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第一章 贄と学園の謎

042 望まない儀式

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「私では不本意だと思いますが、儀式を成功させるために最善を尽くすつもりです」
「俺、こんな態度ですけど気にしなくていいです。蜜香さんが嫌なわけじゃなく、紫影以外が嫌なだけですから」
 蜜香は力強く頷いた。
「よほど、紫影さんが好きなのですね」
 そう言われると照れるものがあり、咲紅は返事をしなかった。
「お友達も心配していらっしゃるようですし、今日はこの辺で」
 向こうから玄一が走ってくるのが見える。
 蜜香ははにかむと、踵を返した。
「蜜香さんなのか?」
「ああ。良いんだか悪いんだか。でも紫影が選んだ人だから、なんとか乗り切ってみせるよ」
「悪くないと思う。黄羅よりは」
「まあ、そうだな。帰ろう」
 玄一のことを『お友達』と言っていた。一緒にいる姿を見られたつもりはなかったが、よく連んでいると知らなければ友達とは出てこない。
 玄一も同じ空気を感じ取り、警戒心を露わにした。



 特製の睡眠薬を飲ませれば、梅愛はおとなしくなった。
 万病に効く薬はないが、睡眠不測は大敵である。薬のおかげというより、寝不足から解放されたからだ。
 部屋から出ると、叔父の銀郭がすでに待っていた。
「梅愛様の体調はいかがでしょうか?」
「とりあえず暴れ回るようなことはしない。咲紅の様子は?」
 紫影がいなくなって、初めての御霊降ろしが行われた。
「それが……残念ながら、うまくは行かず、咲紅を巫覡にすることは叶わなかったようです」
「そうか。それは残念だ」
 黒い監視カメラが向いている以上、本音は呑み込むしかないが、紫影はそっと胸を撫で下ろした。
 紫影は銀郭とともにエレベーターで降りた。
 部屋に銀郭を招き入れると、銀郭はキッチンへ立つ。
「朝食は俺が作ろう」
 二人きりになると、銀郭は作られた柔らかな物腰は止め、腕まくりをした。
「頼む」
 紫影はソファーに身体を沈め、眉間の辺りを揉み解した。
「御霊降ろしは、咲紅が緊張してしまい、無理強いが出来なかったそうだ」
「そうか」
 失敗したのだから、そう理由を作らざるを得ない。
 今のところ、策略通りだ。咲紅には手紙とともに睡眠薬ともう一つ薬を渡している。御霊降ろしの儀が行われた日は、ちょうど甘縁祭があった。作った菓子に睡眠薬を混ぜ、代理の審判者である蜜香へ食べさせたのだろう。
 時間稼ぎに過ぎないし、咲紅の儀式がしっかり行われなければ紫影が戻されることがないが、その間に梅愛の体調を万全に戻すことだ。
「痩せたな」
「梅愛を相手にしているからだろう。薬を飲ませなければ、朝まで離してもらえない」
「てっきり咲紅の心配をしているからだと思っていたが」
「それが一番大きい」
「咲紅は落ち着いているそうだ。代わりに、蜜香が責任を感じて思いつめているらしい。こうなったのも、お前の想定内か?」
「蜜香については判りかねるが、咲紅が頭の良い子と信じていた」
「問題はこのあとだぞ。おそらくは蜜香では駄目だと判断されて、黄羅をねじ込んでくるに違いない」
「それも想定内だ」
 本来ならば使いたくない手だが、もう一つの薬に頼り、咲紅は蛇の寵愛を受けてはいない人間だと知らしめなければならなかった。
「なるべく早く、学園に戻れるようにする」
「ああ、それがいい」
 愛しい息子のために、睡眠薬を多めに入れて永遠の眠りを見せてやりたい、とさえ思ってしまう。
 母親に対して憎しみの感情が出てしまうのは、無理やり咲紅を奪ったことが大きい。
 生きたまま埋めて火をつけようとしたり、川へ投げた女だ。
 引き離されて泣き叫ぶ咲紅を見て優雅に扇子で仰ぐ姿は、今でも目に焼きついている。
 それでも非情になれないのは、やはり生みの親だからだ。たったそれだけでも、呪いのように親の愛が呪縛となる。



 朝食前、咲紅は聖堂へ足を運んでいた。
 金色に輝く蛇はこちらを見下ろし、何か言いたそうに見えた。
 腰をかがめ、白蛇への祈りを捧げる。
 信仰深いわけではないが、効果は実感できている節があった。
 祈りを捧げた日は、決まって蛇に助けられることが多かった。巫覡になってからは余計にそう感じた。
 紫影がいなくなってから、初めての御霊降ろしの儀は、成功といっていい。
 前日に行われた甘縁祭で、何食わぬ顔で生徒と菓子を作った。自分で食べる分に、紫影から手紙とともに渡された液体タイプの睡眠薬を染み込ませ、祭りのお裾分けだと蜜香に振る舞う。
 騙された蜜香は薬で眠り、朝まで起きなかった。
 申し訳ない気持ちと、紫影と生きるために選んだ道は、容赦なく回りを犠牲にした。
 責任感の強い蜜香は咲紅を責めず、生徒を守りたい気持ちの間で捕らわれた。
 蜜香は教団へ、単に緊張で失敗したと伝えた。薬で眠らされたなどと言えば、咲紅が責任を取らされるからだ。
 紫影と初めての御霊降ろしでは、紫影も似た手を使った。違和感のない誤魔化しは、紫影はこうなることをあらかじめ予測していたようで、希望が生まれた。
 だが二度目はこうもいかないことは判っている。
 蜜香は何が何でも儀式を成功させようとするし、同じ手は喰らわない。そのための二つ目の薬だ。
 こちらは賭けである。うまくいけば、教団からの疑いはシロよりのグレーとなる可能性だってある。今はほぼクロだ。
「白蛇様、どうかご加護を……」
「随分と熱心ですね」
「葵さん」
「千歳があなたと朝食を食べたいと探していましたよ」
「すみません、すぐに戻ります」
 気づけば、もう七時だ。一時間以上、聖堂にいたことになる。
「蜜香さんは大丈夫ですか?」
「あまり大丈夫とは言えないですね。本人は気丈に振る舞っていますが、儀式を成し遂げられなかったことに、かなり参っています」
「逆に俺が元気で申し訳ないですね」
 まったく申し訳なさそうな顔はしておらず、葵は苦笑いだ。
「近いうち、また儀式が始まります。次が本番だと思って下さい。それ相応の準備をお願いします」
「はい。わざわざ知らせに来てくれたんですか?」
「前隊長からあなたをお願いされている立場ですので。さあ、食堂へ行きますよ」
 甘縁祭で作ったポルボロンはまだ残っている。
 手口を知られている以上、これはもう使えない。
 神の祈りと、自分の能力を信じるしかない。
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