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第一章 貴族と山の村娘

06 下町

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 まだ湯気の出ている魚を頬張った。軽く塩を振っていて、塩味が魚の淡泊な味を際立たせている。
「簡単に言ってくれるな」
 瑛は茶をひと口すすった。ふわりと広がる甘みのある香りに、瑛の頬が緩む。
「問題なのは、皇后……でしょうか」
「詳しくは話せないが、陛下は時折、座に着かず内に籠もるときがある。昨日、お前の前に姿をお見せになったが、体調が思わしくないのだ」
「詳しく話せないとなると困りますが、ご病気であれば、私の調合できる範囲で薬をお作りしますよ」
 瑛は首を振る。
「お前の腕を疑っているわけではないが、腕の良い医者や薬師に散々相談しても、どうにもならなかったのだ」
 今は第五夫人候補ですらない。話すわけにはいかないのだろう。
「判りました。困り事があれば、ご遠慮なさらずになんでもおっしゃって下さい」
「こうしてお茶を出してくれるだけで、気持ちが安らぐ。また来ても構わないか?」
 織は眉をひそめ、唸り声を上げる。
「瑛殿下とあろうお方が、こんな離れに来てはおかしな噂を立てられてしまいますよ」
「俺は何を言われても構わない。今度、町を案内しよう」
 織の顔がぱっと明るくなった。
「それならば、ぜひ薬屋や果物屋に……あっ菓子を売る店あるのなら、行ってみたいです!」
「甘い物が好きなのか?」
 瑛が優しく微笑むと、今度は織が目を逸らした。
「村ではそんなに食べられませんから。それに子供たちがたくさんいます」
「お前は優しいな。きっと自分の分を子供にあげていたのだろう? お前が好むものがあるか判らないが、楽しみにしていてくれ」
 瑛は二杯目のお茶を希望したので、織はめいっぱいの気持ちを込めて淹れた。



 しなって大きな音を立てる扉は自分で直し、埃っぽい布団も干して太陽の光を浴びさせた。
 台所は汚れがひどかったが、洗えばすぐに綺麗になり、蛇口からは湧水が溢れ出す。よく冷えていてそのままでも充分に甘いが、お茶にするとより香りを引き立たせる味だ。
 裏手には水が流れていて、魚も泳いでいる。瑛の話では自然があまり美しくないと言っていたが、織はとても気に入った。
「昼餉だ」
 使用人がお盆を押しつけてきたので、織は立ち上がって受け取る。
 飯には泥が被っている。またか、と心の中でぼやきたくなった。
 飯を持ってくる人は瑛だったり柏、それに使用人であったりとその日によって異なる。瑛や柏のときはいささか飯が豪華であり、それ以外の人であれば、こうして泥や砂をかけられたり、おかずが根こそぎ無くなっていて白飯だけのときもあるのだ。
「ありがとうございます」
 だが織は笑顔で受け取る。すると使用人は舌打ちをして、居心地が悪そうに退散するのだった。
 離れに住むだけでも差別の対象となるのに、第五夫人に選ばれたのに男士だったという陛下に恥をかかせるような行為をしたのだ。蔑まれても仕方ない。
 織は上に被る泥を取り除き、作っておいた漬け物と一緒に食べた。
 洗濯物を干していると、数人の男たちがやってきた。中には柏もいる。
「柏殿、こんにちは。どうされたのです?」
「瑛殿下から贈り物です。衣服など生活に必要なものを届けに参りました」
「わざわざありがとうございます」
 藍色のローブが入っていた。下に穿くものはゆったりとしていて、足首で縛るものだった。異国の踊り子が穿いているものに近い。
「そちらはこの国で薬師や医師が身につけるものです」
「ありがとうございます。認めて頂けたのですね」
「織殿の腕は瑛殿下が一番ご存じですよ。過去に殿下を助けたのはあなたなのですから」
「布団まで頂いて……押入にあったものを干したら、まだ使えるのです」
「ではこちらはしまっておきましょう。使えなくなったら、新しいものを取り出して下さい。それと……」
 柏は木箱を渡してきた。
 中を開けると、村で使っていた薬を調合する道具が入っていた。
「どうしてっ……?」
「新しく購入するか検討しましたが、瑛殿下が慣れ親しんだものがいいだろうと、村へ連絡を取ったのです」
「そうでしたか……。殿下という立場で、何から何まで……」
「そちらで以上です。では何かありましたら、いつでもお呼び下さい」
「本当に、ありがとうございます。感謝に堪えません」
「お礼でしたら瑛殿下へ。失礼しますね」
 使用人たちへもお礼を告げると、織はさっそく道具を手に取ってみた。
 綺麗に手入れをされている。きっといつでも使えるように、いつかまた薬を作れる日が来るように、と家族が汚れを落としてくれたのだろう。
 底に手紙が入っている。家族からだった。
 内容は、梟便が届いた、村はいつも通りだということ、身体の心配、瑛殿下が手紙を届けると自ら動いていたとの内容だ。
 殿下という立場でありながら、彼は心から村を思ってくれて、差別や制度のない世の中を創ろうとしているのだと心が暖かくなった。
 道具に触れると、よく馴染む。染みついた匂いは長いこと使ってきた証だ。
 試しに外で採ってきた木の実と薬草を混ぜ、滋養に良い薬を作った。
 今は誰も購入してくれる人はいないが、いつかここで仕事を再開できたらと願わずにはいられない。



「いくらか伸びてきたか?」
 瑛は織の髪に触れ、指に絡めた。
 煌苑殿に来て首を斬られそうになる直前、衛兵により髪を切られてしまったが、毛先を整えるといくらかましになった。
 神が宿るとされる髪を大抵の人は伸ばしている。髪が短いのは織くらいで、悪目立ちしていた。
「まだ数週間ですよ。そんなに早くは伸びません」
 今日は煌苑殿を出て町へ来ていた。先へ進むたびに温泉があり、異国の人間も立ち寄る姿がある。
「温泉が名物なんですね」
「入っていくか?」
「瑛殿下とですか?」
「織、せめて俺や柏がいる前では、瑛と呼んでほしい。昔はそう呼んでいただろう?」
「判りました。瑛と呼びます」
 瑛は嬉しそうだ。皆の前では威厳を保つためかあまり表情を崩さないが、今は村で一緒にお茶をしたときと同じ笑顔でいる。
「殿下とあろうお方が裸の付き合いをなさるなんて、聞いたことがありませんよ」
「そんなことはない。他の貴族は知らないが、俺は何度か入っていくぞ」
「あっ瑛殿下だー」
「ほんとだー」
 子供たちが駆け寄ってきた。瑛は転びそうになる少女を受け止め、頭を撫でる。
「急に走ったら危ないだろう」
「はーい」
「あら、瑛殿下。お久しぶりです。どうです? うちに寄っていきませんか?」
「久しぶりだな。織、こちらは甘味処の店主だ」
「初めまして」
 織はズボンの裾を掴み、恭しくお辞儀をする。
「織は煌苑殿の薬師として働き始めた。度々ふたりで町に来るから、覚えておきなさい」
「はーい」
 児童がぴんと手を上げた。
「さあ織、せっかくだから甘味処へ行こう」
「はい、喜んで」
「ばいばーい、またねー」
「はい、また今度」
 子供たちにも織は頭を下げ、瑛の後ろをついていく。
「女人や子供が元気な町は、とても良い町です」
「織の村も同じように元気だ。俺もああいう村を創りたいと願っていた」
「村の話ですが、道具だけではなく手紙も書いていいと、話して下さったのですね。父と母からの手紙が入っていました」
「変わりなかったか?」
「村はいつも通りだそうです」
「なら織も書くといい。きっと喜ぶ」
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