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第二部

42.please call my name

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 覚悟を決めてそろりと寝室に続く扉を開けると、室内に人の気配はしなかった。
 ある意味拍子抜けしたが、心臓がうるさいほど主張を始めていたから思わず安堵のため息を吐いた。ちょっとだけ良かったかもしれない。

 内心胸を撫で下ろしていたら。リビングに繋がる扉が前触れもなく開いた。

 「おや、もう少しかかるかと思っていたのですが・・・私のが遅かったのですね」

 すみません、と謝りながら入ってくる東条さんは、もう一つのシャワーを使ったのか髪の毛は濡れて上半身は裸だ。下はパジャマのズボンをはいているが。

 まだ水気が拭いきれいてないようで、首周りにかけたタオルに水滴が落ちる。まるで「水も滴るいい男」の見本のように、男前度が増していませんか。いつものさらさらヘアが今は濡れて乱れている。それだけで何割か増しに色気が放たれている気がするんだけど・・・

 やばい、直視したら鼻血出そう!

 思わず顔を背けて、頭の中で必死に話題を探し始めた。

 「え、えーと・・・あ!髪の毛乾かさないとですね。ちょっと待っててください」
 
 向こうの洗面所にはもしかしたらドライヤーがないのかもしれない。さっきまで使用していたから片付けた場所に戻り、すぐに東条さんを近くの椅子に座らせる。そしてコンセントをセットした。

 「麗?」と怪訝そうに訊ねる東条さんを制して、ドライヤーをオンにする。

 「濡れたままだと風邪ひいちゃいますからね。ささ、私が乾かしてあげます!」
熱風でいっきに東条さん髪を乾かす。誰かの髪の毛を乾かすなんて、もしかしたら初めてかもしれない。それはもちろん弟(響)以外で。

 最初戸惑いを見せた東条さんも、すぐに「お願いします」とどこか楽しげに答えた。一応タオルで水分をぬぐってあるので、そこまで時間はかからないだろう。たまに手櫛で梳きながら漆黒の髪を万遍なく乾かす。今更だけど手触りいいな・・・後頭部の形もいい。そういえばいつもは私が見下ろされているから気付かないけど、こうやって座って東条さんのつむじを見るのって初めてじゃない?

 髪が十分に乾いたところで、むずむずと欲が出る。
 さらさら感が気持ちいい!ちょ、ちょっと頬擦りとかしちゃってもいいですか!?
 いやいや、それいきなりされたら引かれるよ。変態っぽいよ。やめておけ、自分。

 黙りこくって黙々と髪の毛を乾かす私の心の声は流石に東条さんも聞こえないだろう。触り始めると段々欲が出てくるらしい。何だろう、むらむらするっていうか、もっとベタベタ触りたいというか・・・。
 
 「何だか血統書付きの高貴な犬をトリミングしている気分になってくるんですが・・・」
 黒毛で少し大型の犬とか、似合いそうだ。もしくは黒くて艶々の毛並みの馬とか!東条さんって実は乗馬もできたりして。
 そんな私の独り言に東条さんは首を傾げた。

 「犬、ですか・・・」
 「はい!めちゃくちゃ毛並みが良くって真っ黒な大型犬とか、東条さん似合いそうですよね。朝姫ちゃんはスタイルのいい猫とか。ロシアンブルーみたいなのピッタリ。鷹臣君は動物でいうとまさしく猛禽類って感じだけど・・・」
 瑠璃ちゃんはトイプードルみたいなふわふわ系、司馬さんはやっぱり忠実で寡黙な大型犬だろう。

 ちなみにこれは自分を動物に例えるなら?であり、自分が動物を飼うなら?ではない。

 ドライヤーの電源を切ると同時に、目の前に座る東条さんが私の手を取って握り締めた。前を見ているはずなのにどうして手の位置がわかったのかなんて、今更訊かなくても東条さんだからとしか言いようがない。どうしたんだろう?と内心で首を傾げる間もなく、ぐいっと手を引っ張られて―――。

 あっという間に東条さんの膝の上に横座りをさせられていた。

 間近で漆黒の瞳で見下ろされる。あれ?穏やかな美青年顔で微笑んでいるけど、どことなく機嫌が悪い?

 「――さて、麗。今ので12回目ですね。今日私を名前でなく「東条さん」と呼んだのは」
 「え?」
 そ、そうだったっけ・・・。
 名前で呼ぶのが未だに気恥ずかしく、どうしても普段はいつも通りの呼び方になってしまう。いつもは言い直していたのに、そういえば今日に限って名前の呼び方を指摘されなかった。・・・何だかあまりいい予感がしないんですが。

 「鷹臣君、朝姫ちゃんで、私は未だに"東条さん"ですか。それって不公平じゃありません?」
 くい、と頤を指で持ち上げられて、間近で見つめられる。あの、近い!近いです距離が!!
 美形のアップは相変わらず迫力がありすぎて、心臓が痛い。見つめられるだけで鼓動が早まるって、いい加減慣れないか、自分!

 「麗が恥ずかしがって甘える時しか私を名前で呼ばないのは知っていますが。やはり気に入りませんね、いつまでも東条さんでいるのは。それは私が麗を「一ノ瀬さん」とお呼びするような物ですよ?」
 「い、一ノ瀬さん・・・」
 
 なるほど、と小さく頷く。
 確かにそれはちょっと・・・いや、かなり嫌だわ。苗字で呼ばれ慣れていない海外育ちなのもあるけれど、確かに好きな人から名前で呼ばれないのって寂しいかも・・・。ずっと他人行儀のようだ。

 恥ずかしさと、長く東条さん呼びをしていた癖で、つい「白夜」と呼ぶのを躊躇っていたけれど。もしかして私って東条さんを傷つけていたのかもしれない。名前で呼んでって簡単な願い事を叶えられないなんて婚約者失格だ。

 これからは恥ずかしくってもちゃんと名前で呼ばなきゃ。一ノ瀬さん呼びされたらかなりへこむし!

 そう決意して俯き加減になっていた顔を上げた時。東条さんはふと口元を緩めた。

 「ですから罰として――私を東条さん呼びした同じ回数だけ、名前で呼んでもらいます」
 「はい?」
 え、白夜呼びするだけでいいの?12回だけ?
 罰と聞いた時はドキっとしたけれど。そして今更ながら東条さんが上半身裸のことを思い出して違う意味でまたドキっとしたけれど!内心の焦りには気付かせず、東条さんの顔を窺う。

 だが名前呼びには続きがあった。

 「名前で呼んだ後、「愛している」のフレーズもつけてもらいましょうか」
 「っ!?」

 『白夜、愛してる』
 そう12回言え、と。東条さんは私にこの体勢(東条さんのお膝に横座り&裸に密着)のまま、愛していると言えと。

 は・・・はずい・・・!

 顔を真っ赤にさせて硬直している私に催促するかのように、東条さんは頬をゆっくりとなぞり、親指で唇の輪郭を辿った。

 「さあ、麗。言って?」
 妖しいほど惹き付けられて視線を逸らせないまま、恥ずかしさを押し殺しておずおずと口を開く。
 
 「びゃ・・・白夜。あい、愛して、る」
 かぁー!と顔に熱が集中した。
 一度愛していると言えば、ご褒美とばかりに瞼にキスが落とされた。顔に吐息がかかるまま、東条さんが話しかける。

 「あと11回」
 「っ!あ・・・白夜愛してる・・・ひゃ!」
 ちゅ、と耳に口付けられ、敏感な耳たぶを舐められた。思わずびくり、と肩が反応する。こ、こんな風に触られたりキスされたら、言いたくても言えないよ・・・!!

 「麗?」
 「あ・・・愛してる、白夜っ・・・」
 首元をゆっくりと指でなぞられ、唇が指の跡を辿る。その柔らかな感触に肌がぞくりと慄いた。 

 次第に触られている箇所から熱が灯り始める。唇に決してキスはしてくれないのに、後頭部や頬、額、瞼、耳、首筋、鎖骨と、触れる部分にキスを落とされて。その度に反応してしまう私は、段々と頭が働かなくなってきた。

 残りあと5回をきったところで、ふいに不安定な体勢になる。持ち上げられたと気付いた時は、咄嗟に東条さんの首に手を回して安定感を求めた。腕が東条さんの素肌に密着する。それだけで鼓動がまた一つ跳ねた。

 とさり、と柔らかな感触が背中に伝わる。ベッドに寝かされたと気付いた時には、私の上に覆いかぶさった東条さんの姿が見えた。

 昨日と違い、サイドテーブルの明かりはついたまま。顔がよく見える今、東条さんの魅惑的な微笑みと視線が合う。黒曜石のような黒い双眸が私の心を掴んで離さない。するり、と大きな手が私の肩をゆっくりと撫でた。

 「麗?お口が止まってますよ」
 「っん!」
 肩に吸い付かれる感触に目をぎゅっと瞑る。ちくりとした痛みが走り、鎖骨にも同様の痺れを感じた。

 「白夜・・・あいしてる・・・」

 起き上がった東条さんは、私の右足を持ち上げてふくらはぎから足首にかけてゆっくりと手で触れてくる。くすぐったさに身をねじると、笑みを零した東条さんは足の親指をぺろりと舐めた。

 「ひゃっ!?」
 親指から小指、そして足の裏まで丹念に舌を這わせる。くすぐったいのに同時に甘い痺れが疼き始めて体中の熱が高まる。足を舐めながら東条さんは目線のみで私に続きを言うように告げた。

 「白夜、愛して・・・んっ!!」
 今度は太ももの内側に吸い付かれて咄嗟に口元を手で覆う。内ももなんて敏感な肌にいきなりキスマークをつけられて、甘ったるい声が出そうになった。
 未だにバスローブを身につけたままで、肩は肌蹴られているが、まだ完全に脱いだわけじゃない。脱がされていないのに、熱はどんどん高まるばかりで。心臓はうるさいし、触れられる箇所に神経がどんどん集中する。けれど東条さんは欲しいところにキスはしてくれない。そのことに寂しいと思う自分がいた。

 「あと二回ですよ、麗・・・」

 太ももに跡をつけるのが気に入ったんだろうか、東条さんは反対の足にも同様に痣を散らした。赤い鬱血した痣がくっきりとついたようで、満足気な表情が視界に入る。足を舐められていたる所に痣をつけられて、熱も高まっているのに東条さんは口にキスをしてくれない。もしかしてこれが罰なんだろうか。

 「白夜・・・愛してる」

 とろりとした目で見つめると、私に覆いかぶさりこめかみに優しいキスをくれた。柔らかい感触のキスは嬉しい。でも、欲しいのはそこじゃないの。もっと感じる場所に、もっと深く繋がれる場所に、熱いキスをして欲しい。

 既に熱に翻弄されている私は、理性や冷静さなんて失っていたのかもしれない。
 手を伸ばして東条さんの頬を包むと目元を和らげて見つめてくる。そして黒曜石の目の奥で燻る熱に火を灯す。

 「・・・白夜、愛して・・・」

 最後まで言い終える前に唇に触れると、微かに聞こえた吐息で東条さんが微笑んだ気配を感じた。

 「良く言えました」

 欲しかった熱く情熱的なキスがようやく手に入り、そのとろけるような感触に翻弄されながら腕を東条さんの首に回して強く抱きしめる。

 しゅるり、とバスローブの結びが解かれる音が遠くから聞こえた。



















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