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第二話
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【9】
俺たちがあかりさんを見ていると、あかりさんはゆっくり身体を前後に揺らし始める。
「……キエ……イ……マダ……ツカレ……タス、ケ……セイボサ、マ……タスケ……」
あかりさんの声とはまるで違う、疲れたような男の声だった。
――セイボサ、マ。聖母様?
この廃病院でも、聖母様という言葉を聞くとは。
倒れた部屋や、病院ですわりんが言っていた言葉と同じだ。
やはり、サクリファイス・ホスピタルはこの病院が舞台だったのか。
そして、この霊もまた、聖母様という存在に何かを求めている。
「スクッテ……クダ……セイ、ボ、サ……アアア……タス……」
「神楽、同じだ。俺の友達のすわりんも聖母様と言っていた」
「ゲームそっくりな作りの病院に、プレイした人間とこの地の霊が言う事が共通した。つまり、やはり呪いの発信地はこの廃病院なのじゃ」
神楽の言葉に、太刀風僧正もうなずく。
あかりさんは同じ言葉を何度も繰り返している。
「ふむ、この霊はかなり低級の霊のようじゃな。大した言葉はもたぬ。頃合いかのう」
そう言うと、神楽はあかりさんのそばまで歩み寄り、あかりさんの額に符を当てた。
「魔を祓いたまえ、はっ!」
神楽が符を当てると、さっきは吸い込まれそうだった風が、飛び散るように周囲に吹いた。あかりさんはガクンと一度大きく身体を前に倒したあと、ゆっくり顔をあげた。
「も、戻りました。あの、霊は何か言っていたでしょうか?」
「ご苦労じゃった、あかり。やはり呪いの根源はこの病院のようじゃ」
「そうでしたか。じゃ、じゃあ気を付けないといけませんね」
かすかに震えたあかりさんが、立ち上がり服のほこりを払った。
奏人は相変わらず熱心にカメラを回している。神楽が見取り図を見て言った。
「ふむ、二階に通じる階段は東側にあるようじゃな。ならばわらわたちは北側から西側、そして南側を通って東側の階段まで行くとするかの」
「北から順番に、霊やバケモノみたいなのを払っていくってことか?」
俺の問いかけに、太刀風僧正が口を開く。
「何も霊やバケモノだけではない……。穢れた部屋も……浄化しながら回る……」
「うえぇ、それめっちゃめんどくさそう! すげー時間かかりそうだし」
顔をしかめて文句を言った奏人を、神楽がしかる。
「このバカモノがっ! だから朝早くに集まるはずだったんじゃろうが。遅れてきたのはお主ではないか。文句を垂れるな」
「はーい……、すいませんでしたよっと」
肩をすくめる奏人。
俺たちはまず受け付けに清めの塩をまき、太刀風僧正が念仏を唱えた。
「そういえばさ、霊とかバケモノに念仏って聞くワケ? 霊がクリスチャンだったらアーメンとか言ったほうが良くね?」
太刀風僧正の念仏を聞いていた奏人が、不思議そうに言った。
言われてみるとそうだ。どんな霊にも念仏が通用するものなのだろうか。
「大切なのは、信じている宗教や宗派ではない。場を清める力なのじゃ。太刀風ならばそれが仏教であり念仏であるだけで、清めの力さえ発揮出来ればなんでも良いのじゃ」
「そんなテキトーなもんなのか、霊とかって?」
「テキトーではない。わらわたちは霊を清めるため、言うなれば祓う力のトレーニングをしていると考えよ。そのトレーニング方法が何通りもあり、誰がどれを選ぼうが勝手じゃ。効果さえあれば良い」
なるほど、世の中にはエクソシストとか、神父とか、祈祷師とか神道とか色々ある。
仏教なんて宗派が分かれていて、数え切れないくらいだ。
「形は違えど、霊や穢れってやつを祓う意思が大切ってワケか」
「その通りじゃ、遥人。お前たちもせいぜいこの機会にいろいろと学んでおくのじゃな」
奏人は「そんなもんかねー」と言って、あかりさんの方を見た。
「ねぇねぇ、あかりちゃんはどういう風にオバケやっつけたりするわけ? やっぱあの、巫女さんとか神主さんが持ってる紙ついた棒でバサッとやるの?」
奏人に話を振られたあかりさんが、戸惑って首を振る。
「い、いえいえ! あたしまだまだ未熟でっ! 太刀風僧正や神楽さんのようなことは出来ません! 降霊以外はほとんどなにも出来なくて、あの、すいません!」
「あかり、謝る必要などない。霊やバケモノの相手はわらわたちがする。お主は降霊で少しでも事件の真相を見つけて行ってくれればそれで良いのだ」
「はいぃー! 神楽さん、ありがとうございますぅ! あたし、頑張ります!」
あかりさんが胸の前で手をぎゅっと握りしめて言った。
「奏人も余計なことを言うでない。一番なにも出来ないのはお主ではないか」
「俺はこの動画でアクセス数と登録者稼ぎまくって、大金持ちになるからいいんだよ。お前らにもちょっとは分けてやるから、感謝しろよな」
奏人のあくびれない様子に、神楽はため息をついた。
「一般人の感覚も必要かと思いこやつも誘ったが、失敗だったかもしれぬな」
「なぁ、神楽。なんで奏人も連れて行くことをオーケーしてくれたんだ?」
神楽の、呆れた様子を見かねてたずねる。
「遥人、さっきも言ったがお主は五感、ひいては第六感に優れる。小さな怪異も見つけることが出来るかもしれぬと連れて来た」
「ああ。まぁ、勘が良いとは良く言われるけど。でも奏人は?」
「お主とは逆に、奏人はただの一般人じゃ。その一般人が危険を感じるほどの何かがここにはあるかもしれぬ。わらわたちは皆それぞれに修行をしておる。だからこそ、何かを見落とすかもしれない。ゆえに何も出来ぬ一般人も必要だったのじゃ」
なるほど、一般人でも恐れてしまうようなものがあるかどうか、言うなれば奏人は探知機のような役割りを任されたということか。
神楽の言う通り、様々な視点でこの廃病院を見たほうが、なにかを見落とすこともなさそうだ。
「待たせたな……清めは終わった……。北側の病室を回ろう……」
太刀風僧正が戻って来て言った。受け付け辺りまではドアから入る日差しでまだ明るかったが、奥のほうに視線を向けると、真っ暗な闇が広がっていた。
「暗すぎて見えないな。懐中電灯を使うしかないか」
「いいじゃんいいじゃん! 廃墟探検っぽくて! 雰囲気出て良い動画撮れるぜ」
「奏人はそればっかだな。すわりんのこともあるんだぞ、ちょっとは真面目にやれよ」
俺があきれながら言うと、奏人は肩をすくめて笑った。
「その問題は、ここにいる専門家のセンセーたちがなんとかしてくれるだろうよ。そりゃあ、俺だってすわりんのことは心配だ。でも、俺ってば一般人だからなにも出来ねーし」
奏人は、意外と神楽に一般人と言われたことを根に持っているのかもしれない。
これ以上言ってもムダだなと判断して、懐中電灯に灯かりをつけた。
「よし、北側の病室へゆくぞ」
神楽の言葉で、全員が病院のドアに背を向ける恰好で北側に進んで行く。
そのとき、背後で大きな金属音がした。
それに続き、ドシン、と何かが閉まる重い音。
俺たちが慌てて振り返ると、病院のドアが閉ざされていた。
「病院のドアが! 風で、閉まったのか?」
「なにやら……良くない予感がするが……」
俺と奏人、それに太刀風僧正がドアまで向かう。
そして閉まったドアを開けようとしたが、三人でどんなに力をこめても、ドアはピクリとも動かなかった。
「どうやら、この病院もわらわたちのことを逃がす気はないようじゃな」
「廃病院とゲームの呪い……その関係性……それを知った者は、逃がさぬか……」
「あ、あたしたち、ととと、閉じ込められちゃったんですかぁ!?」
大慌てするあかりさん。
奏人は、何度もドアに体当たりしたり蹴りつけたりしている。
「おいおい、マジかよ! ざけんなよっ! こんなことあってたまるか!」
怒鳴る奏人は、廃病院のいたるものをドアに向かって投げつけた。
最終的には待合室の長椅子を引きずって来て、勢い良くドア目掛けて突進していく。
それでも、病院のドアはまるで動かない。
廃病院の呪い――。
入って来た人間を閉じ込めてしまうほどの、強い呪いがここにはあるのだろうか。
「なんで開かねぇんだよ!? くそ、太刀風センセーよぉ、なんとかならないのか!?」
「廃病院の呪いの力が……集まっている……。ひとつずつ……浄化していくしかあるまい……」
「呪いってなんだよ! ちくしょう! 出せー! そうだ、スマホで助けを呼べば!」
なおもドアを殴りつける奏人が、ポケットからスマートフォンを取り出した。
そして、画面を見て顔色を変える。
「圏外っ!? なんで、どーしてだよ! さっきまでは普通に電波あったのに!」
慌てふためく奏人に、神楽が冷静な声で言った。
「それもこの建物の呪いであろう。太刀風の言う通り、この廃病院を少しずつ清めていくしかあるまい。時間が経つほどわらわたちは疲弊し、霊たちは勢いづく。急いで北側の病室に向かうぞ。イヤならそこでドアにしがみついておれ」
言うと、神楽はカンテラを持って歩きだした。太刀風僧正もそれに続く。
「と、とにかく奏人さん! 離れ離れになったら危ないですよ、行きましょう!」
「奏人、太刀風僧正と神楽がああ言うんだ。他に方法はないだろう。行くぞ」
「ちくしょう、ちくしょう!」
俺とあかりさんがなんとか奏人をなだめ、先を行くふたりの後を追った。
【10】
北側は集団病室が並んでいる。
暗いだけで、病院はこんなにも不気味になるものか――。
「ここには大したものはいなさそうじゃな」
北側の病室に入りまわりを見渡した神楽が言った。
病室には、いくつものベッドがほこりを被って並んでいる。普通、病院の複数人用の病室はせいぜい六人から八人だろうが、ここには何十ものベッドが置かれていた。
これでは気が休まらないだろう。
ひどい環境で入院を強いられていたのであろうか。
「ひでー部屋だな、俺ぜってーこんなところ入りたくないわ」
カメラを手にした奏人が呆れた声で言う。まったく同感だ。
太刀風僧正と神楽が手早く作業――お清めと言えばいいのだろうか――を済ませる。
「これにてこの場の浄化は終わった……すぐに次に参ろう……」
太刀風僧正の言葉で、全員が移動を始める。
見取り図を見た限り、病院はかなり広くて大きい。これは確かに早朝からやらねば回り切れないだろう。
静かな廃病院に、俺たちの足音だけが響き渡る。
いくつかの部屋でお清めを済ませた俺たちが次に向かったのは、厨房だった。
ここで入院患者の食事を作っていたのであろう。
学校の給食室で見たような大きな鍋などが並んでいた。
厨房の中を進んで行くと、ふいにどこからか微かな音が聞こえた。
「ちょっと待ってくれ、神楽、太刀風僧正。今なにか聞こえた」
「音がしたじゃと? 気のせいではないのか?」
「俺の五感を信じて連れてきたんだろ、何かあるのかもしれない。警戒してくれ」
歩みを止めた太刀風僧正が、手にした数珠を数度鳴らした。
「何かおるならば……出てこさせて祓わねばならぬ……ぬん!」
太刀風僧正が気合いを込めて腹の底が震えるような大きな声を出す。
すると、まるでそれに応えるように厨房全体から、ガタガタと物がぶつかり合うような音が聞こえ始めた。
「きゃ、きゃあ!? なんですか、これー!?」
「おいおい、マジで何か起きちゃってんじゃん! なんだってんだ!?」
うろたえるあかりさんと奏人。
神楽は符を手にかかげ、太刀風僧正は身構える。
「俗に言うポルダーガイストというやつじゃな。目ざわりじゃのう。失せよっ!」
神楽が叫ぶと、物音が一斉に止まった。
「おおー、一発で止めちゃった! すっげーじゃん、神楽! しかも怪奇現象をマジでカメラで撮れちゃったし、大ラッキーってやつ?」
「いや、まだ終わっておらぬ。奏人とあかりはわらわたちの後ろに隠れておれ」
「へっ、だってもう静かになって……」
奏人が言いかけたとき、厨房のそこらじゅうから調理器具や食器、皿などが浮き上がった。
「うわぁぁぁ! なんだよこれっ!?」
「これは……ただのポルダーガイストにあらず……何か妙だが……」
「ただのポルダーガイストじゃない? どういうことです、太刀風僧正?」
太刀風僧正に問いかける俺に、神楽が背負ったカバンから何かを放り投げてきた。
「これを使え、遥人。お主には戦力になってもらうからのう」
「なんだよ、この棒っきれ? それに戦力ってどういう意味だ?」
「質問ばかりするでない。それと、それはただの棒にあらず! 神聖な霊木より生み出された霊木刀じゃ。さっさと構えよ、来るぞよ!」
俺はどうして良いかわからないまま、神楽に渡された霊木刀とやらを持ちやすいように調整した。剣道の竹刀より少し短いかな、と思わせるものだ。
木刀と言うだけあって、刀を模した形をしている。
それにしても、来るっていったい何が――そう言おうとした瞬間、厨房の浮き上がっていた調理器具や食器、皿が一斉に動き出した。
まっすぐに、こちらに向かってくる。
「なんだこれ! どうなってんだ、くそ!」
俺は手に持った霊木刀で、飛んできた皿を叩き落とす。
次々と、様々なものがこちらに向かって飛び掛かってくる。これじゃあまるで、誰かが超能力でも使ったかのようだ。
「ことわりに背くものたち……滅するべし……喝っ!」
数珠をにぎった太刀風僧正が思い切り腕を振ると、周囲の飛んできたものがぼとりと地面に落ちていく。
「くだらぬ呪いにおびやかされるわらわではない! 呪術よ、消えよっ!」
神楽が符をかざし、言葉を唱えると器具たちがはじけ飛ぶように転がり落ちる。
これがふたりの力か……。
しかし俺も感心しているヒマはなかった。
次から次に襲ってくる食器たちを、目でとらえ、霊木刀でしっかりと叩き落とす。
「この! くっそ、数が多い! だぁぁぁぁ!」
「遥人、なんとかしてくれ! 頼んだぞ!」
「お、お力になれず、ももも、申し訳ございませんー!」
神楽と太刀風僧正と俺。
三人で、奏人とあかりさんを守るようにしてポルダーガイストの攻撃を防いだ。
「遥人、小皿などは構わずとも良い! ナイフや巨大な器具には気を付けよ!」
神楽にそう言われた瞬間、フォークが俺の目の前に飛んできた。
「うお、あぶねっ!」
思わず声をあげ、フォークをよけそうになりとどまった。
――俺がよけたら、奏人やあかりさんに当たってしまうかも。
「くっ、ぶったたくしかないのか!」
眼前のフォークを手にした霊木刀で叩く。
叩き落とした食器などは、不思議と再び動き出すことはなかった。
神楽や太刀風僧正ならば、呪いを祓ったということだろうが、俺が叩いたものも動きを止める。この霊木刀に何か力があるのかもしれない。
しばらくの間、食器や調理器具を祓う戦いが続いた。
俺は小皿にぶつかられたり箸に突っつかれたりしたものの、なんとか危険な刃物などは霊木刀で打って落とすことが出来た。
「これで……終いだ……はあぁ!」
太刀風僧正の大きな声で、暴れていた食器たちが落ち着いた。
「ふへぇ……よ、ようやく終わったぁ……。この映像、出来過ぎでやらせと思われるかもな」
その場にがくりと膝をついた奏人が言う。
まったくもって、こんなものは出来過ぎだろう。
呪われた病院だからと言って、こんなことが起きるものなのだろうか。
「ふぅ……。神楽、この棒、霊木刀だっけ? 助かったよ、ありがと、う……?」
神楽にお礼を言いかけたところで、俺は言葉に詰まってしまう。
奥にある巨大な、鉄のかたまりのような鍋がゴトゴトと動き出していたのだ。
あんなものにぶつかられたら、ひとたまりもない。
かといって、この霊木刀じゃアレはデカすぎてどうにか出来る気がしなかった。
立ち尽くしていた俺の横を、符を持った神楽が走り抜けた。
「祓いたまえ、清め給え、邪妖駆逐! はっ!」
今にも飛び掛かって来そうな鍋に突っ込んでいった神楽が、呪文とともに鍋に符を突き出す。神楽の符に触れた鍋が、一度ビクリと動いて静かに落下した。
「神楽……見事なり……」
「太刀風こそ、さすがじゃな。遥人、お前も素人にしてはようやったぞ」
ふたりはさして疲れた様子も見せずにしゃべっている。
彼らにしてみれば、こういう怪現象も慣れっこなのだろうか。
しかし、神楽が首をひねった。
「ポルダーガイストにしては都合の良すぎる現象じゃ。太刀風の言ったように妙じゃな」
「た、ただの呪いじゃないとなると、悪意のある呪術やまじないとかでしょうか?」
「わからぬが……進むよりほかに道は無し……。各々、注意せよ……」
そう言うと、太刀風僧正が先に進み始めた。神楽も続く。
どうやらここのお祓いとお清めはこれで終わったらしい。
サクリファイス・ホスピタル――いったいあのゲームは、そしてこの廃病院はなんなんだ?
なんにしても、ここには何らかの悪意が込められている可能性が高いということか。
俺は改めて、神楽から受け取った霊木刀を強く握りしめた。
【11】
その後、病院の北側は問題なくお清めが進んで行った。
何か起きないかと心配していたが、神楽や太刀風僧正が順調に病室や待合室を清めていく。
北側のお清めをすべて終えると、俺たちは次に東側の病棟に向かった。
こちらは入院用のベッドなどはなく、主に患者のデータであったり薬であったりと資料や資材が置かれている部屋が多いようだ。
「さっきはビビったけど、ようやく大人しくなったなぁ」
カメラを手にした奏人が、すっかり気の抜けた声で言った。
「奏人、まだ半分も終わってないんだぞ、油断するなよ。撮影ばっかりしてないでさ」
「わかってるよ遥人。まぁ、油断するなと言われても、俺には何も出来ないけどな。なんてったって一般人代表だからな」
そう言って奏人がおかしそうに笑う。
神楽に一般人と言われたのを根に持っていたのかもしれない。
「無駄口をたたくでない、次はここじゃ」
神楽がドアノブに手をかけて戸を開いた。扉にはファイル保管室と書いてある。
相変わらずほこりっぽい部屋の中に棚がいくつも並べてあり、無数のファイルが置かれていた。部屋の名前からしても、患者たちのデータであろう。
「患者のデータ……生い立ちとか、どうして入院させられたかとか書いてあるかな? なにか呪いのヒントになるようなものがあるといいんだけど」
「そ、そうですね! 何かあるかも、探してみましょう!」
太刀風僧正と神楽が部屋を清め、奏人がカメラを回している間に、俺とあかりさんはデータのファイルをはしから見始めた。データには専門的な言葉が多く、俺が読んでもいまいちピンと来るものがない。
ただ、患者の個人情報も、かなり細かく書かれていた。
「患者の生い立ちとか素性とか、病院内での態度とか記してあるんだなぁ」
「でも、漢字が昔のもの過ぎて、あたしチンプンカンプンなことばかりですぅ」
俺とあかりさんは頭を抱えながらも、それでもなんとか手がかりを探そうとファイルを探っていく。
すると、すぐ横にいたあかりさんが「あっ……」と言ったきり動きを止めた。
「あかりさん、何か見つかりました? あれ、あかりさん?」
あかりさんは、ファイルに触れたまま微動だにしない。
棚に手を伸ばした形で、ピッタリと動きを止めてしまっている。
「あかりさん、どうしたんですか?」
再度問いかけると、あかりさんの口がかすかに開いた。
「う、ごけ……な、い……で……」
「動けない? いきなりどうしてそんな……このファイ、ル……」
あかりさんが触っていたファイルに手をかけた途端、俺の身体がずしりと重くなった。
頭のてっぺんから指先まで、感覚さえ奪われてしまったようになっている。意識はハッキリとしているのに、身体が言うことを聞かない。
「か、ぐら……そう、じょ……」
なんとか息を吐きだすようにして、あるかなきかの小さな声を振り絞る。
しかし、ふたりはお清めの最中だ。
どうすればいい? どうすれば気付いてもらえる?
「こ、こは……あた、しが……!」
ふいに、あかりさんの目の焦点が合わなくなった。
あかりさんに向けて、風が集まっていく。
あかりさんは、この事態を神楽たちに知らせるために降霊を行ったのか。
「どうしたのじゃ、あかり。なぜ降霊などしておる?」
「なんだなんだふたりでくっついてジッとしちゃって。カップル成立かー?」
降霊に気付いた三人がそばまでやって来る。
まったく動かない俺たちを見て、太刀風僧正と神楽が不審に気付いた。
「これは……動かないのではなく……動けぬようだ……」
「あのファイルからおかしな気配がするのう。邪なるものを祓いたまえ!」
神楽の符が俺たちに当てられる。その瞬間、身体の自由が戻った。
俺は急いであかりさんを引っ張って、ふたりでファイルから離れた。
「いったいどうしたというのじゃ、お主ら?」
「はぁ、はぁ……。神楽、助かった。何か病院や呪いの手がかりはないかとデータを調べていたんだけど、あのファイルに触れた途端、俺たち金縛りみたいに動けなくなっちゃって」
「あ、あれはきっと呪術がかけられています! 注意してください!」
「ファイルに……呪術……。廃病院にとって……見られたくないものか……」
太刀風僧正が数珠を手にしたまま問題のファイルに触れる。
しかし、ファイルに触れた途端、手に持っていた数珠が切れて落ちた。
「ふむ……かなり強い思念……。これは病院を祓い終えねば……触れられぬか……」
太刀風僧正が言うと、神楽が考えるように口元に手を当てた。
「ファイルに触れられたくないとなると、この廃病院に呪いをかけた者、またはそれに関係のある人間の仕業なのじゃろうな。厄介なことよ」
「関係があるって言うと、患者か主治医か、または親族あたりか?」
「そのような……ところであろう……。ここはひとまず……触れぬまま進もう……」
重要ななにかがあるのならば、調べておきたかった。
しかし太刀風僧正でも太刀打ちできないほどの呪いとなると、俺にはどうにも出来ない。
神楽も諦めた様子で小さく頷いた。
それでも、何か引っかかる。
俺の勘が、このファイルには何かあると告げている。
「なぁ奏人、ここ撮影しておいてくれよ」
少しでも情報を残しておこうと思って、俺は奏人に提案した。
すると奏人はわずかに振り返り「そんな絵にならないもん撮っても数字稼げねーよ」と却下された。
「なんだよ奏人、ずうっとカメラを回しているんだから、それくらい良いじゃないか」
「気になるなら、遥人がスマホで動画でも写真でも撮ればいいだろ。だいたいカメラ向けて金縛りにあったらどーすんだよ。俺はそんな怖い体験お断りだぜ」
「まぁ、自分でやれと言われればそうなんだけどさ」
俺は腰のベルトに下げていた神楽がくれた霊木刀をずらし、ポケットに手を入れた。
スマートフォンを取り出す。相変わらず、圏外である。
カメラモードを起動させて、スマートフォンをファイルに向ける。
シャッターを押して写真を撮った瞬間、画面全体に黒い影がまとわりついてきた。
「うわっ! なんだよ、これ!」
画面に映り込んだ影。
これがいわゆる心霊写真というものであろうか。それにしても、シャッターを切っただけで簡単にそんなものが撮れるのだろうか。
「おおー、遥人それマジ心霊写真じゃね? あとで送っておいてよ」
「バカモノ! 心霊写真など配り歩いてどうするのじゃ。遥人もうかつじゃぞ、いたずらに写真を撮るなぞ」
神楽にたしなめられて、俺は下を向いた。
「悪かった、神楽。なにか呪いを解くカギでも見つからないかと思って」
「いや。無用心ではあったが、お手柄かもしれぬ。スマートフォンの画面をよく見てみろ」
言われて、再度スマートフォンに視線を戻す。真っ黒な影の心霊写真。
だけど、よく見るとその黒には濃淡があり、その色合いで人のような形をしていた。
「これは……女の人っぽい影だな。髪が黒くて長い、悲しんでいるような顔……歳は、いくつくらいかな。二十代か、三十代くらいか……」
「も、もしかして、この病院で何度も出てきた、聖母様って人かもしれないですね!」
「その可能性もある……相手の姿がわかるのは、我らにとって有益……。皆……この写真をよく見ておくべし……」
太刀風僧正の提案で、俺のスマートフォンを五人で順番に確かめるようにして見て回した。再び戻って来たスマートフォンをポケットの中に納めた。
不用意なことだったかもしれないけど、撮影して正解だったかもしれない。
そう思うと、ちょっとは役に立てたんだなという気持ちで満たされる。
「えーっと、見取り図ってやつによるとこれで西側は片付いた感じ? けっこー楽勝かもな。なぁ遥人。あははっ」
「なに言ってんだよ奏人。厨房ではめっちゃ怯えてたくせに」
「いやアレは怯えとかじゃなくて、ちょっとビックリってやつだよ。俺は余裕余裕」
奏人が張り切って西側の病棟から、南側の病棟に移動していく。皆もそれに続いた。
【12】
西側の病棟は、あまり部屋や個室などがない場所だった。
売店だったと思われる一角や、病院の入院した部屋でテレビを見るためのカードを販売していた場所のようだ。
天井はあるものの、庭のようなものも見て取れた。長い間手入れがされてないのであろう、植物はどれも枯れはてていて、小さな木も元気なく下を向いている。
「中庭の如きもののようじゃのう。なにか栽培していたのか、しかし天井がある場所に中庭というのもおかしなものじゃ。これだけ広い敷地なれば、外に庭や菜園を作ることも可能であったろうにな」
「それだけ……患者や職員たちを……病院の外に、出したくなかったのであろう……」
「ふむ、想像以上に徹底して患者たちを押し込めていたのじゃな」
神楽が会議通話でも言っていた。
患者は金持ちの家族だったり、身分有る人の身内だったりすると。
そういう一族から入院する者が出たというのを知られるのを嫌い、作られた場所。
それがこの廃病院なのだ。
外に出ることさえ許されない――ここはもはや病院というより監獄のようだった。
「そこまでしなくてはいけなかったなんて。そうまでして、自由を奪われていたなんて……。とても悲しいことですね」
あかりさんが寂しそうな声音で言う。その通りだと思う。
患者や職員たちは、いったいどんな気持ちでこの天井のついた薄暗い中庭で植物を育てていたのだろう。
不自由に対する不満、息苦しさ、恨み辛み、そして悲しみ……。
この箱庭は、どうしたってつらすぎる。
「神楽、太刀風僧正。ここは念入りに清めておいた方が良いと思うんだけど」
「お主の言う通りじゃ遥人。ここには怨嗟がうずまいておるわ」
「我らが清めるが……お前たちも塩をまけ……。祓うための儀式を受けた、特別な塩だ……。この場所は文字通り……根から絶たねばならぬ……」
太刀風僧正が袈裟のようなショルダーバッグから、紙に包まれた塩を出し皆に手渡した。
それぞれに手分けをして、お清めを行ったり塩をまいたりする。
庭の清めが終わり五人が集まると、中庭全体からホタルのような光が無数にあふれだしてきた。
「おおおっと! なんなんだよコレぇ!?」
「玉響現象、いわゆるオーブじゃな」
「オーブ?」
周囲の白い小さな明かりたちを見つめながら、神楽に尋ねる。
「普段は、主に写真などに映り込むものじゃ。見ての通り、小さなホタルのような輝きを放っておる。通常、人間の肉眼では見えることはないはずじゃ。多くは写真や映像で確認されるものじゃな」
「オーブならあたしも知っています。世間的には、フラッシュの光が空気中の雨粒や微粒子などによって反響して映るんですよね。あたしたち霊能者にとっては、心霊的な意味もあると見ることも出来るというあの……。で、でもこんなハッキリ見えるなんて!」
廃病院には似つかわしくない、幻想的な風景であった。
それは、俺がここに足を踏み入れてから初めて感じる、暖かな空気のような気がする。
「こいつら、なんか喜んでいるのかな。そんな感じがする」
「何言ってんだよ遥人。怪現象が喜ぶもんか。それにしても、ここは投稿に使えるか悩みだなー。いくつか切り抜きとか特集作って、何個か別々に動画あげるかな。そっちのがアクセス稼げそうだわ」
奏人はほとんど動画にして再生数を稼ぐことしか頭にないらしい。
それでも、一応中庭に塩をまくのは手伝っていたし、何もしていないワケではないから良しとしよう。
「そうとも言えぬ。この玉響たちからは、確かに正の気を感じる。長年埋め込まれていた無念が解放され、安堵しておるのかもしれぬな」
「そっか、そうだったら嬉しいな。祓うって言うとなんでもかんでも力づくで追っ払う感じかと思ってたけど、こういう優しいお清めや祓いもあるんだな」
「我らはそもそも……この世のモノではない存在を……あるべき場所に還すのが役目……。荒事にならぬならば……それが本望……」
太刀風僧正が中庭に静かに手を合わせる。
俺もそれにならい、ここに埋められた悲しい気持ちの数々の浄化を祈った。
「これにて南側の病棟の清めも終いじゃな。時間が惜しい、東側に行くぞよ」
そうだ、まだ先は長いのだ。俺は緩みかけた気持ちをもう一度引き締めた。
俺たちがあかりさんを見ていると、あかりさんはゆっくり身体を前後に揺らし始める。
「……キエ……イ……マダ……ツカレ……タス、ケ……セイボサ、マ……タスケ……」
あかりさんの声とはまるで違う、疲れたような男の声だった。
――セイボサ、マ。聖母様?
この廃病院でも、聖母様という言葉を聞くとは。
倒れた部屋や、病院ですわりんが言っていた言葉と同じだ。
やはり、サクリファイス・ホスピタルはこの病院が舞台だったのか。
そして、この霊もまた、聖母様という存在に何かを求めている。
「スクッテ……クダ……セイ、ボ、サ……アアア……タス……」
「神楽、同じだ。俺の友達のすわりんも聖母様と言っていた」
「ゲームそっくりな作りの病院に、プレイした人間とこの地の霊が言う事が共通した。つまり、やはり呪いの発信地はこの廃病院なのじゃ」
神楽の言葉に、太刀風僧正もうなずく。
あかりさんは同じ言葉を何度も繰り返している。
「ふむ、この霊はかなり低級の霊のようじゃな。大した言葉はもたぬ。頃合いかのう」
そう言うと、神楽はあかりさんのそばまで歩み寄り、あかりさんの額に符を当てた。
「魔を祓いたまえ、はっ!」
神楽が符を当てると、さっきは吸い込まれそうだった風が、飛び散るように周囲に吹いた。あかりさんはガクンと一度大きく身体を前に倒したあと、ゆっくり顔をあげた。
「も、戻りました。あの、霊は何か言っていたでしょうか?」
「ご苦労じゃった、あかり。やはり呪いの根源はこの病院のようじゃ」
「そうでしたか。じゃ、じゃあ気を付けないといけませんね」
かすかに震えたあかりさんが、立ち上がり服のほこりを払った。
奏人は相変わらず熱心にカメラを回している。神楽が見取り図を見て言った。
「ふむ、二階に通じる階段は東側にあるようじゃな。ならばわらわたちは北側から西側、そして南側を通って東側の階段まで行くとするかの」
「北から順番に、霊やバケモノみたいなのを払っていくってことか?」
俺の問いかけに、太刀風僧正が口を開く。
「何も霊やバケモノだけではない……。穢れた部屋も……浄化しながら回る……」
「うえぇ、それめっちゃめんどくさそう! すげー時間かかりそうだし」
顔をしかめて文句を言った奏人を、神楽がしかる。
「このバカモノがっ! だから朝早くに集まるはずだったんじゃろうが。遅れてきたのはお主ではないか。文句を垂れるな」
「はーい……、すいませんでしたよっと」
肩をすくめる奏人。
俺たちはまず受け付けに清めの塩をまき、太刀風僧正が念仏を唱えた。
「そういえばさ、霊とかバケモノに念仏って聞くワケ? 霊がクリスチャンだったらアーメンとか言ったほうが良くね?」
太刀風僧正の念仏を聞いていた奏人が、不思議そうに言った。
言われてみるとそうだ。どんな霊にも念仏が通用するものなのだろうか。
「大切なのは、信じている宗教や宗派ではない。場を清める力なのじゃ。太刀風ならばそれが仏教であり念仏であるだけで、清めの力さえ発揮出来ればなんでも良いのじゃ」
「そんなテキトーなもんなのか、霊とかって?」
「テキトーではない。わらわたちは霊を清めるため、言うなれば祓う力のトレーニングをしていると考えよ。そのトレーニング方法が何通りもあり、誰がどれを選ぼうが勝手じゃ。効果さえあれば良い」
なるほど、世の中にはエクソシストとか、神父とか、祈祷師とか神道とか色々ある。
仏教なんて宗派が分かれていて、数え切れないくらいだ。
「形は違えど、霊や穢れってやつを祓う意思が大切ってワケか」
「その通りじゃ、遥人。お前たちもせいぜいこの機会にいろいろと学んでおくのじゃな」
奏人は「そんなもんかねー」と言って、あかりさんの方を見た。
「ねぇねぇ、あかりちゃんはどういう風にオバケやっつけたりするわけ? やっぱあの、巫女さんとか神主さんが持ってる紙ついた棒でバサッとやるの?」
奏人に話を振られたあかりさんが、戸惑って首を振る。
「い、いえいえ! あたしまだまだ未熟でっ! 太刀風僧正や神楽さんのようなことは出来ません! 降霊以外はほとんどなにも出来なくて、あの、すいません!」
「あかり、謝る必要などない。霊やバケモノの相手はわらわたちがする。お主は降霊で少しでも事件の真相を見つけて行ってくれればそれで良いのだ」
「はいぃー! 神楽さん、ありがとうございますぅ! あたし、頑張ります!」
あかりさんが胸の前で手をぎゅっと握りしめて言った。
「奏人も余計なことを言うでない。一番なにも出来ないのはお主ではないか」
「俺はこの動画でアクセス数と登録者稼ぎまくって、大金持ちになるからいいんだよ。お前らにもちょっとは分けてやるから、感謝しろよな」
奏人のあくびれない様子に、神楽はため息をついた。
「一般人の感覚も必要かと思いこやつも誘ったが、失敗だったかもしれぬな」
「なぁ、神楽。なんで奏人も連れて行くことをオーケーしてくれたんだ?」
神楽の、呆れた様子を見かねてたずねる。
「遥人、さっきも言ったがお主は五感、ひいては第六感に優れる。小さな怪異も見つけることが出来るかもしれぬと連れて来た」
「ああ。まぁ、勘が良いとは良く言われるけど。でも奏人は?」
「お主とは逆に、奏人はただの一般人じゃ。その一般人が危険を感じるほどの何かがここにはあるかもしれぬ。わらわたちは皆それぞれに修行をしておる。だからこそ、何かを見落とすかもしれない。ゆえに何も出来ぬ一般人も必要だったのじゃ」
なるほど、一般人でも恐れてしまうようなものがあるかどうか、言うなれば奏人は探知機のような役割りを任されたということか。
神楽の言う通り、様々な視点でこの廃病院を見たほうが、なにかを見落とすこともなさそうだ。
「待たせたな……清めは終わった……。北側の病室を回ろう……」
太刀風僧正が戻って来て言った。受け付け辺りまではドアから入る日差しでまだ明るかったが、奥のほうに視線を向けると、真っ暗な闇が広がっていた。
「暗すぎて見えないな。懐中電灯を使うしかないか」
「いいじゃんいいじゃん! 廃墟探検っぽくて! 雰囲気出て良い動画撮れるぜ」
「奏人はそればっかだな。すわりんのこともあるんだぞ、ちょっとは真面目にやれよ」
俺があきれながら言うと、奏人は肩をすくめて笑った。
「その問題は、ここにいる専門家のセンセーたちがなんとかしてくれるだろうよ。そりゃあ、俺だってすわりんのことは心配だ。でも、俺ってば一般人だからなにも出来ねーし」
奏人は、意外と神楽に一般人と言われたことを根に持っているのかもしれない。
これ以上言ってもムダだなと判断して、懐中電灯に灯かりをつけた。
「よし、北側の病室へゆくぞ」
神楽の言葉で、全員が病院のドアに背を向ける恰好で北側に進んで行く。
そのとき、背後で大きな金属音がした。
それに続き、ドシン、と何かが閉まる重い音。
俺たちが慌てて振り返ると、病院のドアが閉ざされていた。
「病院のドアが! 風で、閉まったのか?」
「なにやら……良くない予感がするが……」
俺と奏人、それに太刀風僧正がドアまで向かう。
そして閉まったドアを開けようとしたが、三人でどんなに力をこめても、ドアはピクリとも動かなかった。
「どうやら、この病院もわらわたちのことを逃がす気はないようじゃな」
「廃病院とゲームの呪い……その関係性……それを知った者は、逃がさぬか……」
「あ、あたしたち、ととと、閉じ込められちゃったんですかぁ!?」
大慌てするあかりさん。
奏人は、何度もドアに体当たりしたり蹴りつけたりしている。
「おいおい、マジかよ! ざけんなよっ! こんなことあってたまるか!」
怒鳴る奏人は、廃病院のいたるものをドアに向かって投げつけた。
最終的には待合室の長椅子を引きずって来て、勢い良くドア目掛けて突進していく。
それでも、病院のドアはまるで動かない。
廃病院の呪い――。
入って来た人間を閉じ込めてしまうほどの、強い呪いがここにはあるのだろうか。
「なんで開かねぇんだよ!? くそ、太刀風センセーよぉ、なんとかならないのか!?」
「廃病院の呪いの力が……集まっている……。ひとつずつ……浄化していくしかあるまい……」
「呪いってなんだよ! ちくしょう! 出せー! そうだ、スマホで助けを呼べば!」
なおもドアを殴りつける奏人が、ポケットからスマートフォンを取り出した。
そして、画面を見て顔色を変える。
「圏外っ!? なんで、どーしてだよ! さっきまでは普通に電波あったのに!」
慌てふためく奏人に、神楽が冷静な声で言った。
「それもこの建物の呪いであろう。太刀風の言う通り、この廃病院を少しずつ清めていくしかあるまい。時間が経つほどわらわたちは疲弊し、霊たちは勢いづく。急いで北側の病室に向かうぞ。イヤならそこでドアにしがみついておれ」
言うと、神楽はカンテラを持って歩きだした。太刀風僧正もそれに続く。
「と、とにかく奏人さん! 離れ離れになったら危ないですよ、行きましょう!」
「奏人、太刀風僧正と神楽がああ言うんだ。他に方法はないだろう。行くぞ」
「ちくしょう、ちくしょう!」
俺とあかりさんがなんとか奏人をなだめ、先を行くふたりの後を追った。
【10】
北側は集団病室が並んでいる。
暗いだけで、病院はこんなにも不気味になるものか――。
「ここには大したものはいなさそうじゃな」
北側の病室に入りまわりを見渡した神楽が言った。
病室には、いくつものベッドがほこりを被って並んでいる。普通、病院の複数人用の病室はせいぜい六人から八人だろうが、ここには何十ものベッドが置かれていた。
これでは気が休まらないだろう。
ひどい環境で入院を強いられていたのであろうか。
「ひでー部屋だな、俺ぜってーこんなところ入りたくないわ」
カメラを手にした奏人が呆れた声で言う。まったく同感だ。
太刀風僧正と神楽が手早く作業――お清めと言えばいいのだろうか――を済ませる。
「これにてこの場の浄化は終わった……すぐに次に参ろう……」
太刀風僧正の言葉で、全員が移動を始める。
見取り図を見た限り、病院はかなり広くて大きい。これは確かに早朝からやらねば回り切れないだろう。
静かな廃病院に、俺たちの足音だけが響き渡る。
いくつかの部屋でお清めを済ませた俺たちが次に向かったのは、厨房だった。
ここで入院患者の食事を作っていたのであろう。
学校の給食室で見たような大きな鍋などが並んでいた。
厨房の中を進んで行くと、ふいにどこからか微かな音が聞こえた。
「ちょっと待ってくれ、神楽、太刀風僧正。今なにか聞こえた」
「音がしたじゃと? 気のせいではないのか?」
「俺の五感を信じて連れてきたんだろ、何かあるのかもしれない。警戒してくれ」
歩みを止めた太刀風僧正が、手にした数珠を数度鳴らした。
「何かおるならば……出てこさせて祓わねばならぬ……ぬん!」
太刀風僧正が気合いを込めて腹の底が震えるような大きな声を出す。
すると、まるでそれに応えるように厨房全体から、ガタガタと物がぶつかり合うような音が聞こえ始めた。
「きゃ、きゃあ!? なんですか、これー!?」
「おいおい、マジで何か起きちゃってんじゃん! なんだってんだ!?」
うろたえるあかりさんと奏人。
神楽は符を手にかかげ、太刀風僧正は身構える。
「俗に言うポルダーガイストというやつじゃな。目ざわりじゃのう。失せよっ!」
神楽が叫ぶと、物音が一斉に止まった。
「おおー、一発で止めちゃった! すっげーじゃん、神楽! しかも怪奇現象をマジでカメラで撮れちゃったし、大ラッキーってやつ?」
「いや、まだ終わっておらぬ。奏人とあかりはわらわたちの後ろに隠れておれ」
「へっ、だってもう静かになって……」
奏人が言いかけたとき、厨房のそこらじゅうから調理器具や食器、皿などが浮き上がった。
「うわぁぁぁ! なんだよこれっ!?」
「これは……ただのポルダーガイストにあらず……何か妙だが……」
「ただのポルダーガイストじゃない? どういうことです、太刀風僧正?」
太刀風僧正に問いかける俺に、神楽が背負ったカバンから何かを放り投げてきた。
「これを使え、遥人。お主には戦力になってもらうからのう」
「なんだよ、この棒っきれ? それに戦力ってどういう意味だ?」
「質問ばかりするでない。それと、それはただの棒にあらず! 神聖な霊木より生み出された霊木刀じゃ。さっさと構えよ、来るぞよ!」
俺はどうして良いかわからないまま、神楽に渡された霊木刀とやらを持ちやすいように調整した。剣道の竹刀より少し短いかな、と思わせるものだ。
木刀と言うだけあって、刀を模した形をしている。
それにしても、来るっていったい何が――そう言おうとした瞬間、厨房の浮き上がっていた調理器具や食器、皿が一斉に動き出した。
まっすぐに、こちらに向かってくる。
「なんだこれ! どうなってんだ、くそ!」
俺は手に持った霊木刀で、飛んできた皿を叩き落とす。
次々と、様々なものがこちらに向かって飛び掛かってくる。これじゃあまるで、誰かが超能力でも使ったかのようだ。
「ことわりに背くものたち……滅するべし……喝っ!」
数珠をにぎった太刀風僧正が思い切り腕を振ると、周囲の飛んできたものがぼとりと地面に落ちていく。
「くだらぬ呪いにおびやかされるわらわではない! 呪術よ、消えよっ!」
神楽が符をかざし、言葉を唱えると器具たちがはじけ飛ぶように転がり落ちる。
これがふたりの力か……。
しかし俺も感心しているヒマはなかった。
次から次に襲ってくる食器たちを、目でとらえ、霊木刀でしっかりと叩き落とす。
「この! くっそ、数が多い! だぁぁぁぁ!」
「遥人、なんとかしてくれ! 頼んだぞ!」
「お、お力になれず、ももも、申し訳ございませんー!」
神楽と太刀風僧正と俺。
三人で、奏人とあかりさんを守るようにしてポルダーガイストの攻撃を防いだ。
「遥人、小皿などは構わずとも良い! ナイフや巨大な器具には気を付けよ!」
神楽にそう言われた瞬間、フォークが俺の目の前に飛んできた。
「うお、あぶねっ!」
思わず声をあげ、フォークをよけそうになりとどまった。
――俺がよけたら、奏人やあかりさんに当たってしまうかも。
「くっ、ぶったたくしかないのか!」
眼前のフォークを手にした霊木刀で叩く。
叩き落とした食器などは、不思議と再び動き出すことはなかった。
神楽や太刀風僧正ならば、呪いを祓ったということだろうが、俺が叩いたものも動きを止める。この霊木刀に何か力があるのかもしれない。
しばらくの間、食器や調理器具を祓う戦いが続いた。
俺は小皿にぶつかられたり箸に突っつかれたりしたものの、なんとか危険な刃物などは霊木刀で打って落とすことが出来た。
「これで……終いだ……はあぁ!」
太刀風僧正の大きな声で、暴れていた食器たちが落ち着いた。
「ふへぇ……よ、ようやく終わったぁ……。この映像、出来過ぎでやらせと思われるかもな」
その場にがくりと膝をついた奏人が言う。
まったくもって、こんなものは出来過ぎだろう。
呪われた病院だからと言って、こんなことが起きるものなのだろうか。
「ふぅ……。神楽、この棒、霊木刀だっけ? 助かったよ、ありがと、う……?」
神楽にお礼を言いかけたところで、俺は言葉に詰まってしまう。
奥にある巨大な、鉄のかたまりのような鍋がゴトゴトと動き出していたのだ。
あんなものにぶつかられたら、ひとたまりもない。
かといって、この霊木刀じゃアレはデカすぎてどうにか出来る気がしなかった。
立ち尽くしていた俺の横を、符を持った神楽が走り抜けた。
「祓いたまえ、清め給え、邪妖駆逐! はっ!」
今にも飛び掛かって来そうな鍋に突っ込んでいった神楽が、呪文とともに鍋に符を突き出す。神楽の符に触れた鍋が、一度ビクリと動いて静かに落下した。
「神楽……見事なり……」
「太刀風こそ、さすがじゃな。遥人、お前も素人にしてはようやったぞ」
ふたりはさして疲れた様子も見せずにしゃべっている。
彼らにしてみれば、こういう怪現象も慣れっこなのだろうか。
しかし、神楽が首をひねった。
「ポルダーガイストにしては都合の良すぎる現象じゃ。太刀風の言ったように妙じゃな」
「た、ただの呪いじゃないとなると、悪意のある呪術やまじないとかでしょうか?」
「わからぬが……進むよりほかに道は無し……。各々、注意せよ……」
そう言うと、太刀風僧正が先に進み始めた。神楽も続く。
どうやらここのお祓いとお清めはこれで終わったらしい。
サクリファイス・ホスピタル――いったいあのゲームは、そしてこの廃病院はなんなんだ?
なんにしても、ここには何らかの悪意が込められている可能性が高いということか。
俺は改めて、神楽から受け取った霊木刀を強く握りしめた。
【11】
その後、病院の北側は問題なくお清めが進んで行った。
何か起きないかと心配していたが、神楽や太刀風僧正が順調に病室や待合室を清めていく。
北側のお清めをすべて終えると、俺たちは次に東側の病棟に向かった。
こちらは入院用のベッドなどはなく、主に患者のデータであったり薬であったりと資料や資材が置かれている部屋が多いようだ。
「さっきはビビったけど、ようやく大人しくなったなぁ」
カメラを手にした奏人が、すっかり気の抜けた声で言った。
「奏人、まだ半分も終わってないんだぞ、油断するなよ。撮影ばっかりしてないでさ」
「わかってるよ遥人。まぁ、油断するなと言われても、俺には何も出来ないけどな。なんてったって一般人代表だからな」
そう言って奏人がおかしそうに笑う。
神楽に一般人と言われたのを根に持っていたのかもしれない。
「無駄口をたたくでない、次はここじゃ」
神楽がドアノブに手をかけて戸を開いた。扉にはファイル保管室と書いてある。
相変わらずほこりっぽい部屋の中に棚がいくつも並べてあり、無数のファイルが置かれていた。部屋の名前からしても、患者たちのデータであろう。
「患者のデータ……生い立ちとか、どうして入院させられたかとか書いてあるかな? なにか呪いのヒントになるようなものがあるといいんだけど」
「そ、そうですね! 何かあるかも、探してみましょう!」
太刀風僧正と神楽が部屋を清め、奏人がカメラを回している間に、俺とあかりさんはデータのファイルをはしから見始めた。データには専門的な言葉が多く、俺が読んでもいまいちピンと来るものがない。
ただ、患者の個人情報も、かなり細かく書かれていた。
「患者の生い立ちとか素性とか、病院内での態度とか記してあるんだなぁ」
「でも、漢字が昔のもの過ぎて、あたしチンプンカンプンなことばかりですぅ」
俺とあかりさんは頭を抱えながらも、それでもなんとか手がかりを探そうとファイルを探っていく。
すると、すぐ横にいたあかりさんが「あっ……」と言ったきり動きを止めた。
「あかりさん、何か見つかりました? あれ、あかりさん?」
あかりさんは、ファイルに触れたまま微動だにしない。
棚に手を伸ばした形で、ピッタリと動きを止めてしまっている。
「あかりさん、どうしたんですか?」
再度問いかけると、あかりさんの口がかすかに開いた。
「う、ごけ……な、い……で……」
「動けない? いきなりどうしてそんな……このファイ、ル……」
あかりさんが触っていたファイルに手をかけた途端、俺の身体がずしりと重くなった。
頭のてっぺんから指先まで、感覚さえ奪われてしまったようになっている。意識はハッキリとしているのに、身体が言うことを聞かない。
「か、ぐら……そう、じょ……」
なんとか息を吐きだすようにして、あるかなきかの小さな声を振り絞る。
しかし、ふたりはお清めの最中だ。
どうすればいい? どうすれば気付いてもらえる?
「こ、こは……あた、しが……!」
ふいに、あかりさんの目の焦点が合わなくなった。
あかりさんに向けて、風が集まっていく。
あかりさんは、この事態を神楽たちに知らせるために降霊を行ったのか。
「どうしたのじゃ、あかり。なぜ降霊などしておる?」
「なんだなんだふたりでくっついてジッとしちゃって。カップル成立かー?」
降霊に気付いた三人がそばまでやって来る。
まったく動かない俺たちを見て、太刀風僧正と神楽が不審に気付いた。
「これは……動かないのではなく……動けぬようだ……」
「あのファイルからおかしな気配がするのう。邪なるものを祓いたまえ!」
神楽の符が俺たちに当てられる。その瞬間、身体の自由が戻った。
俺は急いであかりさんを引っ張って、ふたりでファイルから離れた。
「いったいどうしたというのじゃ、お主ら?」
「はぁ、はぁ……。神楽、助かった。何か病院や呪いの手がかりはないかとデータを調べていたんだけど、あのファイルに触れた途端、俺たち金縛りみたいに動けなくなっちゃって」
「あ、あれはきっと呪術がかけられています! 注意してください!」
「ファイルに……呪術……。廃病院にとって……見られたくないものか……」
太刀風僧正が数珠を手にしたまま問題のファイルに触れる。
しかし、ファイルに触れた途端、手に持っていた数珠が切れて落ちた。
「ふむ……かなり強い思念……。これは病院を祓い終えねば……触れられぬか……」
太刀風僧正が言うと、神楽が考えるように口元に手を当てた。
「ファイルに触れられたくないとなると、この廃病院に呪いをかけた者、またはそれに関係のある人間の仕業なのじゃろうな。厄介なことよ」
「関係があるって言うと、患者か主治医か、または親族あたりか?」
「そのような……ところであろう……。ここはひとまず……触れぬまま進もう……」
重要ななにかがあるのならば、調べておきたかった。
しかし太刀風僧正でも太刀打ちできないほどの呪いとなると、俺にはどうにも出来ない。
神楽も諦めた様子で小さく頷いた。
それでも、何か引っかかる。
俺の勘が、このファイルには何かあると告げている。
「なぁ奏人、ここ撮影しておいてくれよ」
少しでも情報を残しておこうと思って、俺は奏人に提案した。
すると奏人はわずかに振り返り「そんな絵にならないもん撮っても数字稼げねーよ」と却下された。
「なんだよ奏人、ずうっとカメラを回しているんだから、それくらい良いじゃないか」
「気になるなら、遥人がスマホで動画でも写真でも撮ればいいだろ。だいたいカメラ向けて金縛りにあったらどーすんだよ。俺はそんな怖い体験お断りだぜ」
「まぁ、自分でやれと言われればそうなんだけどさ」
俺は腰のベルトに下げていた神楽がくれた霊木刀をずらし、ポケットに手を入れた。
スマートフォンを取り出す。相変わらず、圏外である。
カメラモードを起動させて、スマートフォンをファイルに向ける。
シャッターを押して写真を撮った瞬間、画面全体に黒い影がまとわりついてきた。
「うわっ! なんだよ、これ!」
画面に映り込んだ影。
これがいわゆる心霊写真というものであろうか。それにしても、シャッターを切っただけで簡単にそんなものが撮れるのだろうか。
「おおー、遥人それマジ心霊写真じゃね? あとで送っておいてよ」
「バカモノ! 心霊写真など配り歩いてどうするのじゃ。遥人もうかつじゃぞ、いたずらに写真を撮るなぞ」
神楽にたしなめられて、俺は下を向いた。
「悪かった、神楽。なにか呪いを解くカギでも見つからないかと思って」
「いや。無用心ではあったが、お手柄かもしれぬ。スマートフォンの画面をよく見てみろ」
言われて、再度スマートフォンに視線を戻す。真っ黒な影の心霊写真。
だけど、よく見るとその黒には濃淡があり、その色合いで人のような形をしていた。
「これは……女の人っぽい影だな。髪が黒くて長い、悲しんでいるような顔……歳は、いくつくらいかな。二十代か、三十代くらいか……」
「も、もしかして、この病院で何度も出てきた、聖母様って人かもしれないですね!」
「その可能性もある……相手の姿がわかるのは、我らにとって有益……。皆……この写真をよく見ておくべし……」
太刀風僧正の提案で、俺のスマートフォンを五人で順番に確かめるようにして見て回した。再び戻って来たスマートフォンをポケットの中に納めた。
不用意なことだったかもしれないけど、撮影して正解だったかもしれない。
そう思うと、ちょっとは役に立てたんだなという気持ちで満たされる。
「えーっと、見取り図ってやつによるとこれで西側は片付いた感じ? けっこー楽勝かもな。なぁ遥人。あははっ」
「なに言ってんだよ奏人。厨房ではめっちゃ怯えてたくせに」
「いやアレは怯えとかじゃなくて、ちょっとビックリってやつだよ。俺は余裕余裕」
奏人が張り切って西側の病棟から、南側の病棟に移動していく。皆もそれに続いた。
【12】
西側の病棟は、あまり部屋や個室などがない場所だった。
売店だったと思われる一角や、病院の入院した部屋でテレビを見るためのカードを販売していた場所のようだ。
天井はあるものの、庭のようなものも見て取れた。長い間手入れがされてないのであろう、植物はどれも枯れはてていて、小さな木も元気なく下を向いている。
「中庭の如きもののようじゃのう。なにか栽培していたのか、しかし天井がある場所に中庭というのもおかしなものじゃ。これだけ広い敷地なれば、外に庭や菜園を作ることも可能であったろうにな」
「それだけ……患者や職員たちを……病院の外に、出したくなかったのであろう……」
「ふむ、想像以上に徹底して患者たちを押し込めていたのじゃな」
神楽が会議通話でも言っていた。
患者は金持ちの家族だったり、身分有る人の身内だったりすると。
そういう一族から入院する者が出たというのを知られるのを嫌い、作られた場所。
それがこの廃病院なのだ。
外に出ることさえ許されない――ここはもはや病院というより監獄のようだった。
「そこまでしなくてはいけなかったなんて。そうまでして、自由を奪われていたなんて……。とても悲しいことですね」
あかりさんが寂しそうな声音で言う。その通りだと思う。
患者や職員たちは、いったいどんな気持ちでこの天井のついた薄暗い中庭で植物を育てていたのだろう。
不自由に対する不満、息苦しさ、恨み辛み、そして悲しみ……。
この箱庭は、どうしたってつらすぎる。
「神楽、太刀風僧正。ここは念入りに清めておいた方が良いと思うんだけど」
「お主の言う通りじゃ遥人。ここには怨嗟がうずまいておるわ」
「我らが清めるが……お前たちも塩をまけ……。祓うための儀式を受けた、特別な塩だ……。この場所は文字通り……根から絶たねばならぬ……」
太刀風僧正が袈裟のようなショルダーバッグから、紙に包まれた塩を出し皆に手渡した。
それぞれに手分けをして、お清めを行ったり塩をまいたりする。
庭の清めが終わり五人が集まると、中庭全体からホタルのような光が無数にあふれだしてきた。
「おおおっと! なんなんだよコレぇ!?」
「玉響現象、いわゆるオーブじゃな」
「オーブ?」
周囲の白い小さな明かりたちを見つめながら、神楽に尋ねる。
「普段は、主に写真などに映り込むものじゃ。見ての通り、小さなホタルのような輝きを放っておる。通常、人間の肉眼では見えることはないはずじゃ。多くは写真や映像で確認されるものじゃな」
「オーブならあたしも知っています。世間的には、フラッシュの光が空気中の雨粒や微粒子などによって反響して映るんですよね。あたしたち霊能者にとっては、心霊的な意味もあると見ることも出来るというあの……。で、でもこんなハッキリ見えるなんて!」
廃病院には似つかわしくない、幻想的な風景であった。
それは、俺がここに足を踏み入れてから初めて感じる、暖かな空気のような気がする。
「こいつら、なんか喜んでいるのかな。そんな感じがする」
「何言ってんだよ遥人。怪現象が喜ぶもんか。それにしても、ここは投稿に使えるか悩みだなー。いくつか切り抜きとか特集作って、何個か別々に動画あげるかな。そっちのがアクセス稼げそうだわ」
奏人はほとんど動画にして再生数を稼ぐことしか頭にないらしい。
それでも、一応中庭に塩をまくのは手伝っていたし、何もしていないワケではないから良しとしよう。
「そうとも言えぬ。この玉響たちからは、確かに正の気を感じる。長年埋め込まれていた無念が解放され、安堵しておるのかもしれぬな」
「そっか、そうだったら嬉しいな。祓うって言うとなんでもかんでも力づくで追っ払う感じかと思ってたけど、こういう優しいお清めや祓いもあるんだな」
「我らはそもそも……この世のモノではない存在を……あるべき場所に還すのが役目……。荒事にならぬならば……それが本望……」
太刀風僧正が中庭に静かに手を合わせる。
俺もそれにならい、ここに埋められた悲しい気持ちの数々の浄化を祈った。
「これにて南側の病棟の清めも終いじゃな。時間が惜しい、東側に行くぞよ」
そうだ、まだ先は長いのだ。俺は緩みかけた気持ちをもう一度引き締めた。
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