで分かるようになっていることになんの違和感もなかった。


「エレナ様の、あなたの故郷はどのようなところなのですか?」


後ろから静かな声が聞こえた。てっきり一人で外に出たことに対する小言を言われるものだった私は少し驚いた。が、すぐに振り返ってアリアの表情を見た。

真っ暗であまり見えない。だけどどこか寂しそうに聞こえたのはきっと気のせいではない。


「ここへ来て、エレナ様はとても羽を伸ばしておられます。エレナ様の故郷はこのような場所だったのですか?」


私が本物のエレナではないと知っていながら今まで何も聞いて来なかったアリア。どうして今になってそんなことを言うのか不思議で仕方がない。だけど悪意がないのは分かっている。ただ気になっただけなのかもしれない。


「いいえ、私が育ったのはこんなに静かなところではないわ。いつも人の声が聞こえてきて、夜でも明るくて」


私の家は都会にあったわけではない。人の声だってうるさいと感じたことはあまりない。だけど今ここからあそこに戻ったらきっとうるさくて、眩しくてたまらないんだろうなと思う。ド田舎にあるおばあちゃんの家ですら。


「こことは全く違うのに、それでもここにいると我が家を思い出すの。不思議ね」


王都での暮らし程忙しくないからかもしれない。ここは時間がゆっくり流れている。だから色々なことが頭をよぎる。


「……帰りたいのですか?」


その問いに答えることに迷いはなかった。


「いいえ、わたくしの生きる場所はこの世界。ここで精いっぱい生きていく覚悟はもうとっくに決まっているわ」


恐らくエレナとして数年生きた私はもう愛玲奈には戻れない。きっとエレナも愛玲奈として生きることしかできないだろう。お母さんにはエレナがいる。私にはアリアや、クリスや、お義母様。たくさんの人がいる。だからきっと寂しくない。


「……だけど、もしもう一度お母さんに会えることがあるなら、思いっきり抱き締めて欲しいな」


ただ、それだけ。

っと、ちょっとしんみりしてしまった。何も言わないアリアに私は意識して明るい声で言った。


「わたくし、もう眠くなってしまったわ。お部屋に戻るわ。勝手に出歩いてごめんなさい」


屋敷の中へと入る私の後ろを、アリアは静かについて来た。



翌日の目覚めはあまりいいものではなかった。

……久しぶりに愛玲奈の時の夢を見たな。

昨日あんな話をしたせいか、夢にお母さんや千香が出てきたのだ。そういえば私、エレナになる前は攻略対象に、カイ達にキャーキャー言っていたんだよね。実際にカイ達が身近にいる今では考えられない。


「エレナ、昨日の夜どこに行っていたの?」


アリアが来る前に、とクリスが服を着替えながらそう聞いてきた。少しドキッとして、なぜか私は嘘を言っていた。


「どこにも行っていないわ。ああ、お手洗いには行ったかしら。どうしたの?」


そう言って正直に散歩に出ていたと言えばよかった、と後悔した。クリスに対して嘘をついてしまったことに胸が痛んだ。クリスはよく分からない表情で私を見て、そして近付いて来た。

何を考えているのかよく分からない。何をされるのか、と身構えると、クリスはふっと笑って、私の背中へと手を回した。

……えっと、何これ。私今抱きつかれてる? なんで?

頭の中が?でいっぱいになる私を気にせず、クリスはぎゅっと腕に力を込めた。とても温かい。


「クリス? 突然どうしたの?」


訳が分からず、クリスの腕から逃れようとするが、クリスは腕から力を緩めずに言った。


「んー? なんとなく?」

「なんとなくって何よ」


そう文句を言った私だったが、心地の良い温かさに心が落ち着き、逃れようとするのを止めてクリスの背へと手を回した。
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