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第一章 貴族と山の村娘
018 山頂に咲く花
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一週間で梟が帰ってきた。足にくくられた手紙からは、ほのかに甘い香りがする。鈴が好きだった果物の匂いだ。
手紙を読むと織は立っていられなくなり、声を失ったまま椅子に座った。
「どうした?」
瑛に無言で手紙を渡す。中には瑛への感謝の言葉も綴られていたため、見せるべきだと思った。
「満月の花より、実に効果がある……?」
「私に薬の知識を叩き込んでくれた長が知っていました。昔はよく山頂で採れたが、今はあるか判らないと。実になるまで、相当の時間がかかるようです。しかも私の故郷から近い山で昔は採れたと。……手紙を受け取り、私は気持ちが揺れています」
瑛は、最後まで読み進めた。家族や村人たちの強い絆が記されている。
「『どんな理由があろうとも、勝手気ままに入ることは禁止する。さもなくば、名誉と誇りをかけて戦う』か」
「瑛は私の村がとても素晴らしいところだと言ってくれました。私の自慢でもあります。何人もの衛兵たちが踏み入れてしまえば、薬に使う植物も荒らされ、動物たちも普段とは異なる匂いにいなくなってしまいます。場所を知る長は、もうそれなりのお年です。一緒には行けないでしょう」
「少人数であれば問題ないか?」
「瑛……殿下のあなたがまさか入ろうというのですか?」
「織も行くのだろう? 俺は過去に入ったことがあるし、初めてではない。体力には自信がある衛兵たちは連れていかず、柏ひとりだ。信用しきれないのなら、見張りをつけてもらっても構わない」
織は悩んだ。禧桜は瑛の家族だ。力になりたいとも思うし救いたい。人体実験の被害者である皇后は、まったく罪がないのにあのような姿でいなければならない。
「……もう一度、手紙を出します」
次に書く内容は、瑛の提示した条件だった。
禧桜の前で瑛と柏と三人のみで山へ入る、と言ったとき、すかさず衛兵たちは剣を抜いた。国が本気を出せば村など滅びるだの、散々な言われようだった。
瑛は静かに怒りを込めた。
「この案は俺が考えたものだ。剣を収めよ」
「瑛殿下が……?」
「剣は守るためにあるものだ。脅迫の道具に使うなど言語道断」
「大変失礼致しました!」
「禧桜陛下、我々三人で山へ入ります。その間、煌苑殿を留守にすることをどうかお許し下さい」
「許すも何も、我々のために尽くしてくれることを感謝する」
「もったいないお言葉でございます」
「無事に帰れるよう、心から祈っておる」
次の満月まで帰れるかどうか判らないので、睡眠薬や痛み止めを多めに調合した。
村へは馬車で向かう。まさかまた同じ道を辿れるとは夢にも思わなかった。
村につくと皆総出で待っていた。父や母、蓮や鈴もいて、ひとりひとりと抱き合って再会を喜んだ。
「本日はお疲れでしょうから、まずは食事を取ってゆっくりをお休み下さい」
「ありがとうございます」
実家に荷物を置き、村長の家に招かれた。
「……本当に三人で来られたのですね」
「約束ですから。他の者は連れてきておりません」
「満月の花の実、でしたかな。確かに感染症や高熱、身体の痛みとなんでも効く代物です。場所は判りますが、老いぼれには山は登れませぬ」
「地図を書いて頂けませんか? どうか、どうかお願いします」
「織…………」
村長は頭を振る。いまいち納得がいかないと表情は冴えない。
「なぜお前がそこまでほしがる? ……殿下を前に失礼ですが、可愛い孫を盗られたという気持ちがどうしても拭えないのです」
「当然のことと思います。いきなりよそ者がやってきて、警戒もするでしょう。織からも、いかに家族と仲がよかったかと話を聞いていました」
「それならば、なぜ欲しがるのですか?」
瑛はひと息置くと、内密の話だと声をひそめた。
呆気にとられたのは織だ。まさか国の顔とも言える禧桜や皇后の秘密を村の者にばらすとは思わなかった。
村長も口が開いたまま動かなくなっている。
「それは話してはならぬことでは……?」
「ええ、そうです。首を斬られる覚悟の上です。織は、私の家族でもある陛下を助けようとしてくれています。そして助けられるのは、薬の知識を豊富に持つ織だと確信しています」
「なんと、そのようなことが……。煌苑殿では良からぬ噂は聞いたことがあるが……」
「被害者を思えばすべて水に流すのは難しいです。ですが少しでも救いたいと私も考えています」
「織…………」
「お願いです。どうか場所を教えて下さい」
織も瑛も、黙って成り行きを見守っていた柏も。頭を下げた。
村長は立ち上がり、棚から紙切れを持ってきた。地図だ。虫に穴を空けられた跡があり、日に焼けて色が変わっている。
「梟便で手紙がきたとき、先人の残したものを整理していた。文字は消えているが、これが満月花のあった場所だ。だが今もある保証はない。知っていることはこれだけだ」
「村長……ありがとうございます」
途中までは父親の案内で山を登り、あとは三人のみで山頂を目指さなければならない。乾パンや干し肉などで腹を満たしつつ、とにかく足を動かした。
「瑛、私の荷物を持たなくていいです」
背負う荷物を片手で上げられ、背中の負担は軽くなるが、重荷を彼に背負わせたいわけではない。
「なんなら私が持ちましょうか」
「柏が一番持っているではありませんか。私は平気です。ほら、あと少しで頂上ですよ」
朝方に向かい、今はもう夕方だ。不思議と足取りは軽い。瑛と柏も体力はかなりある。
「見えました」
織も滅多にお目にかかれない高山植物が多数ある。薬師として鼓動が高鳴るが、優先すべきは満月の花だ。
「見たことのない植物ばかりだ」
「ええ……そうですね。胸が躍りますが、まずは花を探しましょう」
「織、ここへきてこのようなことを言うのは憚られますが、万が一見つからなかった場合、どうなさるおつもりですか」
「土を持ち帰ります。一縷の望みですが、土の中で眠っている種を呼び起こして、煌苑殿で育てようと考えています。残念ながら、私は薬師としての知識がこれで限界を迎えそうです。知恵を絞っても、これしか思い浮かばなかったのです」
「我々にはどうすることもできなかったのだ。むしろよくここまでしてくれたと感謝している」
日が傾き、空はよりいっそう暗黒に包まれた。星が流れる風景を目で追うと、一つの植物が薄暗い光を放っている。
「もしやこれが満月の花……?」
「図鑑で見たものと似ています。持ち帰りましょう」
手紙を読むと織は立っていられなくなり、声を失ったまま椅子に座った。
「どうした?」
瑛に無言で手紙を渡す。中には瑛への感謝の言葉も綴られていたため、見せるべきだと思った。
「満月の花より、実に効果がある……?」
「私に薬の知識を叩き込んでくれた長が知っていました。昔はよく山頂で採れたが、今はあるか判らないと。実になるまで、相当の時間がかかるようです。しかも私の故郷から近い山で昔は採れたと。……手紙を受け取り、私は気持ちが揺れています」
瑛は、最後まで読み進めた。家族や村人たちの強い絆が記されている。
「『どんな理由があろうとも、勝手気ままに入ることは禁止する。さもなくば、名誉と誇りをかけて戦う』か」
「瑛は私の村がとても素晴らしいところだと言ってくれました。私の自慢でもあります。何人もの衛兵たちが踏み入れてしまえば、薬に使う植物も荒らされ、動物たちも普段とは異なる匂いにいなくなってしまいます。場所を知る長は、もうそれなりのお年です。一緒には行けないでしょう」
「少人数であれば問題ないか?」
「瑛……殿下のあなたがまさか入ろうというのですか?」
「織も行くのだろう? 俺は過去に入ったことがあるし、初めてではない。体力には自信がある衛兵たちは連れていかず、柏ひとりだ。信用しきれないのなら、見張りをつけてもらっても構わない」
織は悩んだ。禧桜は瑛の家族だ。力になりたいとも思うし救いたい。人体実験の被害者である皇后は、まったく罪がないのにあのような姿でいなければならない。
「……もう一度、手紙を出します」
次に書く内容は、瑛の提示した条件だった。
禧桜の前で瑛と柏と三人のみで山へ入る、と言ったとき、すかさず衛兵たちは剣を抜いた。国が本気を出せば村など滅びるだの、散々な言われようだった。
瑛は静かに怒りを込めた。
「この案は俺が考えたものだ。剣を収めよ」
「瑛殿下が……?」
「剣は守るためにあるものだ。脅迫の道具に使うなど言語道断」
「大変失礼致しました!」
「禧桜陛下、我々三人で山へ入ります。その間、煌苑殿を留守にすることをどうかお許し下さい」
「許すも何も、我々のために尽くしてくれることを感謝する」
「もったいないお言葉でございます」
「無事に帰れるよう、心から祈っておる」
次の満月まで帰れるかどうか判らないので、睡眠薬や痛み止めを多めに調合した。
村へは馬車で向かう。まさかまた同じ道を辿れるとは夢にも思わなかった。
村につくと皆総出で待っていた。父や母、蓮や鈴もいて、ひとりひとりと抱き合って再会を喜んだ。
「本日はお疲れでしょうから、まずは食事を取ってゆっくりをお休み下さい」
「ありがとうございます」
実家に荷物を置き、村長の家に招かれた。
「……本当に三人で来られたのですね」
「約束ですから。他の者は連れてきておりません」
「満月の花の実、でしたかな。確かに感染症や高熱、身体の痛みとなんでも効く代物です。場所は判りますが、老いぼれには山は登れませぬ」
「地図を書いて頂けませんか? どうか、どうかお願いします」
「織…………」
村長は頭を振る。いまいち納得がいかないと表情は冴えない。
「なぜお前がそこまでほしがる? ……殿下を前に失礼ですが、可愛い孫を盗られたという気持ちがどうしても拭えないのです」
「当然のことと思います。いきなりよそ者がやってきて、警戒もするでしょう。織からも、いかに家族と仲がよかったかと話を聞いていました」
「それならば、なぜ欲しがるのですか?」
瑛はひと息置くと、内密の話だと声をひそめた。
呆気にとられたのは織だ。まさか国の顔とも言える禧桜や皇后の秘密を村の者にばらすとは思わなかった。
村長も口が開いたまま動かなくなっている。
「それは話してはならぬことでは……?」
「ええ、そうです。首を斬られる覚悟の上です。織は、私の家族でもある陛下を助けようとしてくれています。そして助けられるのは、薬の知識を豊富に持つ織だと確信しています」
「なんと、そのようなことが……。煌苑殿では良からぬ噂は聞いたことがあるが……」
「被害者を思えばすべて水に流すのは難しいです。ですが少しでも救いたいと私も考えています」
「織…………」
「お願いです。どうか場所を教えて下さい」
織も瑛も、黙って成り行きを見守っていた柏も。頭を下げた。
村長は立ち上がり、棚から紙切れを持ってきた。地図だ。虫に穴を空けられた跡があり、日に焼けて色が変わっている。
「梟便で手紙がきたとき、先人の残したものを整理していた。文字は消えているが、これが満月花のあった場所だ。だが今もある保証はない。知っていることはこれだけだ」
「村長……ありがとうございます」
途中までは父親の案内で山を登り、あとは三人のみで山頂を目指さなければならない。乾パンや干し肉などで腹を満たしつつ、とにかく足を動かした。
「瑛、私の荷物を持たなくていいです」
背負う荷物を片手で上げられ、背中の負担は軽くなるが、重荷を彼に背負わせたいわけではない。
「なんなら私が持ちましょうか」
「柏が一番持っているではありませんか。私は平気です。ほら、あと少しで頂上ですよ」
朝方に向かい、今はもう夕方だ。不思議と足取りは軽い。瑛と柏も体力はかなりある。
「見えました」
織も滅多にお目にかかれない高山植物が多数ある。薬師として鼓動が高鳴るが、優先すべきは満月の花だ。
「見たことのない植物ばかりだ」
「ええ……そうですね。胸が躍りますが、まずは花を探しましょう」
「織、ここへきてこのようなことを言うのは憚られますが、万が一見つからなかった場合、どうなさるおつもりですか」
「土を持ち帰ります。一縷の望みですが、土の中で眠っている種を呼び起こして、煌苑殿で育てようと考えています。残念ながら、私は薬師としての知識がこれで限界を迎えそうです。知恵を絞っても、これしか思い浮かばなかったのです」
「我々にはどうすることもできなかったのだ。むしろよくここまでしてくれたと感謝している」
日が傾き、空はよりいっそう暗黒に包まれた。星が流れる風景を目で追うと、一つの植物が薄暗い光を放っている。
「もしやこれが満月の花……?」
「図鑑で見たものと似ています。持ち帰りましょう」
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