描く未来と虹色のサキ

不来方しい

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一章 絵画修復士として

03 父と母

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 白神善四郎の絵は、力強さの中に繊細さと歪が紛れていて、仕事の手を休めて呑まれていきそうだった。
 引き込まれる前に手を動かし、古びた絵を修復していく。失った時間は返ってこないが、絵画を通じて過去に戻すことはできる。
「本当に君はすごいね。どんどん綺麗になっていくよ」
「ありがとうございます。お力になれて、幸いです」
「ちょっと休息しようか」
「はい。ぜひ」
 好意に甘えると誠一は喜ぶ。毎回お茶を用意してくれることに申し訳なく思い断っていたが、しょげてしまうのだ。
 用意してくれる菓子類はほとんど洋菓子で、咲はあまり口にしたことがない。
 目をきらきらさせる咲に気づき、誠一もまた喜んで用意していた。
 大きなメロンの乗ったケーキで、誠一は紅茶も淹れた。
「ちょっと元気がない? どうかした?」
「そう見えますか? 考えごとをしていて……」
「仕事のこと?」
「完全にプライベートの話です」
 お茶に合う話でもなかったが、すでに聞く姿勢になっているので咲は口を開いた。
「この前、中学の同級生から同窓会の連絡が届いたんです」
「それは素敵だね……って言うべきなんだろうけど、君の顔を見ているとそう言っていいのか判らなくなる」
「元担任にお会いできるのは楽しみなんですが……学級委員長だった方に会いづらくて」
「それはどうして?」
「明るくて活発で、自分にないものを持っている方だったんです。好きになってしまい、告白しました。本人しか知らないはずが、いろんな人に伝わっていまして。中学を卒業してから私はイタリアに行きましたので、会ってないんです」
「それは辛い思いをしたね。けど昔と今は違う。傷を抱えて生きなければならないかもしれないが、相手も大人になっている。会ってみたら、もしかしたら成長した姿を見て笑い話にできるかもしれない」
「そうなることを望みます。行くと返事を出しましたので、来週の日曜日はお休みを下さい」
「ああ、もちろんだとも。……これはちょっと相談なんだけど、」
 誠一は言いよどみ、ティーカップに視線を落とした。
「住み込みで働かないか?」
「住み込み、ですか?」
「それほど家は遠くないとはいえ、これからどんどん暑くなる。それならクーラーが一日中効いた部屋にいた方がいいと思わないか?」
「それは……難しいと思います」
「ここがいや?」
「まさか。素敵な仕事部屋も与えて頂き、嬉しいし仕事もしやすいです。ただ、父が許さないと思います」
「蘇芳さんか……」
 誠一は腕を組み、天井を見上げた。
 豪華なシャンデリアがふたりを照らし、特別な人間になった気がした。
「蘇芳さんによほど愛されているんだろうね」
「過保護というか、他の人とは違う愛情を受けているとひしひしと感じます」
「違う愛情?」
「父は美術品を愛でるのが大好きですから。私も父のコレクションの一つです。妾がたくさんいて、美しい子を産ませるのに必死なんです」
 誠一は眉間に眉を寄せ、憐れみの目を向ける。
「君は生きて感情もある人間だ。美術品なんかじゃない。もちろん、君は美しいけれども。……正直、君の容姿は本当に魅力的に思えている。容姿だけではなく、心の清らかさも」
 咲は目を見開き、ぼんやりと彼を見た。
 冗談を言っている顔ではなく、真剣に咲を射抜いていた。
「心の清らかさなんて、私とは無縁のものです。葉山先生の方がよほど綺麗でいらっしゃいます」
「咲君……」
「ケーキ、ありがとうございます。こんなに大きなケーキは食べきれないと思いましたが、すべて頂きました」
「よろしければまた買ってこよう。住み込みの件だが、私から君の父上に話していいかな?」
 腕を掴まれた。大きくてやけに温度が高い。
 細い腕などあっという間に包まれる。
 悩みながらも、咲は小さく頷いた。

 仕事から帰ると蘇芳は帰ってきて、機嫌があまり良くなかった。
「住み込みの件、聞いたぞ。なぜそんな話になった?」
「驚かせてしまい申し訳ございません。修復作業に時間がかかりそうで、葉山先生が毎回来てもらうのが申し訳ないと話が出たのです」
 蘇芳は唸る。納得も賛成もしていない顔だ。
「お前はすぐに住むと返事を出したそうだな」
 咲は驚くが、できるだけ無表情を貫いた。
 住み込みで働くかどうかは、返事はまだ出していない。自分の知らないところですでに働く気でいる話になっている。誠一がうまいこと話をつけようとしているのだと悟った。
 ばれないように、咲は伏せ目がちに唇を開いた。
「私はもうお父様の子供ではありません。しっかりと独り立ちできるかどうか、試したいのです。それに衣食住もご用意すると約束して下さいました」
「いいじゃないの、それくらい。二度と会えないわけじゃないんだし」
 奥の襖から母のロザンナが顔を出した。胸元を大いに開け、膨らみが半分ほど見えている。
 光が当たらない性癖や息子でなければ魅力的に思えただろうが、見えない血の繋がりはしっかり感じ取っているようで、咲は嫌悪感しかなかった。
 父よりも母に似た顔は、栗色とエメラルドの瞳を受け継いだ。この顔では父の美術品という扱いにもなる。
「週末くらいは帰ってきたら? それが条件で」
「咲はまだ子供だ」
「子供ってもう二十五歳よ? どこが子供よ。あなたにとっては子供でいてほしいんでしょうが、この子だって結婚して子供がいてもおかしくない年齢だわ。跡継ぎがほしいのなら、外に出してやるべきよ。あなたが外で遊びまわっていて、自分の子供はダメなんて虫が良すぎるわよ」
 蘇芳相手にここまで言えるのは、ロザンナくらいだろう。
 気の強い女が好みで、妾も見た目は違えど性格は似たり寄ったりのタイプだった。
「お母様、ありがとうございます」
 蘇芳の返事を待たずにお礼を言えば、蘇芳か折れるしかなくなる。
「ロザンナのいう通り、週末は帰ってくること。いいな?」
「はい」
「もう下がっていい」
「失礼致しました」
 機嫌はあまりよろしくないが、あとはロザンナがどうにかしてくれる。
 ロザンナは蘇芳を奥の部屋へ誘う。蘇芳は咲を未練がましく見つめている。
 ロザンナがいなければ、また奥の部屋で縛りつけられて二つの視線を浴びることになる。洋酒を片手にじっくりと身体を堪能して、嬲られる。蛇のような目に見られると、恐ろしくて助けを呼ぶ声も出せなくなった。
 お前はコレクションだと言われている。
 視線で縛られ、何か本当か判らなくなっていた。
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