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第七話
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ゾルダート家公爵令嬢ヴェロミアは、十六歳の時に出た夜会で初めて皇太子ザイオンに挨拶をする機会を得た。
これほど美しい男性を、これまでに見たことがない。今後も出会うことがないだろうと思った時には、ヴェロミアは消すことのできない恋慕を胸に宿していた。
ザイオンは十五歳から国王の補佐として執務を始め、夜会に姿を見せることも少なくなった。しかし一度姿を見せればたちまち、その場の女性を夢うつつのように変えてしまい、ヴェロミアもその一人だったが、嫉妬に胸を焦がさずにはいられなかった。
文武両道で非の打ち所がないとされるザイオンだが、その寝室に出入りをする女性は一ヶ月も同じではなく、宮中の人間には英雄色を好むと囁かれた。
自分に敵対する者、無能な部下に対する徹底した冷酷さも知られていたために、ザイオンの行為を咎める者は周囲には一人としていなかった。唯一ザイオンが信頼した側近であった男性も、貴族間の権力争いに巻き込まれ、辺境に左遷されてしまった。
皇太子ザイオンに特定の相手はいない。彼が十七歳でまだ婚約もしていないことは異例であったが、ヴェロミアはいつか自分が見初められるものと信じて、ザイオンの動向をうかがい、接する機会を待ち続けた。
――そのザイオンが、大神殿に仕える聖女と婚約したと聞いたとき、ヴェロミアは部屋の窓を全て叩き割り、高価な絵画や調度品をその手で壊してまわった。
聖女というだけで、なぜ選ばれるのか。
身分も美しさも、全て自分が勝っているはずなのに、なぜ出自も分からない娘が皇太子と結ばれるのか。
その怒りも失望も、今となっては良い思い出だとヴェロミアは思う。
大神殿からアリアンナを追放したあと、ヴェロミアは神官たちが止めるのを聞かず、帝都に戻った。
聖女の執務を始めるにあたっての儀礼など、今のヴェロミアにとって優先されることではなかった。
地方の視察から帰ってくるザイオンを、婚約者として迎えるため。それと比べれば大神殿に聖女が不在となることなど、些末なことだった。
ザイオンは帝都に戻り、宮殿で皇帝への報告を終えたあと、その足で郊外にあるゾルダート家の邸宅の一つを訪れた。
皇太子が訪問しても周囲に知られることのない、隠れ家のような場所。ヴェロミアが迎えるなり、ザイオンは羽織っていた外套を従者に持たせ、かき抱くようにしてヴェロミアを抱きしめた。
「ああ、ザイオン様……お会いしたかった。一日でもお会いできなければ、私は……」
ヴェロミアは目眩がするほどに鼓動を高鳴らせながら言う。ザイオンはヴェロミアの頬に手を添え、唇を重ね、さらにヴェロミアの背中に手を回して引き寄せた。
従者が目を逸らすほどの熱情の時間が終わり、ザイオンは熱病に浮かされたような顔でヴェロミアを見つめる。
誰もが羨望の眼差しを送り、一目見られるだけで動けなくなる。全てが完全な男を手に収めたことを確かめ、ヴェロミアの胸は満たされる。
「ザイオン様、私が聖女となることが認められました。前任のアリアンナは、殿下のご令状に従って追放されましたわ」
「そうか……ご苦労だった。あれは大神官が気まぐれに拾い、聖女に仕立て上げた偽者だった。よくもいままで余を謀ってくれたものだ、忌々しい神官どもめ」
アリアンナは代々の聖女とは異なり、神殿の象徴として表に出ることがなかった。そのためにザイオンは、ある時を境にアリアンナではなく神官たちが実権を握っていると考え、事実を確認するためにアリアンナを帝都に呼び出そうとした。
「殿下のお呼び出しを拒絶するなんて……何かやましいことがあったに違いありません。そもそもあんなみすぼらしい姿で聖女だなんて、隣国に知れたら国の恥ですわ」
ザイオンは一度見切った相手に対して、評価を変えることがない。ザイオンのアリアンナに対する疑惑が生じたことは、ヴェロミアには天啓であるとしか思えなかった。
しかしヴェロミアは、まだザイオンの心を手に入れきっていないことに焦りを感じていた。
口づけを交わしても、それ以上を望まれたことが一度もなかった。あれほど強く抱きしめられても、それだけではまだ足りないのだ――それが何なのか、ヴェロミアには薄々と分かっていた。
これほど美しい男性を、これまでに見たことがない。今後も出会うことがないだろうと思った時には、ヴェロミアは消すことのできない恋慕を胸に宿していた。
ザイオンは十五歳から国王の補佐として執務を始め、夜会に姿を見せることも少なくなった。しかし一度姿を見せればたちまち、その場の女性を夢うつつのように変えてしまい、ヴェロミアもその一人だったが、嫉妬に胸を焦がさずにはいられなかった。
文武両道で非の打ち所がないとされるザイオンだが、その寝室に出入りをする女性は一ヶ月も同じではなく、宮中の人間には英雄色を好むと囁かれた。
自分に敵対する者、無能な部下に対する徹底した冷酷さも知られていたために、ザイオンの行為を咎める者は周囲には一人としていなかった。唯一ザイオンが信頼した側近であった男性も、貴族間の権力争いに巻き込まれ、辺境に左遷されてしまった。
皇太子ザイオンに特定の相手はいない。彼が十七歳でまだ婚約もしていないことは異例であったが、ヴェロミアはいつか自分が見初められるものと信じて、ザイオンの動向をうかがい、接する機会を待ち続けた。
――そのザイオンが、大神殿に仕える聖女と婚約したと聞いたとき、ヴェロミアは部屋の窓を全て叩き割り、高価な絵画や調度品をその手で壊してまわった。
聖女というだけで、なぜ選ばれるのか。
身分も美しさも、全て自分が勝っているはずなのに、なぜ出自も分からない娘が皇太子と結ばれるのか。
その怒りも失望も、今となっては良い思い出だとヴェロミアは思う。
大神殿からアリアンナを追放したあと、ヴェロミアは神官たちが止めるのを聞かず、帝都に戻った。
聖女の執務を始めるにあたっての儀礼など、今のヴェロミアにとって優先されることではなかった。
地方の視察から帰ってくるザイオンを、婚約者として迎えるため。それと比べれば大神殿に聖女が不在となることなど、些末なことだった。
ザイオンは帝都に戻り、宮殿で皇帝への報告を終えたあと、その足で郊外にあるゾルダート家の邸宅の一つを訪れた。
皇太子が訪問しても周囲に知られることのない、隠れ家のような場所。ヴェロミアが迎えるなり、ザイオンは羽織っていた外套を従者に持たせ、かき抱くようにしてヴェロミアを抱きしめた。
「ああ、ザイオン様……お会いしたかった。一日でもお会いできなければ、私は……」
ヴェロミアは目眩がするほどに鼓動を高鳴らせながら言う。ザイオンはヴェロミアの頬に手を添え、唇を重ね、さらにヴェロミアの背中に手を回して引き寄せた。
従者が目を逸らすほどの熱情の時間が終わり、ザイオンは熱病に浮かされたような顔でヴェロミアを見つめる。
誰もが羨望の眼差しを送り、一目見られるだけで動けなくなる。全てが完全な男を手に収めたことを確かめ、ヴェロミアの胸は満たされる。
「ザイオン様、私が聖女となることが認められました。前任のアリアンナは、殿下のご令状に従って追放されましたわ」
「そうか……ご苦労だった。あれは大神官が気まぐれに拾い、聖女に仕立て上げた偽者だった。よくもいままで余を謀ってくれたものだ、忌々しい神官どもめ」
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しかしヴェロミアは、まだザイオンの心を手に入れきっていないことに焦りを感じていた。
口づけを交わしても、それ以上を望まれたことが一度もなかった。あれほど強く抱きしめられても、それだけではまだ足りないのだ――それが何なのか、ヴェロミアには薄々と分かっていた。
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