描く未来と虹色のサキ

不来方しい

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一章 絵画修復士として

04 雨模様

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 同窓会当日は太陽に灰色の雲が覆い被さり、咲の心も靄がかかったようだった。
 二十五歳という年齢に達しはしたが、時間経過とともに誰でも足を踏み入れる領域でしかない。それ相応の姿となっているかは首を傾げたかった。
 小振りの赤い提灯がぶら下がる和モダンな引き戸に手をかけると、中にいた人物はみな一斉に振り返る。
「白神?」
「はい、その通りですが……どうして判ったのですか?」
「いや判るだろその髪と目で。元気だったか? 久しぶりだな!」
 来る前に引っ張り出してきた卒業アルバムは多少なりとも役に立ち、相手が同級生の西野だと浮かんだ。
「西野さん、お久しぶりですね」
「おお、そうだな! お前イタリアに行ってたんだってな。高校もどこに行ってたのか全然知らなかったよ」
「友人には告げずに行きましたから」
「イタリアはどんなの? やっぱり美女多い?」
 西野の質問は悪気はないが、場の雰囲気を悪くさせてしまう。
 誰しもが咲が男性に告白したことは、頭の片隅にあるだろう。
「美的感覚は人それぞれですから、私には判りません」
 雰囲気遮るように、咲は答えた。
 端でちらちらこちらを見ながらグラスに口をつけている人物は面影がある。元学級委員長の中村兼義だ。唯一告白をした相手。水泳をしていた細身で筋肉質の身体はふくよかになっていたが、よく通る鼻筋は変わっていない。
 スポットライトを当たったように、一瞬ではあるが二人だけの世界になった。
「ところで、先生はどうしたのです? 今日いらっしゃるんですよね?」
 咲の質問に、さらに静まり返る。
 頭によぎる最悪の事態が起こりませんようにと、祈るしかできなかった。
「病気で亡くなったらしい」
「……本当ですか」
「俺らが大学生に入った頃から入院して、そのまま病院で亡くなったたって聞いた」
 人間はいつまでもあのときのままではないと、痛感させられた。
 見た目も中身も必ず変わる。同じようにはいられない。
 席に座りたいが、空いている場所が中村の隣しかなかった。
 少し隙間を空けて腰を下ろした。
「……久しぶり」
 まさか中村から声をかけてくるとは思わず、咲は面食らった顔をする。
「……ええ、お久しぶりです。お元気にしていましたか?」
「ああ……お前も元気そうだな」
「はい。それなりに」
「仕事は何してるんだ?」
「絵画修復士という仕事です」
「なんだそれ」
「そのままの通り、絵画の修復をする仕事です」
「それを学ぶためにイタリアへ行ったのか?」
「ええ。イタリア語は話せましたし、チャンスでしたから。今は住み込みで働いています」
「住み込みって……家に帰ってないのか? 誰の家で?」
「画家の葉山先生という方です」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫、とは? 相手は男性ですし、特に問題はありませんよ」
 意識しなければ平気、とは呑み込んだ。正直、咲にとって魅力的すぎるが、恋愛に発展することはまずありえない。たいていの男性は女性が好きだからだ。
「中村さんは? 今は何をしていらっしゃるのですか?」
「俺はパソコンの事務作業だ。つまらない毎日を送ってる。水泳で怪我して、激しい運動はできなくなっちまったからな」
「怪我……?」
「大学のとき、ジャンプ台から飛び込んできた生徒が俺の背中に当たって、危うく溺死するところだった。泳ぐと背中に痛みが走るようになってな」
「それは……とても辛い思いをなさったんですね」
「もう慣れた。平凡な日々もそう悪くない」
 メニュー表を渡され、レモンサワーを注文した。
 ついでに、中村もビールを追加した。
「お前ら、唐揚げ食べるか? 食べるんなら二皿注文するけど」
「ぜひ。それと枝豆もお願いします」
 大きな唐揚げが五つある。皿を中村へ押しやり、咲は枝豆に手をつけた。
「酒は飲むのか?」
「ほぼ、飲みません。付き合いで少しだけ。次は緑茶を注文します」
「ふーん」
「中村さんは飲みそうですね」
「まあまあだな」
 昔話をするには、まだ早すぎた。二人は最近の話ばかりで、中学時代には触れようとしなかった。
 先生の話も、気持ちの整理がうまくつかない。触れなくない。
 二次会の話になるが、咲は首を縦に振らなかった。
 一次会で席を立つと、隣の中村も立ち上がる。
「俺も帰る」
「いいのですか? これからいつまた皆さんに会えるか判りませんよ」
「明日仕事なんだよ」
 外に出ると、月と街灯の明かりのみが二人を照らす。
「さっきの話だけど……葉山、先生だっけ?」
「ええ」
「いつから住み込みで働いてるんだ?」
「ほんの数日前です。たいへん良くして下さいますよ」
「飯はどうしてるんだ?」
「ほとんど葉山先生がお作りになります。趣味らしくて譲らないんです」
「……そっか」
 酔っ払っているせいか、中村の足取りは重い。ゆっくりゆっくりと、上背のわりには歩幅も狭い。仕方なく、咲も時間をかけて歩くしかない。
「もし、もしもの話だけど、俺があのとき返事を出していたら、今は変わったと思うか?」
「え?」
 咲が止まると、少し先を歩いていた中村も止まる。
「私が中村さんに告白したときのことですか?」
「ああ」
「終わっていたと思います。どんな結末を迎えても、私がイタリアへ行くことは誰にも止められなかった。遠距離恋愛はうまくいきません」
「そんなの、試してみなくちゃ判らないだろ」
「試さなくても判ります。私、こう見えて寂しがり屋なんですよ。離れて暮らすなんて耐えられませんから。好きなお相手なら、誰よりも近くにいたい。それにあなたは女性が好きでしょう? 気の迷いで付き合っても、黒歴史になるだけです。私もそうであるように、忘れましょう」
「忘れましょうって……お前にとっては黒歴史ってことか? 良い想い出でもないのか?」
「クラス中と、担任の先生にも広がっていましたよ」
「ッ…………」
「今日いたメンバーも、全員知っています」
「……悪い。あのときの俺、どうかしてた」
「中学時代は自分が何者かも判らず不完全で、とても恐ろしい存在でした。本当の自分が何なのか、誰しもが悩む年頃です。告白されて浮かれていたか気持ち悪くてなのかは当時のあなたの気持ちは知り得ません。けれど私は傷つき、あなたを悩ませた。許してほしいとも言いません」
「白神……」
 十年ぶりに名前を呼ばれ、あのときの気持ちが込み上げてくる。
 確かに彼に恋をしていた。水と会話をし、仲間と絆を繋いだ姿は魅力に溢れていた。
 前から見覚えのある車が走ってくる。
 ふたりの前で停車し、窓ガラスが開いた。
「咲君」
「葉山先生……? どうして……」
 中村は口を噤み、運転席の男をじっと見た。
「実は君の家族から迎えにいってほしいと頼まれていてね」
「相変わらず過保護ですね。困った人たちです」
「そちらは同級生の方? 一緒に送って行こうか?」
「いえ、タクシーを拾います」
「そう? なら咲君はこちらに」
「わざわざすみません。ありがとうございます。では中村さん、さようなら」
「あ、ああ……」
 お互いにこれで最後だと感じていた。
 クラスメイトから赤の他人となった距離感は、ほぼ毎日のように顔を合わせていたあの頃とは異なる。「さようなら」を告げても、次の日には必ずいた。水泳の疲れからか窓際で頬杖をつき、こちらに気づけば必ず挨拶を交わしてくれた。
 車に乗る直前、もう一度彼を見た。
 泣き出しそうなほど苦痛の色が顔に表れていて、それは咲も同じだった。
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