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第三章 明巴

10 考察してみた

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 「足は自分で解け」

 甘えかかるフタミを突き放して、エイミが俺を見る。口元にはまだガムテープが貼られたままであった。髪を振り乱しているので、さながら口裂け女だ。

 俺の足首を縛る紐がまだ解けていないことに気付くと、黙って解いた。急に手足が軽くなったように感じた。
 俺は手足をぶらぶらと振った。ズボンのチャックがまだ下りたままであることに気付いて、素早く上げる。

 「助かったよ。ありがとう」
 「お言葉ですが、ここから出られるかどうか、わかりません。出られたとして、敷地から無事に離れることは難しいでしょう。バイクは2人までしか乗れませんから」

 エイミに睨まれ、まだ足の紐と格闘するフタミがしおれる。

 「すみません。余計なことをしました」

 俺はトイレの世話をしてもらったことでもあるし、フタミが可哀想になった。

 「あ、でもフタミがいて、俺は助かったよ。いくらお目付けでも、アオヤギは一応、女だし。アレ見せるわけにいかないだろ」

 「既に見ております」

 「あ、そうか」

 「ええっ、それどういう事ですか」

 フタミの顔が、さらに情けなくゆがむ。やぶ蛇だった。
 フタミが本気で泣きそうなので、俺は海辺で昏睡強盗こんすいごうとうに遭ったことを、簡単に話した。

 話が進むにつれ、フタミがあきれ顔になっていく。俺は、かばうんじゃなかった、と後悔した。

 俺が話している間に、エイミは部屋の扉や壁を見に行った。俺は思い出して、水道でトイレの跡を流した。水の冷たさで、今の季節を思い出した。

 「出られそうか」

 戻ってきたエイミに訊いた。
 落ち着いて見れば、内股や二の腕の辺りが切り裂かれ、ぶらさがった布が手足にまとわりついている。独創的なファッション、には見えない。寒そうな上、動き辛そうでもある。

 「格納庫のようなところみたいですね。ここから外に、直接出られるでしょう。まず、ここから出るのが難しそうです。ところで、梶尾先生はどういう訳で、ユーキ様にあのようなことをなさったのか、説明されましたか」

 「どうだったかなあ」

 射撃にさらされた恐怖ばかりが思い出される。すぐには出てこない。

 俺が話さないと先に進まないようなので、別荘に着いてからの出来事を、順番に思い起こすことにした。そして、端から話す。

 「ここについてすぐ、別荘の管理人をしている山井という老夫婦に紹介されて、ロビーみたいなところでコーヒーをご馳走になったら、急に眠くなった。薬が入っていたみたいだ。起きたら、アオヤギが見たあの場所に縛られていて、明巴、いや梶尾先生と大男がいた。彼女、何て言ったかなあ。俺に愛人までいて2股、いや3股かけられたと言って怒っていたんだ」

 エイミとフタミの冷たい視線を感じ、俺は話を止めた。気温が下がった気がした。必死で紐を解くまで気付かなかったものの、足元からの冷気が体の熱を奪いつつある。別荘は山の中にあった。

 「俺は2股も3股もかけたことはない。それに、誰とも愛人契約なんか結んでいない。今付き合っているのは、明巴、梶尾先生だけだった」

 「そのようでしたね」
 「エイミ様がそう言われるのなら、本当だろうね」
 「フタミは、俺の言葉を素直に信じろよ」

 「ときに、その誤解は誰から吹き込まれたものか、梶尾先生は話しましたか」

 俺の抗議は無視して、エイミが話を進めた。俺も頭を切り替えた。

 「特に誰とは言っていなかった、と思う」

 「それがわからないと、今後また同じようなことが起きるのを防ぐのは難しいのですが」

 「ユーキ様は梶尾先生とご結婚されないということなので、これまでの経緯から推測するに、お二人が別れるのであれば、今回これ以上事が起こることはない、と考えてもいいでしょう」

 「ところで、ユーキ様に遊ばれていたと分かって、梶尾先生は、これからも交際を続けるつもりなのでしょうか」

 遊ばれていたとは人聞きの悪い、と抗議しかけて堪える。フタミがあっと言った。

 「もしかして、その先生が思い込んでいた愛人というのは、エイミ様のことではありませんか」
 「あ、そういえば。隣に住んでいるとか、何とか言っていた」

 「なるほど。事情を知らない人間がそのように考える可能性はあるな。予備校関係者なら、住所を調べるのは簡単だろう」

 エイミが考えながら続ける。

 「仮に私を愛人と思い込んだとして、その上で私を呼び出したとなると、先生はユーキ様と別れないつもりではありませんか。例えば、ユーキ様がぼろぼろになったところを愛人に見せて愛想あいそを尽かせる、あるいはユーキ様を脅して愛人と別れさせる、といった事を考えているかもしれません」

 「腹いせに俺とアオヤギを懲らしめて、捨てる、という線はないのか」

 「腹いせならユーキ様だけで十分です。3股の相手を懲らしめるなら、まとめてした方が手っ取り早い。まして捨てるつもりなら。私の他にもう1人お相手がいる筈ですが、それらしい人は見かけませんでした。あるいは既に始末をつけたのかも」

 始末って。エイミは冷静に恐ろしいことを言う。

 「これも縁だと思って、その先生と結婚すれば? そうすれば、お家も安泰あんたいだし」

 フタミがこんな状況なのに、ありえない提案をする。しかも、エイミが淡々と付け加える。

 「この辺り結婚式は豪勢ですからね。嫁入り道具だけでもひと財産増えます。世帯同居が普通で、そのまま家も受け継ぐらしいです」

 「冗談じゃない」

 タンスや鏡台を載せた、『○○家ご婚礼家具配送中』の垂れ幕付きトラックが走るのを、俺も見たことがある。荷台の囲いが透明なので、中身が丸見えなのである。見せるために走っているのだ。

 最近は地下道ばかり通っているからわないが、道端で、人だかりができているところに、菓子がばらまかれるのを見たこともあった。棟上むねあげではなく、結婚の祝いである。ところ変われば、品変わる、という奴だ。

 「もてあそばれた側の方こそ、冗談では済まされない、と思っていることでしょう」

 エイミの手厳しい意見が俺に刺さる。どんな時でも味方をしてくれるもの、と無意識に思っていたことに気付いて、更に落ち込む。

 「ともかく、梶尾先生とは、これからも顔を合わせなくてはならない関係です。ここから逃げ出すだけでは、話は片付きません。下手に動くよりも、朝まで待って、きちんとお話しされるのがよいかと思います」

 俺の落ち込みに気付いたのか、エイミはすぐに話を切り替えた。フタミもからかうのを止めて、真面目な顔つきに戻る。2人に気を遣われてありがたかったが、それはそれで気分が滅入めいる。

 「こうして3人も揃ってしまったら、面倒だから殺しちまえ、となりませんか」 

 「ユーキ様が梶尾先生と交際していたことは、複数の人間が知っている。それは先生もご存知だ。最悪でも、明日中にフタミが戻らなければ、お母様が動く。さっきの話は冗談だ」

 冗談には聞こえなかった。警察OBは簡単に人を殺さなくとも、愛娘まなむすめが殺人を犯したら、全力で隠そうとするかもしれない。警察なら捜査の裏を掻くなどお手のものだろう。俺は身震いした。

 「寒いのではありませんか。大分冷えてきました」

 エイミが、反対側の隅から、きちんと折り畳まれた毛布を持って来た。薄暗い中、コンクリートの塊かと思っていた。

 「フタミと一緒にくるまれば、少しは暖かく過ごせるでしょう。少しでもお休みになられた方がいいですよ」
 「エイミ様も、ご一緒にどうぞ」

 「私は平気だ」

 フタミの提案は、あっさり却下された。

 俺はフタミと体を寄せ合って、毛布で体を包んだ。暖かい空気が少しずつ毛布の中に満たされ、こんな状況なのに眠気をもよおした。
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