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第一章 遥華

3 ナンパ友達ができた

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 俺がエイミの存在を思い出したのは、遥華から解放され、精根尽き果て自分の部屋へ戻り、ベッドへ転がり込んでひとしきり眠った後、目が覚めて空腹を覚えた時であった。

 そういう建物に入って何事もなかった筈もなく、俺は遥華とそういう仲になった、というよりは、遥華に童貞を捧げた、といった方が正確である。

 最初から最後まで遥華主導で事が運んだ。俺は戸惑いながら言われるままに動いただけである。
 それでもひどく疲れた。何だか記憶がぼんやりしている。年上美女にお持ち帰りされて、筆下ろししてもらったというのに、もったいない。

 エイミはずっと後をつけていたのだろうか。

 酒が入ってから、すっかり存在を忘れていたので、探そうともしなかった。
 例の建物に入ったところも見られただろうか。
 俺の腹がきゅるきゅると情けない音を立てた。まともに考えられない。

 空腹を抱えて冷蔵庫を開ける。あいにく、すぐに食べられるような物は入っていなかった。留守番電話に伝言が入っていることにようやく気付く。途端に思い出したのは、母である。

 「まずい」

 じりじりしながら、伝言を再生してみた。息を詰めて耳を澄ませる。

 1件目は予想どおり母からで、帰りが遅いのではないか、帰ったら電話をするように、と言っていた。
 2件目も母で、怒りながらも帰宅次第すぐ電話をするように、と言っていた。

 3件目はエイミだった。

 「アオヤギです。お母様には、ユーキ様がコトリさんの家へ泊まることになったと報告いたしましたので、戻られたら、そのように話を合わせていただければ幸いです」

 俺は大きく息をついた。とりあえず、母に電話をして、遅くなったのでコトリの家に泊まり、朝ご飯までごちそうになって帰ってきた、と堂々作り話を披露した。

 母はまだ少し怒っていたものの、監視役の言葉でなく、息子の口から話を聞くことができて、安心した様子であった。自分で命じておきながら、あんまりエイミを信用していないようだ。

 「今度どこかへ泊まるときには、連絡先を教えておきなさい」

 次回からは同じ手は使えない。

 次があれば、の話であるが。

 俺は電話を切って、はた、と気付いた。

 エイミの伝言は、母の2件目の伝言からそれほど時間が経っていなかった。
 俺が2回とも電話に出なかったので、母はお目付けのエイミに電話したのであろう。

 エイミから母に電話するのなら、もっと早い時間にしたであろうし、母も、2回も夜中に電話してくることはなかったはずである。

 そして、エイミが母と話したのならば、エイミはそのとき部屋にいたわけで、俺の後をつけていなかったことになる。いつからか。そもそも、最初から尾行していなかったかもしれない。

 母からの電話で、俺が帰宅していないことを知り、その場で適当に言いつくろったのではあるまいか。

 ならば、俺が遥華と例の建物に入ったことも、エイミには知られていないことになる。
 エイミが知らなければ、勉強せずに童貞喪失していたことが母にもれる可能性は、ない。

 エイミは『話を合わせていただければ』と言っていた。本当はストーリーと違う、とまでは知っている訳だ。

 考え出すと、きりがなかった。おまけに、空腹がわけもなく危機感をあおった。とにかく食料を買い出しに行こう、と財布を探していると、電話が鳴った。

 「はい、フジノですが」
 「おはようございます。アオヤギです。お食事は、お済みでしょうか?」

 俺は受話器を取り落としそうになった。

 「いや、まだ」
 「では、差し出がましいとは存じますが、残り物が多少ございますので、詰めてお持ちいたしましょうか」
 「う……頼む」

 空腹に負けて、俺は断れなかった。
 エイミは5分と経たず、2段重ねの重箱と、水筒に詰めたお茶を持ってやってきた。既に用意していたとしか思えない。

 「お給仕いたしましょうか」
 「いや、いい」

 エイミは素直に帰った。意味ありげな表情も見せなかった。
 温かいお茶が飲めるのは、ありがたかった。喉がやたらに乾いていた。まずお茶で喉をうるおし、重箱のふたを開けた。

 残り物を詰めたとは思えなかった。
 鶏の唐揚げ、卵焼き、青菜のソテー、ひじきの煮物、きんぴらごぼう、粉ふきいも、たらの西京焼き、などなど、色とりどりのおかずが入っていた。
 俺はごくりと唾を飲み込み、ご飯を見てむせた。赤飯が詰まっていた。

 「ばれている?」

 女の子が初潮しょちょうを迎えた時に赤飯をく習慣は聞いたことがあるが、初潮と対になるのは精通せいつうである。童貞喪失ではない。それと対になるのは、処女喪失だ。

 男の子の精通で赤飯を炊くという話は聞いたことがないし、俺もしてもらった覚えはない。

 とにかく、エイミがわざわざ赤飯をぶっ込んだ意味は明らかである。筆下ろしの方だ。何でバレた? その、昨夜のこともそうだが、俺が童貞だったってことも含めて、だ。
 改めて確認するのも恥ずかしく、ばからしく、俺はやけになって赤飯をかき込んだ。


 週明け、休み時間になるとさっそくフタケが話しかけてきた。

 「フジノ、どうだった?」
 「どうだったって言われても……フタケこそどうだったんだよ」

 フタケの断定的な口調に戸惑い、訊き返した。答えるより先に、緩んだフタケの顔がすべてを物語っていた。

 「んもう、美登利ちゃん最高。ああいう真面目な娘は狙い目だよな」
 「これから付き合うの?」

 「まあ、適当にな。そのうち受験勉強で忙しくなるだろうから、向こうから別れを切り出すようにもっていくよ。俺、そういうの上手いんだ」

 呆れてものも言えない俺を、彼は賞賛しょうさんと取ったらしい。鷹揚おうように頷いてみせた。

 「お前、結構話せる奴だよな。これからも、楽しくやって行こうぜ。女の手配なら、まかしとけ。ところで、コトリの奴、振られたみたいだから、あんまりこの手の話はしない方がいいぜ」

 フタケが指差す方向には、彼の言うとおり、悄然しょうぜんとしたコトリがいた。

 遥華とはどう考えても一夜限りの付き合いでしかないのだから、俺だって成功したとはとても言えない。むしろ、コトリに近いはずである。

 それでも、フタケの様子から察するに、コトリは一夜たりとも共にできなかったようである。俺たちは、コトリを遠くから見守ることにした。

 その週の終わりにも、フタケは俺を誘って夜の街へくり出した。
 今度は、街行く女性2人連れに声をかける場当たり方式であった。

 フタケは誰にでも言い寄るのではなく、とりわけ派手な身なりの女の子にねらいを絞っていた。
 すると、一緒に遊ぶまではいかなくとも、嫌な顔をされたり、無視されたりすることは皆無かいむであった。
 フタケの雰囲気に女の子がかれるのかもしれないし、フタケの見極みきわめが上手いのかもしれない。

 両手に余るほど声をかけて、ようやく一緒に食事してもよい、という2人組に巡りあえたときには、俺は正直歩き疲れ、家へ帰りたかった。

 フタケはますます張り切っていた。
 うどん屋で味噌煮込みうどんを食べ、カラオケへ行ってジュースとほぼ同じ名前のチューハイを飲むと、女の子たちはハイテンションになった。

 専門学校1年生とのことで、派手な化粧をしているが、恐らく未成年である。
 チューハイが酒だ、ということは理解していた。

 「前も飲んだけど、全然平気だったよ」

 リズム音の大きな、酔った頭に響く音楽をどんどん予約する女の子がのたまう。入れておきながら、自分では歌わず、人に歌うようせがむ。

 フタケは喜んで歌っていたが、俺の知らない曲も結構あった。

 もう1人は、自分では予約せず、他が歌う間もマイクなしで延々歌い続けていた。しまいには声がしわがれてきて、喉をうるおすのに酒をあおっていた。

 「水を飲んだ方がいいんじゃないの」

 俺が言っても、聞かない。

 「こっちの方が、おいしいもん」

 終了時間を確認する電話が鳴る頃には、人に歌をせがんでいた女の子はフタケにしなだれかかり、もう1人は俺の腕をしっかりと捕らえていた。

 「ねえ、次行こうよ」

 次とは、例のホテルであった。紫や黄色、ピンクのネオンがけばけばしく光る通りへ来ても、2人とも平然としていた。かえって俺が照れくさい。
 俺の腕をつかんだ女の子などはむしろ、自分からホテルの方へ歩いていった。

 「じゃあな」

 フタケは女の子が指名したホテルへ消えて行った。
 俺は、同じ建物に入るのは何となく気が引けて、女の子を引っ張ってその建物から離れた。

 「いやあん。強引な男って好きかも」

 女の子が嬌声をあげた。すっかり酔っぱらっていた。
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