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 マイネの長い話をゲリンは何も言わず、ただ聞いていた。

「それで俺は王都を逃げ出して、アプト領に向かった。王女殿下を出迎えるためにルシャード殿下がアプトにいるなら、途中のどこかで偶然会えるかもしれないって期待したんだよね。会えずじまいだったけどさ」

 過去の話をゲリンに語り、マイネは王宮を出た日が昨日のことのように蘇った。
 あの時の悲しみに襲われそうになる。

「長くなってごめん。あとは、もうゲリンが知ってる通りだよ。俺は一人でカスパーを産んで育てた」

 初発情期の記憶は、マイネにとってカスパーを授かった大切な記憶だった。

 しかし、ルシャードにとっては、どうだったのだろうか、と不意に思う。
 最初からマイネをオメガだと確信していたのなら、発情期だとわかっていたはずだ。

 それなのに、マイネを金ノ宮に運んだのはどうしてだったのだろう。

 発情期の間、途切れた記憶は多い。
 その中に答えがあるのかもしれない。
 
「それで昨日は殿下と何を話したんだ?」
 ゲリンが訊く。

「えっと、なぜ王都を離れたのかって聞かれたけど、理由は言えなかった……あと、次に来たときは一緒に王都に帰ろうって言われたけど」

 カスパーと暮らすマイネの答えは決まっている。
 ルシャードに似たカスパーを王都に連れて行くことはできない。

 マイネから引き離されてしまうかもしれないのだ。

「マイネをずっと探してたんだな。よかったじゃないか。マイネも会いたかったんだろ」

 ゲリンがマイネの頭を優しく撫でた。

 会いたかった。
 五年間忘れたことがなかった。

「うん。でも、殿下には……」

 ルシャードの結婚がどうなったのかもわからない。
 白紙になったとは思えないのだ。

「ガッタの王女のことなんだが、ずいぶん前にガッタの商人から結婚したと聞いたことがある」

 マイネは驚く。
「本当に?」

「それに、俺はエモリーの病院でずっと雇われているが、四年半前のアプトにガッタの王女は来てないはずだ」

「でも、俺は確かに聞いたよ」

「そんな身分の高い人が泊まれるとこなんて領主館しか存在しないし、泊まらないとしても領主様に連絡ぐらいあるはずだ。俺の耳に入らなかったことが腑に落ちない」

「極秘だったからじゃない?ゲリンが知らなかっただけかもしれないよ」

「でも、マイネは何もおかしいと思わないか?」
「…ちょっとは思ったけど」

「明日エモリーに確認してみないか?」

 あの朝、ルシャードはマイネのこめかみにキスを落として、王女を出迎えに行った。
 今後の話を、明日しようと言い残して。
 
 どうして、ルシャードは結婚の話を一言もしてくれなかったのかと何度も考えた。

「ただいま!」
 玄関が開く音とともに、カスパーの元気な声が部屋に響く。

「おかえり」

「お父さん、平気になった?」
 カスパーが尻尾を揺らしながら、マイネに駆け寄る。

 カスパーは、マイネの宝物だ。 
 だから、ルシャードには感謝していた。

 カスパーを抱きしめ、金色の髪を撫でると、背後の尻尾が勢いよく揺れた。

「もう大丈夫だよ」

 今回は、イレギュラーな発情期だった。
 抑制剤が効かなかったり半日で終わったり前回の発情期から一ヶ月と短い間隔だったりと、異例だった。

 原因として考えられるのは、ルシャードと再会したことだ。
 ルシャードはマイネの発情を促すフェロモンでも出ているのだろうか。

「お父さん。手、出して」
 カスパーが、マイネの手の中にころんっと小さな玉を転がす。

「飴?」
「うん。院長先生に、もらった。二個、あるから、お父さんも、どうぞ」

 カスパーが笑うと、愛おしさが胸を満たし、歯を噛み締めた。
 カスパーだけは何としても手放さない。

「ありがとう」
 マイネはルシャードに似たカスパーをそっと抱きしめた。


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