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 ちらりと抄介は職場にある掛け時計に目をやる。
 今日は玲と約束している木曜日で、もうじき三時になろうとしていたので、ある程度仕事を終えた抄介は椅子から立ち上がろうとした時だった。
「最近、休憩から帰ってくる時、楽しそうですよね?」
 自分に声をかけてくる相手に抄介は顔を向けると、そこには田所たどころが立っていた。
 彼は中途採用でこの会社に入ったのだが、なぜか抄介に仕事で対抗してくる男だった。
 年齢は抄介と同じ31歳。猫背気味で髪もボサボサ。暗い面持ちで目が死んでおり、黒縁の眼鏡を掛けた男で完全に陰キャというやつだ。
 声をかけられて抄介は嫌な気分になった。
「そりゃあ休憩して元気になったからじゃないですか?」
 淡々とした声で返すが田所はへぇと怪しんだ表情で言った。
「休憩がてら誰かに会いに行ってるのかなぁ?と思ったんですけど」
「・・・そんなこと知って何かあるんですか?」
 いちいち休み時間まで監視されているようで、正直抄介は気分が悪かった。
 なぜそこまで知る必要があるんだと。
「いいえ、一緒に仕事をしている以上、仕事仲間として興味があるだけです」
「俺はあんまり興味ないんで、気持ちがちょっとわからないんですよね」
 そう返すと田所は苦虫を噛んだような表情になり、無言になった。
 抄介はそのまますっと田所の脇をすり抜け、職場を後にした。





「よかったらどうぞ!」
 休憩室に入るや否やいつもと同じく、抄介より先に休憩室に来ていた玲から、一つのお菓子袋を貰った。
 先ほどの田所のやり取りとのギャップに抄介は軽く眩暈がした。
 受け取るとそれは透明のセロファンに包まれたマフィンだった。
「これ・・・」
 呟く抄介の表情を見て玲は不安になる。
「ごめんなさい、甘いの嫌いでした?」
「いや甘いのは好きだよ。ありがとう」
 長椅子に着席し貰ったマフィンの袋を開くと、甘い匂いとバターの香りがして、抄介は頬張った。
「美味いね」
「良かった!俺も好きなんですけど、昨日知り合いからいくつか貰ったので、抄介さんにあげようかなって思って」
 楽しげな表情をする玲に抄介は、微笑ましく見る。
 本当に素直で感情のままに動く子なんだなぁと思い、小顔で色白、大きな瞳でニコニコしながらこちらを見ている姿は、一生見ていられると思った。
 そんな抄介の気持ちを玲が知ったら、きっと気味が悪いって思うんだろうと考えると、絶対バレたくないと思ってしまった。
(嫌われたくないなって俺、何を言って・・・)
 ハッと再び自分の感情を知って、狼狽えた。
「どうしました?お疲れですか?」
 心配そうにこちらを伺う玲に、抄介は少し慌てて返答した。
「いや大丈夫だよ。このマフィンが美味しいなって噛みしめていてさ」
「そんなに美味しかったですか?じゃあもっと持ってこればよかった」
「あ・・・いや、これで充分だよ」
 笑顔で返す抄介に玲は安堵した。
「そうですか?もしまた食べたかったら言って下さいね」
「あ、ああ」
 玲からマフィン好きと思われたらしいが、まぁいいかと抄介は自分の中で秘めた。
 いつも飲んでいるオレンジジュースを、楽しそうに飲む玲の隣に自分がいることが今、一番の幸せになっている。
 少しずつ仲が良くなって、彼のことを知っていくことが楽しくて仕方ない。
 僅かな時間ではあるが、それでもその時間が尊い時間だ。
「抄介さんと話してると楽しいです、俺!」
 不意に笑顔いっぱいに言われ、抄介は嬉しくて少し口角が上がってしまった。
「そ、そうか?そう言ってくれるのは嬉しいね」
「はい、抄介さんは優しいし俺のくだらないこと聞いてくれるし」
「くだらないことはないよ、普通に素朴なことを聞いてくれたり俺も馬鹿なことを言うし。お互い様だよ」
「そうですね!」
 またお互い笑い合い、談笑が続く。
 この時間がずっと続けばいいのになと、抄介は心中呟いた。
 話している最中、玲は携帯を見て立ち上がった。
「あ、そろそろ行かないと」
「そうか」
(もう行ってしまうのか・・・)
 淋しさが込み上げ、去る玲の姿が名残惜しく、抄介は自身思ってもいなかった案を彼に告げた。
「あのさ・・・」
「なんですか?抄介さん」
 玲は踵を返し不思議そうにこちらを見ている。
「前回コーヒーも奢って貰ったり、お菓子貰ったりしてるから、俺からもお礼がしたくてさ」
「お礼?」
 キョトンとした表情で玲は抄介を見た。
「その・・・お礼も兼ねて、良かったら一緒に飯を食いに行かないか?」
 内心、抄介の鼓動はかなり高鳴っていた。よく表現で“口から心臓が飛び出そう”と言うがその意味が良くわかる気がした。
「え・・・」
 驚いた表情で玲は抄介を見ている。
 そりゃあ急に誘われるのだから驚いても仕方ないし、きっと戸惑っているだろう。
 だけど、もう少し話がしたいと思ってしまって、抄介は思わず咄嗟に動いてしまったのだ。
「いいですよ!ご飯行きましょう」
 玲は驚いてはいたが、それほど間もなく承諾の返答が来た。
 あまりにもあっけないので、逆に抄介が戸惑った。
「え、あ、本当に?」
「本当ですよ!どこ行きます?抄介さんにお任せしちゃってもいいですか?」
 玲は笑みを浮かべ、意外にノリが良く尋ねてくる。
 信じられないが本当に行くことを楽しみしているようだ。
 でも冷静に見ればただ年上の人からご飯を誘われただけで、他人から見れば普通の景色だ。
 意識している抄介の方がおかしいのだ。
「ああ、うん。じゃあ俺がよく行く居酒屋でもいいか?あ、居酒屋って言っても創作料理が売りで、わりとお洒落だから若い子でも全然大丈夫で・・・」
 抄介は必死に弁解していると、玲は吹き出して笑い出した。
「大丈夫ですって!俺はどんな場所でも大丈夫ですよ」
「悪いな、でも本当いいところだからきっと玲も気に入ると思う」
「わかりました!あ、じゃあ連絡先交換しましょうか?」
 言って玲は携帯を出し、LINEの番号を交換した。
 玲の連絡先を保存した瞬間、抄介は何とも言えないほどの感動を覚えた。
(時々LINEとか送ってもいいんだろうか?)
 そんなことをひっそり思いながら、詳しいことはまたLINEで決めようと話し、玲は休憩室を出て行った。
 いつもは玲が去ると淋しさが残っていたが、今日の抄介はあまり淋しさがなかった。
(プライベートで会える)
 そう思えるだけで幸福感で一杯になっていたからだった。




(楽しみだな~)
 小さく鼻歌を歌いながら玲は一階へと向かった。
 掃除業務用のスタッフルームに入ると、私服に着替えを始めた。
 清掃業の制服をロッカーに仕舞うと、先ほどの抄介の様子を思い出していた。
(抄介さんは面白い人だよな)
 いつも緊張しているので、自分が抄介より若いから気後れしているのかと思った。
 気にしなくてもいいのにと、玲は思うがきっと彼は真面目な人なのだろうと感じた。
(俺は抄介さんと一緒にいるのが楽しいのにな)
 抄介と一緒にいると玲は気が楽になっていた。
 以前、抄介に悩みを話した時も一緒になって考えてくれた。
 それが玲はとても嬉しかったし、これからも仲良くして欲しいと思っていたのだ。
 時々照れくさそうに言う姿に、玲は思わず可愛らしく笑ってしまいそうになるが、それでも抄介の優しさに嬉しさを感じている。
(抄介さんは優しいからつい、甘えちゃうんだよね)
 年も自分より上なので敬わなければならないが、それでもついつい自分らしく自由に動いてしまっていた。
(ありがとう抄介さん、楽しみにしてるね)
 そんなことを玲は心の思いながら、ビルを後にした。





 幸福感に満ちていた抄介だったが、休憩室で一人残されふと、我に返った。
(思わず誘ってしまった・・・なんで俺言ったんだ!?)
 自分がした思わぬ行動に軽くパニックにもなったが、誘ってしまった過去は変えられないので前を向くしかない。
(でも即答でOKしてくれたよな、一緒に飯行くのを楽しみにしてくれてるみたいだ)
 それを感じられただけで抄介は嬉しくなり、幸せな気持ちになる。
 楽しく過ごせれば、それだけでいい。
 玲が自分と一緒にいることで、楽しい時間になってくれたら。
(まぁ俺は玲といられるだけで、何でもいいんだけど・・・)
 抄介は残りの紙コップを飲み干し、ごみ箱に捨てると、軽く咳ばらいをすると休憩室を後にした。




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