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第四章

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あの日からなんとなく気恥ずかしくて子爵と顔を合わせられない日々が続いている。
身体は多分貧血で目覚めなかっただけで、腕には傷のないし体調も万全だ。
プリシラに会ったときは大騒ぎだったが、それも今は落ち着いた。
今問題があるとすると、プリシラが今回の責任を取って私と婚約すると言い始めたことだ。
しかもそれをダイナン伯爵も了承しているらしい。
普通伯爵家の令嬢は上を目指すんじゃないのか? 侯爵とか公爵とか! それなのに傷も残っていない子爵家の養子に対して取る責任なんてない。私と婚約なんて、後で絶対後悔する申し出だ。
そう考えて子爵には断ってもらえるようにお願いした。 えっと、手紙で……
「あの時父上なんて呼ばなければよかった」
演技でもない時に呼んだ父上という言葉があまりに気恥ずかしく、そして、少し重い。
親子だとお互いに認めてしまってい良いのだろうか? 前世のように友人兼パートナーでいいのではないか? そんな葛藤の日々を過ごしている。
「ジェイ様!」
考え事しながら庭を歩いていると門の方からプリシラの声が聞こえてきた。
あの日からお見舞いと言って毎日やってくるのだ。
もちろん、プリシラは可愛いが婚約という話から少し気が引けているのも事実だ。
「プリシラ、今日も来たんだね」
「当たり前よ!! だってジェイ様は私の王子様なんだもの!」
そうあの日からプリシラは私を様付けで呼び、王子様といって頬を染める。
その姿は可愛いし、嬉しくもあるが、プリシラにはもっとふさわしい人がいると思う。
それに子爵家を継ぐということは探偵も引き継ぐのだし、また、危険な目に遭うかもしれないのだ。いつもいつも私がナイフの前に立てるわけでもないし……
「ジェイ様? どうしたの? なんだか元気がないわ」
「えっと、あの、ダイナン伯爵様から聞いてない?」
「何をかしら? 私達の婚約のこと?」
「あ、ああ、うん」
「そうよね。悩むところよね。婚約式のことでしょう? あんまり早すぎても駄目だってお父様は言うのよ」
「え?」
子爵は婚約を断ってくれなかったのか? 手紙を受け取ってない? いやロバートに渡したんだ。絶対に受け取ってるよな。
じゃあ、伯爵が娘に言い出せずにいるのか?
私がぐるぐると考えているとプリシラが私の手を握ってくる。
「ジェイ様はどう思うの? やっぱり七歳まで待つべきだと思う?」
「七歳?」
「もう!! 今話したでしょう。お兄様は婚約は七歳を迎えてからするものだって言うの」
私はガバッと顔を上げる。ハリー! いい仕事してくれた!!
「そうだよ!! まだ早すぎるよ。七歳にしよう」
「そうねぇ。でも、他の子がジェイ様を好きになってしまったら嫌だわ」
プリシラが頬をプクッとふくらませる。その姿はリスのようだ。
「そんなことは絶対にないよ。だから、ゆっくりと準備しよう。いいだろう?」
まだ不満そうなプリシラに更に言葉をつなぐ。
「えっと、ほら、なんていうのかな。プリシラに渡すプレゼントとかしっかり選びたいんだ」
「まぁ、そうなの? そうよねぇ。婚約記念のプレゼントだもの。納得行くものをいただきたいわ」
「そ、そうだよ。どうせ後二年なんてあっという間さ。もし、その間にもっと良いやつがいたら僕のことは気にしないでいいからね」
プリシラは声を立てて笑うと私の腕をぎゅっと掴む。
「絶対にそんなことないわ!」
その自信に溢れた彼女の瞳に私は吸い込まれそうになったのだった。
「あ、ありがとう」
プリシラとはそのまま庭園を散歩して別れた。今日は家庭教師の授業があるらしい。プリシラを見送ると私は大急ぎで子爵の執務室に向かう。
婚約のことを確認しなければならないからだ。
どんなにプリシラが可愛くても、私は結婚するべきではないと思うのだ。それこそ前世のホームズのように。
そう伝えたのに子爵はちゃんとダイナン伯爵に話してくれたのだろうか?
「失礼します!!」
私はノックの返事を待たずにドアを開けて執務室に飛び込んだ。
そこで私に向けられたのは六対の瞳。
いつもの四人と久しぶりに会うホームライト伯爵。そして、初めましての人が一人。
「おお! ジェイではないか。なんだ、いるではないか。シャリアン、嘘はいかんぞ」
「ホームライト伯爵、お久しぶりです」
「ふむ、なかなか貴族らしくなったではないか。もう他人ではない。これからは伯父上と呼びなさい」
私はゆっくりと頭を下げてから姿勢を正して頷いた。
「ありがとうございます。伯父上」
伯爵は満足そうに頷くと隣に座る男の背に手を当てた。
「紹介しよう。これは我が息子だ」
私はソファから立ち上がった伯爵の息子を見上げた。
「マイケルだ」
そう確かマイケルだった。初日に伯爵夫人が言っていた寮に入っている息子か。
「ジェイです。よろしくおねがいします」
普通はここで目上のマイケルから手を差し出して握手となるはずなのに一向に手が差し出されず、刺すような視線で私を睨むばかりだった。
「はぁ、二人共すわりなさい」
子爵がため息を吐いてから私達に割って入る。
その一言でマイケルはふいっと私から視線をずらすとソファに腰掛けてしまう。
なんてやつなんだ? ガキか?
「ジェイ、ここに」
子爵の言葉に私も席に着くと何も気に留めないように伯爵が話を続ける。
「こいつは十六歳なんだ。今アカデミーに通っているが丁度休みになってな。暫く子爵家にいたいと言うから連れてきたんだ。シャリアン、いいだろう? こいつはお前に憧れておる。どうしても休暇はここで過ごすと言って聞かんのだよ」
「兄上、今事件に取り組んでいて忙しいと言ったじゃないですか!」
「なに、マイケルも来年にはアカデミーを卒業するんだ。何かの役に立つだろう」
「しかし!」
子爵の言葉を手で遮ると伯爵は立ち上がった。
「兎に角頼む。丁度いいだろう? 初の従兄弟だ。仲良くなっておくのも必要だからな」
そう言って満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。父上。叔父上、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げたマイケルは絶対に私を睨みつけている。
なんだ? なんでだ? 初対面なのに?
頭の中に疑問符が一杯になるが伯爵は上機嫌にそのまま退出してしまった。
唖然として見送る五人+一人。暫く沈黙が続いたのだった。
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