雨の烙印

月世

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第九話 羽化

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 好きだと打ち明けた。邪魔じゃないならそばにいさせてくださいとお願いして、それに対する答えは「許可しよう」だった。
 興奮状態で帰宅し、一晩眠り、朝起きて、首をひねる。
 好きです、付き合ってください、からの、こちらこそよろしくお願いします、というわかりやすい流れじゃない。
 俺と先輩の関係はなんだろう。どう、変化したのか。
「恋人だろ?」
 不安になって電話で確認をすると、先輩が当然のように言った。
 そうか、それでいいのか、と安堵した。
 付き合っている。そういう認識でいいらしい。
 俺は、舞い上がっていた。
 朝食のトーストが焦げていてもがっかりしないし、虹子に投げ飛ばされても笑って受け身をし、散歩中の犬に吠えられても笑顔でスルーし、授業で難解な問題に当たっても快活にわかりませんと答えた。
 本当に、浮かれていた。
 だから、忘れていた。
 俺たちは、男同士だ。
 忘れようもなく、二人とも、男だ。自分は同性愛者なのだろうか。先輩も、そうなのだろうか。
 わからなかったが、そんなことは大した問題じゃないと思ってすぐにどうでもよくなった。
 そう、どうでもいい。先輩と一緒にいられるだけでよかった。
 授業が終わると部活に出て、帰宅する、という生活リズムが、変わりつつあった。部活のあとで、先輩のマンションに寄るようになっていた。
 先輩は相変わらず学校にはほとんど姿を見せず、俺の部活が終わる頃にふらっと迎えに来ることが多かった。
 ランボルギーニは目立ちすぎると苦言を呈すると、日替わりの勢いであらゆる車種で迎えに来た。
「車が好きなんだろ?」
 車好きの俺を喜ばせようとしていることに気づくと、素直に嬉しかったし、可愛いことをするな、と思った。
 時間を共有すればするほど、俺は先輩に惹かれていった。
 会話のリズムが好きだ。たまに下ネタを混ぜてくるところも、嫌いじゃない。
 意外にも料理が上手で、見たことも聞いたこともないメニューを食べさせてくれる。
 テレビの面白さがわからない、という先輩と一緒にお笑い番組を見て解説をするのが、楽しかった。
 物知りで、俺になんでも教えてくれる。そのときの優しい口調が好きだ。俺を馬鹿だと評価していても、貶しているわけじゃないこともわかる。
 先輩と過ごす時間が幸せだった。
 どうしようもなく、好きだと思った。
 先輩は、俺の頭を覗くことができる。出会ったときからそうだった。言わなくても、知られてしまう。
 先輩に、触りたい。
 先輩に、触られたい。
 きっと俺の欲求は筒抜けで、だから今日は、先輩との距離が異様に近い。
 先輩の指が、俺の頬に触れた。体が無様にびくついた。
「いいか?」
 先輩が訊いた。
「何が、ですか?」
 火照ってくる体を持て余し、目を泳がせた。ソファの一番端で、逃げ場がない。
「恋人らしいことをしよう」
 俺の頬を撫でていた先輩の指が、耳をかすめ、首の後ろに回る。先輩の顔が、目の前にある。息を止めて、目を硬く閉じる。フッと、笑ったのがわかった。薄く目を開けると、鼻先を触れ合わせ、「息をしろ」と言った。
 言われるままに、ふう、と息をつくと、見計らったように唇を塞がれた。
 脳内が、パニックを起こす。
 柔らかい感触。唇を優しく吸われて身震いが起きる。体が変だ。ゾクゾクして、気持ちよくて、目が回りそうだ。
 先輩に、しがみつく。
 初心者にも手加減がない。俺の頭をしっかりとホールドし、唇を割り開き、舌をねじ込まれる。
「んっ……、う、んんっ」
 声が漏れる。それが恥ずかしくて、先輩の体を押して、意味のない抵抗を試みた。先輩は俺を離さない。口の中を深く貪るように這う舌。歯列をなぞり、上顎を蹂躙する。
「大丈夫か?」
 脱力して腕をだらりとする俺に気づき、先輩がようやく唇を離した。
「ダメです、俺、体が、おかしい」
 力が入らない。まさに、骨抜き状態だ。触られるだけで変になるのに、いきなりこれだ。ハードすぎる。
「キスも初めてか?」
「う……っ、そ、そうです」
「なるほど。よくやった」
 俺の頭を撫でて、謎のねぎらいを与えてくれた。
「一つ、確認だが」
「は、はい、なんでしょう」
「精通はしてるな?」
「せい……、あ、あの、それって」
「オナニーはしてるか?」
 ぐっ、と喉を詰まらせ、顔を背けてほんの少しだけうなずいてみせた。
「よし。ならいい。寝室を見せてなかったな」
「え」
「見たくないか?」
 見たいと言え、というプレッシャーを感じる。
「俺は充分、我慢した。そろそろ限界だ。抱かせてくれ」
 俺の体を抱きしめて、先輩が言った。耳に息が触れ、そこから甘い痺れが広がっていく。
「でも」
「大丈夫。優しくする」
 ただこうやって、抱きしめられているだけでも気持ちがよくて、好きだと実感できて、心が満たされる。でも先輩は、多分そうじゃない。
 俺を欲しがっている。求められている。
 緊張で、汗がにじむ。頭がおかしくなりそうだ。
 逡巡する俺の体を、先輩が唐突に抱き上げた。最後に人に抱えられたのは、小学校低学年の頃だと思う。久しぶりの感覚が、なんだか懐かしく、嬉しかった。先輩の首に抱きついて、すり寄った。
「先輩、好きです」
「うん」
 その「うん」の後には何も続かない。先輩は俺を好きだとは言ってくれない。言って欲しい。我ながら軟弱で、図々しい奴だ、と思う。これ以上欲しがるのは贅沢だと、わかっている。
 寝室のドアを開ける。中はぼんやりと薄暗い。ベッドの頭の上にある小さなライトがすでに灯っている。光沢のある質感の黒いシーツが、几帳面そうにシワ一つ寄らずに敷かれている。準備は万端だと気づき、やおら赤面してしまった。
 先輩は今日、最初から俺をここに連れて来るつもりだったのだ。
 やけに大きなベッドと、背の高い観葉植物、開放的な大きな一面の窓はブラインドが上げられていて、夜景が見えた。外はもう暗い。
「今、何時ですか?」
 照れ隠しに慌てて訊くと、先輩が俺をベッドの上に寝かせた。
「まだ八時前だ」
「うち、門限が九時で」
「わかった、それまでには帰してやる」
 先輩が俺の体にまたがってくる。太ももに乗られて、逃げられなくなった。
「わ、わ、あ、あの、やっぱり俺、心の準備が」
「今しろ」
 先輩が俺の腹の上で、ボタンを外し、シャツを脱ぐ。あらわになる、素肌。筋肉が、張り詰めている。胸筋のゆるやかなカーブと、浮き上がる美しい腹筋。細いのに、質のいい筋肉がしっかりとついていて、嫉妬を覚えるほどだった。運動部でいくら体を苛め抜いても、こうはならない。
 先輩の体に見惚れていると、いつの間にか制服を脱がされていた。気づくとパンツ一枚の心もとない格好になっている。
「あれっ、あっ、あの、そうだ、ま、窓が、外から、丸見え」
「外からは見えない窓ガラスだ。安心しろ」
「うわ、ちょっと待って、最後の砦が!」
 下着を引き下ろそうとする先輩の手に、必死で抵抗する。
「お前な、もうちょっと色気を出せ。萎えるだろうが」
 ベルトを外しながら先輩がため息をついた。前をくつろげるのを、思わず凝視する。萎えると言っていたのに、やけに大きなものが出現したのだ。
「でっ……か」
「まだでかくなる」
 先輩が、ペニスをつかんでニヤリとした。
「あれ? 今思い出したんですけど、もしかして」
 男同士のセックスの仕方を、先輩は以前、一言でこう説明した。
 尻の穴を使う。
「それ、俺の中に」
「挿れるよ」
 ケロッとして先輩が言う。
「むりっ、無理です、入らない」
「入らないんじゃない。挿れるんだよ」
「お、落ち着いて!」
「俺は落ち着いてる。お前が落ち着け」
 先輩がジーンズを脱ぎ捨てて放り投げた。全裸になった完璧な肉体美が、まるでスポットライトを浴びた彫刻のように見えた。
「ムードも何も、あったもんじゃねえな」
 俺の体をまたいで仁王立ちになると、さらけ出した股間を軽くこすりながら大きく息を吐いた。
「そう、っすよね……、じゃあ今日は、やめましょう。ねっ」
「やめない」
「……やめない?」
 シーツの上で膝を抱えて体を丸め、先輩を見上げた。
「清水」
「……はい」
「十分だけ時間をくれ」
「どういうこと?」
「十分経ってもまだやりたくなかったら、そう言え」
 うなずくしかなかった。
 先輩が、シーツに膝をつく。俺の頭を優しく撫でて、顔を寄せる。自然と力が抜けて、導かれるように顔を上げ、キスを受け入れる。
 さっきよりも、格段にソフトなキスだった。ちゅ、と小さな音を立てて、何度もついばまれ、次第に息が上がる。先輩の首に、しがみつく。気持ちよさで脳がとろけそうだ。
 静かで丁寧なキスに身をゆだねていると、俺の頬に添えられていた手が、首に移動し、鎖骨へと滑り落ち、胸板で止まった。指の腹で、柔く、絶妙な刺激を与えてくる。
「ふっ……、う、ん」
 身をよじり、先輩の肩に震える手ですがりつく。
 先輩がキスをやめて、俺の顔を覗き込んだ。
「やめるか?」
「やめ、やめないで……」
 もうなんでもいい。先輩が好きだ。この人になら何をされてもいい。気持ちいい。もっと、と甘えてすり寄る俺を見て、満足そうに口の両端を持ち上げた。
 先輩の指と唇が、体を徘徊している。俺の反応を確認しながら、いろんな場所にキスをする。脇腹やへその辺り、内腿にまで唇を寄せられて、声が抑えられない。
 裏返った自分の喘ぎ声が耳にぬるりと侵入し、余計に淫らな感情を増幅させる。
 腰が、揺れる。もどかしくて、切なくて、勝手に体が動くのを、止められない。
「せんぱい、せんぱい」
 泣きながら、先輩に抱きついた。
「十分経った」
 冷静な先輩の声が耳元で囁いた。
「どうする?」
「したい、先輩、続き、したい……、です……」
 恐怖が消えた。こんなに気持ちよくさせてくれるなら、この人にすべて任せておけばいい。
 そう思ったのだが、次のステージは甘くなかった。
 ほぐす、という行為が延々と続いた。先輩はやたら慎重だった。俺の後ろを執拗に押し広げた。ネトネトした液体を尻の中に練り込むと、指を前後左右に動かして、もみほぐす。俺はその間、口を抑えて呼吸を荒げ、のたうち回りたいのを我慢して、目をつむって耐えていた。
 先輩の指がある場所に触れると、射精感が混み上がり、腰がガクガクと震えた。口を覆った手のひらから声が漏れ、きつく瞑った目の端から涙がこぼれた。
 先輩の手の動きが止まり、指がゆっくりと抜け出ていく。
「う……っ」
 薄く目を開くと、冷静沈着な先輩の顔があった。
「挿れるか」
 これは質問だろうか。わからなかったが、何度もうなずいた。
 先輩の手が、俺の股を大きく割る。膝が肩につくくらい、腰を持ち上げられた。自分の猛ったペニスが目についた。こんなことをされていても、興奮のせいか、極限まで膨れ上がっている。
 先輩が、俺の尻に下腹部を寄せる。先端を俺の秘部に押し当てて、「力を抜け」と命令した。
 やっぱり、怖い。
「大丈夫」
 俺の太ももを撫でて、にこ、と綺麗に笑った。鷲づかみにされたように、胸がぎゅ、となる。
 そして、唐突に穿たれる、凶器。
「っ……、いっ、いって、いたっ、痛い……っ」
「痛くない、痛くない」
 催眠術でもかけるつもりなのか、先輩が繰り返しながら、腰を進めてくる。先輩の、硬くて太いものが、めりめりと壁を押し広げ、入ってくる。
「でかい、むりっ」
 悲鳴を上げる俺のペニスを、先輩が捕獲する。痛みと恐怖で萎えかけた下半身を、ゆるゆると擦られて、ガクガクと体が揺れた。
「清水」
 すぐ近くで先輩の声がした。目を開けると、涙でにじんだ視界に先輩がいた。こつん、とひたいをくっつけてから、ためらいがちに口を開く。
「好きだ」
「……え?」
「好きだ。お前が好きだ。やけに可愛い。どうしてだ?」
「お、俺は、可愛くないと……」
 声が震える。唇を噛んで、目を伏せる。
「欲しくてたまらねえんだよ」
 先輩の告白が胸に刺さる。泣くのを堪えることが、できない。むせび泣く俺の中は、いつの間にか先輩でいっぱいだった。
「動くぞ」
 宣言され、直後に揺さぶられる。悲鳴が出た。
 圧倒的な存在感のあるものが、俺の中を出入りする。粘着質な音を立てながら、中を擦られ、次第に頭が真っ白になっていく。必死でしがみついた先輩の背中に、爪を立てる。一定のリズムで抜き差しを繰り返し、そのうち下腹部の不快感や違和感が、なくなった。痛みをはるかに上回る、快感。
 先輩のペニスにある場所を擦られると気が遠くなるほどの絶頂感に襲われた。悶絶し、泣き叫び、イク、イク、と大騒ぎをして、気絶した。
 目が覚める。
 最初に感じたのは、シーツのなめらかさ。シルクだろうか。肌触りが気持ちよくて、手のひらで撫でさすり、うっとりと頬をすり寄せる。ふふふ、と笑いが漏れた。
「起きたか」
 頭の後ろから、先輩の声がした。うつ伏せで寝ていた体を素早く起こすと、尻に重い痛みが走り、シーツに沈み込む。
「痛むか?」
「……なんか、ずしって来ます」
「大丈夫。血は出てないし、裂けてはない」
 先輩が言った。
「……それは、よかったです」
 なんとか返事をして、シーツに顔をうずめる。
 恥ずかしい。ものすごく、恥ずかしい。恥ずかしくて先輩の顔が見られない。
「清水」
 先輩が俺を呼ぶ。
「なっ、なんでしょう」
 シーツに顔を隠したまま訊いた。
「今、十時半だ」
「そっか、十時……、えっ」
 再び跳ね起きて、速攻で両手両膝を着く。
「安心しろ、お前の妹に連絡しておいた」
「え? 虹子に? 何? どうやって?」
「お前のスマホで、お前を装って」
 四つん這いの俺に、先輩がスマホを差し出した。受け取って、寝転んだ。先輩は全裸のままで、ノートパソコンを触っていた。
「それ、何してるんですか?」
「株価を見てる」
「は、はあ」
 寝転んだままスマホを操作し、虹子とのメッセージ履歴を開く。
『おーい兄者? 門限すぎてますがー?』
『友達のとこに泊まる。って言っといて』
『ふ ざ け ん な』
『よろしく、妹よ。愛してる』
『な げ と ば す』
 そこで会話が終わっていた。
「やばい、これ、半殺しコースだ」
「完璧になりすませてるだろ?」
 やり切った顔の先輩が可愛いので、どうでもよくなった。
 親からの着信がないところを見ると、虹子が伝言してくれたのだと思う。あいつはひねくれてはいるが、そこまで意地が悪くもない。
「明日、休みでよかったな」
 そうか、土曜日だ。
「一日中、一緒にいてやるよ」
 先輩の人差し指が、俺の頬を撫でた。嬉しくて、顔が笑う。
 くすぐってくる指に甘え、安心して、目を閉じた。
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