56 / 66
第一章 贄と学園の謎
056 前代未聞の出来事は心を惑わす
しおりを挟む
咲紅の肩を抱いて本署にある自室へ戻った。
蛇の肌のようにひんやりとしている。唇は青く、肌の色に血の気がない。
彼が好むロイヤルミルクティーを淹れると、咲紅の目にはいくらか色が戻った。
「なんでか判らないんだ。どうして神殿にいたのかも、何を考えていたのかも」
「いきなり意識を失った?」
「──そうかも。意識がふと途切れて、気づいたら神殿の前にいた。でもまったく意識がなかったわけじゃないんだ。俺と大蛇のみしか存在しない世界になって、大蛇が俺に話しかけてた。日に日に……言葉が理解できるようになっていってて……」
「何を言っていた?」
咲紅は紫影を見つめた後、まぶたを閉じた。
「夢か、現実か、希望か、絶望か判らないんだ。だから、一緒に考えてほしい。大蛇は、助けを求めてた」
「助け?」
「──自身を助けてほしい、眠る蛇たちを弔ってほしい」
「眠る蛇たち?」
「俺もよく判らない。意識朦朧で、俺が呼びかけることもできなかったんだ」
「咲紅、蛇と会話はどれくらいできる?」
「ほぼ、意思疎通はできる」
言いづらそうに、咲紅は俯いた。
「大蛇とはどうだ。完璧に近いくらい判るのか?」
「直接会ったら、もしかしたら前よりできるようにはなってるかも。でも……」
「無理に会わせるつもりもない。心配しなくていい」
「うん……」
咲紅にとって、あの大蛇はトラウマとなってしまっていた。
無理やり対面させた紫影としては心が痛みもするが、好奇心旺盛の息子を判らせるには、危機感を持ってもらう方法しかなかった。
「大蛇が俺に呼びかけてくるんだ。今日も……俺の名前を呼び続けてた。本部が慌ただしくなっているから気をつけろって」
「そんなことまで判るのか」
紫影は驚愕し、咲紅の顎に指をかけて持ち上げた。
咲紅は頬を染めて視線を泳がせる。
「そんなことまで? 本部で何かあったのか?」
「黄羅が死んだ」
咲紅は息を呑むと、次第に目が潤んでくる。
「嫌な奴だったけど……紫影のお兄さんだし、会ったことのある人だから……なんていうか、すごい複雑」
「ありがとう。咲紅にとっていい想い出は何もないだろうが、弔う心を持ってくれると、いくらか救われる。最後に意識を取り戻して、兄が羨ましかった、と呟いたそうだ」
「黄羅からしたら、どんな形であれ血の繋がった兄は愛情を親から向けられているし、息子にも……愛されてるし。隣の芝生は青く見えるもんだし。最期の言葉通り、羨望はあったんだと思う」
「息子に愛されていて嬉しいよ。お前が側にいてくれてよかった」
「こういうとき、落ち込んでいいと思う」
「今だけは少し休ませてくれ。明日は朝一で本部へ行く」
「添い寝する?」
「ああ、してくれ」
息子が側にいてくれて、心が浄化されていく。
弟の作った毒で殺されそうになり、父や母から愛情を向けられることもなく、天へ昇った弟。もう少し愛情を向けていたら、関係は変わっていただろうか。
紫影から黄羅が亡くなったと聞かされた朝、生徒全員が聖堂に集められた。
初等部から白神学園で過ごしてきて、教祖の身内が亡くなったと学園長から知らされたのは初めてだった。家族だろうが本部の関係者だろうが、絶対に外の世界の話を輸入されることはない。前代未聞が起こった今、何かの企みがあるのかもしれないと咲紅は身を固くした。
「具体的な日にちはまだ決まっていないが、天龍の儀を我が学園でも行うこととなった」
学園長の声がマイクを通して響き、辺りがざわついた。
天龍の儀とは、死者を弔う儀式のことだ。白蛇の子である我らが命を落とすと龍となって天へ昇るため、この名がついた。
「今までなかったよね、こんなこと……」
「教祖様ならともかく、息子の黄羅が?」
「つーか黄羅って教祖様の息子だったんだ……」
学園長が静粛に、と言っても雑談は止まらない。
それどころかなきさけぶ者も出る始末だ。
「皆さん、どうかお静かに。まだ話は終わっていませんよ」
警備隊副隊長の葵が声を上げると、しんと静寂が訪れた。
「葵さん、納得できないです。なぜ黄羅なんですか? あいつ、贄生の僕たちにもひどい態度をとり続けてたんですよ」
「俺は嫌だね。黄羅に対しては弔う気持ちもなし」
贄生が言い始めると、途端に回りも止まらなくなった。
「具体的なことは何も聞かされていません。今は紫影隊長が本部へ行き、詳しい話を伺っている最中です。全生徒は隊長が戻ってくるで勉学に励み、いつも通り待つように」
学園長が言うより、葵の言葉は説得力がある。たまにしか現れない学園長よりも、生徒に優しく人気の高い葵だからこそだ。
千歳が俯いたままだったので、咲紅は手を握った。すると千歳は顔を上げて、表面ばかりの笑顔を作る。
「今日、手繋いでてほしい」
「千歳が落ち着くまでずっと繋いでるよ。体調良くなったんなら、散歩でもする?」
「うん」
聖堂を出た後は贄生宿舎に戻るふりをして、こっこり温室までやってきた。
温室近くで浅葱に襲われたと聞いたが、千歳は特に気にする様子はなく、咲紅はほっと息を吐く。
「さっちゃんって温室好きなの?」
「そうだな。けっこう落ち着く。わりと植物が好きなのかも。薔薇だけじゃなく、食虫植物もあるだろ? 面白いんだよな」
「わかる。こっそり実ってるバナナは食べちゃだめかな?」
「それは食堂に行ってもらってきた方がいい」
笑うと、引きずられて千歳も笑顔を見せた。
「子供のときみたいだね。初等部にいたときも、僕が迷子になって泣いてたのを、さっちゃんが手を繋いでくれて助けてくれたんだよね」
「あったな、そういうこと」
「本当のお兄ちゃんならいいって思ってた」
「千歳は俺の弟だよ」
「うん……もし、僕が本部に行ったり、悪者にさらわれたりしたら、助けてくれる?」
「本部? 急にどうした?」
「例えばの話だよ」
「助けるに決まってる。けど一人じゃ何もできないから、現実は警備隊に相談するかな。葵さんとか、紫影とか」
いきなり本部の話を持ち出したのは気にはなったが、味方が大勢いると、彼に伝えたかった。
「一緒に大学部へ行って、たくさん勉強して遊んで、いずれ外の世界へ行こう」
「そういう人生を、僕も望んでいるよ」
千歳は弱々しく呟くと、大きな瞳が濡れていた。
不安に駆られたのは咲紅だ。
希望よりも絶望に包まれた千歳の目には、何が見えているのだろう。
巫覡である咲紅と、無縁の千歳とは立場が違う。千歳にしてみたら未来ある世界が広がっているのに、なぜこんなに悲観するのだろう。
千歳は手を握り返してくるので、咲紅は両手で彼の手を包んだ。
蛇の肌のようにひんやりとしている。唇は青く、肌の色に血の気がない。
彼が好むロイヤルミルクティーを淹れると、咲紅の目にはいくらか色が戻った。
「なんでか判らないんだ。どうして神殿にいたのかも、何を考えていたのかも」
「いきなり意識を失った?」
「──そうかも。意識がふと途切れて、気づいたら神殿の前にいた。でもまったく意識がなかったわけじゃないんだ。俺と大蛇のみしか存在しない世界になって、大蛇が俺に話しかけてた。日に日に……言葉が理解できるようになっていってて……」
「何を言っていた?」
咲紅は紫影を見つめた後、まぶたを閉じた。
「夢か、現実か、希望か、絶望か判らないんだ。だから、一緒に考えてほしい。大蛇は、助けを求めてた」
「助け?」
「──自身を助けてほしい、眠る蛇たちを弔ってほしい」
「眠る蛇たち?」
「俺もよく判らない。意識朦朧で、俺が呼びかけることもできなかったんだ」
「咲紅、蛇と会話はどれくらいできる?」
「ほぼ、意思疎通はできる」
言いづらそうに、咲紅は俯いた。
「大蛇とはどうだ。完璧に近いくらい判るのか?」
「直接会ったら、もしかしたら前よりできるようにはなってるかも。でも……」
「無理に会わせるつもりもない。心配しなくていい」
「うん……」
咲紅にとって、あの大蛇はトラウマとなってしまっていた。
無理やり対面させた紫影としては心が痛みもするが、好奇心旺盛の息子を判らせるには、危機感を持ってもらう方法しかなかった。
「大蛇が俺に呼びかけてくるんだ。今日も……俺の名前を呼び続けてた。本部が慌ただしくなっているから気をつけろって」
「そんなことまで判るのか」
紫影は驚愕し、咲紅の顎に指をかけて持ち上げた。
咲紅は頬を染めて視線を泳がせる。
「そんなことまで? 本部で何かあったのか?」
「黄羅が死んだ」
咲紅は息を呑むと、次第に目が潤んでくる。
「嫌な奴だったけど……紫影のお兄さんだし、会ったことのある人だから……なんていうか、すごい複雑」
「ありがとう。咲紅にとっていい想い出は何もないだろうが、弔う心を持ってくれると、いくらか救われる。最後に意識を取り戻して、兄が羨ましかった、と呟いたそうだ」
「黄羅からしたら、どんな形であれ血の繋がった兄は愛情を親から向けられているし、息子にも……愛されてるし。隣の芝生は青く見えるもんだし。最期の言葉通り、羨望はあったんだと思う」
「息子に愛されていて嬉しいよ。お前が側にいてくれてよかった」
「こういうとき、落ち込んでいいと思う」
「今だけは少し休ませてくれ。明日は朝一で本部へ行く」
「添い寝する?」
「ああ、してくれ」
息子が側にいてくれて、心が浄化されていく。
弟の作った毒で殺されそうになり、父や母から愛情を向けられることもなく、天へ昇った弟。もう少し愛情を向けていたら、関係は変わっていただろうか。
紫影から黄羅が亡くなったと聞かされた朝、生徒全員が聖堂に集められた。
初等部から白神学園で過ごしてきて、教祖の身内が亡くなったと学園長から知らされたのは初めてだった。家族だろうが本部の関係者だろうが、絶対に外の世界の話を輸入されることはない。前代未聞が起こった今、何かの企みがあるのかもしれないと咲紅は身を固くした。
「具体的な日にちはまだ決まっていないが、天龍の儀を我が学園でも行うこととなった」
学園長の声がマイクを通して響き、辺りがざわついた。
天龍の儀とは、死者を弔う儀式のことだ。白蛇の子である我らが命を落とすと龍となって天へ昇るため、この名がついた。
「今までなかったよね、こんなこと……」
「教祖様ならともかく、息子の黄羅が?」
「つーか黄羅って教祖様の息子だったんだ……」
学園長が静粛に、と言っても雑談は止まらない。
それどころかなきさけぶ者も出る始末だ。
「皆さん、どうかお静かに。まだ話は終わっていませんよ」
警備隊副隊長の葵が声を上げると、しんと静寂が訪れた。
「葵さん、納得できないです。なぜ黄羅なんですか? あいつ、贄生の僕たちにもひどい態度をとり続けてたんですよ」
「俺は嫌だね。黄羅に対しては弔う気持ちもなし」
贄生が言い始めると、途端に回りも止まらなくなった。
「具体的なことは何も聞かされていません。今は紫影隊長が本部へ行き、詳しい話を伺っている最中です。全生徒は隊長が戻ってくるで勉学に励み、いつも通り待つように」
学園長が言うより、葵の言葉は説得力がある。たまにしか現れない学園長よりも、生徒に優しく人気の高い葵だからこそだ。
千歳が俯いたままだったので、咲紅は手を握った。すると千歳は顔を上げて、表面ばかりの笑顔を作る。
「今日、手繋いでてほしい」
「千歳が落ち着くまでずっと繋いでるよ。体調良くなったんなら、散歩でもする?」
「うん」
聖堂を出た後は贄生宿舎に戻るふりをして、こっこり温室までやってきた。
温室近くで浅葱に襲われたと聞いたが、千歳は特に気にする様子はなく、咲紅はほっと息を吐く。
「さっちゃんって温室好きなの?」
「そうだな。けっこう落ち着く。わりと植物が好きなのかも。薔薇だけじゃなく、食虫植物もあるだろ? 面白いんだよな」
「わかる。こっそり実ってるバナナは食べちゃだめかな?」
「それは食堂に行ってもらってきた方がいい」
笑うと、引きずられて千歳も笑顔を見せた。
「子供のときみたいだね。初等部にいたときも、僕が迷子になって泣いてたのを、さっちゃんが手を繋いでくれて助けてくれたんだよね」
「あったな、そういうこと」
「本当のお兄ちゃんならいいって思ってた」
「千歳は俺の弟だよ」
「うん……もし、僕が本部に行ったり、悪者にさらわれたりしたら、助けてくれる?」
「本部? 急にどうした?」
「例えばの話だよ」
「助けるに決まってる。けど一人じゃ何もできないから、現実は警備隊に相談するかな。葵さんとか、紫影とか」
いきなり本部の話を持ち出したのは気にはなったが、味方が大勢いると、彼に伝えたかった。
「一緒に大学部へ行って、たくさん勉強して遊んで、いずれ外の世界へ行こう」
「そういう人生を、僕も望んでいるよ」
千歳は弱々しく呟くと、大きな瞳が濡れていた。
不安に駆られたのは咲紅だ。
希望よりも絶望に包まれた千歳の目には、何が見えているのだろう。
巫覡である咲紅と、無縁の千歳とは立場が違う。千歳にしてみたら未来ある世界が広がっているのに、なぜこんなに悲観するのだろう。
千歳は手を握り返してくるので、咲紅は両手で彼の手を包んだ。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?
桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。
前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。
ほんの少しの間お付き合い下さい。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?
パブリック・スクール─薔薇の階級と精の儀式─
不来方しい
BL
教団が営むパブリックスクール・シンヴォーレ学園。孤島にある学園は白い塀で囲まれ、外部からは一切の情報が遮断された世界となっていた。
親元から離された子供は強制的に宗教団の一員とされ、それ相応の教育が施される。
十八歳になる頃、学園では神のお告げを聞く役割である神の御子を決める儀式が行われる。必ずなれるわけでもなく、適正のある生徒が選ばれると予備生として特別な授業と儀式を受けることになり、残念ながらクリスも選ばれてしまった。
神を崇める教団というのは真っ赤な嘘で、予備生に選ばれてしまったクリスは毎月淫猥な儀式に参加しなければならず、すべてを知ったクリスは裏切られた気持ちで絶望の淵に立たされた。
今年から新しく学園へ配属されたリチャードは、クリスの学年の監督官となる。横暴で無愛想、教団の犬かと思いきや、教団の魔の手からなにかとクリスを守ろうする。教団に対する裏切り行為は極刑に値するが、なぜかリチャードは協定を組もうと話を持ちかけてきた。疑問に思うクリスだが、どうしても味方が必要性あるクリスとしては、どんな見返りを求められても承諾するしかなかった。
ナイトとなったリチャードに、クリスは次第に惹かれていき……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる