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転機

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「エレナ」


誰だろう、と振り返って目を疑った。きょろきょろしてみても他に誰もいない。目をこすってみてもその姿は消えない。……幻じゃないか。


「何よ、失礼ね」


ベアトリクスが私を睨む。いやだけどまさかあのベアトリクスに名前を呼ばれる日が来るなんて思わないじゃん。というか私あまりベアトリクスに関わりたくないんだけど。扉を開けてあげるくらいいいかと思ったけど、やっぱり止めておけばよかったかもしれない。いつかのように殴られたらたまったものじゃないもん。

できれば気が付かなかったふりをしてこの場から立ち去ってしまいたい。だけどまだ本も借りれてないし、というかもう目が合ってしまってるし。


「何ですか?」


今更ベアトリクスに笑顔を見せる必要なあるまい。笑顔を浮かべることなく、そう聞くと、ベアトリクスは不愉快そうに眉をひそめた。しまった、少し面倒臭さが出てしまったかもしれない。

だけどどうせ私がどんな反応したって機嫌は悪くなるんでしょ。すぐに逃げられるように、自然と扉の方へ背中を向ける。さすがにここで暴れるとは思えないけど、一応、だ。

が、ベアトリクスはそれだけで特に文句を言うわけでもなく言った。


「本を探したいの。手伝いなさい」


……あれ? 傲慢な態度は変わってないけど怒ってはないな。ベアトリクスも成長したのか? ゲーム内ではとてもそんな風には見えなかったけど。


「そういうことでしたらわたくしではなくベルメール先生の方がよろしいのでは?」


ベルメール先生を手で示すと、ベアトリクスはそちらを見た後、また私へと向き直った。


「手伝いなさい」


いやいや、私じゃないでしょ! 遠回しに嫌だって言ってるんだけど。今までだったら絶対に私に話しかけることのなかったベアトリクス。急な変わりように、私はとても戸惑った。


「……あの、失礼ですが、池に落ちたことはございますか?」

「はぁ? そんなことあるわけがないでしょ」


はい、中身が入れ替わったわけではないようだ。となるとベアトリクスに心境の変化があったのだろうか。きっかけは何だろう。もしかするとこのまま良い方に持って行けないだろうか。ヒロインが出てきた時に悪役令嬢はいない方がいいもんね。

となるとまずは教育だね。


「クラッセン公爵令嬢、申し訳ありませんが、わたくし、いくら身分が上の方とは言え、クラスメイトの命令には従えませんわ」


実際にこの学校では身分よりも成績が重要視されている傾向がある。もちろん、身分がはるかに上の子にこんなことを言うのは馬鹿ぐらいだ。だって相手は公爵令嬢、私は伯爵令嬢。天と地ほどとは言わないけど、かなりの身分差だ。

馬鹿なのは分かっている。だけどこれ以上ないチャンスなのだ。


「これは命令ではなくお願いよ。手伝いなさい」

「公爵家ではそう言う風にお願いするのでしょうか? お願いならば『手伝ってください』ですわ」


笑顔は浮かべない。というか、笑えない。この状況でベアトリクスがどう出るかなんて全く分からない。キレられないかドキドキだ。

そんな私をベアトリクスは睨む。ひたすら睨む。が、私は何も言わない。少しすると、ベアトリクスが屈辱そうな表情で口を開いた。


「手伝ってちょうだい。お願い」


とても小さな声だった。だけど確かに聞こえた。気が抜けてドッと汗が噴き出た。そして、確信した。これはイケる! 聖人君子にはならなくてもゲームのような悪役令嬢ではなくなるかもしれない。

頭を悩まさせるのはラルフ一人で十分だ。よーし、頑張るぞ!


「分かりましたわ。どのような本をお探しですか?」


私が頷くと、ベアトリクスは今までのような傲慢不遜な態度に戻った。


「魔力について詳しく書かれている本が読みたいわ。出して」


はいはい、まあ今はお願いできただけでも十分な進歩だ。まあぶっちゃけ周りに害のない程度になってくれたらいい。前は会話すら碌にできなかったもん。

それにしても魔力か。魔法の本は結構あるけど魔力限定。確かこの辺に何冊か会ったような気が……。

本の背表紙をじっくりと眺めながら歩くと、ベアトリクスもその後ろをついて来た。うーん、よく見えない。魔力で強化してよく見えるようにする。


「ねえ、それどうやってするの?」

「はい?」


突然の問いに首を傾げる。それって何?


「それよ。魔力で良く見えるようにしているんでしょ」

「あ、はい、これは魔力を目に集める感じですの。体に流れる魔力を意識して、それを一か所に集めるだけですわ」

「ふーん……」


ベアトリクスが何かを考えるように俯く。私は再び背表紙へと目を向けた。

私が魔力強化してるってなんで分かったんだろう。もしかするとこれって結構有名なのかな? できる人は少ないって聞いたけど。ベアトリクスもできるようになりたいのかもしれない。それならあの本かな。

……あ、あった。これ前に読んだけど細かく書いてあって分かりやすかったんだよね。背伸びをしてその本を取り出すと、ベアトリクスが興味深そうに私の手元を覗き込んできた。わざわざ覗き込まなくても渡すのに。


「わたくしのおすすめはこちらですわ。基礎から応用まで幅広く書いてありますが、とても分かりやすいのです。どうぞ」


差し出すとベアトリクスはすぐに私の手から本を取って、踵を返した。あ、やばい、これ出口に向かってない?


「クラッセン公爵令嬢、本は貸し出し処理してもらってくださいね」


そう背中に呼びかけると、ベアトリクスは振り返ってキッと私を見た。


「何よ、それ」

「カウンターに持って行って、ベルメール先生に『貸し出しをお願いします』とおっしゃってくださいませ」


私の言葉に不機嫌そうな顔になり、だけどカウンターの方へ向かって行った。

思えばまだ十二歳。方向転換するにはまだ十分に可能性はある。……ん? 待てよ、リリーが出てくるのは四年生。ということは十四歳になる年だよね。え、じゃあ十四、十五歳であんな壮大な恋愛するの?

あっちではまだ中学生じゃん! 異世界ってこわっ!
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