霊救師ルカ

不来方しい

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12-真夏の事件簿

067 薬指の約束

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 日本からおよそ一万キロメートル。首都のマドリードへ到着した悠は、あまりの暑さにうなだれた。湿気が多いのは日本と変わらず、三十二度を指している。日差しも強く、多くの観光客はサングラスをしていた。悠も日本の空港で購入したサングラスを掛け、滲む汗を拭き取る。発汗は自然の原理であるが、肌に張り付いたシャツがさらに不愉快にさせている。
 熱中症対策と小腹を満たす為に、スーパーを訪れた。
「agua con gas……?」
「アグアコンガスと読みます。炭酸入りという意味です。agua sin gasアグアシンガスは、ミネラルウォーターです」
「ならいつもコンを買えばいいんですね」
 ルカは声に出して笑い、アーモンド入りのチョコレートも手に取った。
 バルセロナまでは、時間短縮のために飛行機を利用する。およそ一時間三十分だ。
「悠、鞄の持ち方を気をつけて下さい。ショルダーバックを短くし、前で抱えないといけません。後ろから手を入れられます」
「当たり前ですけど、日本と感覚が全然違うんですね」
「蚤の市でも、その持ち方でお願いします」
 さらに五百キロメートルの空の旅を満喫した後は、いよいよ目的地のバルセロナだ。近くのホテルでチェックインし、まずふたりは荷物の整理を始めた。身軽に動けるように、ほとんど荷物は必要最低限に留めている。ノートパソコンの代わりに改造済みのタブレット型端末を持参し、机の上に設置した。
「明日からの予定をまとめましょうか」
「蚤の市は明日の午前中ですよね」
「そうです。午前中で済ませ、午後は少し出掛けましょう。あまり暑いと営業しているレストランも限られますので、注意しないといけません」
 念の為、悠はメモ帳に記した。
「明後日は、いよいよオークションですね。何か落としたいものでもあるんですか?」
「仕事で落とすものと、個人で落とすものの二種類あります。一つは、エドワーディアン時代に作られたネックレスです。大粒のダイヤモンドが散りばめられていて、今も輝きは衰えていません」
 エドワーディアンとは、イギリスでエドワード七世が即位し、治世した時代を指す。第一次世界大戦が始まる一九一四年頃までがエドワーディアンの時代といえる。
「それが仕事で落としたいものなんですね」
「ええ。実は、そのネックレスを制作した末裔の方が、何としても取り戻したいと秘密裏に連絡を受けました」
「ま、末裔……」
「代々アクセサリー職人の家系で、それこそエドワーディアン時代から続いています。アルバイトとして働いていた方が持ち逃げし、質屋に入れ音信不通となったのです。それも三度もそれぞれ別の方に盗まれています」
「そのネックレスだけ?なんだか呪われていますね」
「それですよ、悠」
 ルカは人差し指を立て、口角を上げた。
「先祖代々伝わるアクセサリーなど数多くあるのに、なぜかそのネックレスのみが狙われます」
「高価なものは他にあるんですか?」
「あります。ですがいつも狙われるアクセサリーは同じなのです。しかも非常に悲しい出来事があります」
「盗んだ人の身に何かあった……とか?」
「スィ、全員亡くなっています」
「一人目は質屋に入れた帰りに強盗に会い、強盗が持っていたナイフで刺されました。二人目は水難事故で、泉に水死体で浮かんでいました。三人目は交通事故です」
 悠は頭を抱えたくなった。
「私に依頼した方も、これ以上犠牲者を増やさないために、何としても取り戻してほしいと訴えています。ぜひお力になって差し上げたい」
「触れただけでは大丈夫なんですか?」
「依頼者は何度も触れ、首に掛けたこともあるそうです。ですが特に命の危機にはさらされておりません。あくまで、窃盗が良からぬことを巻き起こすと仰っていました」
 勉強熱心な悠はエドワーディアンについてもメモ帳にまとめ、ペンを走らせた。
 一旦話を切り上げると、スーパーで買ったアーモンドチョコレートをお茶請けに、ルカはお湯を沸騰させハーブティーを入れた。
「スペインではコーヒーが主流で、カモミールティーも良く飲まれています」
「なら明日はカフェでコーヒーでも飲みませんか?」
「そうですね。美味しいサンドウィッチも頂きましょう」
「話を戻しますが、ルカさんが個人的に手に入れたい物ってなんですか?」
「東洋のエジソンと言われた、田中久重たなかひさしげ氏のからくり人形です」
「ルカさんがアンティークに興味を持つきっかけになったものですね」
「ええ、お店に出すものではありません。決して、違います」
 二度繰り返したルカに、悠は意志の強さを感じた。
「依頼主は三百万円までは出すと決めています。悠と共に参加しますが、あなたは私の横にいて下さい」
「けど、勝算はありますか?」
「悠」
 カモミールティーから立つ湯気が揺らめき、ふわりと香りも揺動した。
「私は欲しいものはすべて手に入れます。不退転の決意は屈しません」
 宝石よりも美しく、薔薇の棘以上に突き刺してくる男は、これ以上のない笑みで怪しく微笑んだ。

 ホテルで朝食を取った後、ふたりはバスで移動し蚤の市が開かれる中心地まで移動した。蒸し暑さは変わらず、陶器のようなルカの白い肌も少し赤みを増している。
 ルカは手を悠の額に当て、流れ落ちる汗を拭き取った。
「ルカさんの手、冷たい」
「体温が低いからでしょうか。悠は熱いですね」
「手の温度ならルカさんとそんなに変わらないと思いますけど」
「………………」
「ほら」
 悠はルカの手を取ると、何度か握り撫でさすった。前方からやってくる男性二人組は口笛を吹き、悠は首を傾げる。
「もういいです」
 ルカは咳払いをし、すたすたと先を歩いた。
 屋内に入ると、汗ばむ身体からと熱が引き、日本の夏と変わらない暑さだ。人でごった返す空間には湿気も帯びていて、じめつく気候は日本と変わらない。
「欲しいものがありましたら教えて下さい」
「スペイン語は話せるんですか?」
「公用語はカタルーニャ語・バスク語・ガリシア語・アラン語ですね。カタルーニャ語は少し」
「ルカさんの少しって分からない」
「曖昧に濁せる日本語は大好きです」
 SHIRAYUKIでも扱っているような陶器や衣服、アクセサリーも多数揃っている。流通ルートは謎だが、古びた日本の玩具も並んでいた。
「これって、からくり人形?」
 茶と書かれた湯飲み茶碗をお盆で運ぶ、着物を着た少年のからくり人形だ。
「田中久重氏のからくり人形をお手本にしたものですね。確かに時が経ち年季が入っているようにも見えますが、そもそもアンティークではないでしょう」
『買うかい?』
『遠慮します』
 店員の笑顔にもばっさりと断り、ルカはアクセサリーのコーナーに立ち寄った。
「そういえば、私が差し上げたネックレスは付けていますか?」
「お風呂以外は肌身離さず身に付けてます」
「何度も言いますが、あなたがピンチに陥ったとき、必ず開けて下さい」
「何が入ってるか教えてくれないんですよね」
「はい」
 悠は気になる商品を片っ端から見て回るが、なかなかお眼鏡に適うものは見当たらない。一年以上池袋で学んだ知識しかないが、贋作も多く存在し、ルカに交渉してもらうものはなかった。
 気疲れを起こし、悠はベンチに腰を下ろした。人混みに紛れてはいるが、アクセサリーショップで店員と何やら話しているルカが見える。ルカの見目が目立つのは世界共通のようで、人々はルカを上から下まで見るが、まるで触れてはいけない宝石を見るかのような目だ。決してルカに触れないように避けて通る。王子のような風貌─実際に王子なのだが─は、ときには人をも寄せ付けず何とも残酷な現実だった。
 中にはルカに話しかける男性がいた。ルカは気にも留めず何かを言うと、男はルカの肩に触れようとする手を取め、どこかへ行ってしまった。
「悠」
 遠くからルカが呼ぶ。悠は引き寄せられるように自然と歩み寄った。
「疲れましたか?」
「暑さにやられたみたいです」
「ならば、涼しい場所へ移動しましょう」
「何か買ったんですか?」
 店員を見ると、悠に微笑み機嫌が良さそうにウィンクをした。
 道は分からないので、ルカの後ろを付いて歩く。それほど距離は移動していないのに、確実に暑さは悠の体力を奪っていった。ペットボトルに口をつける回数も増えていく。喉を鳴らして炭酸を流し込むと、悠はジンジャーエールが恋しくなった。
 ふたりがやってきたのは歴史あるカトリック教会だった。
「不安そうですね。入っても問題はありませんよ」
「信仰深くはないですが、僕一応仏教徒なんですけど」
「関係ありません。それを言うならば私はカトリックも全く信仰深くなく、神の存在など微塵も信じておりません。行きましょう」
 教会というより、まるで中世の城だ。美しいステンドグラスや躍動感のある彫刻。重々しい雰囲気の中、敬虔な態度で熱心にお祈りをしている人もいる。ふたりは長椅子に座った。
「言葉が出ませんね。なんと表現したらいいのか……日本にいたら、教会へ行こうなんて思いませんから」
「悠」
 名前を呼ばれ、ルカへ視線を向けた。
「あなたをここへ連れてきた私の第六感が正しいと信じたい」
「迷ってたんですか?」
「ええ。日本にひとり置いておくか、私の側に置くか」
「豪華客船のときもでしたね。僕を連れていっくれたのは、一人残すと柴田さんの従者に何をされるか分からないからって。近くにいた方が、まだ守れるから」
「……嫌な予感は拭い切れません。飛行機にいるときから、心の最奥で何かがざわめいて止まないのです」
「きっと、不安はいつまでも付きまといます。僕もルカさんが無茶をしないか心配で仕方ない。ときどき、自分の感情が何なのか判らなくなる」
「悠」
 もう一度、ルカは名を呼んだ。
「手を出して下さい」
 隣に座るルカに左手を差し出すと、銀色に光る環を乗せられた。
「指輪?」
「はい」
 デザインはシンプルな指輪だが、真ん中に黒い石が嵌め込まれている。
「蚤の市は素晴らしいアンティークの宝庫ですが、その分贋作も多数売りに出されています。もちろん素人目では見分けは付かず、知らずに販売している方が多い。逆を言いますと、高価なものとは知らず、安価で売りに出す方もいる」
「これは本物?」
「真ん中の石はブラックダイヤモンド。硬度の高い石です。ダイヤモンドに比べて価値は劣りますが、悪魔も欲しがるほどのパワーが込められていると、海外では言われています。ちなみに、十八世紀フランスで作られたものです。流通量がとても少なく、発見できたのは運が良い」
 ステンドグラスを通った光はブラックダイヤモンドを照らし、よりいっそう煌めきが増した。
「お守り代わりです」
「僕に?」
「はい」
「でも、これ」
「あなたの心に傷が負わないように、守ってくれる石です」
 漆黒の瞳は、心配そうに悠を見つめた。受け取ってもらえるか、揺れている。悠の手に収まったブラックダイヤモンドと同じ色をしていた。
 悠はどの指に付けようか迷っていた。指輪の大きさから、中指か薬指が合いそうだ。右手をかざし、薬指に装着した。悠にしか分からないほどではあるが、ルカはぎょっとし、気が動転したのか目を見開いている。
「あの、悠」
「はい」
「……いえ、とても良くお似合いです」
「指輪を頂いたのは初めてです。ルカさんといると、初めてばかり経験させて頂いてます」
「………………」
 煌々としたブラックダイヤモンドは、邪念も毒気もまるで感じられない。ただ、悠の細く白い手を、美しく見せた。またもや見知らぬ男性が口笛を吹き何か話している。今日だけで数回口笛を吹かれているが、ルカに意味を聞こうと見ても目を細め、明後日の方向を向いたままだった。
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