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しろやぎ

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三部

007_女二人

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 ひと月の間ではあるが、マリアは地下闘技場で闘技者のひとりとして。そして、ひどく傷ついた闘技者を救うための神官として勤めている。
 闘技者としてのマリアは強さでいえば中の上。しかし、見た目のよい若い女性であること。紙一重で相手の攻撃をかわし、鋭い一撃を加える華のある素手の格闘スタイルによってかなりの人気を得ていた。

 しかし、闘技場にはむしろ神官としての役割を期待されていた。
 暗黙の了解として闘技者同士はとどめを刺さないことになっている。もちろん手元が狂ったり、試合に熱中するあまり殺してしまうという事故は多々あった。だが、闘技者としても命は惜しいし、興行主としても上級の花形剣闘士は一度失えばなかなか替えの利くものではなかった。
 そこでウェザリアの地下闘技場では、多くの薬師や接骨医といった人物を抱えていた。生きる見込みがあり、かつ復帰が望める選手であれば不意の負傷にも手厚い看護を得ることができる。もちろん多額の料金は必要となるが。

 神官はただでさえ貴重な存在だ。そこにきて地下闘技場となると、まっとうな秩序側の神官など望めるはずもない。かといって混沌側の神官というのは、おおむねどこかおかしなところがあり、抱え込むにはリスクが大きい。

 しばらく前にふらりとやってきたマリアは、格好の人材であった。
 表向きは闘技者として。しかし、有事の際には回復役としての役割を任されていた。マリアは毒も病気も治せ、なおかつ失われた視力までも回復できる実力を持っており、ウェザリアの興行主を驚かせた。さすがに失われた手足を復活させることは無理であったが、得ようと思って得られる人材ではない。

 しかもマリアは薬師としての力も併せ持っていた。その実力もまた地下闘技場においては十分に必要とされる能力であった。

「あなたにできないことってあるの?」

 カウンターの中でアストリアは、呆れ気味にそう漏らした。
 というのも、アストリアが軽快に酒と酒を混ぜ、香りのいい果汁などを絶妙にブレンドしていく姿を見たマリアはそれに興味を持ち、その技術を瞬く間に身につけていってしまったからだ。

「ほんのさわりだけよ」

 そう返したのだが、実際にマリアはやる気さえあればどんな技術でも習得できた。ただし本人がそういったように、これからその道のプロフェッショナルとしてやっていける、その直前で飽きてしまうのだ。

「さわりだけって貴女……わたしがこの味を出せるまで何年かかったと思うのよ」

 アストリアはマリアが作ったカクテルを睨みつけてから、複雑な顔で口をつけた。
 この腕であればどこの酒場でも金を取ることができるだろう。

 アストリアにいわせれば、カクテルというのは簡単なようで難しい。酒に別の酒を。またはアルコールのないドリンク。フルーツ、スパイス、シロップといったものを混ぜるだけ。
 それだけにセンスが問われる。
 混ぜすぎてもいけない。混ぜすぎなくてもいけない。強く混ぜることや弱く混ぜること。貴重な氷をどのように使うか。その速度はどれくらいが適当か。数え上げればきりがないくらいの要素をひとつひとつこなしていく。それがバーテンダーの醍醐味だという。

「アストリアには負けるわよ。それにわたしはもうこれ以上、上手くならない」

 これがマリアでなければ自虐か、さもなくば自慢ではあると思っただろう。だが短い付き合いの中。人と接する職業であるバーテンダーとして経験を積んだアストリアにはわかった。マリアは本当にそう思っているのだ。

「こんな短い間にわたしより上手になったら反則よ」

 確かにマリアの作るカクテルは、アストリアに及ばない。これがエールの注ぎ方。蒸留酒の出し方にせよ、アストリアは負けることはないだろう。

「マリア。あなた、何かひとつに熱中したことって……ある?」

 地下闘技場は静まり返っていた。
 ふたりは闘技場が営業終了の後の時間を使い、こうしてバーテンダーとしての技術を教え学び、一杯飲んでいくのがちょっとした習慣になっていた。
 アストリアはバックバーからぶどう滓の酒グラッパを取り出すと、蕾のような口のすぼまったグラスに注いだ。
 それを見たマリアはやはり敵わないと思った。グラスへ無造作に注いだように見えるが、酒瓶は繊細なグラスに触れもせず、ひとすじの糸のように静かにグラスへ満たされていく。アストリアの黒い華奢な腕は、重いボトルを支えて微動だにしていない。

「今は、素手で殴り合うのが楽しいわ。ここでの格闘は冒険者の戦士みたいな戦いや、盗賊の戦い方とはまた違った面白さがあって楽しいの」

 マリアは注がれた酒を嬉しそうに一口含む。
 カクテルを作るのはあくまで趣味で、本人としては蒸留酒のような強い酒をそのまま飲むほうが好きなのだ。
 マリアに作ったカクテルはというと、こちらはアストリアの手にある。

「……そういうことじゃなくって。ああ、もういいわ。あなたみたいな天才と真面目に話すほうが間違ってたわ。ギロチン・マリアにね」
「褒められていると思っていいのかしら?」
「大絶賛よ」

 降参、という感じであった。

「ありがと。でも、最近もうひとつ興味があるの」
「何?」
「このあいだ上級剣闘士のレイフェスの怪我を治したのよ。全身ボロボロだったから服をぜんぶ脱がせて治療したんだけど、すごいのよ。彼――」
「見たの!? レイフェスの取り巻きに知られたら黙っちゃいないわよ!!」
「バレるようなヘマはしないわ。彼も全身傷だらけで、戦いの後じゃない? すましていたけど興奮収まらずって感じで……治療であちこち触っているうちに、元気になっちゃって」
「――元気ってどこがよ!? はっきりいいなさいよ」
「いわせる? もちろんアレに決まってるじゃないの――」
「どこまでいったの? 最後まで!?」
「聞きたい? アストリアが隠しているレゴリスのチョコレートを出してくれたら考えてもいいわ」
「この性悪神官!」
「混沌神の神官だもの」
「これを出すからには全部話してもらうわよ」

 こうしてある日のウェザリアの地下闘技場の夜は、ふたりの女性の弾む声で更けていった。
 まだ、マリアージュがひとつのことに熱中できるものがない時間を。
 
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