霊救師ルカ

不来方しい

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14-家族

081 悪夢と現実

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 悠は夢を見ていた。拘束され、閉じ込められた部屋でひとり数時間過ごしていた。ときには椅子から立ち上がりうろうろし、鉄格子の外を眺める。手のひらに乗るサイズの小鳥は罠にかかり、息の根は止まりそうなほど苦しげに喘いでいる。自身の状況を表しているようで、悠は目を伏せた。
 やがて部屋に入ってきた黒ずくめの男たちにより、尋問が始まった。英語で交わされる会話だが、悠には何を言っているのか読み取れなかった。何度も同じ質問が繰り返されるが、夢の中の悠は判らない。
 誰かが鍵のかかる扉を叩いている。必死で叫び、声が掠れても出なくなっても手の皮が剥けようとも止めなかった。呼びかけに答えるように、悠は必死で抵抗した。日本語で、向こうにいる人物の名を叫び続けた。

 鈍色に覆われた空は地上を包み、雪は降っていないものの飛行機から降り立つと厳しい寒さに全身が震え、コートのボタンをきっちり掛けた。
 空港内の土産品に目を奪われながら空港を出ると、目の前の光景に悠は開いた口が塞がらない。
『お帰りなさいませ』
『迎えはいいと伝えましたが』
『そういうわけにも参りません。クリストファー様がどうしてもと』
『口の減らない男の仕業ですか。わざわざお出迎えありがとうございます。では参りましょう』
 飛び交うフランス語は悠には判らないが、クリストファーの名前に彼が原因だと理解できた。
 リムジンの中でワインや紅茶を勧められたが、ルカは丁重にお断りした。弾力のあるソフィーに横になると、布団をかけて就寝の体勢に入った。横になる直前、日本語で戦闘に備えます、と言った。相変わらず顔が見えないように丸々と布団を被っている。
 悠もいつの間にかうたた寝をしてしまい、またもや夢を見た。監獄のような部屋で尋問を受け続け、唯一の救いはドアを叩く音だ。悠の名を叫ぶのは誰なのか。
 場面が変わり、夕食の時間となった。焼け焦げた堅いパンと、塩を軽く振っただけのシンプルな鶏肉料理だ。皿の固形物を見た瞬間、強烈な嘔吐に襲われた。罠に小鳥の鳴き声が脳を震動させ、持っていたナイフを床に落とした。
「悠!」
 はっと目が覚め、ぼやける目を何度か瞬きし、心配そうに見つめる友人に小さく笑う。
「大丈夫ですか?うなされていました」
「はい……ルカさんが目覚めてるのは珍しい……」
「失礼な。起きられますか?」
「大丈夫です……鳥が、死んで、それで……」
「顔色がよくありませんね。今日は早めに布団へ入りましょうか」
 額に触れる手は冷たく、離れるまで悠は身を委ねた。
 城に入ると、待ち構えていたのはメイドたちだった。悠にも恭しく振る舞うが、フランス語のみの会話で愛想笑いを浮かべる。
『シモンおじさまは?』
『仕事のため、出かけております。ルカ様にとても会いたがっていました』
『私もお会いしたかったです。夕食は二人分を部屋に運んで下さい。材料があればで構いませんが、魚料理を希望します。鶏肉料理は止めて下さい』
『かしこまりました』
 入れ替わるように女性が入ってきた。メイドの格好ではなく、スーツを着用している。立ち振る舞いも気品があり、腰から背中のラインにかけて美しく伸びていて、隙がない。厳しい視線をルカに向け、上から下まで身なりを確認した。
『お久しぶりですね、ルカ王子。お出迎えができず、失礼しました』
『エメ、お久しぶりです。お元気そうで安心しました』 
 微笑むが、ルカの目は泳いでいる。
『少し大人になられましたね。お仕事は順調ですか?袖のボタンを付けなさい』
『ええ、順調ですよ』
『そちらは悠ですね』
 フランス語が飛び交うが、悠と呼ばれ、英語で挨拶を交わした。
『フランス語より英語の方がお得意のようね。これからは英語で会話をしましょう』
『よろしくお願いします……』
『髪が乱れています』
 迷いなく指摘をされ、悠は手櫛で髪を直した。リムジンの中でも睡魔に襲われたためか、後ろ髪に癖がついていた。
『本日はお疲れでしょうから私はこれで退散しますが、明日以降は厳しく指導していきますよ』
『エメ、申し訳ないのですがそれはまた次の機会に。我々は仕事できています。クリスはどこに?』
『明日朝一でお戻りです。グウェナエル様も明日の夜にいらっしゃるので、婚約者のご紹介をするにはまたとない機会ですよ』
 足音が遠退いていき、ルカはもう一度悠の額に触れた。冷たい手が熱を吸収し、徐々に指先に感覚が戻っていく。
「夕食は食べられそうですか?機内食もあまり手を付けていませんでした」
「疲れが溜まっただけです。平気ですよ」
 ルカは部屋から電話をかけ、フランス語で何やらまくし立てている。
 悠はここでは異端者だと感じた。フランス語を話せず見た目の違いもあり、孤独感が付きまとう。おかしな夢を見たせいだ。
 テーブルに並んだ数々の品は見たこともないようなものもあるが、一番近い位置に置かれた皿は、日本でも馴染み深い料理だった。
「トルコから伝わった料理ですね。フランスでは、ピラフは肉や魚と合わせます」
「さっきの電話って」
「……デザートは冷たいものがいいと伝えただけです」
 聞き取れた単語の中で「リ」と何度も言っていた。フランス語で米のことだ。
「メイドたちの数々の無礼をどうか許して下さい」
「無礼?」
「彼女たちは英語も話せるのですが、わざと話さなかった。フランス人は日本人に比べプライドが高い。ここはフランスなのでフランス語を話せて当たり前という思考であり、自分たちの言語に誇りを持っているのです。私がエメと呼んだ女性ですが、私の家庭教師でもあります。食事のマナーなども指導されました。厳しい方ですが、英語も判りますし必ず力になってくれます」
 米粒が光り、魚介の出汁がしっかり利いている。実際は食欲がないのだが、自然とスプーンが口に運ばれていく。食べやすい味でもあった。
「頭が上がらない方なんですか」
「……そうとも言います。あなたを選んだとき、エメは真っ先に祝福してくれました。そういう方です」
「明日グウェナエルさんに会いますが、何か気をつけておくべきことはありますか?今更ですけど、お土産も買ってこなかったですし」
「土産など必要ありません。どうせ受け取りませんから」
 ルカは吐き捨てるように呟いた。
「あなたは私の横にいればいい。聞かれたことに返答する。無理なら私に視線を送る。日本人は奥ゆかしい性格だと伝えていますから、心配せずともよろしい。上手い具合に、クリスが場を和ませてくれるでしょう」
「でも」
「悠、私はこれでも成人男性としてあなたを扱っています。普段の仕事では、パソコン作業や売場のメンテナンスなどを任せっきりにするときもあります。信頼しているからですよ。でも今回は違います。あなたと私の住む世界はまるで違う。目を抉られそうになったとは話しましたね?そういう世界です。おとなしく座っていてほしいのです」
 普段のとろけそうなほど優しい瞳は、今は回りの人間は全て敵だというほど強張っていた。

 何かの重みにより目が覚めた。無意識に額に手を当てるが、特に熱があるわけでもなく、昨日のだるさは夢と疲労の蓄積だと決定付けた。
「ん?」
 腹部に残る重みは気のせいではなく、悠は顔を上げた。瓶や菓子箱、見知らぬ鞄までが乗っている。起き上がって手に取ると、クッキーの詰め合わせだった。
『ハァイ!』
 心臓がはちきれるほど驚愕すると、人間は声が出なくなる。引きつった空気が喉から出て息となった。
「な、なんで、」
『シャワー借りたよ!僕の部屋のシャワーは今工事中なのさ。さっき仕事から帰ったばかりで眠いんだ。なぜこの部屋にいるのかというと、鍵をこじ開けたからさ』
 質問したいことはクリストファーがすべて話し、得意げに腕を組んだ。
『久しぶりだね、悠!元気にしてたかい?僕はこの通り元気だよ!ルークの部屋に入ったら殺されるから君の部屋しかなかったんだ』
『へ、へえ……』
『あ、それスペインのお土産ね』
 なぜ腹の上に乗せたのかという質問は飲み込み、お礼と世話になりますと挨拶をした。
『瓶はなんです?ジュース?』
『オレンジジュースだよ。それじゃあひと眠りしようかな。ソファー借りるね』
『ソファーでいいんですか?』
『構わないよ。おやすみー』
 持参したのか、触り心地のよさそうな毛布を被ると、数分経てば寝息が聞こえてくる。カーテンの隙間から朝日が差しているが、悠は菓子箱やジュースを棚に並べ、もう一度横になった。

 ルカたちが朝食を食べ終えたところでようやくクリストファーは目覚め、ひとり席にありついた。
『食堂で食べないの?みんなで食べようよー』
『部屋で結構。夜は家族と頂くことになっていますから』
『父さん来るんでしょ?俺あの人苦手……』
『奇遇ですね。まさかあなたと意見が一致するとは思いませんでした』
『ディアンヌも来るって情報は知ってる?』
『ええ、一応』
『たまにはお兄ちゃーんって甘えてくれたらいいのに』
『……元気でいますか?』
『相変わらずだよ。性格に色が乗ったって感じ。いろんな方面に突き進んでる』
 ルカとクリストファーは同時に肩をすくめた。気品のある二人が並ぶと威圧感もあり、タイプが違えどやはり王族の血筋なのだと悠は身を固くした。
『心配しなくても僕がいるから大丈夫だよ!悠はどんと構えてなさい』
『あなたがいると余計に話がややこしくなりますが、まあいいです。殺伐とした空気が幾分か和らぐでしょう』
『家族写真ってないんですか?お会いする前に確認したいんですが』
 クリストファーはルカを一瞥し、はにかみながら答えた。
『あるけど、ルーク写ってないよ?』
『ルカさんの子供の頃って興味があります』
『母なら持っているかと思います』
『そういや、ヴェンディに会いに行かないの?』
『行きますよ。年末年始はあちらで過ごします』
『だよねー。行かないわけないよね。マザコンだし』
 クリストファーの戯れ言には気にも留めず、ルカはカップの赤茶色の液体をすすった。
『ヴェンディも呼べば良かったのに』
『……母とグウェナエルを会わせるのですか?冗談ではない。わざわざ地獄に突き落とす馬鹿な真似はいりません。それに今は公演中です』
 ルカの母であるヴェルディアナはソプラノ歌手だ。明日にはここを出て、イタリアへ向かう手筈になっている。
『私がいない間、よろしく頼みますよ』
『頼まれた!任せて!』
『ルカさんはどこへ?』
『会見です』
『まさかテレビに出るんですか?』
 人は歓喜に満ちても絶望を感じても笑みを見せる生き物であり、今のルカは後者からの微笑だった。
『悠はクリスと共にフランスを観光してきて下さい。私は夕方には戻ります』
『お気をつけて』
『あなたのことを質問されるでしょうが、当たり障りのない話でごまかします』
 ちょうど迎えにきたエメはだらしなくソファーへ座るクリストファーを叱り、フランス語で何かをまくし立ている。
『あ、待ってよルーク』
『どうしました?』
 まっすぐで、嫌味のない性格はときには人を凍りつかせる。
『いってきますのちゅーはしないの?』



 クリストファーは久しぶりに太陽を見たと呟いた。冬暖な日となり、かといってコートが不必要になるほど暖冬でもない。耳まで帽子を覆い、フランスの冬からむき出しの肌を守った。
『ルーヴル観たいんだっけ?治安悪いから気をつけてよ』
『ルカさんにも日本人は餌食になるからって注意されました。気をつけます』
 クリストファーはサングラスをかけ、瞳を覆い隠した。ここでは彼自身も有名人だ。
『もしかしてちょっとイラついてる?』
『そう見えます?』
『顔が強張ってる』
『苛立ちというより、何というか……悲しいのかも』
『あー、なるほど。当ててあげよう。愛するルークは相談もしてくれないし僕を守ろうとするなんて!記者会見なんて聞いてないよ!って感じ?』
『まあ、そんな感じです』
『愛するルークなんて……きゃ』
『え、そっちに反応します?でも一言くらい事前に言ってほしかった』
『言ってどうこうなるものでもないでしょ。僕らからしたら義務みたいなもので、子供の頃から慣れてるし。対応の仕方も学んできてるから大丈夫。むしろ君を抱えて記者会見なんてお荷物だよ。黙って守られていなさい』
 言い返せない正論は心にのしかかった。
 チケット列に並ぼうとしたとき背後で女性の悲鳴が聞こえ、二人は同時に振り返った。バックの中を漁る女性が早口でまくし立てている。
『どうしました?』
「あの、チケット、チケットを……その、」
 返ってきたのは日本語だった。女性二人がしゃがみ、頻りにショルダーバックをかき回している。
『えーと、英語はあまり得意ではありません』
「日本語で大丈夫ですよ」
「日本人ですか?チケット買おうと思って並んでたら財布盗られちゃって」
「アジア人は狙われやすいですよ」
「代わりにこの紙が入ってて……」
 名刺を二枚並べたくらいの小さなカードだ。鶏の絵と、フランス語で何か書かれている。
『鶏はフランスの国獣でしたよね』
『正確には雄鶏ね。悪は正義により裁かれるって書かれてる。よくある詐欺集団の口説き文句みたい』
 騒ぎを聞いた警備員がやってきて、緊張が走った。硬直したのは悠たちではなく、警備員だ。サングラスをかけていてもクリストファーの正体に気づいている。サングラスをずらし、クリストファーは警備員にウィンクをした。
 フランス語が飛び交う中、悠はカードをそっと隠した。警察官が去るまでクリストファーの陰に隠れ、おとなしくしていた。
『カード渡さなかったの?ちょっと、何してんのさ』
『僕が犯人を探します。手掛かりはありますから』
『カード一枚じゃん。あっ、まさか悠も探偵ごっこするんじゃないだろうね。ルークもさあ、子供の頃にチョコレートの包み紙ひとつで犯人を名指しするくらい名探偵だったんだ。ルークのお菓子をこっそり食べていた僕はめちゃくちゃに怒られたよ』
『そりゃあ怒りますよ。子供はお菓子ひとつ手に入れるのも大変なんです』
 回りにいた人たちは何事もなかったかのようにチケット列に並び直した。観光スポットであるルーヴル美術館は、現地の人より遠方から訪れた人が多く集まる。そのせいか、クリストファーの正体に気づいた人間はほぼいない。
『さっきの女性たちですが、なぜ狙われたんでしょうか?』
『なぜ?狙いやすかったんじゃないの?』
『……捕まえれば判ることですね。犯人は一人ではないようです。行きましょう』
 プライドは時にはややこしいもので、目的の観光に上書きされた。
 紙からは雑踏の声が聞こえるが、不快感はない。むしろ悪と決めつけられないほど清々しいものだ。
『遠くへ逃げていません』
『そのカードだけど、パリ内でスリを行う連中みたいだね。SNSで調べたらいろいろ出てきたよ。盗まれるものは財布に限ったことじゃなくて、窃盗の証として必ずカードを入れているって話。しかもこのカードさ、オークションに出されてるんだけど』
『どんな理由であれ、窃盗はよくありません。クリストファーさんはどうしますか?一緒に行きます?』
『行くしかないでしょ……むしろ君ひとりにしたら弟に殺される』
 カードから感じる霊魂を辿っていくと、旅行者も多く集まるカフェに着いた。タクシーでおよそ十分ほどだ。エッフェル塔が見え、ここも観光スポットとなっている。
 サンドウィッチが店の売りのようで、肉がごろごろ入ったサンドウィッチを見て悠は腹を鳴らした。
 二人組の若い男は、ハムとチーズのバゲットをつまんでいる。悠はそっと男性のいるテーブルに指を伸ばし、いつもの盗聴器を貼り付ける。窓際の席に着いた。
 イヤホンを渡し、さらに手帳とペンも差し出した。クリストファーは訝しむが、無言で手帳を開く。
 肉汁たっぷりのバゲットに齧りつくと、白い皿に滴り落ちる。肉は焼き立てであるのかまだ湯気が出ていて、焦げ目のついたパンも温かい。
 半分ほど食べ終わる頃に、クリストファーはイヤホンを取り嘆息を吐いた。
『君さ、まさか普段からこんなことしてるわけ?手馴れすぎて怖いんだけど』
 手帳の中には、フランス語の判らない悠のために英語で書かれていた。
『取り返した?』
『何度かそう言ってたよ。俺たちは正義を掲げているって』
『フランス語に違和感はなかったですか?』
『特に』
 返事もそこそこに、クリストファーも冷めつつあるサンドウィッチに手を伸ばした。今は話よりランチタイムだ。
『追うのかい?』
『はい』
『止めた方がいい。君を動かしているのは正義感じゃない。第一、対価もないのに行く意味ないでしょ』
『………………』
『当ててあげようか?ルークとの立場の違いを突きつけられて、軽い劣等感と不甲斐なさを感じてるんじゃない?頭に血が上った状態だと、緊急時にまともな思考で動けない』
 悠は何も言い返すことができなかった。
『フランスの警察官に任せなさい。さっき渡せなかったってカードも預ければいい。僕の仕事は君に観光させることで、危険に晒すことじゃない』
『ではなぜ、SNSでカードについて調べてくれたんですか?本当は、クリストファーさんは事件にわくわくしてるのでは?』
『わくわくとはとんでもない誤認識だね。ああもう、本当にルークの話す英語にそっくりだね。イライラするよ』
『知らないふりをしておけば良かった。僕がカードを渡さなかったのをわざと見逃した。あなたも同罪だと思いますが』
 息を詰まらせたのはクリストファーだ。頭を振ると、どこかへメールを送り、残りのコーヒーを煽るように飲んだ。

 妖艶な女性は美しい歌声を披露し、拍手喝采を浴びた。胸元を大きく広げたドレスは汗のせいか妙に艶めかしく、筋肉がしっかりついた足は惜しげもなくスリットからはみ出している。
 自己主張はするが、かといって押しつけがましさはない。歌い上げた女性は微笑み、そして次の曲が演奏される。
 悠の視線はステージ上ではない。一階客席にいる男に全神経が注がれていた。霊魂を辿ってやってきたのはパリにある小さな劇場だ。ステージを注目しているかと思えば、回りを見回し物色しているような仕草を見せる。
『次がラストだよ』
 サングラスを外した目は青く、ブルームーンストーンのようだった。隠そうともしない瞳の色は何を思うのか、はっきりと腹を割って話したわけではない。両方の目の色が同じなのは当たり前で、その当たり前に生まれたせいで家を継ぐ権利は与えられない。欲しくないものを手に入れなければならない運命を背負う男は、欲しかった当たり前を得られなかった。現実は、変えようのない事実だ。
『そんなに色男?』
『瞳の色がきれいだと思って』
『きれい、ねえ……。残酷な言葉。悠はルークと出会ったとき、王子だって知ってたの?』
『まさか。日本ではほとんど報道されませんよ。ただ、きれいな人だとは思いました。そういうことも調べてるんじゃないんですか?』
『どうだろうねえ』
 歌うように、クリストファーは笑った。
『前に二千万あげるから別れてって話したでしょ?』
『はい』
『あれ、わりと本気なんだよね』
『そうですか。お断りしますけど』
『額が納得しないってこと?』
『お金はいらないし、ルカさんと離れる気もないってことです』
 しれっとついた嘘に罪悪感が膨れ、ふと視線をステージへ向けた。
『僕との会話は序の口だよ。グウェナエルは他人の感情はこれっぽっちも理解しようとしない。むしろ理解してても切り刻んで奈落の底へ捨てるタイプだから』
 物語は佳境に入った。女性は倒れ、眠りにつくシーンだ。
『グウェナエルと会ったら、きっと君はルークと離れたくなる。断言するよ』
 盛大な拍手と共にスタンディングオベーションが起こった。悠はほとんど聞いておらず、呆然と客たちを見つめていた。
 ロビーには人だかりができていて、あの男も時計を確認していた。カフェで会った男だ。ひょろりと長い手足と身体で、口元には髭を蓄えている。あきらかに、客人たちを品定めしていた。視線を送る先は大抵は女性であり、無意識につけている格差に怒りが沸き起こる。
 男の視線はとある女性に止まった。指には光を集め輝かしいほどの色をまき散らしていて、大粒の石が零れそうだ。
 横にいたはずのクリストファーはいない。元から手を借りるつもりはなく、気にせず男を見るがすでにいなくなっている。隙間に身体をねじ込ませながら人の波に入っていくと、ちょうど女性の真後ろに張り付いている。何か叫ぼうと空気を吸い込んだとき、強い力で背後から腕を引かれた。
 抵抗を見せるがよく知る香りに脳が反応し、自然と身体の力が抜けた。腕を取られるまま死角に隠れるが、男は手を離そうとしない。
「外で警察が待機しています。あなたの出番はここで終わりです」
「すみません」
「反省していますか?」
「しています」
「どのくらい?」
「えーと……、このくらい?」
 親指と人差し指で丸を作り、いわゆるオーケーのジェスチャーをした。
「ヴァベーネ、反省していないことがよく判りました。それとその仕草はフランスではやらないように。侮辱を意味します」
 皺のないチフォネリのスーツに身を包んだルカは、こめかみに汗が浮かんでいる。クリストファーと違い、サングラスもかけず素性を隠そうともしない。
「急いで、来てくれたんですか」
 悠の質問には答えなかった。悠は壁に押し付けられ、逃げ場のない怒りを一身に受けた。腕に閉じ込められてはどうしようもなく、素直に謝罪の言葉を述べるしかない。
「帰りますよ。あなたもスーツに着替えて頂きます」
 池袋で見せる顔とは異なり、油断の一切ない表情のまま、胸元にあるサングラスを悠に被せた。
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