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女の子を学んだ日

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「ふあぁ~、よく寝た。久しぶりにゆっくり寝たなぁ」
 日付をまたいで営業しているので、昨日といえばいいのか今日といえばいいのか微妙なところだが、オレはドクターストップの出勤が休みであった。
 いつも朝九時まで働いてから眠るところを、普通に夜からぐっすり眠れて身体が軽い。
 茂美以外のスタッフは普通に当然、休日もある。店が空いていれば早上がりもあった。
 オレがまだベッドのうえでぼんやりしていると、廊下からドタバタは慌ただしい足音が聞こえてきた。突然、オレの部屋のドアが開かれる。
「アキ! おっはよー! ねぇねぇ、今日は女の子デートしよっ!」
 やってきたのは同じく非番だったナルである。いきなりだなぁ……って女の子デートってなんだ!?
「おはようナル……で、その女の子デートってなんだ?」
「そりゃあもちろん、女の子の恰好でふたりでデートすることだよ~」
 ナルがニヤニヤと笑みを浮かべて部屋に入ってくる。
 ちなみにナルの寝間着は着ぐるみのようなもこもこパジャマだ。ナルは起き抜けも可愛いんだな……さすがは性別ナル。
 オレのベッドのそばまでやってきたナルが、オレの姿を見て顔を顰めていった。
「あれ? ちょっとぉ、彰人ってば寝るときはB面なワケ? ダメだよー、ちゃんと普段から女の子の恰好してなきゃ。意識が低いぞー!」
「いやでも、寝るときは短パンにTシャツが普通だけど……えっとB面? それってなに?」
「あー、彰人ってば勉強不足! まだまだだなぁ、まぁ新人だししょうがないか」
 着ぐるみナルが腰に手を当てて頬を膨らませる。まるで何かのキャラクターのように愛らしい仕草に、ちょっとドキッとしてしまう。
「B面っていうのはね。普段から女の子の恰好をする男が、男性の恰好をしている状態のことを指す言葉だよ」
「そうなのか、B面……」
 かつてシングルCDのカップリング曲のことをB面と言ったものだが、そこから由来するものだろうか。メインではない恰好ってことか。
 ……って待て待て。ナルはさっき女の子デートしようって言ったよな?
 それってつまり女の子の恰好で外に出て遊ぼうってことか――。
 オレは簡単な店のお使い以外では女装して外に出た事なんてない。
 しかも、こんな明るいうちから……ちょっとハードル高すぎやしない!?
「いやあのナル、女の子デートって言っても、オレ普段着は男ものだし、女装して外出するのはまだちょっと難しいかなーって……」
「んもうっ! アキってば何ぬるいこと言ってるの! 女装バードクターストップのスタッフたるもの、女装でお出かけしてこそ一人前よ!」
 いやいやナル、ドクターストップのまともな女装枠はオレたち二人しかいないだろ……。
 オレは突然の申し出に困惑する。だって女装してお日様の下を歩くなんて、めっちゃ緊張するじゃん! 周りの目とか気になりまくるし、いくら慣れてきたといっても……。
「あー、アキ、もしかして自信ないの?」
「緊張するし、なんかヤバイと思うし、それにもちろん自信もないよ」
「大丈夫だよー、アキは女の子声もマスターしつつあるし、見た目はすでにもう完璧女の子! になってるし、なぁんにも怖くないよ。あとは慣れだよ慣れ! ねーねー、だから女の子デートしよーよー!」
 ナルの押しが強い……。
 参ったな、どうするべきか……。
「女の子デートしたら、今まで以上に女の子の気持ちがよくわかるよ。外で女の子がどんな風に過ごしているのか、それでどんな気持ちになっているのか実感出来るんだよ!」
「女の子の気持ちがわかる……でもそこまで深くわかる必要がオレたちにあるのかな?」
「あるに決まってるじゃなーい! ドクターストップは純女さん歓迎のお店なんだよ、お客さんのなかには当然女のひともたくさんいるんだから! そのひとたちの気持ちを深くわかることはめっちゃ大切なの!」
 なるほど、言われてみればドクターストップは女性歓迎のお店である。
 ちなみにだが、女装バーには女性お断りの店もある。男性が気兼ねなく女装を楽しむためには、やはり異性の目は気になってしまうのであろう。
 そういうところは店のドアに『関係者以外立ち入り禁止』とか『会員制』とか書かれたプレートをつけるらしい。
 一口に女装バーと言っても、いろいろあるのだ。
 そんな中、純女さん歓迎のお店で働くスタッフとしては……確かに知っておいたほうがいいのかもしれない。それに、ナルとのお出掛けは純粋に楽しそうだ。自分がどこまで違和感なく溶け込めるかも、実のところこっそり興味がある。
 女装外出への抵抗感とそれらを心の天秤にかけたとき、オレはお出掛けする判断を下した。
「わかった、わかったよナル。今日は一緒にその……女の子デートしよう」
「わーい! やったー! アキとデートだー、楽しみだなー、何を着ていこうかな~。それじゃあナル支度してくるから、アキ、ちょっと待っててね!」
「あ、ナル! メシは?」
「ご飯も外で食べればいいじゃん! ほらアキも起きて支度して!」
 ナルに強引に掛け布団をはがされ、仕方なくオレは上体をあげた。
 ナルはスキップしながら部屋を出ていき、となりの自分の部屋に戻っていく。
「女装外出かぁ……。相当気合い入れてメイクしないとヤバイぞこれは」
 改めて自分の下した決断の重さを実感する。恥ずかしさはいまだ心の中でしっかりとくすぶり続けているのだ。だって女装して遊びにいくって……。これはドクターストップで女装して以来最も女装姿が人目にも触れる、超一大イベントである。
「よし! 頑張るしかないか!」
 オレは気合いを入れて布団を抜け出すと、まずは念入りに洗顔をする。
 そして化粧水を肌にたっぷり染み込ませ、ペチペチと強すぎない程度の強さで何度も押すように叩いて肌になじませていく。お次に乳液でそれに蓋をする。
 さてここからは鏡台でのメイク作業である。まずは化粧下地を……。
「アキー! ナルは準備オッケーだよー! 支度出来たー!?」
 えっ、ナル支度早すぎ! 入ってきたナルが、オレを見てため息をついた。
「あれー、アキこれから始めるところじゃん。しょうがないなぁ、ナルちゃんが特別にアキを可愛くメイクしてあげよう!」
 そんなことを言うナルの今日のコーディネートは、長袖のワンピースだった。
 二の腕のところに切れ込みが入っていてナルの白い肌がまぶしい。
 ワンピースは胸の位置までは光沢のある白。そこから下は黒になっていて、色の切り替え部分には黒に金の小さめのバックルがついたベルトがつけてある。それがナルのウエストの細さを強調していた。白と黒のワンピースが、ナルの長い金髪を際立たせる。
 抱きしめたら、折れてしまいそうな細さである。なんてスタイルの良さ……。
「よーし、ナルちゃんの特別メイク講座始めちゃうよー。ほらアキ、こっち向いて!」
 そうしてオレはナルにメイクを施されていく。
 それが早いのなんの。オレならメイクに三十分はかかってしまうが、ナルは手慣れた動作で十五分で仕上げて見せた。しかも、完成度はオレが自分でやるメイクの何倍も上である。恐るべし。
「さあ、あとは髪の毛をセットしていきましょうねー」
「ヘアセットは自分で出来るからいいって!」
「いいじゃんいいじゃんここまでやったんだから。今日はナルがアキを誰よりも可愛くさせてあげるよ。なんてったって、アキの初めての女装デートだもんね~」
 ナルがいたずらに微笑んで、オレの髪をブラッシングする。
 細かいところまでほぐしていったら、ヘアアイロンの出番。じっくり髪を整えていく。
 ナルの好みで毛先をくりんと内側に巻く感じでセットされる。
 そしてヘアオイルを塗って、髪のセットも完了! うーん、オレも早くこれくらいのレベルのメイクとセットを自分で出来るようにならなきゃなぁ……勉強勉強。
「うん、アキってばやっぱり断然可愛い! ぎゅー!」
 唐突になるが抱き着いてくる。ナルの香水の香りが鼻孔をくすぐった。
 それにしてもやわらかい……全身柔らかいけど、あれ、胸なんかやわらかくね?
「こ、コラ! ナル、あんまりくっつくな! ……ところでナル、なんか胸ない? オレがつけてる偽パッド入りキャミソールとは違う感触がしたんだけど」
「あ、うん。ボク『プエラリア』っていう女性ホルモンに似た働きをするサプリ飲んでるから、少しだけどおっぱいあるよ。触る?」
 小悪魔的に笑ったナルが、手で胸を強調してみせる。
「プエラリア……そんなものもあるんだな。って触らないよ!」
 ほんとはちょっと……触りたいけどさ!
「うん。女性ホルモンの注射っていう手段もあるんだけど、精神が不安定になりやすくなったり、副作用が大きすぎるんだ。だからボクはサプリ派なの」
「へぇ~、ナル、そこまで頑張ってるんだなぁ」
「なんてったって、ボクは性別『ナル』だからね。男女の間に位置するには、もともと男の子に生まれちゃったボクは女の子に寄る努力をしないとねー。アキもだよ!」
 ナルの意識の高さには驚くばかりである。
 オレは……ちょっと自分の胸が膨らみだすのには抵抗あるかな……。
 当面はパッド入りキャミソールに頑張ってもらうとしよう。
「さてそれじゃ着替え……っていってもどーしよ。オレ店のコスチュームしか女装の服持ってないよ。まさかコスプレまがいのコスチュームで出歩くワケにはなぁ……」
「ボクの服を貸してあげるよ。アキも段々痩せてきたし、今ならボクの服着れるでしょ!」
「うう……何から何までお世話になります」
 結局オレはナルにデートの洋服も借りることにする。
 白いキャミソールに、黒の首元が大きく開いたカットソー。それに短めのえんじ色のスカート。パンプスはカットソーに合わせて黒を選んだ。ナルがスカートをドンドン上にあげて、生足の露出が増えていく……。タイツ! タイツをはやく!
 それはどもかく……店でのコスチュームとはまた雰囲気がガラリと変わり、落ち着いた女性のコーディネートって感じで新鮮だった。黒の小さなショルダーバッグに荷物を入れて、ようやくオレのほうの準備も完成する。
「えへへ、アキも準備オーケーだね。うーん可愛いよアキー、楽しみだなぁ。今日は楽しもうねアキ。じゃあ、いこっか!」
 二人で連れたってアパートを出る。ついに……ついにオレの初めての女装外出の一歩が踏み出されたのだ……! 感動のような緊張のような倒錯のような、おかしな気持ちがない交ぜになって胸の中を駆け巡る。
と、不意になるが右手を差し出してきた。
「はい、アキ」
「えっ、手がどうした、ナル?」
「んもう鈍いなぁ、アキは。デートなんだから手をつないで歩こうよ、ほらほらぁ!」
「ああ、そうか。そうだよな。照れくさいけど、よし」
 ぶんぶんと手を振るナルの右手を捕まえて、オレの左手に重ねる。
 ナルの手は小さくて細くって、やわらかくて……女装外出でドキドキしていたオレの心臓の鼓動がさらに早まることになった。
「ふふっ、アキ顔を赤くしてるでしょ、メイクの上からでもわかるよぉ」
「そりゃあ、ナルの手はやわらかいし、女装外出は初めてだし……」
「何度でも言うけど、アキは可愛いから大丈夫! さっ、まずはご飯にしよっか、ナルお腹空いちゃった!」
 ナルとともに新宿の街を歩く。ついでのようにドクターストップの前も通ってきたが、昼間に見ると店先も印象が違うものだ。
 ピンクの看板に黒い文字で『ドクターストップ』。夜には文字の部分が電飾される。看板のまわりはフリルを模した建築材で彩られていて、冷静に見ると怪しいお店だ……。
 今はお昼なので営業も終わっている。茂美も史明も寝ていることだろう。
 にしても……スカートの中に風が吹き込んでくる!
 店の中でのスカート特有のスース―する感じには慣れたが、自然の風に吹かれる感触は初めてだ。これは落ち着かない!
 そんなことを思っている間に、鼻歌交じりのナルがオレを先導していく。
 どうやらお昼ご飯を食べる店のアテはあるらしい。
 やがてやってきたのは、通りに面したチェーン店のパスタ屋だった。
「ここのパスタは美味しいんだよ、いこっ!」
 ナルに手を引かれて店に入る。幸い席は空いていて、オレたちはすんなり通された。
 テーブルにつくと、ナルが興味津々にメニューを見ている。大型展開している店だけに品数が多い。迷っているとランチセットなるものを見つけた。よし、これかなぁ。
「オレは決まったよ、ナルはどう?」
「えーっ、アキとあれがいいね、これもいいねって話合いたかったのにー、まあいいや、ボクも決まってたから。注文しよっか」
 そうか、ナルの思い描いていたデートはそんなシーンもあったんだな……。
 そう思いつつ、店員さんを呼んでメニューの注文をする。
 待っている間は、ドクターストップのスタッフやお客さんの話に花が咲いた。
「史明ってさぁ、結局男が好きなの? 女が好きなの? 女装子さんが好きなの?」
 ちなみに女装子さんとは女装した男性のことを指す。
「んー、どうだろうねぇ。性別にはこだわりなくって、ただ可愛いものを可愛いままに好きって言うのが史明君なんじゃないかなぁ」
「なるほど……史明の恋愛基準はそもそも性別じゃないわけか。前から謎だったんだ」
 オレがうんうんと頷いていると、ナルがテーブルに肘をつせて身を乗り出した。
「そういうアキはどうなのさ? 好みとか好きなひととか、いるの?」
「オレは……」
 一瞬、脳裏に伴子の顔がよぎったがぶんぶんと頭を振って否定する。
 オレと伴子はあくまで客とスタッフなんだ、そんなワケない!
「オレは……いないよ。しいて言うなら女性が恋愛対象かな。なんて女装は始めたばっかりで、それまでずっと普通の男として過ごしてきたんだぜ?」
「まぁねー、ほんとは好みはボクって言って欲しいところだけど、アキはまだこっちの世界にきたばっかりだもんね~。んふふ、これからたっぷりこの世界に染めてあげる」
 この世界に染まる……女装の世界は奥深いが、なんせ最初に見たのが茂美なだけに、染めると言われると自分が茂美のような外見になっていくのではと苦笑してしまう。
「おまたせいたしました」
 そんなこんなで話をしているうちに料理が到着。
 オレは和風パスタにスープとコーヒーのランチセット。
 ナルは明太子パスタの小である。お腹が空いたと言っていた割には小食だ。まあ、ナルは細いしこんなものなのか? それにしたってなぁ。
「いただきますっ!」
 声をそろえてパスタを食べ始める。ちょいちょいと会話は挟むものの、パスタはどうも話ながら食べるのには向いていない。お互い食事に重点を置きながら時を進めていく。
「ごちそうさまでした!」
 ふたりでほぼ同時に食べ終わったので、オレたちはこちらも声をそろえて言った。
「さーってデザートデザート! ここはミニパフェが美味しいんだー」
 食事の終わった皿が下げられていく中、再びメニューに目を落とす。
 なるほど、パフェを食べるために腹を空けていたのかと納得するが、そんなオレはもうセットでお腹いっぱいなのでデザートまでは付き合えそうにない。
「フルーツチョコパフェひとつ!」
 ナルが元気よく注文する。パフェはそれほど待つことなくやってきた。ナルはスマートフォンを取り出すと、目の前に置かれたパフェに嬉しそうにシャッターを切った。
 なるほど、これが女子力か……!
「ねぇねぇ、ところでアキはちゃんと女の子のこと勉強してる?」
 パフェをほおばりながら、ナルが話を振ってきた。
「女の子のことを勉強って言うと、どういうこと? どんな話題が好きかとか?」
「まぁそういうのも大事だけどさ。女の子の身体のこと。例えば生理とか!」
「せ、生理!? いやそれはぜんぜん……つらいんだろうなぁ、ってくらいにしか」
 オレがそういうと、ナルは眉をしかめた。
「えーっ、ダメだよアキ。ボクたちはいわばドクターストップのスタッフの中では女の子担当って感じなんだからさ。ちゃんと勉強しなくっちゃ!」
「は、はぁ。でもデリケートな話題だろ。まさか女の子本人に聞くわけにもいかないし」
「それは言い訳だぞ~。雑誌とかコラムとか、学ぶ方法はたくさんあるんだから、しっかり勉強していかなきゃ」
 ナルはそういうところまできっちり勉強しているのか。
 さすがは、どっちの性別でもない、性別欄は真ん中の点に丸をつけるナルだけある。
「いい? 生理っていうのは特に重い日があって、特によく二日目がつらいっていうの」
「どれくらいつらいんだろうな、それって」
「そこは人それぞれ。二日目でもちょっと痛いなってだけのひともいないわけじゃないし。ただ、重いひとはすっごく痛い! ナル予想的にママのボディブローをくらいまくっている感じの痛さのひともいるの」
 あのボディブローをくらい続けている……それはとんでもない激痛である。
「だから、鎮痛剤が欠かせないひとも多いんだよ。薬局の痛み止めコーナーとか見る? 頭痛、生理痛に~なんて書いてあるでしょ。それくらいポピュラーな痛みなワケ」
 言われてみれば、痛み止めの薬に生理痛の文字は見た覚えがある。
「それに、痛みだけじゃなんだよ。生理は当然血が出るでしょ。生理用品にはとってもお金がかかるんだから。一説には安く見積もっても生涯の生理用品にかかるお金は四十万円って説もあるくらいなんだからね」
「マジか……、痛いだけじゃないんだな」
「最近生理の貧困とか、世の中でも考えられるようになったけど、大事なことなんだよ」
 ナルがパフェをもぐつきながらも、真剣な眼差しで語る。
「生理用品だって、つけたら一日それでOKってわけじゃなくって、途中で取り換えなきゃだし。なかなかそういうタイミングだって難しいんだ」
 どこにでもトイレがあるわけじゃないしね、といってパフェを平らげたナルがスプーンを置いた。
「それにね、妊娠したらもっと大変! アルコールもタバコもカフェインもダメだし、ほかにもいろいろ摂取しちゃいけないものがある。お医者さんにかかっているひとだったら、飲んじゃいけない薬も多いしね」
「ふむふむ……」
「それにお腹が大きくなってきたら動くことだけでも一苦労。最終的にはお腹にボーリングの玉を入れてるくらいになるんだから。産まれてきてからももっともっと大変! 赤ちゃんは一時間とか小まめに泣くし、それは朝も夜も関係ない。よく夜泣きって言うでしょ。お母さんになったら赤ちゃんがある程度育つまではまともに睡眠もとれないんだから!」
「寝ることもロクに出来ないのか、それはキツいなぁ」
 ナルの勢いに気圧され気味のオレをよそに、ナルは一通り女性の苦労を語った。
「さてそれじゃあ、より女の子のことを理解するために、お洋服見に行こっか!」
 一息ついて、ナルが笑顔で言った。おい、今日はデートじゃなかったのか?
 これでは女子のことお勉強講座である。まぁオレにはありがたいことなんだけど……。
 会計を済ませてふたりで店を出て、近くの大型ショッピングセンターのビルに入る。
 まずやってきたのは洋服売り場。
 ナルがさっさと店内に入っていく。オレにはこの一歩が重い……周囲を気にしつつ、ナルと離れ過ぎないように接近しながら一緒に洋服を見ていく。
(サイズは女子もS、M、Lなんだな。この辺は男に近い……ただ小物の数が桁違いだ)
 ナルは様々な服を躊躇なく試着していく。試着のたびに渡される白い半透明の布のようなものの意味がオレには当初わからなかったが、服にメイクがつかないためのものであるとナルに教えられた。
「どうアキ? 似合うー?」
「うんっ、すっげーいいよ! ナルはなんでも着こなせるんだなぁ」
「ふっふーん。なんてったってナルだからね。アキは試着しないの?」
「オ、オレにはまだちょっと難易度が高いかなーって」
「せっかくの機会なのにー。まあ何度でもお洋服は見にこれるけどね」
 結局ナルのファッションショーを楽しんだあと、ナルが気に入った洋服を一着買ってそのお店は終了。そしてナルはとなりにあった店舗にさっさと入っていく。
 何気なく後をついていったオレは、その店頭で固まってしまう。これは……。
(し、下着売り場じゃないかー! ナル、これはオレにはハードル高すぎるぞ!)
「ほらぁ、アキちゃん。おいで。可愛いのいっぱいあるよ」
 ちゃん、のところにイントネーションが置かれ、オレは強引に店内へご案内される。
(うわぁ、女子の下着って高いんだなぁ……、てか上下セット? いや考えてみればそうなるか、でもなんか実際目にすると不思議な光景だ……)
 下着と思わなければ水着にも見えるようなものもあるが、フリルがしっかりついたり、露出が多かったり、下着姿のマネキンがあったり……これは新世界。
「ナルやアキはおっぱい小さいから、パッドががっつり入っているのがいいよ」
 いやいやいやいや! ナルがここに並んでいる下着を着るのはぜんぜん違和感ないけど、オレには無理過ぎるー! 量販店のパッドつきキャミで限界だよ!
 とにかく勉強と思いながら、恐る恐る商品を見ていく。
 B●●と謎の記号が羅列されていたり、トップとアンダーはなんとなくだがイメージがわくが、とにかく謎がいっぱいな空間だ。
 じっと見ていると店員さんに「ご試着なさいますか?」と聞かれる。オレは顔を真っ赤にして「だいじょうぶです!」と答えたが、これは恐怖の空間だ……。
 ナルが下着を選んでいる時間が無限に感じられる……。
 やがて、ナルもお目当てがなかったのか「いこっか」とオレを外に誘った。
 ふぅ……と一安心したところでオレにあるものが襲ってくる、そう、尿意である。
「あ、やべ。トイレ行きたい……って、ああ!?」
 今のオレ、どっちのトイレ行けばいいんだ!?
 いや法律的には間違いなく男子トイレなんだけど、メイクと服装的には女子トイレだし、でもやっぱ男性? この恰好で? 無理無理無理! どーしよー!
 葛藤するオレを、ナルがおかしそうにニヤニヤしながら見ている。
「ダメだなぁ、アキは。僕たち男の娘はトイレはアパートを出る前に済ませておかなきゃ」
「うう、そうはいっても昼はコーヒー飲んだし……」
 と抗議してみてもこの欲求は消えてくれない。
 ナルは周囲を見回すと、小声でオレに耳打ちした。
「その恰好で男子トイレには入れないでしょ。今誰もいないから、多目的トイレ借りて済ませて来ちゃいな」
「うっ、でもいいのかなぁ……?」
「じゃあ、男子トイレいっちゃうの? 皆びっくりするよ? そっちのが迷惑だとナルは思うけどな~」
「わ、わかった……すぐ済ますから待ってて!」
 オレは仕方なく、多目的トイレを借りて用を足したのであった。
 その落ち着かない事ったら……。幸い、入るときも出るときも誰もいなかったけど。
とにもかくにも、これが女装子の外出の難しさかと実感した次第であった。

 次にナルと向かったのは薬局のコスメコーナー。
 化粧品の勉強は望むところだったし、これくらいならオレでもあんまり緊張せずに中に入れるゾーンでありがたい……のだが。
 なんだこの化粧品の数は!
 こっちのアイシャドウとこっちのアイシャドウ、どこが色違うんだ!?
 ドクターストップで仕事をしてきて、メイク道具は一通り覚えたのだが……それは用意されていたものを使ってきたに過ぎない。こうしてズラリと並ぶ化粧品たちを見ると、その細かな違いがわからなくって立ち尽くしてしまう。
「見てアキ! 良い色のシャドウ出てるよ。ママに経費で落としてもらっちゃおうか?」
 なんて言いながらウキウキでコスメを見るナルをよそに、オレは戸惑ってばかり。
 そしてもうひとつ、その値段である。化粧品は高い!
 世の女子はこんなに高いものをたくさん買いそろえているのか……。
(なんてしんどいんだ。これはお財布へのダメージが半端じゃないぞ……)
「アキ、どうしたの?」
「いや、種類や値段に圧倒されて……細かい違いもぜんぜんわかんないし」
「甘いなぁ、アキは。こういうのを買いそろえるのも、女の子の楽しみなんだよ」
 確かに楽しいひとはすごく楽しいだろうけど……。
 思い出すノーマル男時代。
 まずメイクなんてしない。寝ぐせをなおして顔を洗っておしまいだ。
 服装だってここまで迷わない。適当に気に入ったのを着ていくだけ。
 ましてや下着なんか……勝負下着とか聞くけど、ほんとに星の数ほどあるのね……。
 伴子や世の中の女性は日々なんて苦労を背負っているんだ……。
 オレはコスメ売り場の真ん中で立ち尽くしてしまった。
「どうしたのさアキー、一緒にお化粧品見ようよー」
「いやぁ、世の中の女子って大変なんだなぁって実感して」
「ふふん、その実感が理解する第一歩だよ。アキも純女さんの気持ちに少し近づいたね」
 ナルが得意げに笑った。
 そうだよな、ナルなんて女性そのものな生活してるワケだし。
 驚きだらけのコスメコーナー巡りも終わりショッピングモールを出たころには、すっかり夕方になっていた。ナルは「じゃあ、仕上げいこっか」と言い出した。
「仕上げ?」
「そう、デートの仕上げって言ったら決まってるでしょ~」
 にんまりと笑ったナルが、オレの手を引いて人気のない路地のほうへ向かっていく。
 そこには寂し気な道には似合わない、派手な看板がいくつも……ってご休憩!?
 まんまホテル街じゃねーか!
「コラ、ナル! どこ行くつもりかと思ったらお前……!」
「えーっ、だって今日はデートでしょー、最後はやっぱりここじゃないと」
「ダメです! もうっ、ナルは何を考えているんだよ!」
「そりゃあ、アキとあんなことや~、こんなことや~、んふふっ!」
「却下っ!」
 オレが厳しくナルの妄想をシャットアウトすると、ナルは悲しそうな顔をした。
「ええー、アキの意地悪~。優しく教えてあげるから~」
「そういう問題じゃありません!」
「ううー、じゃあせめて添い寝だけでも……」
 目をウルウルさせて懇願するナル。その姿はたまらなく可愛い……けど!
「さすがにホテルはダメ! ……添い寝ならアパートでしてやるから、な」
 オレが妥協案を提示すると、ナルの顔がパッと輝いた。
「ほんと!? 約束だよ! じゃあデートはここまでにして、もうアパート戻ろう!」
「おいおい、夕飯とかは食べなくていいわけ?」
「お外ご飯も魅力的だけど、それよりなによりアキとの添い寝! ほら、アパートいこ!」
 その細い腕で一生懸命オレの腕をとって、ナルはアパートへ歩き出す。
 まったく、ナルときたら……。
 グイグイとオレの腕を引っ張っていたナルが、急にこっちを振り返ると微笑んだ。
「今日は楽しかったね、ありがとう。アキ!」
「こっちこそ、いろいろ教えて貰っちゃって勉強になったし楽しかった。ありがとう」
「じゃあ、デートの仕上げに」
 ナルが目を閉じて、そっと顔をあげた。
 少し背の低いナルのそのポーズに……オレはひょいと唇を避けて頬にキスをした。
「あー、ずるーい! ここは唇でしょー! アキのバカ―!」
 ナルの文句を聞きながら、ふたりでアパートへ帰る。
 本当に、楽しくて色々学んだ一日だったよ。ありがとな、ナル。 
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