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第一章 贄と学園の謎
040 見えない駆け引き
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最後の仕上げは任せろと自信満々に言うので任せたはずが、マヨネーズの蓋が外れ大惨事となった。
「前もこういうときあったな。俺らがガキの頃」
「ああ。あのときもお前は小汚いものを俺に押しつけ、自分は形の良いお好み焼きを取った。年上のやることじゃないと憐れんだ」
「懐かしいなあ。学園ではお好み焼きは出るのか?」
「たまに。いつか自分で作る楽しさを味わわせたいものだ」
「いいよなあ。俺も一目でいいからさっちゃんに会いたい。大きくなってるだろう?」
「かなりな。身長も百七十センチを超えて、食事もよく取る」
「写真とかないわけ?」
「カメラやスマホの類は持ち込み禁止だ」
「不便なところだな」
「スマホを落として贄生の手に渡った場合がまずい。外に助けを求められでもしたら、学園の秘密が漏れる恐れがある」
緋一は白蛇を崇める教団ではないからこそ、紫影は事情を話している。
もしもの場合に備え、教団の関係者ではない人に内情を把握してもらいたいからだ。不測の事態があったとき、咲紅を誰かに預けなければならなくなったときなど、いろんな『例えば』が頭をよぎる。
「こっそり中に入ってみたいなあ」
紫影は箸を止め、お好み焼きから顔を上げた。
「こっそりといえば、お前の兄の件だ。学園に潜り込んできて、大騒ぎになった」
「聞いた聞いた。悪かったよ、ほんとに。俺もこっぴどく叱ったし、これ以上怒らないでやってくれ。兄貴のしたことはそっち側からしたら大罪だろうけど、俺たちの立場からしたら忘れ形見の可愛い甥に会いたかっただけなんだ」
「今はどこに?」
「海外だよ。仕事でね」
「であれば助かる。あいつは一度死んだ人間だ。日本で堂々とうろうろされては困る」
「兄貴の顔は教団の連中に見られてないわけ?」
「たまたま居合わせた俺と咲紅だけだ。カメラの死角であったし、問題はない。すぐに神殿の中へ放り込んだからな」
咲紅に会いたく潜り込んできた男──咲紅の伯父は、医者でありながらも貿易の仕事も行っている。
付けっぱなしのテレビでは、子供が公園で遊ぶシーンが流れていた。
年齢は三歳くらいだろう。無邪気で一生懸命に覚えたての言葉を喋り、つい咲紅と重ねてしまう。
「お前から子育てに協力してくれって言われたときは、頭がおかしくなったのかと思った」
「あのときは助かった。感謝している」
「お前に感謝されるとつい欲張っていろんなお願いをしたくなっちゃうね」
「叶えてやりたいが、今は余裕がない。咲紅が大学部を無事に卒業してあの学園を出られたら、だ。マンションでもなんでも買ってやる」
「それはいらない。俺は和風の一軒家が好きなの。さっちゃんと一緒に旅行できる券とかならほしい」
「……………………」
「あれ?」
「それは咲紅の気持ちを優先したい」
「とか言いつつ、めっちゃ不服そうなんですけど。『咲紅が俺以外に懐く姿は見たくなあい』とか?」
「いいから早く食べろ。冷める」
残りの生地をプレートに流し、今度は海鮮を乗せる。
「さっきの話に戻るけど、お前がいなくて大丈夫なわけ? 葵さんや玄ちゃんは頼れる存在だろうけど、黄羅は脅威だろ? しかも教団のトップはお前の味方にならずに黄羅と手を組むだろうし。さっちゃんが巫覡だって知られたら、即教団に奪われるぜ」
「未曾有の事態も含め、いくつか葵たちと話はしてある。葵は咲紅より大切な者がいるが、咲紅がいなくなると大切な者まで危険にさらすと判っているからな。教団と俺。どちらの味方につけば千歳を守れるのか葵は理解している」
蛇の言葉が判るというのは、蛇と意思疎通が取れるということ。咲紅がこちらにいれば、兄弟のように仲が良い千歳を絶対に見捨てず、なおかつ蛇を操り教団から千歳も守ってくれる。咲紅は望まなくても、蛇は千歳の味方となる。
葵も黒鼠だが、彼はそれほど蛇と心が通い合っているわけではない。
咲紅本人は気づいていないが、時間が経つごとに古代語を理解しつつあり、それは教団は喉から手が出るほどほしい存在だ。それ以上に、教団は他の人間に咲紅の能力が渡るのを恐れている、が正しいのかもしれない。
「美人な母さんの世話もいいけど、ある程度目処つけないと一生離してくれないぞ」
「そうだな。そっちはまだ模索中だ。解決策が見当たらない。俺が側にいれば、体調は良くならないだろうしな。一生、詐病を使われる」
「ま、時間が解決ってこともあるから」
二枚目のお好み焼きが焼き上がった。
「お前がいなくなって、さっちゃんの担当はどうなるわけ?」
「蜜香という男に頼むことにした。現状、彼しかいない」
「どんな男? 俺は会ったことないよな?」
「ないな。優等生タイプで、信仰心のある男だ。瑠璃を巫覡にした男でもあ?」
「それ、ヤバいんじゃないの? さっちゃんが巫覡ってバレたらどうする?」
「こちら側についているわけじゃないが、教祖にもついているわけじゃない。あくまで白蛇に対する信仰心が厚いだけだ。優等生なのは利点もあるが、真面目な分、誤魔化しもきく。無理強いは決してしない男だ。咲紅がうまくはぐらかせると信じている」
瑠璃が巫覡と判明してから行われた蕾桜の儀では、隊長の紫影や審判者である蜜香、本部の従者も交えて行われた。
紫影は瑠璃の様子というより、蜜香の態度をずっと見ていた。もし咲紅の元を離れなければならなくなったとき、まだましだと思える人を選択しなければならないからだ。
決して無理強いはせず、瑠璃の心に寄り添う姿は、優しさもあり審判者として全うしようという意思が感じられる。
くわえて巫覡を生み出した功績があり、紫影自ら候補に彼の名をあげれば、咲紅を巫覡にしたくなくて審判者になったという本部からのグレーゾーンを少しでも脱却できると考えた。
葵に託した咲紅への手紙は、今頃読んでくれていることだろう。
緋一は箸を置き、立ち上がった。
持ってきたのはDVDだ。それをセットすると、テレビ画面には幼児の咲紅が映し出される。
ハイハイしかできなかった咲紅は、紫影の腕を掴んで立ち上がる。
数か月すると、咲紅は走り回るまでになっていた。
呼び方も『しー』から『しーちゃん』に変わり、今は『紫影』とはっきり呼べるまでなっている。成長の早さは感無量だが、五歳から十七歳まで間が抜けていることは悔やまれる。
「隊長交代の……お知らせ」
光ったモニターに映る、聞きたくもない文字。
隊長は紫影から葵になり、副隊長は黄羅に任命するという、地獄の始まりの一文だった。
「どうして紫影が……」
愕然としすぎていて、扉のノックする音に気づかなかった。
ふらふらになりながら扉を開けると、心配そうな顔で見つめる玄一がいた。
「咲紅、ちょっといいか?」
「玄一……俺……」
ふらつく咲紅の身体を、玄一は抱き留めた。
「知っていたのか? 玄一には話して、俺には話さなかったのか?」
「今回の件だけじゃない。不測の事態に備えて、紫影さんは事前に俺に話してある」
「不測の事態……?」
「咲紅に説明どころか挨拶すらせずに目の前から消えた場合の話だ。いずれ葵さんからも何かしらあるのかもしれないが、まずは落ち着いて聞いてほしい」
玄一は咲紅を部屋に押し込み、自身も中へ身体を滑り込ませた。
「紫影さんの母君の調子がよくないらしいんだ。精神的なものだろうと言われているが、ずっと嫡男である紫影さんの名を呼び続けている」
紫影は母親とあまり仲がよくないとは聞いている。紫影に薬や毒の知識を叩き込んだ張本人であり、砕けた話はできない人物だろうと考えていた。
「教祖様が直々に紫影さんをお呼びになった。咲紅を置いても行くしかなかったんだ。立場上の問題が大きい。それは判るな?」
「ああ、大丈夫。っていうか、紫影が教祖の嫡男だって知ってたんだな」
「位の高い方だとは知っていた。俺が素性を聞いたのは、つい最近だ。教祖様は何が何でも、咲紅と紫影さんを離そうとしている」
「俺を巫覡にしようとしているからだな」
正確には巫覡になっているが、ばれればただでは済まない。
「ああ、そうだ。期待されていて、紫影さんが阻止しているんじゃないかと疑いの目を向けられている。黄羅を副隊長にしたのも、教祖様の命があったからだ」
「立場的には黄羅がなってもおかしくないと思う。あいつも一応、教祖の息子だし。けど……」
「審判者についてほとんど判らない黄羅がいきなり隊長では、さすがに無理だと教祖様も判断したんだろうな。俺たちは葵さんを立てて、紫影さんが戻ってくるまで待てばいい」
「うん……判る。大丈夫。でも……俺の審判者はどうなるんだ?」
「空いている人間がなることになるだろう」
「それだと黄羅の可能性もあるよな」
玄一は無言で頷いた。
「前もこういうときあったな。俺らがガキの頃」
「ああ。あのときもお前は小汚いものを俺に押しつけ、自分は形の良いお好み焼きを取った。年上のやることじゃないと憐れんだ」
「懐かしいなあ。学園ではお好み焼きは出るのか?」
「たまに。いつか自分で作る楽しさを味わわせたいものだ」
「いいよなあ。俺も一目でいいからさっちゃんに会いたい。大きくなってるだろう?」
「かなりな。身長も百七十センチを超えて、食事もよく取る」
「写真とかないわけ?」
「カメラやスマホの類は持ち込み禁止だ」
「不便なところだな」
「スマホを落として贄生の手に渡った場合がまずい。外に助けを求められでもしたら、学園の秘密が漏れる恐れがある」
緋一は白蛇を崇める教団ではないからこそ、紫影は事情を話している。
もしもの場合に備え、教団の関係者ではない人に内情を把握してもらいたいからだ。不測の事態があったとき、咲紅を誰かに預けなければならなくなったときなど、いろんな『例えば』が頭をよぎる。
「こっそり中に入ってみたいなあ」
紫影は箸を止め、お好み焼きから顔を上げた。
「こっそりといえば、お前の兄の件だ。学園に潜り込んできて、大騒ぎになった」
「聞いた聞いた。悪かったよ、ほんとに。俺もこっぴどく叱ったし、これ以上怒らないでやってくれ。兄貴のしたことはそっち側からしたら大罪だろうけど、俺たちの立場からしたら忘れ形見の可愛い甥に会いたかっただけなんだ」
「今はどこに?」
「海外だよ。仕事でね」
「であれば助かる。あいつは一度死んだ人間だ。日本で堂々とうろうろされては困る」
「兄貴の顔は教団の連中に見られてないわけ?」
「たまたま居合わせた俺と咲紅だけだ。カメラの死角であったし、問題はない。すぐに神殿の中へ放り込んだからな」
咲紅に会いたく潜り込んできた男──咲紅の伯父は、医者でありながらも貿易の仕事も行っている。
付けっぱなしのテレビでは、子供が公園で遊ぶシーンが流れていた。
年齢は三歳くらいだろう。無邪気で一生懸命に覚えたての言葉を喋り、つい咲紅と重ねてしまう。
「お前から子育てに協力してくれって言われたときは、頭がおかしくなったのかと思った」
「あのときは助かった。感謝している」
「お前に感謝されるとつい欲張っていろんなお願いをしたくなっちゃうね」
「叶えてやりたいが、今は余裕がない。咲紅が大学部を無事に卒業してあの学園を出られたら、だ。マンションでもなんでも買ってやる」
「それはいらない。俺は和風の一軒家が好きなの。さっちゃんと一緒に旅行できる券とかならほしい」
「……………………」
「あれ?」
「それは咲紅の気持ちを優先したい」
「とか言いつつ、めっちゃ不服そうなんですけど。『咲紅が俺以外に懐く姿は見たくなあい』とか?」
「いいから早く食べろ。冷める」
残りの生地をプレートに流し、今度は海鮮を乗せる。
「さっきの話に戻るけど、お前がいなくて大丈夫なわけ? 葵さんや玄ちゃんは頼れる存在だろうけど、黄羅は脅威だろ? しかも教団のトップはお前の味方にならずに黄羅と手を組むだろうし。さっちゃんが巫覡だって知られたら、即教団に奪われるぜ」
「未曾有の事態も含め、いくつか葵たちと話はしてある。葵は咲紅より大切な者がいるが、咲紅がいなくなると大切な者まで危険にさらすと判っているからな。教団と俺。どちらの味方につけば千歳を守れるのか葵は理解している」
蛇の言葉が判るというのは、蛇と意思疎通が取れるということ。咲紅がこちらにいれば、兄弟のように仲が良い千歳を絶対に見捨てず、なおかつ蛇を操り教団から千歳も守ってくれる。咲紅は望まなくても、蛇は千歳の味方となる。
葵も黒鼠だが、彼はそれほど蛇と心が通い合っているわけではない。
咲紅本人は気づいていないが、時間が経つごとに古代語を理解しつつあり、それは教団は喉から手が出るほどほしい存在だ。それ以上に、教団は他の人間に咲紅の能力が渡るのを恐れている、が正しいのかもしれない。
「美人な母さんの世話もいいけど、ある程度目処つけないと一生離してくれないぞ」
「そうだな。そっちはまだ模索中だ。解決策が見当たらない。俺が側にいれば、体調は良くならないだろうしな。一生、詐病を使われる」
「ま、時間が解決ってこともあるから」
二枚目のお好み焼きが焼き上がった。
「お前がいなくなって、さっちゃんの担当はどうなるわけ?」
「蜜香という男に頼むことにした。現状、彼しかいない」
「どんな男? 俺は会ったことないよな?」
「ないな。優等生タイプで、信仰心のある男だ。瑠璃を巫覡にした男でもあ?」
「それ、ヤバいんじゃないの? さっちゃんが巫覡ってバレたらどうする?」
「こちら側についているわけじゃないが、教祖にもついているわけじゃない。あくまで白蛇に対する信仰心が厚いだけだ。優等生なのは利点もあるが、真面目な分、誤魔化しもきく。無理強いは決してしない男だ。咲紅がうまくはぐらかせると信じている」
瑠璃が巫覡と判明してから行われた蕾桜の儀では、隊長の紫影や審判者である蜜香、本部の従者も交えて行われた。
紫影は瑠璃の様子というより、蜜香の態度をずっと見ていた。もし咲紅の元を離れなければならなくなったとき、まだましだと思える人を選択しなければならないからだ。
決して無理強いはせず、瑠璃の心に寄り添う姿は、優しさもあり審判者として全うしようという意思が感じられる。
くわえて巫覡を生み出した功績があり、紫影自ら候補に彼の名をあげれば、咲紅を巫覡にしたくなくて審判者になったという本部からのグレーゾーンを少しでも脱却できると考えた。
葵に託した咲紅への手紙は、今頃読んでくれていることだろう。
緋一は箸を置き、立ち上がった。
持ってきたのはDVDだ。それをセットすると、テレビ画面には幼児の咲紅が映し出される。
ハイハイしかできなかった咲紅は、紫影の腕を掴んで立ち上がる。
数か月すると、咲紅は走り回るまでになっていた。
呼び方も『しー』から『しーちゃん』に変わり、今は『紫影』とはっきり呼べるまでなっている。成長の早さは感無量だが、五歳から十七歳まで間が抜けていることは悔やまれる。
「隊長交代の……お知らせ」
光ったモニターに映る、聞きたくもない文字。
隊長は紫影から葵になり、副隊長は黄羅に任命するという、地獄の始まりの一文だった。
「どうして紫影が……」
愕然としすぎていて、扉のノックする音に気づかなかった。
ふらふらになりながら扉を開けると、心配そうな顔で見つめる玄一がいた。
「咲紅、ちょっといいか?」
「玄一……俺……」
ふらつく咲紅の身体を、玄一は抱き留めた。
「知っていたのか? 玄一には話して、俺には話さなかったのか?」
「今回の件だけじゃない。不測の事態に備えて、紫影さんは事前に俺に話してある」
「不測の事態……?」
「咲紅に説明どころか挨拶すらせずに目の前から消えた場合の話だ。いずれ葵さんからも何かしらあるのかもしれないが、まずは落ち着いて聞いてほしい」
玄一は咲紅を部屋に押し込み、自身も中へ身体を滑り込ませた。
「紫影さんの母君の調子がよくないらしいんだ。精神的なものだろうと言われているが、ずっと嫡男である紫影さんの名を呼び続けている」
紫影は母親とあまり仲がよくないとは聞いている。紫影に薬や毒の知識を叩き込んだ張本人であり、砕けた話はできない人物だろうと考えていた。
「教祖様が直々に紫影さんをお呼びになった。咲紅を置いても行くしかなかったんだ。立場上の問題が大きい。それは判るな?」
「ああ、大丈夫。っていうか、紫影が教祖の嫡男だって知ってたんだな」
「位の高い方だとは知っていた。俺が素性を聞いたのは、つい最近だ。教祖様は何が何でも、咲紅と紫影さんを離そうとしている」
「俺を巫覡にしようとしているからだな」
正確には巫覡になっているが、ばれればただでは済まない。
「ああ、そうだ。期待されていて、紫影さんが阻止しているんじゃないかと疑いの目を向けられている。黄羅を副隊長にしたのも、教祖様の命があったからだ」
「立場的には黄羅がなってもおかしくないと思う。あいつも一応、教祖の息子だし。けど……」
「審判者についてほとんど判らない黄羅がいきなり隊長では、さすがに無理だと教祖様も判断したんだろうな。俺たちは葵さんを立てて、紫影さんが戻ってくるまで待てばいい」
「うん……判る。大丈夫。でも……俺の審判者はどうなるんだ?」
「空いている人間がなることになるだろう」
「それだと黄羅の可能性もあるよな」
玄一は無言で頷いた。
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