配信者の消される刻

緒方あきら

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第四話

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【18】
「ゲームの通りなら、受け付けのウラの部屋だ! そこの戸が動くはずだ!」
「了解じゃ、そこまで走るぞよ!」
「少しでも早く、奏人さんを出してあげましょうね!」
 受け付けのカウンターの内側に入り、奥のカルテ室のドアを開ける。
「戸って言ってたけど、どれだ?」
「あ、あの戸棚じゃないでしょうか?」
 あかりさんが指さす先には、紙製のファイルがズラリと置かれた棚があった。たしかに、よく見てみると棚は壁にピッタリとくっついておらず、横に動かせそうだ。
「戸棚か、とにかく動かしてみよう!」
 三人がかりで、戸棚を横にスライドさせる。
 ズズズッ……と重い音を立てながら戸が動いた。
 その奥に、ひどく汚れた地下へ続く階段があった。
「これか……。神楽、あかりさん、時間がない。行こう!」
「わかっておる。いざ、まいるぞ!」
「が、がんばりますっ!」
 俺たちが地下へ続く階段を降りていくと、後ろで戸が閉まる音がした。
「ここでも、閉じ込めか」
「そう来るのではないかと思っていたぞ、じゃがそもそもわらわたちは呪いを断ち切るまで戻るつもりはない。注意せよ」
 暗闇の中で、銀髪が光を放つように揺れていた。
 微かな灯りを照り返し、ゆっくりと階段を下っていくその輝きを追うように、俺も一段一段、汚れたコンクリート造りの段差を進んでいく。
 全身が冷たい水を浴びせられたように凍える。
 この先は危険だと、俺の本能が何度も告げていた。
 それでも、行くしかない。
「遥人、着いたぞ。注意するのじゃ」
 闇を泳ぐ神楽の声。
 俺は頷き返し彼女の手がドアノブに伸びるのをじっと見つめる。
 現実世界から切り離されたような廃墟、その地下室。
 ふと、緊張する頭の片隅でおかしな疑問が生まれた。
 ――なぜ、自分はこんなところに立っているのだろう。
 頭では理解している。
 それでも拭っても拭っても振り払えない恐怖と違和感が、そんなことを考えさせる。
 そう、あの時から自分は行くと決めたのだ。戸惑いも、後悔もない。
 全ては、この悪夢を終わらせるために――。
「こ、ここが地下室なんですね。結構、広いですね……」
 カンテラと懐中電灯に照らし出された地下室。
 壁という壁、天井、床に至るまですべて錆びつき腐ったかのような汚れた色をしている。
「なんだよ、これ……。今までの廃病院とはぜんぜん違うな」
「禍々しい気が満ちあふれておる。間違いなくやっかいなモノがおるぞ」
「あ、あたしも全身がしびれるような感じがします。うう、怖い……」
 不気味な、上下左右の感覚さえ無くしてしまいそうな空間。
 まるで、俺たちだけ違う世界に迷い込んでしまったかのようだ。
 地下室をしばらく進むと、目の前に三つのドアが見えた。
 ドアも壁や天井と同じく、ボロボロに錆びついたみたいになっている。
「ふむ、遥人。お主は友人のゲームを見ていたのであろう。どのドアを開けて怪異が起きたか、わかるか?」
「ええっと、たしか真ん中のドアだ。ドアの向こうにまた長い廊下があって、その先で何か起きた。音声も途切れて画面もノイズで見えなくなってしまって、何が起きたかまではわからないけど」
「なれば、真ん中のドアを進むとするかのう」
 神楽が歩き出すと、あかりさんが戸惑って言った。
「か、神楽さん、呪いをひとつひとつお清めして進むんじゃなかったんですか? 左右の部屋は清めないでいいんですか?」
 おかりさんの言葉に、神楽が口をゆがめて答える。
「本来ならば左右を清めてから進むべきじゃ。しかし時間もないうえに、太刀風もいない。それに奏人が背負っておった荷物も独房に閉じ込められたままじゃ。これでは清める方法が極めて限られるし、時間がかかりすぎるのじゃ」
「そうか、もうあるもので戦うしかないんだったな」
 あかりさんが数度頷くと、神楽は真ん中のドアを開ける。
 長い。まるで、どこまでも続いているんじゃないかと思われた。
 廃病院の敷地はこんなに広かっただろうか?
 そう思い始めた俺の全身に、ビリビリと痺れるような刺激が走った。
「ぐっ!? なんだ、これ!」
「身体中が、押しつぶされそうですぅ!」
「呪いの根源に近づいているんじゃ。それにしても、恐ろしい力よな。気を付けよ!」
 呪術の圧力に耐えながら廊下を抜けると、かなり広いフロアに出た。
 中庭よりも広いのではないかと言う場所の中心近くで、黒い何かがうずくまっている。
「おったな。この異様な邪悪な気配、廃病院の呪いの根源はあやつで間違いなかろう」
「あれが呪いの根源、おそらく聖母様……か?」
 近づいていく。
 黒い何かは、真っ黒な髪を腰より下まで伸ばした、青白い顔をした女性であった。
 大きな目を異常に黒い瞳が大きく、焦点が定まっていない。唇まで青白い様は、まるで生きている雰囲気を感じさせなかった。ボロボロになってところどころ黒や赤黒くそまり、破けた真っ白な衣服が異様だ。
「なぁ、この人、俺のスマートフォンに写った心霊写真の……」
「うむ、間違いなさそうじゃな」
 そばに進んでいくにつれて、耐えがたいような圧力に覆われる。
 近づいて来た俺たちの方を向いてなお、彼女の顔は虚ろなままだ。
『もうつらい……消えたい……。終わりにしたい。それなのに、それなのに……。どうして、こんなことに。もうイヤ、もうイヤ……』
「あの霊、自分の存在をイヤがっている? あの霊が悪さをしてたんじゃないのか?」
「わからぬ。しかし廃病院を覆う呪いの力はやはり、あの者から感じる」
「き、消えたいって言うなら、消しちゃってあげたほうが良いのでは?」
 俺たちが困惑している間に、ぼんやりとこっちを見るように視線を向けていた彼女が、口を開いた。
『もう聖母様でいることなんて出来ない! イヤだ、消えたい! 憎い! 全部全部消えてしまえっ!』
 カッと真っ黒な瞳がさらに巨大化する。まるで今にも飛び出して来そうだ。
 やはり彼女が聖母様なのか。しかし、聖母様なんて出来ない――?
 どういう意味だろうか。
 それを深く考える前に、巨大な黒い魔術が俺たちを襲ってきた。物凄い速さだ。
「うわっ! 鋭くて、重い! これはヤバイ、あかりさん、俺の後ろに!」
「は、はいぃぃ! お力になれず申し訳ございませんんん……!」
 あかりさんをかばいながら、まるで髪が伸びて来たように襲ってくる何本もの黒い攻撃を霊木刀で振り払っていく。
 しかし、圧倒的に押されている。これじゃ、向こうに攻撃が出来ない。
「これでもくらうのじゃ! はぁぁ!」
 同じように符で攻撃を弾いていた神楽が、短い矢のようなものに符をさして投げる。
 彼女――聖母様はそれを空中に飛んでかわした。
『憎い憎い憎い憎いっ! 皆殺してやるっ! 私を殺して、そのうえ死の眠りさえ奪った人間たちを皆殺してやるっ!』
 聖母様は、殺された? 死の眠りさえ、奪われた?
 その意味を考える暇もなく、空中に飛んだ聖母様は眼にも止まらぬ速度で動き始めた。
 床、壁、天井。重力の関係が霊にはないのか、その動きは縦横無尽だ。
 いたるところに動いては、そこから鋭い何本もの攻撃を繰り出してくる。
「くそっ! 一か所からくる攻撃でもキツかったのに、これじゃどうにも出来ない!」
「あきらめるでない、遥人! どうにかして活路を見出すんじゃ!」
 神楽も俺も必死に奮戦している。
 しかし、動き回りながら激しい攻撃を繰り返して来る聖母様に押され続けた。
「このっ! くそっ! ええいっ! ダメだ、近づくことさえ無理だ!」
「しゃくに触る、これでは符がもたぬ! せめてやつがどこかに留まれば……!」
 どれほど攻防が続いたであろうか。
 不意に、今までも重かった攻撃がさらに強力になった。
 霊木刀でも支えきれず、俺は両腕に激しいしびれを感じた。
「うっ!? なんだこれ? 攻撃速度と重さが一気に増した!?」
「まずい、夜になったのじゃ! こやつの力が増していくぞ!」
「そんなん、どうしろってんだよ!?」
 攻撃を弾きながら問う俺に、神楽が決意の表情で言った。
「このまま戦っても消耗戦じゃ、こちらだけが弱っていく。こうなれば、遥人とわらわで、一か八か突撃するしかあるまい!」
「決戦を挑むか。けど、あれほど動き回っている相手に一斉にかかれるか!?」
「むう……!」
 神楽が顔をしかめたとき、あかりさんが振り絞るような声で言った。

【19】
「あ、あたしがあの、聖母様の動きを止めますっ!」
「なんじゃと!?」
「あかりさんが!?」
 俺たちが攻撃に対応しながら、あかりさんの突然の申し出に困惑した。
「あの聖母様だって、霊のはずです! あたしの降霊の術で彼女をあたしの上に降ろします。そこで、動きが止まったところをおふたりでなんとかやっつけてください!」
「しかし! あんな強力な霊を身体に宿したらただではすまぬぞ、あかり」
「でも、今はこれしか方法がないと思うんです! あ、あたし、戦いにはぜんぜん力になれなくて……せめて、これだけはやらせてください!」
 決意の表情であかりさんが言った。
「けど、あかりさん! あまりに危険だっ!」
「だけど、このままでは皆やられてしまいますっ! あ、あたし、遥人さんと神楽さんに守られながら一生懸命考えました。これしかないって!」
「そんな……!」
 俺が戸惑っていると、神楽が叫ぶ。
「遥人、あかりの言う通りじゃ! このままでは全滅じゃぞ、策はそれしかない。やるぞ!」
「ここで迷えば、皆やられてしまう……。わかった、どうするんだ!?」
「あかりを部屋の真ん中に連れて行き、降霊の儀式をしてもらうのじゃ。降霊が終わった瞬間、あかりの上に現れた聖母とやらを叩くぞ!」
「わかった!」
 神楽と俺は襲い来る攻撃を払いながら、部屋の中央に走る。あかりさんも続く。
 中央につくと、あかりさんが素早く逆さ魔除けを身に着けた。
「なんとしても抑え込んでみせます! あとは、おふたりによろしくお願いいたします!」
 俺たちが守る中、あかりさんの降霊の儀式が始まった。
 周囲に満ち溢れていた黒い闇が、少しずつあかりさんに吸い寄せられていく。
「くっ、あ、あああ……!」
 あかりさんが苦しそうな声を出しながらも、降霊の儀式を続ける。
 周りの風があかりさんに集まって行き、それと共に黒い闇もあかりさんに入り込む。
 ――そして、あかりさんの頭上に黒い髪の女性、聖母様が現れた。
「やった、成功した!」
「喜んでおる場合ではない、遥人! 一斉にやるのじゃ!」
「おう!」
 あかりさんの頭上の聖母様に、神楽と共にかかっていく。
 俺の霊木刀が、神楽の符が聖母様に直撃した。
『うあっ……あああ! があぁぁぁ!!』
 一瞬ひるんだ聖母様が、しかし力を取り戻し黒い影で俺たちを殴り飛ばした。
「ぐはっ!」
「むぅ……! 降霊で抑え込まれてまで、なおあれほどの力を残しておるとは」
 あかりさんの頭上に降霊で束縛された聖母様が、触手のように何本も黒い影を出した。
 その影が、俺たちに襲い掛かってくる。
 再び、攻撃を防ぐことで手一杯になってしまった。これではあかりさんが――。
 何度も打ち払われて学習したのか、触手がまとめて神楽だけを狙い動いた。
「ふん、わらわが負けるものかっ!」
 神楽が触手たちに対して符を差し向ける。
 しかし、触手に触れた符がみるみる黒く染まっていった。
 符が少しずつ、端から散って落ちていく。
「くっ、おのれ、符ではおさえきれぬ……!」
「神楽ー!」
 急いで助けに向かう。間に合うか――。
 しかし符が粉々になった瞬間、神楽は両袖から赤い組紐を出して触手を縛り上げた。
「甘いわ! こんなもの、封じ切ってやるわ!」
「神楽、それは?」
「神聖な水に浸し、浄化された由緒ある紐に清廉な乙女の髪を縫い込んだ一品じゃ。とっておきは、最後までとっておいてこそ、じゃ! ここは良い、ゆけ、遥人!」
「わかった! 今度こそっ!」
 触手を紐で締め上げるように押さえつけた神楽の言葉を受け、俺は聖母様に向けて駆けだした。しかし、聖母様は新しい触手を放ち俺の行く手を阻む。
 そのとき。
「喝っ!」
 男性の大音声が響いた。
 振り返ると、身体中切り傷だらけの太刀風僧正が立っていた。
「神楽、遥人……待たせたな……。攻撃は我れが抑える……遥人、行け……!」
 聖母様が次々と触手を放つ。だが、それを太刀風僧正が長い数珠で巻き込んで抑える。
 聖母様の真正面が空いた。
 俺は一気にそこに走り込んだ。

【20】
「今度こそ、終わりにする! でやぁぁぁぁ!」
 全身全霊をかけて、聖母様の頭上に渾身の力で霊木刀を振り下ろす。
 強い手応え。
 霊木刀は聖母様の頭を叩き潰すようにめりこんだ。
「やった!?」
 触手たちの動きも止まり、パタリと地面に落ちていく。
「これで、終わったのか?」
 霊木刀を叩きつけたまま俺がつぶやくと、神楽が叫んだ。
「まだじゃ遥人! 触手たちも聖母本体も消えておらぬ!」
「っ!? くそ、もう一度!」
 しかし、霊木刀を振り上げようとした瞬間、聖母様のめり込んだ頭部がグネグネと動く。
 そして霊木刀を飲み込むようにしてうねると、手にした霊木刀を真っ黒になり、折れて粉々になった。
「そんな……!?」
 霊木刀が、武器がなくなってしまった――。
 どうする、どうすればいい――。
 焦るな、こういうときに冷静だったやつが勝つ。
 何か方法があるはずだ。何か……。
 廃病院の入り口。
 そうだ。俺はあのとき、神楽に符の束を渡されている。
 この距離なら、聖母様の本体中心に符を叩き込める――。
 ポケット、手を伸ばし掴む。
 符。
 俺は両手でありったけの符を取り出し、聖母様に叩きつけた。
「これで、ゲームオーバーだっ!」
 空気が破裂するような、激しい音が鳴り響く。
 符が一枚、また一枚と黒く染まり散っていった。
 最後の一枚。
 聖母様の中へ、奥へ、身体の中心に叩きこんだ。
『あっぎゃあああ!? うああああっ!! あああああっ!』
 聖母様はありったけの叫び声をあげ――消えた。
 降霊をしていたあかりさんが、かくりと糸の切れた操り人形のように地面に倒れた。
 静寂が訪れる。
 黒い影が消えて行く、その最後の一欠けらが呟いた。
『これで……ようやく静かに眠れる……』
 そう言って、影は消えた。
 あの影は、聖母様は言っていた。死すら邪魔されたと。
 それはこの建物の因果なのか。彼女の負の意識なのか。
 最後の穏やかな声が、俺の耳にいつまでも残った。
「終わった……! あかりさん!」
「疲労が限界を超えている……意識を戻さねば危ない……。はっ!」
 太刀風僧正が背中を強く叩くと、あかりさんがうっすらと目を開けた。
「あ、遥人さん、神楽さん、それに太刀風さん。終わった、んですか?」
「ああ、終わった。お主のおかげじゃ、あかり。よくやってくれたのう」
「そ、そんな……あたしなんてなにも……」
 倒れこんだあかりさんの額にハンカチを当て、神楽が俺の方を向いた。
「遥人、お主もな。本当によくやった。あやつに霊木刀が壊された後、すぐに符を出すとはなかなかのものじゃ」
「いや、俺なんて何も……皆が戦ってくれたからさ。ゲームでも同じなんだ。ああいう、ヤバイ場面でこそ冷静にってのが、俺と奏人の……そうだ、奏人を助けに行かなきゃ!」
 俺が言うと、神楽が頷き立ち上がった。
 太刀風僧正が、動けないあかりさんをおぶる。
 俺たちは来た道を引き返して行った。
「それにしても太刀風、ようあの場所がわかったのう」
「一階まで戻ったとき……ただならぬ気があふれておった……。我れはそれを……追いかけただけ……。あれほどの魔、すぐに気付こうというもの……」
 やはり太刀風僧正はすごい。いや、神楽も、あかりさんもすごい。
 俺も少しは役に立てただろうか。早く、奏人を迎えに行かないと。
 地下室を上がり切り、受け付けを出たところに奏人が立っていた。
「遥人ぉ! お前くっそー、俺を置いていきやがって! 一生恨むからなっ! めっちゃ怖かったし絶望したし頭パニくるし、ほんっと大変だったんだからなっ!」
「悪い悪い、すまなかったよ。奏人を救い出すにしても、呪いの元凶の聖母様をやっつけるしか方法が見つからなくて」
 奏人は大きな声で怖かった、ひどい、つらかった、あり得ないと連呼している。
 良かった。取り乱してはいるが、いつもの奏人だ。
「それで、なんだっけ? 廃病院の呪いの元の、聖母様ってのはやっつけられたワケ?」
「ああ、俺たち四人でなんとか倒したよ」
「そっか、聖母様を倒したのか。はぁーあ、結局そこも映像に録れなかったし、俺だけ部屋に閉じ込められて、お前らはラスボスやっつけて……良いことなしだぜ」
 拗ねる奏人に、笑って言った。
「でも、サクリファイス・ホスピタルの元になった病院の映像は撮れただろ。奏人が言う通り、アクセス稼げるんじゃないか?」
「でもよー、一番盛り上がる地下室が撮れなかったんじゃなー」
 ブツブツと文句を続ける奏人を、神楽が制した。
「いい加減にせぬか、愚か者。見よ、太刀風は傷だらけで、あかりもひとりじゃ動けん。はやく治療と休養を与えねばならぬ。さっさと帰るぞ」
「へーへー、わかりましたよっと」
 俺たちは廃病院を後にして、最寄り駅まで歩いた。
 電車が来るのを待つ間あかりさんをイスに寝かせて、太刀風僧正の傷は太刀風僧正自身と神楽が治療した。俺も何か所か傷を負っていて、それも手当てしてくれる。
「ほんとに病院行かなくていいワケ、その傷。すっげーあるじゃん」
「普通の傷なら病院じゃが、霊がつけたものゆえわらわたち専門家が治療する。お主が持ったままだった荷物も戻ったことだしのう」
「あー、そうやって意地悪言うわけだ、神楽ちゃんはさー」
 力が回復すると言われる御浄水を飲んで、あかりさんも電車が来るころにはなんとか自分で歩けるようになった。全員で電車に乗って、ゆっくりとシートに腰掛ける。
 ――終わったんだな。
 俺は流れる景色を見ながら、しみじみとそう思った。

【21】
 翌日、俺は全身の疲れとともに目が覚めた。
 あれだけ大立ち回りをすれば当然だろう。
 夜に帰って来て衣服もひどく汚れていて、母さんにお小言までもらってしまった。
 衣服にもお清めはしてもらったので、呪いの心配はないだろう。
 俺は配信者たちやすわりんが解放されたのか気になって、すわりんに電話を入れた。
 すぐに、元気の良い声が返ってくる。
『遥人くん、おはよー! なんか私、配信してて倒れてたの、遥人くんが気付いてくれたんだよね。どうもありがとう!』
「ああ、それはいいよ。全然気にしないで。それより体調はどう?」
『うん、元気! 朝早くから検査とかもしたけど、それも異常ないって。むしろ今まで倒れていたのが不思議なくらいって言われちゃった!』
「そうか、良かった。なんでもないみたいで安心した」
 良かった。サクリファイス・ホスピタルの呪いはどうやら解けたようだ。
 これで、消息不明になっていた配信者たちも帰ってくるであろう。
 俺はすわりんと、夏休みの宿題のこととか、今度奏人と三人でゲーム実況しようねなんて話を終えて、電話を切った。
 ――終わったのだ。
 インターネットの世界に溢れていた呪い、サクリファイス・ホスピタルはこれで終わった。安心感と達成感でベッドのうえでごろんとしていると、俺のスマートフォンが鳴った。
 着信は、神楽と書いてある。
「もしもし、神楽。昨日はお疲れ様。意識を失っていた子も元気になってたよ。今回は本当に、力を貸してくれてありがとうな」
『そうか、それは何よりじゃ。では遥人、今から廃病院まで来い』
「ええっ!? だって、お清めもお祓いも終わっただろ? お清め直しか?」
 俺の問いに、神楽はふぅっとため息をついて答えた。
『遥人よ、冷静に考えてみるのじゃ。確かに、『今回』かけられた廃病院の呪いは終わった。だが、それですべてが終わったワケではないじゃろう』
 神楽の言っていることの意味が、わからない。
 サクリファイス・ホスピタルの呪いは終わったのに、廃病院の呪いは終わっていない?
「ちょっと、よくわからないな。廃病院の呪いは解けただろう。それがすべてじゃないのか?」
『頭の回転の悪いやつじゃのう。考えてもみよ、廃病院の幽霊やバケモノたちが、インターネットにゲームを作ると思うか?』
 言われてみれば、霊やガイコツどもにネットゲームを作れるはずがない。
 ――ということは……。
「廃病院の呪いは終わったけど、あのゲームを作ったのは人間ということか!?」
『そうじゃ、そやつを放っておけばせっかく廃病院の呪いを解除したのに、またいつの間にか呪われたゲームが復活してしまうかもしれぬ。それを防ぐために、廃病院に向かうのじゃ。わらわに考えがある』
 もうあの廃病院や聖母様を、何かに利用されるなんてあんまりだ。
「なるほど、わかった。他の三人も呼んだのか?」
『いや、お主だけだ。太刀風は傷が多く無理はさせられぬ。あかりも同じく、無茶な降霊でしばらく休養が必要じゃからな』
 そうか、ふたりはかなりの無理をして戦っていたもんな。
 しかし、奏人は呼ばなくてよいのだろうか?
「それなら、奏人はどうだ? 閉じ込められたトラウマがあるから来ないかもだけどさ」
『あやつはよい。今回は特に一般人の感覚は必要ない。お主の手を貸せ』
「わかった、すぐ支度して出る! 待っててくれ!」
 俺は慌てて着替えをすまし、母さんに「ちょっと出かけてくる!」と言って家を出る準備をする。母さんの「もう服は汚さないでちょうだいね!」というお小言を受けながら、靴を履いて家を出た。

【22】
 電車に揺られ廃病院の最寄り駅につく。
 神楽の姿がない。さっきの電話の口ぶりからしても、先に来ているのかもしれない。
 俺は廃病院に向かいながら、神楽にメールを送った。
『廃病院におる、受け付けのところで合流じゃ』
 簡潔な返事が返ってきた。
 俺は相変わらず薄暗くてほこりっぽい、廃病院へと足を踏み入れた。呪いの解除は終わっているとはいえ、昨日あんな目にあった場所だ。入るのにちょっと勇気が必要だった。
 中に入って少し行ったところの受け付けに、神楽の姿があった。
「来たか、遥人。遅いぞよ」
「神楽、無茶言うなよ。これでも急いで来たんだぜ。それで、ここで何をするんだ?」
「決まっておろう、呪いの根源を断つのじゃ」
「呪いの根源を? それは昨日の聖母様を倒して断たれたんじゃないのか?」
 俺の言葉に、神楽は呆れた視線を向けた。
「話したであろう、根源はふたつ。廃病院の呪いは聖母様かもしれんが、ゲームを作り呪いを振りまいた者もおると言ったじゃろうが」
「わかってるけどさ。それを断つっていうのは、ここですることなのか? もっと配信元をたどるとか、ネットを使ってやるんだと思ってたから」
 神楽は首を横に振った。
「確かにネット上で消すことも出来るかもしれん。しかし、この廃病院がある限り悲劇が繰り返されることは大いに考えられる。なにせ、あのゲームは意図的に作られた物じゃからな」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「のちのち説明する。地下室にいくぞ」
 さっさと歩きだしてしまった神楽のあとを追い、地下室に向かう。
 一階は多少は明るかったが、地下室には明かりひとつない。昨日と同じように、俺と神楽は懐中電灯とカンテラで足元を照らしながら進んだ。
 神楽は迷わず、地下の広場で真ん中のドアを開いた。
 すると、そこにはすでに光がついていた。そして――。
 ――そこには、なぜか奏人がいた。
「奏人っ!? なんでこんなところにいるんだよ?」
 俺と神楽の姿を見て驚いた奏人が、すぐにいつものように笑った。
「あっはは! なぁんだおふたりさん、お揃いでデートかよ! いやね、お前ら昨日は地下室行ったんだろ。でも俺は結局一階で閉じ込められててさー、地下室見てないじゃん。俺も一度は見てみたいなーって」
「だからって、危なすぎるぞ奏人」
 俺が呆れてため息をつくと、神楽が沈んだ声で言った。
「ほう、あの怖がりのお主が、たったひとりで最も危険な地下室を見に来たのか?」
「ああ。だってよ、地下室がクライマックスだろ。見ておかないとさ」
「地下室がクライマックスなら、なぜ昨日のようにカメラを回していない? 一番撮るのに最適な場所であろう?」
 言われてみれば、奏人はカメラを持っていなかった。
 奏人のことだから、うっかり家に忘れてきたのかもしれない。
「あー、カメラは忘れちゃってさ」
「そのわりには用意周到でやってきたものじゃのう」
 神楽が、奏人のそばにある大きなバッグを指さしていった。
 なぜ、こんなに神楽は冷たい声を出すのだろう。
「いやいや、これはアレよ。万が一俺ひとりで霊とかにあったらヤバいから、お守りとか色々持ってきたんだよ」
「それだけの準備をする人間が、カメラだけ忘れるのは不思議だのう」
 神楽の言葉に、奏人は少しイヤそうな顔をした。
「なんだよ神楽、忘れ物くらいだれにでもあるじゃんか、なんか言い方きついっつーか」
「それに、お主はこの廃病院にわらわたちと初めて来たとき、さっさと廃病院の中を進んでいったのう。わらわの見取り図も受け取らずに、こんな複雑な場所なのにな」
「それは、はやくカメラで撮影したかったからだよ」
 神楽と奏人の間に、不穏な空気が流れる。
 俺は口を挟むことも出来ず、二人のやりとりを聞いていた。
「そういえばお主、手に血豆が出来ていたな?」
「ああ、ゲームやり過ぎちゃってさ」
「わらわもゲームはよくする。だが、そんな血豆は出来んのう。まるでツルハシかスコップで長い時間地面を掘り進めていたような血豆じゃな。何か、例えば病院に埋められた遺体を掘り返すようにな」
 神楽の言葉に、奏人の顔から笑みが消えて行く。
「なんだよ神楽、何が言いたいんだよ。ったく、つっかかりやがって」
「お主は一階で閉じ込められた。そうじゃったな?」
「うえっ、思い出させるなよ。またゾッとしちまうじゃねーか」
「奏人よ。あのドアにはなんの霊気も感じなかった。わらわは気付いていたぞよ」
 あの独房のドアに霊気を感じなかった?
 でもあれは廃病院の呪術なのでは?
「そんなこといったって神楽! 俺実際に閉じ込められたじゃんかよ!?」
「あの独房を調べた。すべてが古びている中、独房には不自然な新品のカギが設置されておったよ。しかも独房の内側にな。人を閉じ込めておく独房の『内側』にカギなど、不自然じゃのう、なぁ奏人」
「……」
「お主はさりげなくわらわから装備を奪い、あの部屋の中に立てこもった。そして助けてくれと叫び日続け、時間も稼いだ。廃病院の霊に有利な夜まで時間を稼げるようにじゃ」
 神楽の言葉に、俺は考えがまとまらない。
 それって、つまり奏人が……だけど!
「遥人やあかりが金縛りにあったファイルのデータも調べた。お前と同じ苗字の女性のこともな。これ以上、証拠は必要か?」
 神楽の言葉に、奏人の顔つきが一変した。
 今までのノリの軽いチャラい顔から、鋭い目でいびつに口元を歪める奏人。
 こんな奏人の顔を見るのは、初めてだった。
「くっくっく……。あっはははは! さっすがはウワサの神楽さんだねぇ。すべてお見通しってワケか」
「すぐに気付いたワケではない。昨日の行動をすべて照らし合わせて、考え付いたのじゃ」
「そうだよ、俺こそがこの廃病院の呪いを復活させ、サクリファイス・ホスピタルを作り、電子の世界にその呪いをバラ撒いたのさ」
 奏人の信じられない告白に、俺は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
「な、なんだって!? 奏人、お前……本当に、そんなことをしたのか?」
「ああ、やったとも。すべては母さんのため。うまく行っていた。思った以上にうまく行っていたんだ。遥人っ! お前がゲームを調べ始めるまではなぁ!」
 憎悪の詰まった目で、奏人が俺を睨む。
 震える手で、俺を刺すように指さした。
「俺はゲームを使い魂を集め続けていた。配信者たちにゲームを流行らせ、インフルエンサーを利用して、より多くの人間がサクリファイス・ホスピタルをやるように仕向けた。それは大成功だった。てめぇが! てめぇがゲームを調べるまでは!」
「そんな、バカな……。どうしてそんなことをしたんだ!?」
 奏人が唇をギリギリと噛み締めている。その端からは血が流れていた。
「魂を集めて、母さんをよみがえらせるためだ!」
「奏人の、母さんを?」
「そうだ! お前らが聖母様と呼んでいた、俺の大切な母さんだ!」
 聖母様が、奏人の母さんだった――?
 信じられない事実に、俺は呆然と立ち尽くしてしまう。
「母さんはな! 家族に虐待され続けて精神を病んで、うちのじじいとばばあにこの精神病院に押し込まれた! それでも母さんは優しいままだった。患者や職員に優しく接し続け、いつしか聖母様と呼ばれるようになったんだ!」
「しかし、聖母様は亡くなって……」
「病院の偉い連中が焦ったのさ。ひどい待遇と食事、残酷な場所に閉じ込めている罪悪感。もしも母さんを、聖母様を中心にして患者たちが大規模な反対運動をしたらマズイと暴動を恐れた! そして、母さんの食事に毒を飲ませて殺したんだ!」
「そんな、なんてこった……奏人の、母さんが……」
 こんな病院に入れられた挙句、危険人物として殺される。
 ただ、患者たちに優しく接していたがために――。
 それはあまりにも悲劇だった。
「遥人っ! お前さえいなければ……お前がサクリファイス・ホスピタルを調べ、神楽を呼び、それが太刀風とあかりまで呼び込むことになった。俺が仕掛けた呪術まで全部突破されて……せっかくよみがえりかけた母さんまで奪いやがって!!」
「奏人、奏人はただのゲーム実況者の学生じゃないか。どうしてそんなことを!」
「俺はな、じじいとばばあと親父が俺が五歳のときに母さんをこの病院に押し込めてから、ずっと魔術や呪いの研究を勉強し、計画を進めていたんだ。母さんを救うために!」
 そんな。一緒にゲームをして、遊んで、学校で過ごして。
 ありきたりな生活のウラで、奏人がそんな計画を進めていただなんて。
「人の魂を集め続ければ、いつか母さんはよみがえるハズだった。それを! お前がすべて台無しにしたんだ遥人っ!」
「それで、再びこの廃病院で呪術をはりなおすため戻って来たのじゃな」
「そうさ、俺はあきらめない! 何度でも呪いをまき散らし、母さんを救ってみせる!」
 奏人は自分の母親を救えると信じているのか。
 でも……聖母様は言っていた。
 私を眠りから覚まさないで。これで、ようやく静かに眠れると。
「奏人! 聖母様に会っていないお前はわからないかもしれないけどな、あの人は廃病院に憑りついた呪いで苦しんでいたんだぞ」
「バカなことを言うな! そんなワケあるか! 母さんはよみがえりたいに決まってる。あんなひどい死に方をして、この世に未練だって残ってるはずだ」
「本当だ! 聖母様は静かに眠りたいと言っていた。奏人、お前のやってきたことは間違っていたんだよ。誰も喜ばない。誰も幸せにならない。聖母様さえもだ!」
 奏人が目をかっと開く。
 充血した目は狂気を宿していて、じっと俺を見続ける。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 母さんはっ! 母さんはっ!」
「真に憑りつかれておったのは、この廃病院ではなく、あぬしだったのかもしれぬのう」
「うるさいっ! 俺はもう一度、廃病院の呪いを復活させる! 母さんを今度こそよみがえらせて見せる! そして、ずっと一緒に母さんと生きていく! ……お前たちは、邪魔だ」
 奏人がポケットからナイフを取り出した。
 ゆっくり、じりじりとこちらに迫ってくる。
 なんとか奏人に間違いに気付いて欲しい。奏人を止めたい。
 でもそれは、叶わない願いなのだろうか。奏人はここまで俺たちの話を聞いてなお、俺たちを殺して呪いをもう一度始めようとしている。
「奏人、もうよせ! そんなことはやめろ!」
 神楽を守るように彼女の前に立って、俺は言った。
 奏人はナイフをにぎったまま、近づいてくる。
 逃げれば、廃病院の呪いを再開させてしまう。追ってくる可能性もある。
 しかし、霊木刀もなしに神楽と自分の身を守ることが出来るだろうか。
 ふいに、奏人の後ろに黒い煙のようなものが湧き出した。
 それは次第に大きくなっていき、奏人を包み込むように広がっていく。
「おい、奏人! 危ない、後ろ!」
「はっ、そんな手に引っ掛かるかよバカ野郎! 死ね!」
 奏人がナイフを振り上げた瞬間、煙はその腕をがっしりと捕まえる。
「な、なんだよこりゃ!? なんでまだ何もしていない廃病院でこんな現象が!?」
 奏人が必死に煙を振り払おうと身体を動かす。
 しかし、奏人が動けば動くほどに黒い煙は奏人の全身を包んでいった。
「奏人! 神楽、あれはいったい……?」
「呪いをかける者は、自身もまた呪いを受ける。因果応報じゃ。この病院とて、呪いの思いを抱いていた人間だけにあらず。身勝手な奏人の思惑で無理やり酷使された霊どもが怒っているか、あるいは……」
 全身を煙に包まれた奏人が、俺に向けて腕を伸ばした。
「遥人っ! 助けてくれっ!」
「奏人っ! 今行く、待ってろ!」
 俺は急いで目の前の奏人の伸ばされた手を掴もうとした。
 しかし、俺の手が届くわずか前に、奏人の全身は黒い煙に包まれ――消えた。
「奏人ー!」
 黒い煙は奏人を包み込み、奏人と共に消えて行く。
 煙が消えた場所に、カランと奏人の持っていたナイフだけが落ちた。
「奏人……そんな……」
「これはあるいは、奏人の母親の最後の慈悲かもしれぬな」
「奏人の母親……聖母様の?」
「そうじゃ。自分の息子に、せめてもうこれ以上罪を犯さないようにしたのかもしれん」
「……奏人」
 奏人と過ごした日々。楽しかった思い出ばかりがよみがえる。
 だけど、奏人。お前は俺と遊んでいたときもずっと、こんな復讐を思い描いていたんだな。たったひとりで、誰にも言えず、孤独に――。
 ほほを、何かが伝った。
 腕で拭い、俺は自分が泣いているのだということに気付いた。
「遥人、気持ちは察するがこの悲劇を完全に終わらせねばならぬ。手を貸せ」
「廃病院の呪いも解いた、サクリファイス・ホスピタルを作っていた奏人も消えた。それなのに、まだ呪いがあるっていうのか?」
「一度無理やりにでも起こされた怨念は、そう簡単には消えぬ。葬ってやらねばなるまい」
「葬る? どうやって?」
 俺が不思議に思っていると、神楽が持っていたカバンを降ろし荷物を取り出した。
 それは大量の、ジッポオイルだった。
「この廃病院を、呪いの根源のすべてを焼き払う。そうして、この地に縛り付けられた悲しき霊たちを荼毘にふしてやるのじゃ」
「この廃病院を、燃やす……」
 とんでもないことである。だけど――。
 辛い思いをして、苦しい生活を強いられて、死してもなおこの廃病院から出る事のかなわない魂たち。彼らを救うには、そうするしかないのかもしれない。
「幸い周囲は大きな空き地じゃ、今日は風もほとんどない。延焼する心配は不要じゃ」
「神楽、まさか風のことまで調べてきたのか?」
「当たり前じゃろう。森林に燃え移っては大事故ではないか」
 言いながら、神楽がオイルをそこらじゅうにまき始める。俺のほうを見て「なにをぼーっとしておる。お主も手伝わぬか!」と催促した。
 専門家が言うなら、間違いないだろう。それに、俺もこの廃病院にずっと閉じ込められていた霊、いや人々を解放してあげたかった。
 オイルの缶を取り、周囲にまいていく。
「それにしても、ものすごい量のオイルだな」
「病院ひとつ焼き払うだけの量が必要じゃ、当たり前じゃろう」
 結局俺たちは長い時間をかけて、地下室から一階、二階三階までオイルを撒いて行った。
 薄暗くなること、ようやく作業が終わった。
 オイルをわずかにたらしながら病院を出ると、神楽が俺にジッポを手渡してきた。
「遥人、お主がやれ。これもまた、経験じゃ。奏人も、お前に葬られた方が嬉しかろう」
 俺は無言でジッポを受け取り、着火してオイルの端っこに近づけた。
「さよなら、奏人」
 オイルは瞬く間に燃え広がり、炎が病院の中に入っていく。
 熱でガラスが割れる派手な音を立てながら、病院中が炎に包まれていった。
 俺たちは、その炎の熱が届かない場所まで下がった。
 横では神楽が呪文を唱えている。きっと彼らの成仏を祈っているのだろう。
 俺もまた、手を合わせる。
 ――奏人。いつか、きっと帰って来てくれるよな。
 いつものバカ騒ぎして元気で明るいお前に戻って、帰って来てくれるよな。
 俺はずっと、それを待っているからな。
 燃え盛る廃病院を背に、俺たちは駅へ向かって歩き出した。

【23】
「遥人! 横に回り込むのじゃ、このままの勢いで叩くぞ!」
「オッケー、神楽。狙いバッチリ、いつでもいける!」
「その心意気や良し、やるのじゃ!」
「よし! これで、ゲームオーバーだっ!」
 俺と神楽は、並んでシューティングゲームをやっている。
 コメント欄は俺の射撃テクニックと、神楽の立ち回りのうまさを称賛するコメントで溢れている。
 今俺は、神楽と組んで『ハルカナチャンネル』を続けている。神楽は「わらわが加わったのだから『ハルカグチャンネル』じゃろう?」と主張したが、俺はチャンネル名を変えなかった。
 いつか、もしかしたら――奏人が無事に帰ってくるかも知れない。
 奏人を包み込んだあの黒い煙は、聖母様――奏人のお母さんで、いつか、奏人の心がもとに戻ったらこの世界に還してくれるかもしれないと、信じているから。
 神楽にも太刀風僧正にも、ありえないとは言われてしまったけれど。
 それでも俺は、信じているからな。奏人。
 だからはやく、還って来いよ。
 ゲーム配信を終えると、神楽がスマートフォンを見た。
「ふむ、心霊の除霊依頼が入っておる。準備をして行くぞ、遥人」
 あの廃病院での出来事以来、俺は見込みがあるということで、神楽の助手として霊を祓う仕事を手伝っていた。神楽は「廃病院の呪いをタダで解いてやった報酬をもらわねばのう」などと意地悪に微笑んでいたのもなつかしい。
「わかった、行こう。……絶対また会おうな、奏人」


【了】
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