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「どこに向かいますか?」
外から声がかかったため、男はマスクを取る手を止めた。
「屋敷に帰ってくれ」
「……かしこまりました」
男は再びマスクに手をかけると取り払う。
目しか見えていなかった男の顔が目の前に現れる。
男はかなり整った顔立ちをしている。
暗闇でも光を放つ黄金の髪に青い瞳など、有り得そうで中々ない組み合わせだ。
「仲間になるんだから、顔くらい見せないとね」
今までのかしこまった話し方が崩れて、親しみ易くなる。
「目的地についてお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「とりあえず一番近い家に向かっているよ。そこで皆に君を紹介しよう」
「よろしくおねがいします。あの、先程はああ言いましたが、私にお役に立てるような力があるのかわかりません」
「いや、大いに役に立つよ。僕のことはジェイと呼んでくれ。残念ながら本名ではないよ。君も好きな名前を考えておくといい。皆好きな名前で呼び合っているんだ」
「いえ、私はこのままでかまいません」
「キラニアかい?」
「はい」
「ちょっと、目立つかな。ニアと呼んでもいいかい?」
「はぁ、構いませんが……」
「じゃあ、今日から君の名前はニアだよ。いいね」
「はい」
「暫くは組織に慣れることを目標に過ごしてほしい。自分のことは自分でやる。君には難しいかも知れないけれど」
「頑張ります」
そうして、私の激動の日の夜は更けていったのだった。

「ニア、着いたよ」
いつの間にか眠ってしまったのかジェイに声を掛けられて目を覚ました。
私は馬車の中と目の前に座るジェイを見て、昨日のことは夢ではないと確認すると馬車から降りる。
先程まではエスコートの手を欠かさなかったジェイはさっさと降りてしまう。
そんなところが、認めてもらえたようで嬉しかった。
「ニア、こっちだ」
キョロキョロする私に手を振って合図をくれる。私はジェイの方に走り寄る。
その時、自分の格好を思い出して恥ずかしくなってしまう。
卒業パーティに出席していたドレスは朝日の中では異様だった。
私はまずは服をどうにかしなくてはと考えた。あるのは今腕の中にある包みだけだ。
ジェイが案内してくれたのは、大きなお屋敷の中の一室だった。どうもこの屋敷をアジトに使っているらしい。
「この部屋でいいかな? 君の公爵家の部屋に比べたら雲泥の差だと思うけど、特別扱いは君も嫌だろう?」
「はい。十分です」
その部屋に入って中を見渡す。狭いとはいえ、ベッドにバスルームがついているのだ。今の私には贅沢な部屋だろう。
「部屋にあるものは好きに使っていいから。確か洋服もいくつかクローゼットに入っているはずだよ。少し休むといい。一時間後にここを真っ直ぐに行った先にある突き当りの部屋に来てほしい。いいかい?」
「はい、わかりました。お気遣いありがとうございます」
私は頭を下げて部屋に入った。
怒涛の1日だった。
昨日の今頃はエスコートしないと言って来た非常識な婚約者に腹を立てながら、卒業パーティの支度をしていた。
それが今は平民となって他国で怪しい組織の一員になっている。
私はふと目の前の鏡に映る姿を確認する。
結い上げた金髪はほつれているし、美しいと言われた緑の瞳は血走っている。
化粧もボロボロだし、ドレスもシワだらけ……
それでも、私は今の自分が好きだと思えた。
私は早速ドレスを脱ごうとして、ハッとする。
「ドレスってどうやって脱ぐのかしら?」
今までは立っているだけだったパーティの後、家に帰ると待っていた侍女達が全てやってくれたからだ。
「確か背中にリボンがあったはずだわ」
私は両手を背中に回してみるが、一向に届かない。
鏡に背を向けて首だけ振り向いてみる。
「あとちょっとで届くわ……」
腕を精一杯伸ばすと、やっとリボンの先に手が届いた。
私はエイッと紐を引くとドレスがゆるんだ。
「やったわ!!」
私はその後も侍女達の動きを思い浮かべて一つずつドレスを脱いでいく。
だんだん軽くなる体に、心許ない気持ちになる。
私の選択は本当に正しかったのだろうか?
そんなことを考えながら、なんとかドレスを脱ぎ捨てると、クローゼットの中を確認する。
あの黒づくめの女性が来ていたようなズボンではなく、シンプルなワンピースが掛かっている。
これならば一人で着ることが出来そうだ。
私は部屋にあるバスルームへ向かった。
「あれ? どうしてお湯が出ないの?」
汗を流そうとバフタブにお湯を貯めようとするが、一向に温まらない。
いつも侍女に用意してもらっていたのでやり方さえわからない。
私はがっくりと肩を落として、ため息を吐いた。
ジェイ達が来てくれなかったら、どうなっていたのだろう?
お湯を出すことさえできない私が生きて行けたのだろうか?
私は悔しくてバフタブの縁をグッと握りしめる。
涙がポタポタと冷たい水に落ちては消える。
「いったい、どうしてこうなってしまったの!!!」
バシッとバスタブを叩いてみたが、自分の手がジンジンと痛むだけだ。
私は覚悟を決めて、冷たい水が張ったバスタブに体を沈めた。
「さ、寒いわ」
なんとか体を清めるとバスルームから飛び出した。
しかし、体を拭くタオルが見当たらない。
「タオルはどこかしら?」
濡れた体のまま部屋の中をウロウロと歩き回る。
「ないわ……」
私は諦めて、ベットに掛かっているシーツを引っ張って体に巻いた。
時計を見るともうすぐ一時間が経ってしまう。
「いけない。急がないと!」
私はシーツで水を拭うとクローゼットにあったワンピースを身につける。
なんだかしっくりしないが、既製服なのだろう。
初めてのことばかりで、気持ちが焦る。
その時、ドアがノックされた。
「ニア、用意はできた?」
ジェイの声に、私は慌ててドアに向かった。
「ご、ごめんなさい。勝手が分からなくて……」
そう言ってドアを開けると目の前にジェイが立っていた。
そして、言葉を失っている。
「あ、あの、シャワーの使い方がわからなくて、時間がかかってしまって……初めから遅刻だなんて、失礼ですわね……」
私は、恥ずかしくて下を向いた。
「い、いや、すまない。色々説明不足だったね。中に入っても構わないかい?」
ジェイは怒ったり呆れたりはしてないようだったので、私は安堵のため息を吐いた。
「ええ、どう……ぞ」
ジェイにそう言って振り返った時、私は初めて悲鳴をあげた。
「きゃーー」
目の前に広がる光景が信じられなかった。
脱ぎっぱなしのドレス、ビショビショに濡れた床、シーツを取られて捲れ上がったベッドに開けっぱなしのクローゼット。
「あ、あの、私……」
しかも、バスルームからは水が流れる音がする。
「み、水を止めないと!」
流石に水を出しっぱなしにしてはいけないくらいは知っている。
私は慌ててバスルームに向かう。
「えっと、これかしら? 止まらないわ。キャ!」
突然水勢いよく飛び出して来る。
「少し、動かないで」
後ろからジェイが腕を伸ばして、バスルームの水を止めた。
スラリとした体つきだと思っていたが、こうして後ろから覆いかぶさるようにされると、その大きさに息を呑む。
「あ、あの、ありがとうございます」
ジェイはサッと後ろに下がる。私はそそくさとバスルームを出て部屋に向かった。
もう、どこから手をつければいいのかわからない。
今まで片付けや掃除をしたことがないのだ。
何もせずとも部屋は常に整えられていた。
「ニア、ここに座って」
ジェイの言葉に私は戸惑いながらも、その通りにするしかない。
私が腰を下ろすと、ジェイはニコッと微笑んで腕まくりをした。
「動かないでね」
それからが早かった。脱ぎ捨てられたドレスを手に取るとシワを伸ばして、クローゼットに仕舞う。
バスルームから乾いたタオルを持って来てビショビショの床を拭う。
え? タオルはどこにあったの?
ぐちゃぐちゃになったシーツを手に取るとタオルと共にドアの外に運んだ。
戻って来た時には新しいタオルとシーツを手に持って来た。
そして、そのまま新しいタオルをバスルームに持って行く。
「シーツも新しくするね」
テキパキとシーツを整えるジェイの動きをただただ呆然と見ていることしかできない。
「はい、終わり」
見渡すと荒れていた部屋がすべてあるべき所に収まって整えられた。
「す、すみません」
私は立ち上がると頭を下げる。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。
これでは、子供と同じだ。いや、赤子だ。
「謝るのは無しにしよう。ニアにしかできないこともあるんだ。こういうことは少しずつ覚えていけばいい」
そう言って笑ったジェイの顔を私は永遠に忘れないだろう。
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