上 下
39 / 66
第一章 贄と学園の謎

039 教祖の策略

しおりを挟む
 部屋にはおろしたての和服が数着並んでいる。隊服でもなく、何かの役職のものでもない。
「教祖様からだ」
「受け取るわけにはいかないな」
「けど、受け取るしかないのは判っているだろう?」
 叔父の銀郭は、プライベートルームで二人だけになると、とたんに口調を崩した。
「梅愛様の体調が思わしくない。息子の紫影に会いたいと泣き崩れている」
「いよいよ俺と学園と切り離そうとしてきたな。体調が悪かろうが、それを口実にしているだけだ」
 銀郭は深く頷いた。
「お前には不正の疑いがかかっている。息子が贄生に選ばれるのとほぼ同時に審判者へ志願した。疑われても仕方ない」
「教祖様は?」
「今は不在だ。明日には戻られるが……」
「ではまずは梅愛のところへ行こう」
「そうしてくれ。苦労かけるな」
「本部の動きを教えてもらえるだけ助かる。俺がいない間、できれば学園に行ってもらいたいが……」
「それは無理だ。瑠璃様がやってきたばかりだが、次の巫覡が誕生するまでそう遠くないとお達しがあった。教祖様は確信めいていて、まるで御神託を降ろしたかのような言い方だったな」
「俺が学園から離れれば、間違いなくもうひとり誕生すると言いたいんだろう」
 シロよりのグレーどころか、これでは先も見通せないほど真っ黒だ。クロだと教祖は確信している。
「咲紅は大丈夫なのか?」
「葵にも任せてきた。俺自身、教祖に何を言われようが、ここに引きこもるつもりはない」
「それがいい。さすがに厳戒態勢でお前を見張ったりはしないはずだ」
 用意された和服ではなく、元々持っていた紫の着物に着替え、梅愛のいるフロアへ向かう。
「紫影様、ご無沙汰しております」
「母上は?」
「それが……誰も入ってくるなと……」
 紫影はインターホンを押し、帰ってきたと告げる。
 すると、勢いよくドアが開き、梅愛が飛びついてきた。
「ああ、紫影……私の愛する息子……」
「母上、まずは中へ入りましょう」
「誰も私を愛してくれない……教祖様も、儀式ばかりで私を振り向いてくれない……」
「立場というものがあります。教祖様はお忙しい方……我が教団を繁栄させようと、白蛇様へ祈りを捧げ、儀式を全うしようも全力を注いでいる日々です」
「お願い紫影……側にいて……」
「ひとまず、離れて下さい」
 梅愛を中へ入れ、縋る彼女を抱きとめた。香水の香りが鼻につき、頭をかきむしりたくなるほど嫌悪感しかない。神経の一本一本が彼女の吐く二酸化炭素をも拒絶している。
 梅愛の手は徐々に下がり、臀部の辺りを行き来し始める。細い指は割れ目をなぞり、双方を緩やかに掴んだ。
 一度の過ちは片方に亀裂を生み、もう片方に狂愛を生んだ。
 逸脱した行為は紫影の望んだものではなかったが、今は恋仲になった咲紅がいる手前、人質にでも捕られない限り、柔らかな身体に触れることはできない。
「母上、まずは食事に致しましょう。私が作ります」
「それより、私はあなたの体温を感じていたいの……」
「食事が先です。頬が痩せこけましたね。しっかり栄養を摂らないといけません」
 不服そうな顔をする彼女を押しのけ、紫影はキッチンへ向かった。
 咲紅のために作るわけではない料理は、気持ちが乗らず眉間にしわが溜まる一方だ。
 そして、このときばかりは父と母に感謝した。
 幼少の頃からあらゆる薬や毒の知識を叩き込まれ、牢獄のような部屋へ閉じ込められた。完璧に問題を解かなければ出してもらえず、これが愛情だと思うことで乗り越えてきた。
 まさに今、あのとき叩き込んだ知識が役に立つときがきた。
 紫影は懐から液体の入った細い容器を取り出すと、彼女の使用する皿へ数滴垂らした。



──しーちゃん、あのね?
──どうした?
──さっちゃんね、この花すき!
──これは、桜っていうんだ。
──さくらかー。そっかー。しーちゃんは?
──好きだよ。でも咲紅が一番好きだ。
──さっちゃんも!おっきくなったら、さっちゃんとけっこんしてくれる?
──もちろんだ。結婚して、ずっと一緒にいよう。



「おい」
「──……咲紅…………」
 呼ばれた紫影は重い瞼を開けた。
 人工的な光は誰かの顔に遮られていて見えない。
 霞む目がはっきりと分かったとき、ここは自分の家ではないと気づいた。
 ソファーでうたた寝をしてしまったらしい。無造作にかけられた毛布は、随分と使い古されている。
「俺、そんなにさっちゃんに似てる?」
「全然似てない。咲紅はブロンドヘアーで、とにかく可愛い」
「はいはい。起きたんなら顔洗ってこいよ。飯できた」
 むくりと起き上がると、勝手気ままに洗面所へ行き、冷たい水を出した。
 懐かしい夢だった。息子と何度結婚の約束をしただろうか。
 幸せな時間であったため、男同士では結婚できないと正さなかった。寂しくも、いずれ知ることになると、自分の欲を優先させてしまった。
「……なんだこれは」
「お好み焼き。贅沢言うなよ。いきなり家に来たから、冷蔵庫に何もなかったんだ」
 男──烏丸緋一は、無造作に伸ばされた髪をゴムで結び、ボウルごと紫影へ渡す。
 自分の分は自分で焼けと言いたいらしい。
 白神が入るマンションへ行けば、コップ一杯の水すら紫影に入れさせようとはしない。立場を守るため、紫影も人を使い、自分でしようとはしなかった。
 だがここは紫影のプライベートルームではない。唯一無二の親友である、烏丸緋一の家だ。
 紫影にとって、居心地がよくてたまらないオアシスだった。
 お玉で掬い、油の跳ねる鉄板へ乗せる。
 緋一は紫影が鉄板に乗せた生地にも、豚バラを乗せた。
「で、学園を離れることになったのか」
 寝る前の記憶を叩き起こし、梅愛の話をしていたと思い出す。
「教祖のことだ。俺を学園から引き離したくて梅愛と結託していてもおかしくない。梅愛が狂気の沙汰なのはいつもだが、今まで以上に狂っている」
「梅愛さんも演技だっていいたいわけか」
「……久しぶりに『梅愛さん』と聞いた。お前は白神の関係者ではないからな。あそこにいると、全員があの女に様付けで気が狂う」
 だからこそ、烏丸緋一と深い仲となれたのかもしれない。
 親友であり、白河とかけ離れたところで繋がりを持てる人物。咲紅の話も気軽にできる、世界でたった一人の男だ。
「それ、焦げるぞ」
 ヘラでひっくり返すと、いい焦げ具合で油が跳ねた。
「にしても、お前の兄弟が生きていたなんてすげえ話だな。どれだけ悪運が強いんだか」
「結託してるのは黄羅もだ。警備隊を乗っ取り、何が何でも咲紅を巫覡にしようと教祖側の人間だ」
「さっちゃん一人残してきて大丈夫なのか? 俺の甥っ子でもあるし、心配なんだけど」
「葵と玄一に任せてある」
「葵……あの綺麗な人か。玄ちゃんは元気にしてる?」
「してる」
「手術の経過はどう?」
「痛みはほとんど引いているらしいが、天候が悪くなると痛みが出るらしい。薬をまた処方してくれ」
「了解。焦げるぞ」
 緋一は外科医である。蛇に噛まれた玄一の手術を請け負ってくれたのも緋一だった。
 もう一度ひっくり返すと、豚バラがほどよく焼けていて、油が光り滴り落ち落ちて生地へ吸い込まれていく。
 つくづく、ここは平和な世界だと思う。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の兄です、ヒロインはそちらです!こっちに来ないで下さい

たなぱ
BL
生前、社畜だったおれの部屋に入り浸り、男のおれに乙女ゲームの素晴らしさを延々と語り、仮眠をしたいおれに見せ続けてきた妹がいた 人間、毎日毎日見せられたら嫌でも内容もキャラクターも覚えるんだよ そう、例えば…今、おれの目の前にいる赤い髪の美少女…この子がこのゲームの悪役令嬢となる存在…その幼少期の姿だ そしておれは…文字としてチラッと出た悪役令嬢の行いの果に一家諸共断罪された兄 ナレーションに 『悪役令嬢の兄もまた死に絶えました』 その一言で説明を片付けられ、それしか登場しない存在…そんな悪役令嬢の兄に転生してしまったのだ 社畜に優しくない転生先でおれはどう生きていくのだろう 腹黒?攻略対象×悪役令嬢の兄 暫くはほのぼのします 最終的には固定カプになります

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!

黒木  鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

片田舎の稲穂~愛の重たい兄上に困っています~

みっちゃん
BL
ルーレシア帝国、帝国歴1680年ー帝国は王太子夫妻の襲撃を引き金に隣国サルバトール王国へ宣戦布告をしたー それから5年、片田舎の平民は元より辺境伯までもが徴兵されて行った。 「兄上、行ってしまわれるのですか?」 片田舎を収める辺境伯の息子、ライフォードも幼い弟を残し旅立ちを家族に惜しまれながら戦争へ行ってしまう。 だが実はライフォードは愛の重たい兄でネモをこよなく愛していた。 あれから月日は流れ10年、16歳になったその弟ネモは領主となり自分の髪の毛を売ってまで民に飯を食わせるので精一杯だった。 だが、兄ライフォードの正体は・・・・・・で、ネモを待ち受けるのは22歳になった兄ライフォードからの重たい愛のみだった。 ━━━━━━━━━━━━━━━ ご愛読ありがとうございます。 基本1日2話更新で10時、20時に1話ずつを予定していますがまだ学生の上変なこだわりがある為不定期になる恐れがあります。 その時はお知らせ致します。 既に公開されている話もちょこちょこ読み直し加筆修正を行っているため表現が変わります。誤字脱字には気をつけておりますがひんぱんにございますのでご了承ください。 コメント、いいね、ブックマークなど励みになりますのでお気軽にどうぞ。 引き続き作品をよろしくお願いいたします。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

処理中です...