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第一章 贄と学園の謎

02 気持ちの吐き出し方

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「何をしている」
 低音で落ち着いた声は、黙らせるほどの威圧感があった。
 警備課の紫影──さらに背の高い彼は根岸を見下ろし、咲紅ではなく、根岸に意見を求めた。
 根岸は咲紅から手を放し、一直線に立つ。
「げ」
 小さな悪態は紫影の耳に届いているが、一瞥しただけで何も言わなかった。
「いえ、何もございません!」
「贄候補生に軽々しく触れていたようにも見えたが気のせいだったか」
「はい、気のせいでございます!」
「ならば早く授業に戻ってもらおうか。彼は俺が引き受ける」
 地に頭がつくほど下げた根岸は、いまだかつて見たことがないような焦った顔で退散した。
「……………………」
「……………………」
 聖堂の真ん中に立つ彼は誰よりも自信に満ち溢れていて、人を惹きつける魅力があった。
 こんなに身近で見たのは初めてだ。隊服をまとった彼は美丈夫そのもので、崩すことのない着方は隊長としての威厳と本人の性格を表している。
 黒い瞳に見つめられるとどうしていいか分からなくて、屈せずに視線を合わせた。
「二年一組の咲紅だな。腹痛のわりには血気盛んに見えるが」
「なんで……俺の名前……」
「全校生徒の名前くらい頭に入っている。いいから来い」
「なんだよ! 懲罰房にでも入れるつもりか!」
「保健室へ行くんだろう? それとも懲罰房がいいのか」
 昨日来たばかりの男が数百人の顔と名前を一致させているとは思えなかった。だが冗談を言う顔にも見えない。
 歩き出した彼を仕方なく、あくまで嫌々追った。
 根岸の言っていた通り、保健の教師はいない。
 相変わらず鼻にくる薬の臭いはおかしな緊張を生んだ。
「腕を見せろ」
「腕?」
「用のない生徒の利用は罰せられる。腹が痛くないのなら、何かしら理由を作る」
 仮病なのはばれていた。腕と言われ、仕方なくブレザーを捲り腕を晒す。
 根岸に掴まれた跡がくっきり残っていて、皮が剥がれ、うっすら血が滲んでいる。
 それよりも驚いたのが「理由を作る」と言われた点だ。頭の固い警備課でしかも隊長がそんなことを言っていいのだろうか。
「……上手い」
 薬を塗るのも包帯を巻くのも的確でまったく無駄がない。
「今の時間は休め。次からは必ず出ろ。隊長の立場としても、次は見逃してやれない」
 紫影は包帯を綺麗に巻くと、救急箱へ入れた。
 話が終わってしまう、どこかへ行ってしまう──焦りが芽生え、咲紅はとんでもないことを口にした。
「見逃すって……誰も頼んでないだろ! 俺は仮病だ!」
「馬鹿なのか、お前は」
「馬鹿じゃないし!」
「ならば罰を与えなければならないな。反省文五枚でどうだ?」
「五枚は多すぎるだろ」
「懲罰内容を考えるのも我々の仕事だ。分かったのならおとなしくしていろ。紙を持ってくる」
 紫影は一度出て、すぐに茶封筒を持ってきた。
 中にはしっかりと五枚の紙が入っていて「三日以内に持ってこい」と爆弾を残して保健室を去った。
 左手に巻かれた包帯の下で、皮膚が熱を帯びて行き場を失っている。小刻みに震え、右手で押さえても収まらない。
 警備課がいる建物は、贄に選出された十一人が住まう宿舎と近い。つまり、ここから少し距離がある。特別扱いを受ける贄は警備課に守られ、神への供物だと大事にされる。
「贄になれば、警備課の近くに……」
 恐ろしい考えがよぎったが、贄に選ばれるなど願い下げだ。
 贅沢な学生生活が送れるというが、贄生と接触を持てなくなるので実際の生活は分からない。特別扱いされた人間が大学部へ行ったとき、どのような扱いになるのかも未知だった。
 包帯の巻かれた腕を見ていると泣きたくなったが、歯を食いしばってなんとか耐えた。

 宿舎から外に出て警備課本署に向かう途中、大きな噴水が現れる。薔薇や季節の花に囲まれ、生徒の待ち合わせ場所にもなっていた。このまま曲がって一番大きな建物に向かうと、授業を受ける校舎がある。
 森を突き抜けることも可能だが、咲紅は堂々と本署へ向かった。
『何か用か』
「紫影……隊長に御用があります」
 二メートル近くある扉が左右に開いていく。
「あいにく隊長は出払っている。中で待っていろ」
 中に入り、ロビーのソファーへ腰を下ろした。
 造りは学園とそう変わらなく白蛇の像が奉られている。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」
「葵さん……」
 出てきたのは紫影ではなく、副隊長の葵だった。
 腰まである緩くウェーブがかかった髪を束ね、物腰柔らかに一礼する。
 紫影とよく一緒にいる姿は様になっていて、学園内ですぐに噂になった。女性のような柔らかさを秘めていても、実は武道の段持ちだとか、大男を投げ飛ばしたとか噂は耐えない。
「紫影隊長はあいにく出払っていますので、戻られるまで私がお相手致しましょう」
「あ、ありがとうございます……」
 葵は隣に腰掛けた。
「そちらは反省文?」
 くすりと笑われ、茶封筒に力を込めるとしわが寄った。
「聞いたお話しだと、自ら罰を与えるように言ったとか」
「あれはっ……、売り言葉に買い言葉というか……。葵さん、質問があるんですがいいですか?」
「はい、なんなりと」
「隊長って、贄候補生含めて全員の顔と名前を覚えているものなんですか?」
「まさか。よく本署へいらっしゃる人や、あなたのように優秀な成績を収めている生徒、真逆に問題行動ばかり起こす生徒は記憶に残りやすいですが」
「そうですか……」
 生徒を覚えることは、少なくとも警備課の人にとっては必須ではないらしい。隊長だけが覚えなければならない理由も見当たらないし、となるとあれは脅しだととらえた。顔も名前も把握しているから、悪さはするな、と。
「いらっしゃったようですよ。では私はこれで」
 立ち上がってお礼を言うと、葵は朗らかな笑顔を残し去っていった。
「待たせたな」
「別に。待ってない」
 不機嫌そうに茶封筒ごと渡すと、先ほど葵がいた席に座る。
 少し距離を開けて、隣に腰を下ろした。
「読書感想文でも優秀賞を受賞したと聞く。さぞかし立派な文章力なのだろうな」
「そこまで生徒を調査済みなのかよ」
 紫影は一文を丁寧に文字を追っている。
 真剣に読まれるとこそばゆいものがあるが、真剣な眼差しをこんなに近くで見る機会はないため、覗き見した。
 睫毛が意外と長かったり、影が揺れるたびに心臓がおかしくなったり、同じ人間なのにこうも違う。
「お前は……」
「なっ……に……?」
 いきなり声をかけられ、上擦った声が出た。
「この学園に来るまでの記憶は?」
「塀の中に入れられるまでの? 父も母がいて、畑を耕してた気がする……確か。ほとんどないんだよな」
「そうか」
 紫影はもう一度、反省文に視線を落とす。
 基本彼はポーカーフェイスだが、今は何か言いたげに揺らいでいる。
 口を開きかけたとき、けたたましい音と共に扉が開いて咲紅は方を震わせた。
「紫影隊長……!」
 同じ白の制服だが、入ってきた彼は襟足や袖が金の縁がある。紛れもない贄生だ。
 贄様と崇められる彼は咲紅を見るや鼻で笑い、隣に紫影がいると憎しみの目を向けた。
 紫影はすぐに立ち上がり、咲紅を隠すようにして贄と向かい合う。
「僕は……やっぱり紫影隊長がいいです!」
「無理だ。お前には柳井がいるだろう」
 柳井とは、警備隊の一人だ。
「裏葉、贄候補生がいる。その話は後にしてくれ」
 裏葉と呼ばれた青年は紫影の影から顔を出し、全身で不愉快だと咲紅を睨む。
「俺、帰りますね」
「咲紅」
「反省文、問題ないですよね。ではさようなら」
 後ろから呼ぶ声が聞こえるが、咲紅は全力で走った。
 短距離なら負ける自信はないと、両腕を振るい、とにかく地面を蹴った。
 不愉快なのはこっちだと言ってやりたかったが、立場上、贄候補生より贄生が上だ。神に近い位置とされる人で、話しかけてもいけないし同じ空間にいることも本来なら歓迎されない行為だ。
 何より不興なのは、紫影が向かい合って贄生の肩に手を置いていたことだ。見た瞬間、はらわたが煮えくり返って気持ちの吐き出し方も分からなくなった。
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