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第三部
35.<閑話>傍迷惑な逃亡劇①
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5話以内で完結させたい番外編です。
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季節はそろそろお盆休みに入る頃。夏の陽射しが強く紫外線も一段と気になる時季。私は目を疑う現場を目撃してしまった。
都内でも有名な歴史のある高級ホテルに、仲良く連れ添いながら入る男女の後ろ姿。仕事帰りのスーツ姿の男性と、清楚なワンピースに身を包んだ女性。その女性の肩を親しげに抱く男性には、見覚えがありすぎた。
サラリーマン……の一言では言い表せない、気品のある佇まい。端整な顔立ちの美形で均整の取れた長身の体躯。仕立てのいい上品なスーツはオーダーメイドなのを知っている。ちらりと見えた横顔は、いつもと同じく柔らかい。
常に優しく見つめる目も、甘く囁く声も。自分だけに向けられるものだと信じていたのに、ホテルに入る男女は恋人同士にしか見えなくて。思わず物陰に隠れては、証拠をばっちりカメラに収めていた。
日頃から浮気調査に携わることが多い。その条件反射でばっちり証拠写真を撮っては、すぐにその場を離れて写真を確認。他人のそら似かと思い込もうとしたが、カメラに映っていたのは紛れもなく白夜だった。
「マジで……?」
最愛の人を見間違えるほど私の愛は浅くはないはず。隣の女性は後ろ姿しか確認できなかったけど、相当なプロポーションをお持ちの(推定)美女だろう。
バッグから携帯を取り出し、ワンプッシュで司馬さんにかけた。今夜の社長のスケジュールを、私は把握していない。
仕事以外で忙しい彼に迷惑をかけるのは躊躇われたが、事実確認が必要だ。時刻は夜の二十二時。帰宅しててもおかしくはない時間。案の定司馬さんは既に自宅にいて、社長は自分より早く帰宅されたはずだと答えた。
「そうですか。ありがとうございます。司馬さんもゆっくり疲れを癒してくださいね。お疲れ様でした」
おやすみなさいと伝えてから、白夜の家に向かった。今夜は元々実家に戻る予定だったけど、速攻で今必要な荷物をまとめた。その後自宅に帰り、旅行用のキャリーケースにまた最低限の荷物を放り込む。
不思議そうな顔で、「旅行か出張でも行くの?」と訊ねてきた弟に、お姉ちゃんはこう答えた。
「響、私しばらく失踪することにしたから。明日からいつも通り戸締りよろしくね」
「え?」
引きつった顔をした弟に、私は満面の笑みを向けた。
翌日の早朝、鷹臣君の仮眠部屋前に待機していた私は、ぼさぼさな頭で扉を開けた彼に飛びついた。
「鷹臣君おはよう!」
「はえーな、麗。何でもういるんだよ。まだ7時だぞ?」
あくびをしつつも、抱きつく私をそのままにして歩く俺様鷹臣様。引きずられながらも、私は彼の引き締まった腹筋にしがみついた。
「鷹臣君、私しばらく姿隠すことにした」
「ふわ~あ、あ?」
再びあくびを漏らした彼は、来客用のソファに座る。「麗、茶」と単語だけでお茶を要求した室長に、速攻でミルクティーを差し出した。目覚めすっきりのブラックコーヒーの方が彼の外見的イメージだが、甘党な鷹臣君はミルクティー派だ。次期古紫家当主様はなかなか可愛い一面を持っている。
他に誰もいない事務所にて、私も彼の前に座り昨晩撮った写真を見せた。それだけで、この何でも屋の室長をしている彼なら察するだろう。
「で? 本人に確認は?」
「まだ」
呆れに似た吐息を吐き、彼は顎でくいっと事務所の扉を示した。何それ、さっさと確認して来いってこと? ぶっちゃけすぐにそうするべきなのはわかるのだが、無理。一応冷静さは保っているけど、なかなかにショックが大きい。本当に白夜が私をもう好きじゃなくて、浮気が判明したら……。新婚生活をまともに送る前に離婚って、悲しすぎて落ち込むどころじゃない。
「正直ちょっと疑いつつもありえないとは思うけど、絶対ないと思っていた人にこそありえた場合、多かったよね?」
それは今までの経験上。依頼人たちの中にはラブラブカップルもいた。
淹れたてのミルクティーを啜る鷹臣君は、頷いた。
「冷静になれる時間が必要なの。一人で静かに数日間過ごせる場所も。だからね、鷹臣君。明日からのお盆休み、協力してくれる?」
「何をだ。お前の身柄を俺ん家で匿えとかそういうことか?」
思いっきり面倒くせーという表情がありありと浮かんでるよ。ちょっと、可愛い従妹に対して冷たすぎない?
「違うよ、鷹臣君の家で匿ってもらったって、すぐに見つかって連れ戻されちゃうじゃない。そんなのは嫌。私ね、これでも結構怒ってるの。真実がどうかはわからなくても、白夜が女性と二人きりでホテルに入ったことは事実。私以外の女性の肩を抱いたことも。だから、ちょっと本気で逃げて困らせてやろうと思って」
「は?」
ぴくりと眉を跳ね上げた鷹臣君に、私はにんまり笑った。
「古紫家協力の下で私が逃げたら、白夜はどう動くだろうね? 東条グループと古紫家だとどちらが上手なのかな?」
ずず、と自分用にも淹れた豆乳ミルクティーを一口飲んだ。まろやかな口当たりとほんのりした甘さが丁度いい。
「お前さらりと怖いこと言う女だな。表舞台から撤退してる俺達が堂々と動けるわけないだろ」
「堂々と動いてもらっちゃ困るじゃん。それに私と白夜はまだ結婚を公表していないんだよ? 東条家が大々的に動けないことも織り込み済みで、お互いどこまで出し抜けると思う?」
東条セキュリティのトップと、不思議な血筋の一族、古紫家の次期当主。彼らが本気で動いたら、きっと暴かれない真実はないだろう。そして何の力も持たない私みたいな小娘など、すぐに捕まるはず。……どちらかのサポートがない限り。
「たとえば、そうだね……期間はこの休みが終わるまで。私の居場所を白夜が掴んで連れ戻しに来たら、彼が言うことは何でも信じるし、私ももっといい奥さんになれるよう努力する。でももし来なかったら、ううん、見つけられなかったら。話は聞くけど、しばらく世界中にいる友達のところにでも居座ろうかな」
1、2ヶ月位なら何とかなる。幸いな事に私はそこまで無駄遣いをしてきた女じゃない。
「仕事どうするんだよ」
「さあ、有給か足りなかったら無給?」
ここでの仕事は何とかなるだろう。東条セキュリティでの仕事は、司馬さんには悪いが少しお休みを頂こう。まあ契約期間はあと少しで終わるんだけども。事情が事情なので察してくれるはず。
ずずず、とお茶を啜る音が大きく響いた。ソファの背もたれにどかっと背を預ける彼の眼は、「お前バカだろ?」と告げている。
「バカで結構。いつも振り回されてるんだから、ちょっとくらい振り回してみたっていいじゃない。白夜ばっかりずるい!」
「おいおい、お前がそれ言うか。お互いさまに見えるぞ」
何を言ってるのだ。明らかに私が振り回されるばかりじゃない。だって白夜が初恋で初彼で結婚相手なんだもの。私は彼以外は知らない。
呆れたため息を深々とついた失礼な従兄だったが、何を思ったのか一拍後。ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「まあ、いいぜ。協力してやっても」
「え、本当!?」
思わず前のめりになる。気まぐれでそんな事を言い出したのかもしれないので、しっかり真意を確かめるのも忘れちゃいけない。
「でも何で? 鷹臣君、初めすっごいめんどくせーって顔してたよね?」
「隠してないからな、顔。そのままだったが、気が変わった。東条グループがどんだけ厄介かを把握しておきたいってのが本音だな。お前が言う通り、うちと東条……まあ東条さんなら自社の東条セキュリティとその名前か。まともにやりあったらどんな結果を残すかは、確かに気になる」
つまり、鷹臣君はデータ収集が出来ると思っているのだ。白夜が持つ権限がどこまで使用可能なのか。いざという時の利用価値などを考えているのだろう。抜け目のない鷹臣君らしい……。
隼人君の協力も仰ぐと言い、捜索届けが出されても何とかさせるとあっさり述べた。げえ、そんなの出されたら大事になるんじゃ……。一瞬でやる気に満ちた気持ちが鎮火された。
が、鷹臣君は「何怖気づいてるんだ。甘い」とデコピンを食らわせて来た。痛い!
「やるのかやらないのか。やるなら協力してやるが、中途半端な気持ちならやめろ」
ぎろりと睨まれた。名前のごとく鷹のように目つきが鋭い。(飲んでいるのはミルクティーだが。)
でも私も女。一度言った台詞は撤回しない。女に二言はないという意思を込めて、私は真っ直ぐ鷹臣君を見つめ返した。
「やる」
私の決意を感じてくれたのか。鷹臣君は一言「よし」と言い、ソファから立ち上がった。そして事務所で使う携帯を私に手渡す。
「お前の私物は全部ここにおいて行け」
「え? 携帯はGPSついてるしそのつもりだったけど、全部ってあの荷物も全部?」
キャリーケースには数泊分の着替えや最低限の荷物が入っている。このまま出張にでも行けそうな荷物だ。全部置いて行ったら私は何を着たらいいの。まあコンビニがあれば急なお泊りセットも売ってるし、全部現地調達で何とかなるっちゃなるけど……えらく出費はかかる。
が、鷹臣君が告げた台詞は、私の考えの更に上を行く言葉だった。
「東条さんから貰ったもの以外も念のためだ。アクセサリーも指輪もだぞ。じゃないと一体何に発信器や盗聴器が仕込んであるかわからねーだろ」
まあ盗聴器はないと思うがな~とあっさり告げられ、私の口はぽかんと開いた。彼が取り出したのは、盗聴器探知機。今のところ室内に怪しい物体はないらしい。
「え、ええ? 私の荷物に発信器って、そんな可能性が……!?」
……ヤバい、なくはない事が恐ろしい。
むしろ可能性としては十分あり得るんだけど! だってセキュリティ会社の社長だ。作ろうと思えばいくらでも作れる……。
「カードは使うんじゃねーぞ。バレるからな。現金もあらかじめ下ろしてから行けよ」
「うん、それはそのつもりで、多めに下ろしておいたけど」
「いくら?」
「十五万位」
使わないならいいが、万が一必要になったら困る。封筒に数万ずつにわけて、鞄やポーチなどに入れているのだが。鷹臣君は首を振った。
「あと二十万は用意しておけ」
「五日間でいくら使う予定なの!?」
ひえ……! OLさん(もしくはサラリーマン)の月給が余裕で飛ぶよ……! 海外旅行に行くわけじゃあるまいし。
だが鷹臣君は甘いといい、それでも足りるかわからない模様だった。私はどこに飛ばされるのだろうか。
「移動手段に飛行機は使うなよ。まず連絡が届くのが空港だ。お前の名前は電話一本でおさえられる」
「ブラックリスト!? 航空券取った時点でアウトってこと?」
「空の移動は論外だ。移動は電車か車か……。だが車も検問に引っかかるかもな。電車もこのまま乗ったらすぐにバレる」
「何で?」
きょとんとした顔を向ければ、鷹臣君は信じられないと軽く目を瞠った。
「まさかとは思うが、お前マジで気づいてねーの? SPやらボディーガードついてるだろ、周りに」
「は? 誰それ。私にそんなのいないよ~」
あはは! なんて笑い飛ばせば残念な子を見る視線がビシビシ刺さった。何それどういう意味。
さっさと荷物を取り出せと言われ、キャリーケースと手荷物の鞄の中身をデスクの上に置き始めた所で、続々と事務所のメンバーがやって来た。私に何をやってるのか声をかけてきたのは瑠璃ちゃん。そして鏡花さんだ。
「お前ら聞いて驚け。こいつ自分にSPも監視役の見張りもいないとか言ってるんだぜ」
「むしろ鷹臣君の発言の方が驚きだよ! ねぇ?」
同意を求めれば、何と二人も驚きの顔で私を見つめてきた。え、何その呆れた眼差しは! 鏡花さんの目が、相変わらず……と言っている。
「麗さん、ご自分の立場をよく思い出してください。あなたは今誰ですか?」
「誰って、オフィスTKの社員で時々東条セキュリティの第二秘書で、白夜の奥さん?」
「そうよ、その三番目。あの東条グループの御曹司の妻と言ったら、身辺警護が日常的に入る可能性はあるでしょう」
「え……?」
本気で気づいてなかったのか! と二人が顔を見合わせ、私は鷹臣君に詰め寄った。待って、ちょっとマジで本当に!? 私見張られてたの!? 密かにいかついボディーガードとかついてたの!?
「知らないよ私! 聞いてないよ!?」
「隠してたんだろ。相当訓練されてるっぽいからな~。気配すら感じない」
「忍者か!」
それに近いものがあると言われ、驚愕した。一体いつから護衛役なんてついていたの。私は何も聞かされていない。
「一応お前も探偵やってるくせに気づかないとか、情けないぞ。仮にも外交官の令嬢ならSPなんていちいち驚かないだろう」
令嬢とかそんなもんじゃなかったし。父が総領事になったのだって私が大学に入るちょっと前の事だ。それにめちゃくちゃ治安が悪い国に赴任になった事はない。今のアフリカがそれなりにキケンな場所だが。
鷹臣君はふと何かに気付いたように顔をあげた。ニヤリと口角をあげる企み顔。あれはろくでもない事を考えている時の顔だ。
自分達用のコーヒーを淹れて戻って来た二人も含めて、鷹臣君はドカッとソファに座ったままこう告げた。
「いい機会だ、麗。お前もそろそろ昇進試験を受けろ」
「ええ?」
昇進試験? ってそんなのうちあったっけ?
首を傾げる私に、鷹臣君は告げた。
「お前がどれだけ一人前になったかを計るテストだ。いい加減浮気調査や企業の雑用係以外にも挑戦してみたいだろ? どんだけ使えるようになったか、この祭ついでに確認してやる」
「ついでって! まあ確かに、他にも任せてくれる仕事が増えるのは嬉しいけど……。一体何するの?」
黒崎君や白石さん、鏡花さん達の仕事はかなりハードだ。専門知識も要するし、誰でも出来る仕事じゃない。なかなか濃いバックグラウンドを持ってるメンバーが集まっているので、各分野で各々得意な分野を活かしている。って、私は別に浮気調査が得意なわけじゃないんだけど……。一番下っ端で、割り振られることが多いだけだ。
「何、簡単だ。お前が言ってた通りに、何が何でも今日から五日間逃げ切れ。日付が変わった五日後、東条さん本人に捕まったらお前の負けだ。昇給はなし、給料も20%カット。そのまま二週間、うちの無人島でサバイバル修業でもさせるか」
「ちょっとー!? 何それ、いきなりハードル高くない!? お給料カットってそれじゃ恋人を作れって言って来た命令前に戻るってことじゃないの。っていうか最後は? 無人島って、鷹臣君、島なんて所有してるの!?」
聞いた事ないよ、そんなの!
古紫家恐るべし。無人島まで持ってるって、一体何に使用しているのだ。
「去年の給料に戻るだけだろうが。それは大した事じゃねーだろ。うちが所有してる島はたまに自衛隊とかに訓練目的で貸し出すんだよ。そこそこ手入れも行き届いているからそんなに居心地は悪くないはずだ。お前が東条さんから逃げ切った後、どっか海外の友人宅に行くのと島に行って修業するのとじゃ、変わらない」
「変わるよ!」と即答した声は無視された。何て酷い。
すっかり面白そうに傍観者として耳を傾けている鏡花さんと瑠璃ちゃんは、あっさり「頑張ってね」と応援した。
「ちなみに、麗さんが逃げ切った場合は何かご褒美が出るんですか~?」
「特にねぇが、仕事の幅は広がせてやれる。給料は今年いっぱいはこのままだがな。あとは、逃げ切った場合は経費として、かかった費用の8割はうちが負担してやるよ」
「8割?」
それって合計金額がいくらになっても、必ず8割は負担してくれるって事?
どうせなら全額にして……! と言いたいところだけど、元々これは私が言いだしたこと。そんなのは言えない。
が、さっき35万でも足りるか? と言って来た鷹臣君のことだ。もっとかかる可能性を考えて物を言っているに違いない。ということは、たとえ本当に35万きっちり使ったとしても、逃げ切れた場合は8割の28万は負担してくれると。
28万……。大きい……!
思わず本来の目的を忘れて、耳を傾けてしまった。しかし聞けば聞くほど、捕まった時のリスクがデカい。
「島で無人島暮らしが嫌なら何が何でも逃げ切れ。だがな、俺は最低限しか手助けしない事にする」
「え、話が違う」
途中から試験なんてややっこしいものにしたから、話がこじれてしまった。鷹臣君は古紫家は最低限の手助けしかせず、自力で乗り越えろと言って来た。それでこそ実力が試せるものだろうと。
「しかし相手は東条さんだからな、きっと容赦がねぇぞ。とりあえず隼人はこっちの味方につけてやる。だが警察の上層部は、いくら古紫が警察内部に入ってても東条家を無視できないだろうからな。まあいざとなったら役立つ便利グッズはいくつか持たせてやるよ」
待ってろと言い、彼は立ち上がって消えた。朝8時で既に何だかお昼過ぎの気分だ。
窓の外をちらりと見る。私のSPとかボディーガードなんて本当にいるの? と半信半疑で外を覗いたけど、通行人しかいないように見えた。
「ほら、やっぱり誰もいないよ。皆の気の所為……」
「麗、あんたあの斜向かいの喫茶店見た? あんたのSPさん達、そこの常連客よ」
「え!」
再びそっとブラインドから覗いて……、いた。窓辺に一人、静かにコーヒーを啜りつつも、外に気を配っているっぽい男性が一人、二人……。
ちらりと背後の鏡花さんに、「ちなみに何人まで確認してました?」と訊けば、彼女は掌をそのまま振った。
「5人!?」
「日替わりかもしれないけどね、私が把握してるのは5人までよ。瑠璃は?」
「私は3人でしょうか。いつも麗さんの周りには最低二人はついてますよね~」
「そうなの!? ってか教えてよ!」
鈍感すぎると言われたが、そんなこと言われてもマジで気づかなかった。恐ろしく有能らしい。
そして白夜が私に何も言わないことが、地味にムカムカと……。
そうだよ、白夜は隠し事が多いんだよ。嘘は言わなければ秘密はあってもいいなんて言ったけど、でも違う。私が関わっていることなら、やっぱり教えて貰いたい。隠されて、守られてるだけの存在なんてなりたくない。私は彼の隣に立って歩きたいのに、これじゃ対等な立場ではないじゃないか。
「発信器も勝手につけてるとか、よく考えてみたら酷いと思うの。美女の肩を抱いてホテルに行ったり、随分好き放題してるよね……白夜ばかり。私は何も聞いてないのに」
ずるくない? 私だって自由にやりたいことすればいい。
かなり好きにさせて貰っている方だと思うけど、まだまだ足りない。メラメラと闘志が燃えてきた。
「鷹臣君に宣戦布告を叩きつける役目を担ってもらうとして。荷物! どうしよう。これ全部持っていけないって」
お財布なら大丈夫かと思ったけど、白夜の目に入った物は全部疑えと言われた。可能性があるなら危険な道を選ぶなと。
それにSPさん達に警戒されないよう、こっそり外に出なければいけない。キャリーケースをもう見られているのは痛いな。私が何かしらの行動を起こす可能性にも、気づいているかも……。
あれ、何だか本当に話が大きくなってないか。今更だけど、手遅れ感がひしひしと。
「変装グッズは事務所にも置いてあるし、とりあえず着替えてパッと見私だとわからなくすればいいか」
本格的に逃げるなら一体どこまで警戒しなければいけないのか。鷹臣君には最低限にしか頼れない。古紫家も同じく。ほぼ自分の力で東条グループの御曹司でセキュリティ会社のトップから逃げるのは、至難の業だが。
これが出来なければ、私は一体数年間何をしてきたんだろう。相手はセレブだけど一般人。私にだって多少なりの知恵と経験があるはず!
本来の目的は勿論胸の中に留めながら、覚悟を決める。よし、やってやろうじゃないの。
「麗さん、これ室長がID代わりにって。乗る事はないと思うけど、念のため運転免許証どうぞ~」
「ありがとう」
和やかに受け取ったのは、私の写真が使われた別名義の運転免許証。どうやって作ったのか、その経緯は極秘だ。鷹臣君にかかれば偽造のパスポートも用意できるだろう。時間はかかるが。
「鈴木華子……って、思いっきり仮名っぽくない? これ」
「逆に本物っぽいだろっておっしゃってましたよ~」
そうなの? でもあまり聞かない気もする。リアルで山田太郎とか花子とか。
とりあえず忘れる心配はない名前だ。私も身支度を整えるべく立ち上がれば、鷹臣君はいくつかの便利グッズを手渡した。
「このブレスレットとペンダントの石って何? 鷹臣君の結界のやつ?」
「それは前渡しただろ。あれも一応つけておけよ。そのブレスレットは隼人の千里眼だ。遠くにいても居場所を特定しやすい。身内がお前の居所を判断できないと、試験の意味もないだろ? フォローの意味でもな」
「そっか。隼人君が味方にいるならまあいっか。これつけてたら、距離が離れてても視やすいって事?」
そういうことだと頷かれ、納得する。プライバシーの侵害にあたるようなとこは、多分大丈夫だろう。
「ペンダントの石は? 勾玉っぽいけど」
「それは珍しいやつだから失くすなよ。重力を多少なりとも操れる。走る時、身体が軽くなるはずだ」
「マジで!? 体重計に乗ったら軽くなっててダイエットできるって事?」
「元の重さは変わらないんだから意味ないだろ」
空色模様の勾玉のペンダントをかけてみた。途端に身体がふわっと軽くなった気がする。貴重な石はどこで手に入れたのか。古紫家の能力者を私は全員把握していない。
「あとこんなのもあるぞ。口にいれてれば声が変わる飴とか。監視カメラに映っても変装してればお前ならそう簡単にバレル事はないと思うが、指紋には気を付けておけよ」
「指紋? え、手袋でもしておけって?」
夏にそれはきつい。余計目立つじゃないか。
だが鷹臣君はまた私の想像を飛び越える発言をした。
「東条セキュリティの製品を導入していない店は少ないぞ。物によってはドアノブに指紋を感知する物もある。あまり知られていないがな。お前の指紋は登録済みだろ。自宅のセキュリティにも使われてるんだから。そこで遠く離れたどっかの店で、お前が迂闊に東条セキュリティの製品に触れれば、どうなる。犯罪すれすれのハッキングなんて、うちもだがあちらさんも朝飯前だ」
「……」
「声も同じくだな。なるべく声質は変えておいた方がいい。あと虹彩か。カメラに映る場合はサングラスでもかけておけよ」
「……」
「指紋は手袋が無理ならハンカチでも使って気を付けるしかないわね」
鏡花さんからの助言に、私はゆっくりと頷いた。
鷹臣君が再度尋ねてくる。
「女に二言は?」
「……アリマセン」
ヤバい、早まったかも……。とは、流石にもう言えなかった。
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本編は?って感じですみません…。思いついたので書いてしまいましたが、白夜のヤンデレに注意です。ちなみにこの話の着地点は見えてません←
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季節はそろそろお盆休みに入る頃。夏の陽射しが強く紫外線も一段と気になる時季。私は目を疑う現場を目撃してしまった。
都内でも有名な歴史のある高級ホテルに、仲良く連れ添いながら入る男女の後ろ姿。仕事帰りのスーツ姿の男性と、清楚なワンピースに身を包んだ女性。その女性の肩を親しげに抱く男性には、見覚えがありすぎた。
サラリーマン……の一言では言い表せない、気品のある佇まい。端整な顔立ちの美形で均整の取れた長身の体躯。仕立てのいい上品なスーツはオーダーメイドなのを知っている。ちらりと見えた横顔は、いつもと同じく柔らかい。
常に優しく見つめる目も、甘く囁く声も。自分だけに向けられるものだと信じていたのに、ホテルに入る男女は恋人同士にしか見えなくて。思わず物陰に隠れては、証拠をばっちりカメラに収めていた。
日頃から浮気調査に携わることが多い。その条件反射でばっちり証拠写真を撮っては、すぐにその場を離れて写真を確認。他人のそら似かと思い込もうとしたが、カメラに映っていたのは紛れもなく白夜だった。
「マジで……?」
最愛の人を見間違えるほど私の愛は浅くはないはず。隣の女性は後ろ姿しか確認できなかったけど、相当なプロポーションをお持ちの(推定)美女だろう。
バッグから携帯を取り出し、ワンプッシュで司馬さんにかけた。今夜の社長のスケジュールを、私は把握していない。
仕事以外で忙しい彼に迷惑をかけるのは躊躇われたが、事実確認が必要だ。時刻は夜の二十二時。帰宅しててもおかしくはない時間。案の定司馬さんは既に自宅にいて、社長は自分より早く帰宅されたはずだと答えた。
「そうですか。ありがとうございます。司馬さんもゆっくり疲れを癒してくださいね。お疲れ様でした」
おやすみなさいと伝えてから、白夜の家に向かった。今夜は元々実家に戻る予定だったけど、速攻で今必要な荷物をまとめた。その後自宅に帰り、旅行用のキャリーケースにまた最低限の荷物を放り込む。
不思議そうな顔で、「旅行か出張でも行くの?」と訊ねてきた弟に、お姉ちゃんはこう答えた。
「響、私しばらく失踪することにしたから。明日からいつも通り戸締りよろしくね」
「え?」
引きつった顔をした弟に、私は満面の笑みを向けた。
翌日の早朝、鷹臣君の仮眠部屋前に待機していた私は、ぼさぼさな頭で扉を開けた彼に飛びついた。
「鷹臣君おはよう!」
「はえーな、麗。何でもういるんだよ。まだ7時だぞ?」
あくびをしつつも、抱きつく私をそのままにして歩く俺様鷹臣様。引きずられながらも、私は彼の引き締まった腹筋にしがみついた。
「鷹臣君、私しばらく姿隠すことにした」
「ふわ~あ、あ?」
再びあくびを漏らした彼は、来客用のソファに座る。「麗、茶」と単語だけでお茶を要求した室長に、速攻でミルクティーを差し出した。目覚めすっきりのブラックコーヒーの方が彼の外見的イメージだが、甘党な鷹臣君はミルクティー派だ。次期古紫家当主様はなかなか可愛い一面を持っている。
他に誰もいない事務所にて、私も彼の前に座り昨晩撮った写真を見せた。それだけで、この何でも屋の室長をしている彼なら察するだろう。
「で? 本人に確認は?」
「まだ」
呆れに似た吐息を吐き、彼は顎でくいっと事務所の扉を示した。何それ、さっさと確認して来いってこと? ぶっちゃけすぐにそうするべきなのはわかるのだが、無理。一応冷静さは保っているけど、なかなかにショックが大きい。本当に白夜が私をもう好きじゃなくて、浮気が判明したら……。新婚生活をまともに送る前に離婚って、悲しすぎて落ち込むどころじゃない。
「正直ちょっと疑いつつもありえないとは思うけど、絶対ないと思っていた人にこそありえた場合、多かったよね?」
それは今までの経験上。依頼人たちの中にはラブラブカップルもいた。
淹れたてのミルクティーを啜る鷹臣君は、頷いた。
「冷静になれる時間が必要なの。一人で静かに数日間過ごせる場所も。だからね、鷹臣君。明日からのお盆休み、協力してくれる?」
「何をだ。お前の身柄を俺ん家で匿えとかそういうことか?」
思いっきり面倒くせーという表情がありありと浮かんでるよ。ちょっと、可愛い従妹に対して冷たすぎない?
「違うよ、鷹臣君の家で匿ってもらったって、すぐに見つかって連れ戻されちゃうじゃない。そんなのは嫌。私ね、これでも結構怒ってるの。真実がどうかはわからなくても、白夜が女性と二人きりでホテルに入ったことは事実。私以外の女性の肩を抱いたことも。だから、ちょっと本気で逃げて困らせてやろうと思って」
「は?」
ぴくりと眉を跳ね上げた鷹臣君に、私はにんまり笑った。
「古紫家協力の下で私が逃げたら、白夜はどう動くだろうね? 東条グループと古紫家だとどちらが上手なのかな?」
ずず、と自分用にも淹れた豆乳ミルクティーを一口飲んだ。まろやかな口当たりとほんのりした甘さが丁度いい。
「お前さらりと怖いこと言う女だな。表舞台から撤退してる俺達が堂々と動けるわけないだろ」
「堂々と動いてもらっちゃ困るじゃん。それに私と白夜はまだ結婚を公表していないんだよ? 東条家が大々的に動けないことも織り込み済みで、お互いどこまで出し抜けると思う?」
東条セキュリティのトップと、不思議な血筋の一族、古紫家の次期当主。彼らが本気で動いたら、きっと暴かれない真実はないだろう。そして何の力も持たない私みたいな小娘など、すぐに捕まるはず。……どちらかのサポートがない限り。
「たとえば、そうだね……期間はこの休みが終わるまで。私の居場所を白夜が掴んで連れ戻しに来たら、彼が言うことは何でも信じるし、私ももっといい奥さんになれるよう努力する。でももし来なかったら、ううん、見つけられなかったら。話は聞くけど、しばらく世界中にいる友達のところにでも居座ろうかな」
1、2ヶ月位なら何とかなる。幸いな事に私はそこまで無駄遣いをしてきた女じゃない。
「仕事どうするんだよ」
「さあ、有給か足りなかったら無給?」
ここでの仕事は何とかなるだろう。東条セキュリティでの仕事は、司馬さんには悪いが少しお休みを頂こう。まあ契約期間はあと少しで終わるんだけども。事情が事情なので察してくれるはず。
ずずず、とお茶を啜る音が大きく響いた。ソファの背もたれにどかっと背を預ける彼の眼は、「お前バカだろ?」と告げている。
「バカで結構。いつも振り回されてるんだから、ちょっとくらい振り回してみたっていいじゃない。白夜ばっかりずるい!」
「おいおい、お前がそれ言うか。お互いさまに見えるぞ」
何を言ってるのだ。明らかに私が振り回されるばかりじゃない。だって白夜が初恋で初彼で結婚相手なんだもの。私は彼以外は知らない。
呆れたため息を深々とついた失礼な従兄だったが、何を思ったのか一拍後。ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「まあ、いいぜ。協力してやっても」
「え、本当!?」
思わず前のめりになる。気まぐれでそんな事を言い出したのかもしれないので、しっかり真意を確かめるのも忘れちゃいけない。
「でも何で? 鷹臣君、初めすっごいめんどくせーって顔してたよね?」
「隠してないからな、顔。そのままだったが、気が変わった。東条グループがどんだけ厄介かを把握しておきたいってのが本音だな。お前が言う通り、うちと東条……まあ東条さんなら自社の東条セキュリティとその名前か。まともにやりあったらどんな結果を残すかは、確かに気になる」
つまり、鷹臣君はデータ収集が出来ると思っているのだ。白夜が持つ権限がどこまで使用可能なのか。いざという時の利用価値などを考えているのだろう。抜け目のない鷹臣君らしい……。
隼人君の協力も仰ぐと言い、捜索届けが出されても何とかさせるとあっさり述べた。げえ、そんなの出されたら大事になるんじゃ……。一瞬でやる気に満ちた気持ちが鎮火された。
が、鷹臣君は「何怖気づいてるんだ。甘い」とデコピンを食らわせて来た。痛い!
「やるのかやらないのか。やるなら協力してやるが、中途半端な気持ちならやめろ」
ぎろりと睨まれた。名前のごとく鷹のように目つきが鋭い。(飲んでいるのはミルクティーだが。)
でも私も女。一度言った台詞は撤回しない。女に二言はないという意思を込めて、私は真っ直ぐ鷹臣君を見つめ返した。
「やる」
私の決意を感じてくれたのか。鷹臣君は一言「よし」と言い、ソファから立ち上がった。そして事務所で使う携帯を私に手渡す。
「お前の私物は全部ここにおいて行け」
「え? 携帯はGPSついてるしそのつもりだったけど、全部ってあの荷物も全部?」
キャリーケースには数泊分の着替えや最低限の荷物が入っている。このまま出張にでも行けそうな荷物だ。全部置いて行ったら私は何を着たらいいの。まあコンビニがあれば急なお泊りセットも売ってるし、全部現地調達で何とかなるっちゃなるけど……えらく出費はかかる。
が、鷹臣君が告げた台詞は、私の考えの更に上を行く言葉だった。
「東条さんから貰ったもの以外も念のためだ。アクセサリーも指輪もだぞ。じゃないと一体何に発信器や盗聴器が仕込んであるかわからねーだろ」
まあ盗聴器はないと思うがな~とあっさり告げられ、私の口はぽかんと開いた。彼が取り出したのは、盗聴器探知機。今のところ室内に怪しい物体はないらしい。
「え、ええ? 私の荷物に発信器って、そんな可能性が……!?」
……ヤバい、なくはない事が恐ろしい。
むしろ可能性としては十分あり得るんだけど! だってセキュリティ会社の社長だ。作ろうと思えばいくらでも作れる……。
「カードは使うんじゃねーぞ。バレるからな。現金もあらかじめ下ろしてから行けよ」
「うん、それはそのつもりで、多めに下ろしておいたけど」
「いくら?」
「十五万位」
使わないならいいが、万が一必要になったら困る。封筒に数万ずつにわけて、鞄やポーチなどに入れているのだが。鷹臣君は首を振った。
「あと二十万は用意しておけ」
「五日間でいくら使う予定なの!?」
ひえ……! OLさん(もしくはサラリーマン)の月給が余裕で飛ぶよ……! 海外旅行に行くわけじゃあるまいし。
だが鷹臣君は甘いといい、それでも足りるかわからない模様だった。私はどこに飛ばされるのだろうか。
「移動手段に飛行機は使うなよ。まず連絡が届くのが空港だ。お前の名前は電話一本でおさえられる」
「ブラックリスト!? 航空券取った時点でアウトってこと?」
「空の移動は論外だ。移動は電車か車か……。だが車も検問に引っかかるかもな。電車もこのまま乗ったらすぐにバレる」
「何で?」
きょとんとした顔を向ければ、鷹臣君は信じられないと軽く目を瞠った。
「まさかとは思うが、お前マジで気づいてねーの? SPやらボディーガードついてるだろ、周りに」
「は? 誰それ。私にそんなのいないよ~」
あはは! なんて笑い飛ばせば残念な子を見る視線がビシビシ刺さった。何それどういう意味。
さっさと荷物を取り出せと言われ、キャリーケースと手荷物の鞄の中身をデスクの上に置き始めた所で、続々と事務所のメンバーがやって来た。私に何をやってるのか声をかけてきたのは瑠璃ちゃん。そして鏡花さんだ。
「お前ら聞いて驚け。こいつ自分にSPも監視役の見張りもいないとか言ってるんだぜ」
「むしろ鷹臣君の発言の方が驚きだよ! ねぇ?」
同意を求めれば、何と二人も驚きの顔で私を見つめてきた。え、何その呆れた眼差しは! 鏡花さんの目が、相変わらず……と言っている。
「麗さん、ご自分の立場をよく思い出してください。あなたは今誰ですか?」
「誰って、オフィスTKの社員で時々東条セキュリティの第二秘書で、白夜の奥さん?」
「そうよ、その三番目。あの東条グループの御曹司の妻と言ったら、身辺警護が日常的に入る可能性はあるでしょう」
「え……?」
本気で気づいてなかったのか! と二人が顔を見合わせ、私は鷹臣君に詰め寄った。待って、ちょっとマジで本当に!? 私見張られてたの!? 密かにいかついボディーガードとかついてたの!?
「知らないよ私! 聞いてないよ!?」
「隠してたんだろ。相当訓練されてるっぽいからな~。気配すら感じない」
「忍者か!」
それに近いものがあると言われ、驚愕した。一体いつから護衛役なんてついていたの。私は何も聞かされていない。
「一応お前も探偵やってるくせに気づかないとか、情けないぞ。仮にも外交官の令嬢ならSPなんていちいち驚かないだろう」
令嬢とかそんなもんじゃなかったし。父が総領事になったのだって私が大学に入るちょっと前の事だ。それにめちゃくちゃ治安が悪い国に赴任になった事はない。今のアフリカがそれなりにキケンな場所だが。
鷹臣君はふと何かに気付いたように顔をあげた。ニヤリと口角をあげる企み顔。あれはろくでもない事を考えている時の顔だ。
自分達用のコーヒーを淹れて戻って来た二人も含めて、鷹臣君はドカッとソファに座ったままこう告げた。
「いい機会だ、麗。お前もそろそろ昇進試験を受けろ」
「ええ?」
昇進試験? ってそんなのうちあったっけ?
首を傾げる私に、鷹臣君は告げた。
「お前がどれだけ一人前になったかを計るテストだ。いい加減浮気調査や企業の雑用係以外にも挑戦してみたいだろ? どんだけ使えるようになったか、この祭ついでに確認してやる」
「ついでって! まあ確かに、他にも任せてくれる仕事が増えるのは嬉しいけど……。一体何するの?」
黒崎君や白石さん、鏡花さん達の仕事はかなりハードだ。専門知識も要するし、誰でも出来る仕事じゃない。なかなか濃いバックグラウンドを持ってるメンバーが集まっているので、各分野で各々得意な分野を活かしている。って、私は別に浮気調査が得意なわけじゃないんだけど……。一番下っ端で、割り振られることが多いだけだ。
「何、簡単だ。お前が言ってた通りに、何が何でも今日から五日間逃げ切れ。日付が変わった五日後、東条さん本人に捕まったらお前の負けだ。昇給はなし、給料も20%カット。そのまま二週間、うちの無人島でサバイバル修業でもさせるか」
「ちょっとー!? 何それ、いきなりハードル高くない!? お給料カットってそれじゃ恋人を作れって言って来た命令前に戻るってことじゃないの。っていうか最後は? 無人島って、鷹臣君、島なんて所有してるの!?」
聞いた事ないよ、そんなの!
古紫家恐るべし。無人島まで持ってるって、一体何に使用しているのだ。
「去年の給料に戻るだけだろうが。それは大した事じゃねーだろ。うちが所有してる島はたまに自衛隊とかに訓練目的で貸し出すんだよ。そこそこ手入れも行き届いているからそんなに居心地は悪くないはずだ。お前が東条さんから逃げ切った後、どっか海外の友人宅に行くのと島に行って修業するのとじゃ、変わらない」
「変わるよ!」と即答した声は無視された。何て酷い。
すっかり面白そうに傍観者として耳を傾けている鏡花さんと瑠璃ちゃんは、あっさり「頑張ってね」と応援した。
「ちなみに、麗さんが逃げ切った場合は何かご褒美が出るんですか~?」
「特にねぇが、仕事の幅は広がせてやれる。給料は今年いっぱいはこのままだがな。あとは、逃げ切った場合は経費として、かかった費用の8割はうちが負担してやるよ」
「8割?」
それって合計金額がいくらになっても、必ず8割は負担してくれるって事?
どうせなら全額にして……! と言いたいところだけど、元々これは私が言いだしたこと。そんなのは言えない。
が、さっき35万でも足りるか? と言って来た鷹臣君のことだ。もっとかかる可能性を考えて物を言っているに違いない。ということは、たとえ本当に35万きっちり使ったとしても、逃げ切れた場合は8割の28万は負担してくれると。
28万……。大きい……!
思わず本来の目的を忘れて、耳を傾けてしまった。しかし聞けば聞くほど、捕まった時のリスクがデカい。
「島で無人島暮らしが嫌なら何が何でも逃げ切れ。だがな、俺は最低限しか手助けしない事にする」
「え、話が違う」
途中から試験なんてややっこしいものにしたから、話がこじれてしまった。鷹臣君は古紫家は最低限の手助けしかせず、自力で乗り越えろと言って来た。それでこそ実力が試せるものだろうと。
「しかし相手は東条さんだからな、きっと容赦がねぇぞ。とりあえず隼人はこっちの味方につけてやる。だが警察の上層部は、いくら古紫が警察内部に入ってても東条家を無視できないだろうからな。まあいざとなったら役立つ便利グッズはいくつか持たせてやるよ」
待ってろと言い、彼は立ち上がって消えた。朝8時で既に何だかお昼過ぎの気分だ。
窓の外をちらりと見る。私のSPとかボディーガードなんて本当にいるの? と半信半疑で外を覗いたけど、通行人しかいないように見えた。
「ほら、やっぱり誰もいないよ。皆の気の所為……」
「麗、あんたあの斜向かいの喫茶店見た? あんたのSPさん達、そこの常連客よ」
「え!」
再びそっとブラインドから覗いて……、いた。窓辺に一人、静かにコーヒーを啜りつつも、外に気を配っているっぽい男性が一人、二人……。
ちらりと背後の鏡花さんに、「ちなみに何人まで確認してました?」と訊けば、彼女は掌をそのまま振った。
「5人!?」
「日替わりかもしれないけどね、私が把握してるのは5人までよ。瑠璃は?」
「私は3人でしょうか。いつも麗さんの周りには最低二人はついてますよね~」
「そうなの!? ってか教えてよ!」
鈍感すぎると言われたが、そんなこと言われてもマジで気づかなかった。恐ろしく有能らしい。
そして白夜が私に何も言わないことが、地味にムカムカと……。
そうだよ、白夜は隠し事が多いんだよ。嘘は言わなければ秘密はあってもいいなんて言ったけど、でも違う。私が関わっていることなら、やっぱり教えて貰いたい。隠されて、守られてるだけの存在なんてなりたくない。私は彼の隣に立って歩きたいのに、これじゃ対等な立場ではないじゃないか。
「発信器も勝手につけてるとか、よく考えてみたら酷いと思うの。美女の肩を抱いてホテルに行ったり、随分好き放題してるよね……白夜ばかり。私は何も聞いてないのに」
ずるくない? 私だって自由にやりたいことすればいい。
かなり好きにさせて貰っている方だと思うけど、まだまだ足りない。メラメラと闘志が燃えてきた。
「鷹臣君に宣戦布告を叩きつける役目を担ってもらうとして。荷物! どうしよう。これ全部持っていけないって」
お財布なら大丈夫かと思ったけど、白夜の目に入った物は全部疑えと言われた。可能性があるなら危険な道を選ぶなと。
それにSPさん達に警戒されないよう、こっそり外に出なければいけない。キャリーケースをもう見られているのは痛いな。私が何かしらの行動を起こす可能性にも、気づいているかも……。
あれ、何だか本当に話が大きくなってないか。今更だけど、手遅れ感がひしひしと。
「変装グッズは事務所にも置いてあるし、とりあえず着替えてパッと見私だとわからなくすればいいか」
本格的に逃げるなら一体どこまで警戒しなければいけないのか。鷹臣君には最低限にしか頼れない。古紫家も同じく。ほぼ自分の力で東条グループの御曹司でセキュリティ会社のトップから逃げるのは、至難の業だが。
これが出来なければ、私は一体数年間何をしてきたんだろう。相手はセレブだけど一般人。私にだって多少なりの知恵と経験があるはず!
本来の目的は勿論胸の中に留めながら、覚悟を決める。よし、やってやろうじゃないの。
「麗さん、これ室長がID代わりにって。乗る事はないと思うけど、念のため運転免許証どうぞ~」
「ありがとう」
和やかに受け取ったのは、私の写真が使われた別名義の運転免許証。どうやって作ったのか、その経緯は極秘だ。鷹臣君にかかれば偽造のパスポートも用意できるだろう。時間はかかるが。
「鈴木華子……って、思いっきり仮名っぽくない? これ」
「逆に本物っぽいだろっておっしゃってましたよ~」
そうなの? でもあまり聞かない気もする。リアルで山田太郎とか花子とか。
とりあえず忘れる心配はない名前だ。私も身支度を整えるべく立ち上がれば、鷹臣君はいくつかの便利グッズを手渡した。
「このブレスレットとペンダントの石って何? 鷹臣君の結界のやつ?」
「それは前渡しただろ。あれも一応つけておけよ。そのブレスレットは隼人の千里眼だ。遠くにいても居場所を特定しやすい。身内がお前の居所を判断できないと、試験の意味もないだろ? フォローの意味でもな」
「そっか。隼人君が味方にいるならまあいっか。これつけてたら、距離が離れてても視やすいって事?」
そういうことだと頷かれ、納得する。プライバシーの侵害にあたるようなとこは、多分大丈夫だろう。
「ペンダントの石は? 勾玉っぽいけど」
「それは珍しいやつだから失くすなよ。重力を多少なりとも操れる。走る時、身体が軽くなるはずだ」
「マジで!? 体重計に乗ったら軽くなっててダイエットできるって事?」
「元の重さは変わらないんだから意味ないだろ」
空色模様の勾玉のペンダントをかけてみた。途端に身体がふわっと軽くなった気がする。貴重な石はどこで手に入れたのか。古紫家の能力者を私は全員把握していない。
「あとこんなのもあるぞ。口にいれてれば声が変わる飴とか。監視カメラに映っても変装してればお前ならそう簡単にバレル事はないと思うが、指紋には気を付けておけよ」
「指紋? え、手袋でもしておけって?」
夏にそれはきつい。余計目立つじゃないか。
だが鷹臣君はまた私の想像を飛び越える発言をした。
「東条セキュリティの製品を導入していない店は少ないぞ。物によってはドアノブに指紋を感知する物もある。あまり知られていないがな。お前の指紋は登録済みだろ。自宅のセキュリティにも使われてるんだから。そこで遠く離れたどっかの店で、お前が迂闊に東条セキュリティの製品に触れれば、どうなる。犯罪すれすれのハッキングなんて、うちもだがあちらさんも朝飯前だ」
「……」
「声も同じくだな。なるべく声質は変えておいた方がいい。あと虹彩か。カメラに映る場合はサングラスでもかけておけよ」
「……」
「指紋は手袋が無理ならハンカチでも使って気を付けるしかないわね」
鏡花さんからの助言に、私はゆっくりと頷いた。
鷹臣君が再度尋ねてくる。
「女に二言は?」
「……アリマセン」
ヤバい、早まったかも……。とは、流石にもう言えなかった。
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本編は?って感じですみません…。思いついたので書いてしまいましたが、白夜のヤンデレに注意です。ちなみにこの話の着地点は見えてません←
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