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第一章 ふたりの出会い

010 神子であるということ

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 四人前も入っている乾麺のうち二束を茹で、ふたりで食べた。残った束は家で食べなさい、とまとめて渡された。口に合わなかったわけではないようだ。大学生一人暮らしに気を使ったのだと察し「お代官さまー、ははー」と言いつつ受け取った。すると「山吹色のお菓子より、私は牛乳寒天が好きですす」と返ってきた。



 少し遅くに起きた優月は、パンをかじりつつテレビをつけた。通う大学がまたもやニュースになっている。考古学の講義で掘り起こした土から骨が見つかった事件についてだ。中には新種の動物の骨もあったと話題になっていた。
 あれだけ慌てふためいていた高岡はカメラの前で真剣に当時の状況を話している。
 冷蔵庫を開けると、安売りでまとめて購入しておいた牛乳が並んでいる。そのうちの一本と取り出すと、グラスに注いで飲み干した。
 残りは牛乳寒天を作ることにした。板寒天も砂糖もある。
 温めた牛乳に砂糖を入れ、溶かした寒天も入れて混ぜる。あとは型に入れるだけだ。
 一時間ほどで固まり、小さな器のものを味見してみると、間違いのない味だ。
 従兄弟である京野大地へ連絡を取ると、彼は家にいるという。
 さっそく牛乳寒天を持って本家へ行くと、彼は玄関の前にいた。
「よ。なんでまた牛乳寒天?」
「牛乳余ってたからさ。みんなで食べて」
「おう。悪いな。上がってくか?」
「今から買い物に行こうとしてたところだから」
 彼が玄関を閉めたところで踵を返そうとすると、中から怒鳴り声が聞こえてくる。
「アンタ、またもらってきたの?」
「いいじゃんか。せっかく作ってくれたんだし」
「あの子は月の神子なのよ! 祟りでもあったらどうするの!」
「わかったって。俺がまとめて全部食うから」
「食べちゃダメよ! すぐに捨てなさい」
 何か硬いもので後ろから殴られた気分だった。
 月の神子。こんな運命を背負う神子をなぜ住まわせているのかと常々疑問であったが、断ったときの祟りが恐ろしかったのだ。
「作ったものすら、食べてもらえないんだな」
 優月は走り出した。買い物をするとは決めていたが、どこへ行くかも判らずにただ全力で走った。
 どこへでもいい。消えてしまいたい。このまま酸素が足りなくなって、意識が失えばいいのに。けれど残念ながら身体は素直で、酸素を欲すると足が止まってしまう。
 祇園四条駅の前で、優月は腰を下ろした。いつの間にか雨が降っていた。身体はずぶ濡れで、冷える身体は気分が良かった。どうしたら何もかもを捨てられるのかと考え、電車の音のする方向を見る。
 世界から一人いなくなったところで世界は動く。誰も気にしない。たとえニュースになったとしても、数時間経てば忘れている。
 優月は腰を上げた。雨が止んだ。顔を上げると、誰かに傘を差し出されていた。
「……傘をどうぞ」
「リュカさん……どうしてここに?」
「ここは私の店がある最寄り駅です。お店に来て下さい」
 スーツを来てスーツケースを引いている。仕事帰りらしい。
「いえ、帰るので大丈夫です」
 立ち上がると、不覚にもよろめいてしまった。
 リュカは優月の腰を支えると、スーツに水滴が落ちる。
「帰る気なんてないでしょう」
「大丈夫です。すぐそこです」
「いいから来なさい」
「ほっといて下さい!」
 大声を張り上げてしまったせいで、通行人がこちらを振り返った。
 誰が悪いのかなのは明白だ。優月はすぐに謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい」
「あなたはいつもそうやって、なにかあっても独りで耐え抜こうとするのですか?」
 返答に困惑した。そんなことを言われたのは、正真正銘生まれて初めてだ。
「店ではなく、どこかホテルを取ります」
 リュカは端末を操作し、どこかのホテルに電話をかけた数分後には予約を取り、ついてくるよう促した。

 熱いシャワーを浴びると、肌の感覚が鋭くなった。雨に当たり、冷えた身体にはこのくらいがちょうどいい。
 がこん、と古めのドラム式洗濯機が鳴る。服はまだ乾いていない。
 バスローブに身を包み、シャワールームを出ると、リュカはどこかに電話をかけている。話す言語は英語だ。何を言っているのか理解できないが、丁寧よりもとにかく一方的に何か伝えたいようで、普段の口調よりもやや早口だ。
 大学では英語を専門に学ぶ学科もある。考古学は将来、何の役に立つんだと高校の教師から散々言われ、父親にも反対された。父からすれば、神子としての役割を果たすためにどこへも行かせたくなかったのだろう。
「英語……勉強してみようかな」
「外国語の講義は取っていないのですか」
 電話を終えたリュカは上着を脱ぐと、ハンガーへかけた。隣には優月の上着もかけられている。一人暮らしの優月にとって、見慣れない光景だ。
「取ってはいるんですけど、基本的なことばっかりですよ」
「基礎はとても大事ですよ。ただ、日本の授業は紙での勉強が多く、実際に触れる機会が少ないと感じます。少しでも、私と話してみますか?」
「俺の英語力を知ったら幻滅しますよ」
「最初から異国の言葉を流暢に話せるとでも?」
「リュカさんがそういうと、納得できるものがあります」
 目の前の麗しきイギリス人は、誰よりも血の滲む努力をしただろう。それこそ骨董品の知識もだ。
「好きな人と話すと覚えが早いって言いますよね。異国の言葉は恋人と話せってやつ」
「そのために言語の習得を望んでいるのですか?」
「え? いやリュカさんと話すと覚えが早そうって意味なんですけど」
「……………………」
 リュカは頭を抱えてしまった。ソファーに座り、飲みかけのペットボトルを煽るように飲む。男らしい飲みっぷりだ。
「……日本人特有のものなのか、あなた特有のものなのか。まだまだ私には知識が足りないです」
「充分だと思いますけど」
「話を変えます。触れてほしくないでしょうが、あえて聞きます。なぜあんなところで座っていたのですか?」
 逃げられなそうだ。服もまだ乾いていない。
 観念して、優月もソファーへ腰を下ろす。
「俺の作ったそば、美味しかったですか?」
 リュカは押し黙った。言葉を選んで頭を回転させている。間違えたら、心を開けないと思っている。彼はそういう人だ。
「人から作ってもらったものは心がこもっているものですよ。とても美味しく頂きました」
「それだけで、大半は解決しそうです。ああ、涙が出そう。何気ない一言でもとても救われました。俺の作った料理を美味しいって言ってもらえて」
「美味しくないという方がいらっしゃるのです?」
「味がどうのっていうより、俺が作ったっていうのが問題なんです。俺の家はちょっと特殊な家庭で、……うまく説明できない。いや、したくないって言うのが正しいのかも。とにかくそっとしておいてほしいんです。話してどうにかなるものでもないし」
「話すと楽になれたりするものですが、家柄の詳細を話せないのはよくあることです。ただ、あなたが思っている以上に世の中は広い。あなたの作った料理を毎日でも食べたいと思う人だっています」
「そうかなあ?」
「あなたの作ったそばを食べて、私はそう思いました。とても心が暖かくなりました」
「プロポーズみたいですね」
 リュカの持つペットボトルが可哀想なほど潰れた。
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