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第一章 貴族と山の村娘

019 満月の神子

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 月が上がれば美しく咲き、日が上がれば花は萎む。
 土ごと持ち帰った満月の花は、とにかく不思議に人を魅了させている。
「実が万病にも効くという花ですか」
「人工的に実にさせるのではなく、花の意思に委ねたいと思います。生きた命を奪うわけですから、せめてときがくるまで美しく咲かせてあげたいのです」
 反対されるかと思いきや、誰も異議を唱えるものはいなかった。尤も、禧桜も瑛もそうすべきだと我先にと申し出たのが大きかった。
 織はほんの少しだけ葉を切り取り、毒性がないかどうか調べた。毒どころか、万病にも効くと言われている理由が判った。
 風邪や滋養、身体の痛み、咳などにも効く成分が存在していた。これを使えば、間違いなく薬になる。
 ただ、獣化を治すというものは前例がないため、織は満月の実の力に頼るしかなかった。
 なかなか実にならないはずだが、不思議なことで翌日に花は枯れ土に花びらを落とした。
 橙色の実は太陽を表しているかのように美しく、月の光りを跳ね返すほど輝きは負けていない。
 中には種があり、これは土に埋めて新しい命となる。
 薬は他の植物と合わせるのが基本だが、織はあえて満月の花の実のみを乾燥させ、薬とした。
 作った薬をまずは織が試してみた。多少の喉の痛みがあったが、次の日には完治していた。山を歩き渡った節々の痛みもほとんど消えている。
 まずは満月の日の前日に禧桜と皇后へ薬を飲んでもらう。すると陛下は自我を保っていられるようになった。自身の姿を姿見で見ては絶句していた。
「なんて姿だ……いや、これを見た女人たちはさぞ驚愕したことだろう」
 毎月、織は一つの実を削り、二人にそれぞれ渡した。
 半年ほど経つと、満月の日であっても身体に毛が生える程度でほぼ人間の姿を保つようになっていた。
 その頃になると、隠居して町には顔を出さないようにしたいと皇后から申し出があった。
 理由は頑なに話そうとしなかったが、今までの振る舞いに対して思うところがあるのだろうと、織は察した。
 ほどなくして織は禧桜に呼び出しを受けた。
 体調もすっかりよくなった。顔色もいい。上機嫌で禧桜は恐ろしいことを告げる。
「そなたを夫人候補に今度こそ招き入れたいと願っておる」
「え…………?」
「皇后も玉座に足を踏み入れないと誓い、新しく異国から女人を何人か入れるつもりだ。織も候補のうちだったろう?」
「さ……左様でございますが、恐れ多いことございます」
「強制をするつもりはない。考えてもらえまいか」
 現陛下からの直々の願いをはねのけるわけにはいかなかった。ほぼ強制のようなものだ。織は足がぐらつき、まともに歩けない。近くで待機していた柏に肩を借り、瑛の部屋へ戻った。
「大丈夫ですか?」
「ええ……なんとか。この件ですが、瑛は知っているのですか?」
「おそらく耳に入っているでしょう」
 昨夜の瑛は何も言わなかった。一緒に食事をして、おやすみを言い合い、部屋に戻ったのだ。
 怒りの沸点は低いが、気持ちを抑えようにも我慢がならなかった。
 夕食の時間になると、瑛が戻ってきた。
「どうした? そのような怖い顔は見たことがないぞ」
「私は怒っています。本日、陛下より正式に皇室へ入らないかというお呼びがかかりました。あなたは知っていましたね?」
「知っていた。それで黙っていた」
「なぜですか」
「俺はお前を家族に迎え入れたい気持ちは今も変わっていない。だが一方的なもので、お前から良い返事をもらえたことがない。殿下という立場である以上、手に入れようと働きかければ手に入れられてしまう。だからこそ怖かった。お前の気持ちを無視したくなかったのだ」
「それは……私が陛下を選ぶと……?」
「お前の幸せが陛下と共に歩むことならば、俺はこれ以上何も言えない。俺は独りで枕を濡らすしかないだろうな」
「あなたはいじわるです……私はあなたと家族になることをずっと考えていましたのに」
「織…………」
「今さら禧桜陛下の元へ行けと言うのですか? あまりにひどいです」
「すまない。どうか怒らないでくれ」
 瑛は織の肩に手を置いた。許しを請う顔などしていなかった。珍しいものをみた子供のように、ただ笑っている。










「織……織、そろそろ中へ入ろう」
 今日は風がいっそう強かった灰色の雲が山頂を覆っている。
「せっかくの記念日に災難ですね」
「中でお祝いでもしよう」
 瑛に肩を抱かれ、織はバスケットを持ち直した。
 本当はシートを敷き、外で食事をするつもりだったのだ。
 辺りには満月の花が咲き誇っている。数年前、織が植えたものだ。一輪の花がしだいに増え、せっかくだからと元住んでいた家の土地を花畑にした。家は跡形もなく寂しかったが、今はこうして花が出迎えてくれる。
「殿下、織郭、夫婦でお出かけですか?」
「ああ、そうだ。だがあと数時間で雨が降る。お前も中へ入れ」
 数年前、織は瑛と籍を入れた。表向きは結婚だが、どちらかというと兄弟や家族の関係に近い。養子に入るか、婚姻関係を結ぶか。ふたりで散々話し合った。これでもかと縁談が舞い込む瑛にやきもきするなら、いっそ籍を入れてしまおうと勢いのまま一緒になった。
 男が第一夫人など前代未聞で国中を驚かせたが、ふたりの関係はさほど変わっていない。
「やっぱり降ってきましたね」
 部屋へ戻った直後に、窓ガラスが横殴りの雨で叩きつけられている。あのまま食事をしていたら、弁当が台無しだ。
「にしても、記念日に弁当を持って外で食べたいと聞いたときは驚きました」
「この前町へ視察に行ったら、農家が外で昼食を取っていた。美味そうに見えてな」
「相変わらず奇特な方ですね。外には獣や虫がいます。嫌がるお貴族様が多いというのに」
「この天気で残念ながら願いは叶わなかった。次と機会としよう。織が住んでいた家で食べたいのだ。あそこは満月の花が咲いて美しいからな」
「本当に不思議な花ですよね……あの花にはもう薬としての効果は得られないのですから」
 万病に効くはずの花は、禧桜と皇后の体質を治した。皇后は隠居し、織が婚約する前にそのまま亡くなった。美しい姿のまま、穏やかな顔をしていた。
 変化があったのはふたりの身体だけではなく、花の効果だ。二度と薬として使えない代わりに、種ができて芽を出し、下生えは月の光を浴びて成長した。
「月には不思議な効果が宿っているのかもな。あるいは神が住んでいて、我々が必要な命を与えてくれているのかもしれん」
「この国では山に神が存在すると言われています。新しい伝承を記しても良いかもしれませんね」



 数十年後、ふたりは物語を記した。
 瑛は命を救った月の神子の話を、織は万病にも効く美しき花の話を。
 後世に続く人々は、誰よりも幸せだった一風変わった夫婦の物語を綴った──。
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