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第二章 棗

3 抜かれてしまった

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 目を覚ましたとき、俺は自分がどこにいるのかわからなかった。頭がひどく重くて、少し吐き気がする。今日は風邪を引いたから予備校を休もうと思った。思い切り視界が揺れた。

 「ユーキ様、ご無事で」

 エイミの頭の後ろに星空が広がっていた。起き上がろうとして、手にじゃりじゃりとした感触を覚える。俺の記憶がつながった。

 「美月ちゃんは?」

 エイミがぴくり、と眉を上げた。手があがりかけたようにも思えたが、殴られはしなかった。
 何故ここにエイミがいるのか、俺は思い当たった。すっかり忘れていた。気配も感じなかったが、どこかで様子を見ていたのだ。

 「消えました。帰宅したのでしょう」

 そういうエイミの声音はほとんど冷静に聞こえたが、怒りの感情を抑えているようにも感じた。

 「帰った? フタケとコトリはどこだ」
 見回すと、やや離れた場所に、2人仲良く仰向けに並んでいた。

 美月を抱いた例の岩場ではない。その岩場は、やみまぎれて黒い固まりにしか見えなかった。

 俺たちは、打ち上げられたクジラみたいに、砂浜に寝かされていた。俺は重い頭を抱えながら、上半身を起こした。

 「睡眠薬を、酒に混ぜて呑まされたのだと思います。ユーキ様は遺伝的に耐性がおありになるようで、他の方より早くお目覚めになったのでしょう。なくなったものはありませんか」
 「え。なくなっているもの?」

 言われるまま、俺は荷物を探った。別に大した物は持って来ていない。濡れた水着も財布もちゃんとある。

 「中身はいかがですか」

 財布を開いて一気に目が覚めた。札がきれいに消えていた。小銭の感触で油断した。
 俺は呆然とエイミを見た。エイミはどうしようもない、という身振りで応えた。

 「車を借りて来ております。お友達を乗せるのは気が進みませんが、ご一緒されますか」

 「このまま放っておくわけにもいかないだろう。それより、どうなっているんだ?」

 「昏睡強盗こんすいごうとうみたいなものでしょうね。遠い方の駐車場に停めてあるので、近くへ回してから、また参ります。それまでここにいてください」

 エイミは返事も待たずに去ってしまった。

 空の財布を見ても、依子達にだまされた、という実感は湧かなかった。
 思ったより金を取られたのは残念だったが、処女だという美月の体を堪能できて、俺は満足であった。

 海辺でするなどという経験は、この先もそうそうない。遥華の仮想現実空間にも、海辺はなかった。

 美月との経験を牛よろしく反芻はんすうするうちに、俺は意識を失うまでは全裸であったことを思い出した。
 今はきちんと服を着ている。知らぬ間にエイミに裸を見られたわけである。しかも、あられもないことをした後の。

 猛烈に恥ずかしさがこみ上げる。さぞかし間抜けな姿だったろう。そこで、フタケとコトリの存在を思い出す。

 2人とも、海パン姿であった。事を終えてからわざわざ濡れた水着を着るはずもなく、エイミが服を着せるのを面倒くさがったせいに違いなかった。

 あの岩場から意識を失った男3人を運んだ後なら、面倒になっても致し方ない。むしろ、よく運んだな、と感心する。
 そもそも俺のお目付けでなければ、俺たちを助ける義理もない訳で。

 エイミはしばらく戻りそうにない。
 俺は頭を叩いて気合いを入れ、2人を起こしに近付いた。コトリはすぐに目を開けた。顔をしかめ、後頭部を押さえる。

 「痛いなあ。じんじんする」

 ぶつぶつ言いながらもすぐに起き上がった。辺りをきょろきょろ見回し、俺と目が合う。

 「エリーはもう帰ったの?」
 「タカ、財布から金取られてないか」

 言われるままに財布を開け、コトリは顔色を失った。

 「うわ、今月の生活費下ろしたばっかりだったのに。エリーちゃんひどい」

 すぐに事情を飲み込んだようであった。意外にも頭の回転が早い。

 「全財産持って遊びにくる奴があるか。とにかく着替えろよ」

 2人で騒いでいる横で、フタケはすやすや眠っている。コトリが着替えている間に、俺は勝手ながらフタケの荷物を広げてみた。やはり財布に札がない。

 電車に乗るとき、高額紙幣を取り出したのを見ている。1枚も札がない、ということは考えられなかった。コトリと2人で苦労してフタケを着替えさせたら、ようやく目を覚ました。

 「うわあ、やられたなあ。電車賃ぐりゃあはあるな。優しいところあるね」

 頭を振り振り、力なく呟く。しかしエイミが姿を現した途端、彼は元気になった。
 
 「アオヤギさ~ん。こんなところで会うなんて奇遇きぐうだよね、というより、もしかして俺のファン? 来るならもっと早く来やあよ。ええっ、車で来たの。すごいなあ、もう免許取ったんだ。いやあ助かってまったなあ。なんだかお腹空いてまったで、どこかへ寄って飯食っていかん?」

 帰宅の足を確保するため、必死で食らいついているのだろうか。人気のない夜の海水浴場へ、一人で現れたエイミに、疑問を抱く様子はない。俺には好都合ではある。

 「あ、俺たちお金にゃーんだがね。ひゃあひゃあ素直に帰って休みゃあす。へえ、可愛い車だな。そう、レンタカーか。俺助手席ね。えりゃあ人は後ろに座るんだわ。発車!」

 ひたすら喋り倒すフタケは、必死というより単に興奮しているようにも見えた。彼だけ寝ていた時間が長かったし、飲まされた薬の影響かもしれない。

 「へえ、快調快調。俺も早う免許取りてゃあな。免許せゃあ取れりゃあ、親父が車買ってくれるでな。でもさすがに大学合格するまでは免許取るのお預けなんだ。ええよなあアオヤギさんは免許取れて。ねえ、よう見るとアオヤギさんってきれいだがね。彼氏おるの?」

 「フタケくん、話しかけるの止めて。ついこの間免許取ったばっかりで、一人で運転するのは今日が初めてだから」

 フタケはぴたりと口を閉じた。車内が急にしん、とした。

 エイミが普通に友達みたいな口調で話すのを聞くのは、新鮮だった。それにしても、いつの間に免許を取ったのだろうか。黙らせるための嘘かもしれない。


 車は安全運転で、街まで無事に戻ってきた。フタケ、コトリと下ろし、俺はレンタカーを返すまで付き合わされた。こちらは小銭しか持たない身。文句をつける資格がない。

 「家でチャーハンでも作ろうかと思っているのですが、ユーキ様も召し上がりますか」
 「頼む。助かるよ」
 「では、作り次第お持ちします」
 「いや、家で作れば? 持ち運びが面倒臭いだろう」

 さすがにそこまでさせるのは申し訳ないと思い、俺は提案した。

 「材料を持ち運ぶ方が面倒です」
 「じゃあ、食べに行くよ」
 「‥‥わかりました」

 エイミの返事が1拍遅れたように思ったが、気のせいかもしれなかった。

 出来上がったら電話する、とエイミが言うのを、どこで待つのも一緒だからと理屈をこねて、そのままエイミの部屋へ一緒に入った。
 母には勉強会で遅くなる、と念を押している。帰宅したら電話をしなければならない。金を取られた疲労と空腹を抱えたまま、母とまともに話す自信がない。

 隣だから、左右が対称である他は、俺の部屋と同じ間取りである。

 部屋の中は片付いていた。女の子の部屋と言えばインテリア小物、という俺の予想を裏切り、生活感すらなかった。最小限の家財道具は、地味な色とシンプルな形である。

 俺はビジネスホテルの部屋にでも入ったような気持ちで、勝手にテレビをつけて座り込んだ。
 エイミは無言で俺が落ち着くのを見守った後、台所で支度を始めた。

 食べ物のよい香りで目が覚めた。いつの間にかうとうとしていた。途端に激しい空腹を感じる。間もなくエイミが、チャーハンと中華風スープを盆に乗せて運んで来た。俺は食欲に任せてがつがつとほおばった。

 「旨いなあ」

 息をするように声が漏れる。

 「ありがとうございます」

 あとは無言で、スープがまだ熱いうちに食べ終えた。皿が下げられ、緑茶とキウイがでてくる。茶は熱い。
 キウイをつまみながら、茶が冷めるのを待つ。

 エイミは無言で控えている。はたから見ればくつろぐ図である。だが、俺はまったく寛いでいなかった。
 茶の熱さも含め、無言の圧を感じる。俺が昏睡強盗にったことを責めている。

 茶を飲まずに帰ることもできず、茶を飲むこともできず、俺はキウイをちびちびとかじりながら無難な話題を探した。

 「実家に、同級会の案内が届いたそうだけど、アオヤギはどうする?」
 「ユーキ様が出席なさるのならば、私も参ります」

 聞くのが間違いだった。俺は自分で出欠を決めなければならない。

 「年末年始は帰れないだろうから、今のうちに帰省しておいた方がいいかな」

 半ば独り言のように呟く。

 「同級会へのご出席はいかがなさいますか」
 「出るよ」

 反射的に答えて、そろそろと茶に手をつけた。ちょうど飲み頃になっていた。
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