薫る薔薇に盲目の愛を

不来方しい

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最終章 エピローグ

031 エピローグ2

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「蓮、じゃあまた夜に」
「ええ、お仕事頑張って下さい」
 不思議な関係に見えるのだろう。女性はきょとんとしたままだ。
 蓮は買い物を終えて家に戻り、夕食の支度をした。
 いつもの時間に帰宅した薫だが、かなり疲れた様子だった。
「お風呂先にします?」
「そうさせてもらうよ」
「待ってますね」
 帰りのキスもないくらいには参っている。急遽メニューを変えることにした。
 炊きたてのご飯で酢飯を作り、買い置きのお揚げにつめる。簡単だが、薫の一番の好物だ。
「いなり寿司? どうして急に?」
 シャワーを終えた薫はテーブルを見て、
「酢飯は今、作りました」
「蓮…………」
「そんな感激されるほどのことじゃ。あとキスまだです」
 いつもより情熱的なキスだが、蓮は見た。目線がいなり寿司へ向かっていることを。
 温かな緑茶を淹れ、ふたりで手を合わせた。
「患者さんが多くて大変そうでしたね」
「スギやヒノキはもう落ち着いてくる頃なんだけど、今年はいつもより多いよ。自然の力っていくら医学が発達しても、乗り越えられることは不可能なんじゃないかって思うときがある。薬を開発したかと思えば、自然は打ち勝つ力を秘めているから」
「町に出ると、まだマスクしてる人もけっこう見かけます」
「患者といえば、八坂さんとても感謝してたよ。お礼を伝えてほしいって頼まれた」
「八坂さん?」
「ロビーであった子」
「ああ……八坂さんっていうんですね。僕らのこと、何か話したんですか?」
「とくに何も言ってないよ。いろいろ聞きたそうにはしてたけど。友人にも目の病気のことを話せてないから、初対面で理解してもらえるとは思ってなくて、さらに病院まで教えてくれて……って」
「突然目が見えなくなるのは恐怖でしかありませんから。きっと誰かを頼りたくて、でも一歩を踏み出せなかったんですよ。僕にとって薫さんが人生の光だったみたいに、彼女にも支えになる何かが見つかるといいです」
「今も人生の光?」
「そう思ってます。前は爽やかな風の中に差し込む光ってイメージで、今はネオン街のピンキーな光も混じってますけど」
「いやらしさ全開じゃん」



 一度縁ができると続いていくのは、恋人の件で実相済みだ。偶然再会したり、同棲するまで一緒になることもある。
──大丈夫?
──一時間閉じ込められています。もうすぐ運転再開できるみたいなので、降りたらすぐに帰りますね。
 急なブレーキとともに放送が流れたのは、人身事故だ。しかも目の前の駅で起こってしまった。
 SNSを通して悲惨な状況もすでに書かれている。
──迎えに行くよ。
 恋人の提案を有り難く受けることにした。立ちっぱなしで足に負担がきていて、家までの帰り道を歩くのもふらふらの状態だ。
 駅には一足先に薫が来ていて、蓮を見るや心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「ちょっと疲れました。肩貸して下さい」
「いくらでもどうぞ」
 駅のベンチで身体ごと預けた。最近、ジムへ通っている薫の肩は鍛え上がっている。
「今日はどこかで外食しない? 実は俺も帰りが遅くなって、夕飯の支度がまだなんだ」
「これから準備ってなると億劫ですよね。……ピザ食べたい」
「ジャンクな感じ?」
「疲れたときって何も食べたくないか、おもいっきり食べたいかのどちらかです。薫さんは?」
「俺もそんな感じ。肉食べたい気分なんだよね」
「食べ放題とか行きます? なんでもあるところ」
「いいね。乗った」
 焼き肉やしゃぶしゃぶ、ピザや寿司もあるところへ入った。
 お互いにピザや肉が食べたいと話していたのに、蓮はケーキ、薫はいなり寿司とまったく違うものを食べ始めて笑ってしまった。
「さっきの人身事故だけど、高校生の事故だったらしいよ」
「高校生……」
「花咲く年齢って言ってもそれは押しつけでしかないけど、寂しいね。蓮の高校生はどんな感じだったとか、想像してたら余計に悲しくなった」
「子供は自由がないです。言い換えると法や大人に守ってもらってるってことなんですが、子供であればあるほど気づかないものです」
「ごめん、せっかくの食事に」
 薫に眉間を揉まれた。皺ができていたらしい。
 お腹が膨らんだあとは、フルーツポンチを食べた。生きていればこんな美味しいものも食べられる。けれど死が目の前にある人間には何も伝わらない。世界一美味しい食べ物があっても、死に執着している人の気持ちは何も変わらない。



 最後に食べたフルーツポンチの話は翌日になっても話題に上がっていた。白玉と生のフルーツの組み合わせは嫌いな人間はいない、あの美味しさは忘れられないと、思いのほか盛り上がって自分たちでも作ろうと決めた。
 材料は白玉とフルーツ。白玉粉はあるが、フルーツはそれほど多く冷蔵庫に入っていない。庭にはブルーベリー。スーパーで買ってくると、仕事が休みの蓮が引き受けた。
 駅へ向かう途中、ベンチに見覚えのある女性が座っていた。
「八坂さん?」
 一度できた縁が続くのはこういうことだ。
 蓮は彼女の側へ行き目を合わせると、しっかりと視線がぶつかる。
「どうしかしましたか? 学校は?」
「さぼっちゃいました」
 悪びれもなくあっけらかんと言うもので、蓮は横に腰を下ろした。
「警察に補導されますよ。家には連絡しました?」
「はい。さぼったって言いました。昨日、友人が亡くなって、花を手向けにきたんです」
「それは……とてもつらいですね」
「昨日は元気に学校で過ごしたのに、人って判らないです。電車に飛び込んで、そのまま……らしくて」
「電車?」
 昨日は人身事故があり、高校生の事故だと聞いた。
「ずっとげらげら笑ってて、帰りも元気に手を振ってたのに。何よりも自分に悔しいんです。病気一つしないのに、人生に絶望を感じたことがなさそうだったのに、私は羨ましがるだけで何も判ってあげられてなかったんです」
 血が繋がっていたとしても分かり合えるのは不可能に近い。それを蓮は学んでいる。けれど学校という狭い空間の中で懸命に生き続ける彼女らに伝えてはいけない気がした。
「分かり合えなかったから友達ではないとも思わないよ。友達だからこそ隠したかったこともある。八坂さんだって、内面の秘密を友達が全部知っているわけじゃないでしょ? たった十数年かもしれないけど、悔やむよりお疲れ様が一番の供養になると思う」
 もし一番大切な人がもう二度と笑顔を見せてくれなくなったら。世の中をきっと怨む。溜めに溜めた怨恨は、自分が死んでもすべてを呪うだろう。愛情と怨恨は紙一重だ。それほど愛してしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
 心配されてしまった。蓮は穏やかに微笑む。そして深呼吸を何度か繰り返し、怒り狂った心臓の音を元に戻した。手汗がひどく、こっそりジーンズで拭く。
「さあ、帰りましょう。本当に警察から声をかけられますよ」
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